トランプから離れたサウジ2018年9月10日 田中 宇トランプの米国が、ヨルダンと、パレスチナ(ヨルダン川西岸)を合邦させる案を、ヨルダンとパレスチナ(自治政府)に提案して了承しろ、それをパレスチナ問題の最終解決案として受け入れろと圧力をかけ始めた。合邦案は、西岸にパレスチナ国家を作らせない好都合な策として、以前からイスラエルの右派が推進しており、トランプはそれをそのまま自分の案として使っている。戦後の中東和平案で一貫して「イスラエルとパレスチナが共有する首都」として規定されていたエルサレムは、この合邦案において、イスラエルだけの領土になっている。 (Is Jordan Palestine?) (トランプの中東和平) 合邦案は、戦後の中東和平案で規定されてきた「パレスチナ国家の創設(パレスチナ自治政府を正式な国家の政府として認めること)」を否定している。トランプは昨年、パレスチナ自治政府(PA)に対し、合邦案より少しましな、エルサレムの隣のアブディス村をパレスチナ国家の首都にするミニ国家案を提案したが、PAのアッバース議長が拒否したため、今回、それよりさらにひどい、パレスチナ国家を認めない合邦案を提案してきた。 (中東和平の終わり。長期化する絶望) 今回の合邦案に対し、PAとヨルダン王政は、強く拒否している。PAは、自分たちの国家建設が認められないのだから拒否して当然だ。ヨルダンの方は、すでにヨルダンの人口(1千万人)の70%がパレスチナ人なので、そこに300万人いる西岸のパレスチナ人が新たにヨルダン国民として加わると、王政を倒してパレスチナ人政党(ムスリム同胞団)を与党にする「民主化」の政権転覆が行われかねない。そのためヨルダンのアブドラ国王が合邦に反対している。 (U.S. Sounds Abbas Out on Palestinian-Jordan Confederation) (JC Settlements remain, Jordan as ‘border guard’ – details of Israel plan emerge) ヨルダン国王は、イスラエルの言いなりになっているトランプの和平提案や米大使館のエルサレム移転に、一貫して反対している。その報復として、米国はヨルダンに対する経済支援を減らしている。ヨルダンにはろくな産業がなく、米国からの支援が減ると、ヨルダン政府の財政はとたんに赤字になる。今年、ヨルダン政府は累積財政赤字がGDPとほぼ同額の危険水域に達した。失業率も上がり、6月には反政府デモが起こり、国王は首相を解任した。首相の首をすげ替えても、根本的な解決にはならない。ヨルダン国王が、トランプ(=イスラエル)の合邦案を受け入れるのは時間の問題かと思われた。 (Confederation with whom? This is a red line — King) (Trump Resurrects the Idea of Jordan Is Palestine) だがそこに、意外な助っ人があらわれていた。それまで、トランプと一緒になってヨルダンやPAに対し、イスラエルに好都合な和平案を飲めと圧力をかけていたサウジアラビアが、いつの間にか一転して、ヨルダンの擁護に回っていた。サウジは6月、ヨルダンの財政難が悪化して首相が交代した直後、UAEやクウェートも誘い、ヨルダンに緊急の財政支援を行った。米国が出さなくなった分のお金を、サウジが出すようになった。 (Saudi Arabia to host summit on Jordan economic crisis) サウジはサルマン国王が最高権力者であるが、昨年以来、国王の末息子のモハメド皇太子(MbS)が(トランプの勧めで?)父から広範な権力を移譲され、トランプやクシュナー(トランプの娘婿のユダヤ人。中東政策担当)と親密になって、イスラエルに好都合な和平案や、過激なイラン敵視策などを推進してきた。 (カタールを制裁する馬鹿なサウジ) (サウジアラビアの自滅) だが、イスラム世界とアラブの盟主であるはずのサウジが、イスラムとアラブの大義であるパレスチナ問題の正義(パレスチナ国家の創設)を無視し、仇敵であるイスラエルの言いなりになってしまうことには、サウジ国内やアラブとイスラム諸国からの大きな反発を受けた。