他の記事を読む

中国のアジア覇権と日豪の未来

2017年12月24日   田中 宇

 11月下旬にオーストラリア政府が14年ぶりに作成・発表した「外交白書」は、外交的なやんわりした表現ながら、画期的な内容が盛り込まれていた。白書は、米国の覇権が退潮していることを豪政府として初めて認めた。白書にはトランプ米大統領の名前が一度も出てこないものの、米国第一主義を掲げ、覇権放棄策を進めるトランプの米国への懸念が内容的な基調となっている。白書は、中国が米覇権に挑戦し、米国を抜こうとしているとも指摘している。白書を通じて豪政府は、中国が米国を抜いてアジアの覇権国になるのでないかという懸念を、初めて公式に表明した。 (Australia's foreign policy White Paper: What does it say, and what does it mean?) (2017 Foreign Policy White Paper: advancing Australia’s interests

 白書は、結論として、今後しばらく米国は中国よりも強いし、最終的にも、米国は中国に恒久的に追い抜かれることなく優勢を保つと予測し、だから豪州にとって今後も米国との安保上の同盟関係が最重要であると書いている。しかし、こうした予測がどの程度確実かというと、豪政府も自信がない状態で、国際情勢や米覇権の先行きが不確実な事態になっていると、白書の中で何度も指摘している。 (Foreign Policy White Paper) (Australia turns its back on the new Asia with white paper

 白書は、ターンブル豪首相が序文を書いている。ターンブルは「豪州の現状が歴史上初めて、経済面で最重要な相手国(中国)と、安保面で最重要な相手国(米国)が食い違う事態になっている」と書いている。白書全体の結論としては、今後も米国の安全保障の傘の下に入れてもらうことを豪州にとって最優先のこととしているが、それと対照的に、ターンブルの序文には「他国に依存せず、自立した安保政策を持たねばならない」とか「急速に変化している多極型世界において」という言い回しが出てくる。白書全体としては、米単独覇権体制が今後も長く維持され、豪州は対米従属を続けるのが良いという論調だが、ターンブルの序文はこれと対照的に、米覇権の衰退と中国が台頭によって多極化が進み、豪州は対米従属が続けられなくなり、対米自立した独力の安保戦略を持たざるを得ないことを示唆している。 (Australia’s 2017 Foreign Policy White Paper offers more wishful thinking than concrete ideas) (2017 Foreign Policy White Paper finally acknowledges world power is shifting

 豪州は、表向きまだ対米従属の安保戦略を堅持しているが、その裏で米国の覇権が退潮して中国に抜かれると予測している、という二面性が外交白書から感じとれる。豪州政府が、米国の退潮を予感しているのに対米従属の建前を堅持する理由は、そうしないとトランプの米国が豪州からそっぽを向いて覇権放棄・退潮する傾向を強めてしまうからとも考えられる。 (Australia in an age of geopolitical transition) (China or the US? Australia's tricky balancing act

 白書は「インド太平洋」という用語を多用している。この用語は、前回の記事に書いたように、トランプが中国包囲網の戦略を放棄し、米国主導から日本主導に押し付け的に切り替えるために、日本の安倍首相が昔に作った中国包囲網の「インド太平洋ダイヤモンド」の戦略を焼き直して使っているものだ。豪政府は、外交白書で、アジア太平洋でなくインド太平洋という言葉を多用することで、表向き、米国と一緒に中国包囲網をやりますよと表明しつつ、本音では、きたるべき米国抜きのアジアにおいて、日本やインドと協調してやっていくしかないと認知していることがうかがえる。 (安倍とネタニヤフの傀儡を演じたトランプの覇権放棄策) (The New Australian Foreign Policy White Paper: The Perspective of the Australian Institute of International Affairs

▼日本は官僚独裁ゆえ、豪州よりも対米従属に強く縛られている

 豪政府は今回の外交白書で、アジアで米国の覇権が衰退し中国に取って代わられていく可能性・傾向を公式に認知し始めたが、同じことを知覚すべき立場にいる日本政府は、まだそこまでいっていない。日本政府は、中国の軍事台頭を認知・批判しているが、米国の覇権衰退については全く知覚していない (外交青書 2017

 豪州の国際的な立場は、厳密に言うと「対米従属」でなく、英米カナダNZと並ぶ「アングロサクソン諸国網(旧大英帝国)」の一員だ。諜報的(=安保的、覇権的、外交的)に「ファイブ・アイズ」と呼ばれる単一の国際諜報組織(=軍産複合体)の一部だ。この諸国網の主導役は、戦前に英国だったが、戦後は米国なので、豪州は米国を「兄貴分」とみなしている。米国が兄貴役をやめるなら、兄弟の縁が切れるだけだ。日本のように、米国(もしくはファイブアイズ的な覇権組織)が絶対の「お上」でない。

 兄貴がいなくなったら非常に困る点では、日豪で共通だが、豪州は日本より、自国の国益を優先できる。日本は戦後、官僚機構が、対米従属の国是を使って(お上=米国の意志の解釈権を日本外務省などが牛耳ることで)隠然独裁を維持してきた。米国がアジアから撤退して日本が対米従属の国是を維持できなくなると、官僚独裁体制も崩れてしまう(選挙で選ばれた政治家=国会に主権が移る「民主化」が進む)。そのため、日本の官僚機構(や傘下のマスコミ)は、米国の覇権低下を認知したがらない。米国の覇権低下を早期(イラク戦争直後)から指摘してきた私などは、早々に陰謀論者のレッテルを貼られ、言論の権威を無力化されている。