イスラエルべったりのトランプの案に乗って、中東和平がうまく行くのならまだしも、事態は全く反対に、和平は進まず、アラブ諸国の結束が乱れ、イランの台頭を招くばかりだ。中東和平だけでなく、イラン敵視、カタール制裁、レバノン首相解任、イエメン戦争、アラムコ上場など、MbSが進めた策はいずれも失敗している。 (Saudi King Shelved Aramco IPO To Teach Son, Prince Bin Salman A Lesson) そのため、今年の春から夏にかけての時期に、父親であるサルマン国王が、MbSの政策を次々に棚上げして、以前の姿勢に戻すことをやり出している。サウジは、トランプの策に乗るのを静かにやめている。トランプがヨルダンに渡していた支援金を減らした分を、サウジが穴埋めしたことは、その一つだった。トランプがヨルダンに、西岸との合邦や、エルサレムをイスラエルだけの首都にすることを認めろと圧力をかけているのに対し、サウジは、以前のトランプ支持から、ヨルダン支持へと転換した。 (US Considering Attacking Iran, With Saudi Forces Leading Strike) サウジが6月、ヨルダンの財政危機を救う緊急の財政支援を行った当時は、まだサウジの転換が知られていなかった。当時、中東の分析者たちは「サウジは、トランプの言うことを聞けとヨルダンに圧力をかけるために、ヨルダンに財政支援したのでないか」という見方を示した。だがその後、サウジは、トランプの中東政策から離反する動きを次々に行い、サウジが姿勢を転換したことがしだいに確実になった。 (Does latest Gulf aid to Jordan come with strings?) 8月初め、サウジ国王が、エルサレムを全部イスラエルにあげてしまうトランプの中東和平案を拒否し、2国式に固執するパレスチナ自治政府を支持すると表明する手紙をトランプ宛てに送っていたことを、イスラエルのハアレツ紙が報じた。これと前後してロイター通信も、アラブ外交筋の話として、サウジ王政がトランプの中東和平策を支持するのをやめたと報じている。 (Saudi Arabia backs away from ‘Deal of the Century’) またサウジ政府は8月初め、16年の国交断絶以来、認めていなかった国内へのイラン外交官の駐在を再び認め、サウジの首都リヤドでイランの代表部(大使館)が再開した。サウジ国王は、MbS皇太子にトランプべったりの姿勢をやめさせ、トランプに手紙を書いて中東和平策に関する不支持を表明し、トランプ追従策の一つとしてやっていたイラン敵視を緩和した。 (Saudi Arabia to admit Iranian diplomat - IRNA) 8月末には、MbS皇太子が進めてきたアラムコ(サウジ国営石油会社)の株式上場計画も、上場先を確定できないまま困難になり(おそらく真の理由は、上場による需給バランスの乱れが世界的な株のバブル崩壊を引き起こしかねないこと)、サルマン国王が上場計画の棚上げを決めた。最近は、イエメン戦争でのサウジ軍による市民殺害も、戦争犯罪であると国際的な非難を集めている。MbSによるサウジの国家戦略は全面的に行き詰まっている。 (Saudi Arabia's ambitious Vision 2030 plan in trouble) (UN Report Details War Crimes by Saudis, UAE in Yemen War) サウジの国王が皇太子の政策をやめさせる方針転換は今年6-8月に顕在化したが、方針転換の始まりはもっと前の今年初めだった可能性がある。今年3月、トランプが、それまでのカタールへの敵視をやめて、カタール君主を大統領府に招待して褒めそやしていたからだ。昨年6月、トランプはMbSをけしかけて、ガザのハマスなど中東全域のムスリム同胞団を支援していた、イラン寄りの国であるカタールを制裁させた。そのトランプ自身が、9か月後にサウジのはしごを外してカタール敵視をやめてしまった。これはおそらく、イスラエルが、ガザのハマスとの和解を目指し、ハマスに影響力を持つカタールを、敵から味方に転換させる必要があったからだろうが、この時点ですでにサウジとトランプの同盟関係が崩れていた可能性がある。サウジはまだカタールを敵視している(和解は時間の問題だが)。 (Trump Will Regret Changing His Mind About Qatar) (The Qatar Crisis Moves to Palestine) ▼トランプがイスラエルの傀儡策をやるほどイスラエルが不利になる サウジはすでに、トランプの中東和平策(=イスラエルが作った策)に反対し、トランプが和平策を飲まないヨルダンやPAへの制裁として支援金を削減した分を、サウジが穴埋めしている。サウジに助けられているヨルダンやPAは、もうトランプの言うことを聞かない。トランプは、うまくいかないと知りつつ、ヨルダンやPAに、合邦策を飲めと圧力をかけている。なぜ、うまくいかないとわかっているのにやっているのか。それはおそらく、大統領に当選する前に(歴代の米大統領と同様)トランプがイスラエルと約束したことがあるからだ。 (トランプのエルサレム首都宣言の意図) イラン核協定からの離脱、エルサレムへの米大使館の移転、2国式の中東和平策の否定、サウジを反イスラエルから親イスラエルに転じさせる努力をすることなどを、イスラエルの希望に沿って、トランプは約束したのでないか。約束をしたものの、トランプが最もやりたいことは、イスラエルの傀儡になることでなく、米国の覇権を不可逆的に放棄することだ。トランプは、イスラエルの傀儡として動きつつ、その動きの結果、米国の国際信用が低下して覇権放棄が成就するようにはかっている。 (軍産の世界支配を壊すトランプ) トランプは、約束どおり2国式の中東和平を拒否し、イスラエルが作った合邦案をヨルダンやPAに押しつけている。サウジはトランプの支持者から批判者に転じ、ヨルダンやPAを支援して、合邦案の実現を阻止している。エルサレムをイスラエルだけの首都として認めたトランプの米国は、もう中東和平の仲裁役(=中東の覇権国)でない。 トランプは最近、イスラエルの傀儡として、イスラエルが前々から国際社会にやらせたかった、パレスチナ難民の認定取り消しを要求し始めている。国際社会はこれまで「パレスチナ難民の子供や孫もパレスチナ難民だ」という理屈に立ち、約500万人がパレスチナ難民に認定されているが、米イスラエルは「難民権は代を継げない」「難民の子供や孫は、パレスチナ国家ができたら引っ越す(帰国する)権利を持つのでなく、いま住んでいる国の国籍を付与されるべき」という新たな姿勢に立つことを宣言した。この新宣言に基づくと、パレスチナ難民の総数は500万人でなく、4万人になる。米政府は、この新宣言に基づき、国連のパレスチナ難民支援の機関UNRWAに対する支援金を急減すると発表した。 (US cuts all funding for UN agency that helps Palestinian refugees) (Jordan can't afford to lose UNRWA battle) 米国が打ち切った分のUNRWAの資金は、サウジやEUや中国などが穴埋めすることになる。パレスチナ問題の主導役が、米国から、サウジやEUや中国やロシアに代わっていく。以前のように米国の単独覇権体制が盤石な時代なら、米国がイスラエル好みの新政策を打ち出すと、国際社会は、嫌々ながらそれに従っていた。米国を傀儡化することが、イスラエルの国益に合致していた。だが今は違う。米国がイスラエル好みの政策を打ち出すほど、米国は世界からそっぽを向かれる傾向を加速し、米国の代わりに露中やEUに中東の覇権国をやってもらいたいと国際社会が考えるようになる。イスラエルが米国を傀儡化するほど、米国は覇権を失い、イスラエルの国益にマイナスな結果になる。 (The U.S. Is Sidelining Itself in the Middle East) 米国が大使館をテルアビブからエルサレムに移す決定をした後、グアテマラとパラグアイが、米国に追随して大使館をエルサレムに移した。だが、パラグアイは、国際社会で批判されるのでいやになり、大統領の交代後、大使館をテルアビブに戻すことを決めた。米国に追随して世界の多くの国々が大使館をエルサレムに移すと考えたイスラエルの目論見は外れた。米国の覇権がいかに低下しているかを示すだけの結果になっている。 (Outcry from Israel after Paraguay moves its Jerusalem embassy back to Tel Aviv) (Paraguay to move embassy in Jerusalem al-Quds back to Tel Aviv) トランプは昨年、サウジのMbS皇太子をけしかけてイスラエルと接近させ、イランを共通の敵とするサウジとイスラエルとの同盟体を作らせようとした。だがこれも今年、サウジの国王が皇太子の策を失敗とみなしてやめさせた結果、サウジとイスラエルとの関係改善が不可能になっている。こんご米国の覇権が衰退するほど、米国の言いなりになることがサウジの国益にならなくなり、むしろ米イスラエルを批判する方が国際政治力(大義)の獲得に好都合になる。サウジが米イスラエルを批判するほど、イランと敵対し続ける意義も失われる。イスラエルとサウジが同盟を組んでイランを敵視する構図は夢と消えた。 (イランを共通の敵としてアラブとイスラエルを和解させる) 同様の傾向はイスラエルにも言える。イスラエルは、トランプの米国に頼る策が全くうまくいかなくなった半面、ロシアに頼る策はうまくいっている。イスラエルは数年前から、米国の覇権衰退の傾向を把握し、米国を傀儡化しておく戦略を維持しつつ、プーチンのロシアに接近している。イスラエルは、イスラエルの隣にあるシリアを仕切るようになったロシアに頼み、シリアを舞台にイスラエルとイラン・ヒズボラが本格戦争しなくてすむよう仲裁してもらい「冷たい和平状態」を実現した。イスラエルは南方のガザでも、エジプトの仲裁でハマスと停戦し、冷たい和平を実現している。エジプトの後ろにはロシアがいる。 (ロシアの中東覇権を好むイスラエル) (米国に頼れずロシアと組むイスラエル) 北方のシリア・レバノンと、南方のガザにおいて、イスラエルは、ロシアのおかげで国家安全を確保している。残るは、米国に頼ってきた西岸だ。サウジがトランプ支持をやめたため、米サウジがイスラエルの傀儡となってヨルダンやPAに圧力をかけ、合邦やミニ国家など、エルサレムなしの中東和平の解決案が実現する可能性は大幅に低下した。西岸の問題はふりだしに戻った。しばらく解決しそうもない。 (米国から露中への中東覇権の移転が加速) 西岸は、このままずっと未解決のまま残るのか。いずれ変化があるとしたら、それは、アラブでなくイスラエルの側かもしれない。米国の覇権低下を受け、これまで20年近くイスラエル政界を牛耳ってきた右派・入植者(2国式拒絶派)の力が低下し、選挙を経て、2国式を受け入れる左派・中道派が与党になるというイスラエルの政変がいずれ起こりうる。右派・入植者は、米国のユダヤロビーと結託して米政界を牛耳り、その力でイスラエル政界を牛耳ってきた。 (入植地を撤去できないイスラエル) (Israeli rightwing party aims at one million settlers) 今のところ、左派中道派への支持は凋落する一方で、イスラエルの主導役が右派から左派に転換しそうな感じは全くない。だが今後、米国の覇権低下が進み、イスラエルを国際非難から守ってくれていた米国の力が失われ、イスラエルへの国際非難が強まる。イスラエルが世界から非難されるのは、西岸で入植地を拡大し、パレスチナ国家の設立を阻止しているからだ。その政策を進めているのは右派・入植者だ。米国の覇権が失われると、右派・入植者が米国を牛耳り続けてもイスラエルの国益にならなくなり、むしろ右派・入植者のせいでイスラエルが国際非難されるマイナス面が大きくなる。その傾向が、いずれ選挙結果に反映されると、イスラエルは左派中道派が強くなり、入植地の縮小や、2国式の和平推進をやるようになる。
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