 日本でも最近、権威ある(=当局に認められた)著名な評論家たちの言論の中に、米国の覇権が(トランプのせいで)衰退しており、日本はいずれ対米従属できなくなる、といった指摘が散見されるようになった。この見方は、豪州が外交白書で認知したのと同じものだ。だが日本では、この観点が政府の公式な見解にならない。それは、日本政府を握っているのが、対米従属によって権力を保持している官僚機構であるからだ。日本は豪州よりも、対米従属に強く縛られている。

▼中国は自滅しない

 中国が米国に取って代わる懸念を、豪州政府が外交白書で表明したことは「中国はいずれ自滅する」という、よくある見方が「高をくくった間違い」であることをも示している。日本や米国で発せられる、中国が台頭しない理由としてよく挙げられるものの一つは、中国は金融バブルがひどく、いずれバブル崩壊して国力が大幅低下するという予測だ。IMFは最近、中国政府がバブル退治を続けているのに、中国の負債は増え続けて危険水域に入っていると警告している。だが、IMFはリーマン危機後、米国覇権崩壊後の多極型世界体制に賭ける傾向が強まり、中国にすり寄っている。IMFが「中国は金融バブルが崩壊しそうだ。中国政府はもっとバブル退治すべきだ」」と言い出したのは、中国政府がIMFに、そのように言ってくれと要請したからだろう。 (China’s banking system risks facing crisis: IMF

 習近平政権は、もっとバブル退治をやりたいが、それをやると国有企業の雇用がさらに削減され、地方政府も金欠がひどくなるので、共産党内部の抵抗がかなり強い。「IMFも警告しているのだから、もっとバブル潰しをやらないと大変なことになる」と言って、党内の抵抗を打破するために、習近平政権がIMFに警告の報告書を書かせたと考えられる。 (中国の意図的なバブル崩壊

 IMFの警告の報告書を見て、米国や日本のマスコミは「ほらみろ中国は崩壊寸前だ」と喧伝した。だが、本当に中国が金融バブルで崩壊寸前であるなら、天下のファイブアイズの諜報網の一部である豪州の政府が「中国が台頭して米国をアジアから追い出すかも」と懸念表明する外交白書を出すはずがない。中国の金融バブル崩壊は、政府による意図的なもので、長期的な観点で中国を強化する。何度も書いているように、バブル崩壊が再起不能な国力の大幅弱体化につながるのは、中国でなく、無茶苦茶なQEを続けている日本や米国の方だ。 (金融市場はメルトアップの後にメルトダウン) (バブルを支えてきたジャンク債の不安定化

 経済面だけでなく軍事面でも「米国が圧倒的に強く、中国はまだまだだ」といった見方は、米国を過大評価し中国を過小評価している観がある。米国のランド研究所は最近出した報告書で「米国は中国の2・7倍、ロシアの6倍の軍事費をつぎ込んでいるが、軍事開発の効率で比べると、米国よりも中国やロシアの方が効率が良く、米国の軍事力が足踏み状態に近いのと対照的に、中国やロシアは急速に軍事力をつけている。ロシア近傍のバルト三国や、中国近傍の台湾では、すでに戦争すると米国が負けるかもしれない状態だ」と指摘している。 (US forces could potentially lose next war to Russia or China, warns sobering Rand report

▼米国の退潮と中国の席巻は意外と速く進んでいる

 日本に比べて豪州は、政府が、米国が中国に取って代わられそうな傾向を、良く認知している。だが豪州には、豪政府の認知ですら全然足りないと言っている専門家がいる。それは、かつて豪国防省の戦略立案担当者で今は大学教授のヒュー・ホワイト(Hugh White)だ。ホワイトは、豪州のターンブル政権が昨年、潜水艦の発注先を日本でなくフランスに決める際に影響を与えた人物だ。彼は以前から、アジアにおいて米国が退潮し中国に取って代わられていく傾向を指摘し、対米従属と(その裏返しとしての)中国敵視が強すぎる日本と安保面で組まない方が良いと、豪政府に進言してきた。 (潜水艦とともに消えた日豪亜同盟) (トランプとロシア中国

 ホワイトはその後、トランプ政権の誕生に際して「トランプはアジアでの主導権(覇権)を放棄するかもしれない。豪州は、米国抜きのアジアができることに備える必要がある」と説いていた。そして今回、外交白書と同じタイミングで出版した新論文「米国抜きの新たなアジアにおける豪州」(Without America, Australia in the New Asia)でホワイトは「TPP離脱などトランプの言動を見ると、米国は私が予測していたより速い速度でアジアから出て行きそうだし、南シナ海において米国との対決も厭わず環礁を埋め立てて軍事基地を作る中国の動きを見ると、中国は私が予測していたより速い速度で台頭しアジアの地域覇権を握りそうだ。みんな米国を過大評価し、中国を過小評価している」「私は早くから米国撤退と中国台頭を予測していたのに、ほとんどの専門家が私に賛成しなかった」と書いている。 (As China Rises, Australia Asks Itself: Can It Rely on America?) (‘Without America’: Hugh White launches Quarterly Essay

 ホワイトは「米国はアジアで、すでに戦略面で実質的な力を持っていない。外交白書の結論である対米依存は愚策だ」「中国が台頭するほど、米国は中国と戦争するリスクを嫌がり、中国と戦わないでアジアから出て行くことになる」「豪州は経済面でますます中国に依存する。中国と対立できなくなる」「これまで見たこともない(中国が支配する)状態のアジアが始まっている。(米国は孤立主義に入り、英国もEU離脱で衰退し、日本は信用できないので)豪州は組める相手がいない」「豪州は自立防衛していくしかない。米国のアジアからの退潮が顕在化すると、日本や韓国が核武装する。豪州も核武装を検討した方が良い。英国のように少量の潜水艦搭載の核兵器を持つのが効率的だろう」とも書いている。 (Without America, Australia in the New Asia - Hugh White

 ホワイトは公的な当局筋の、権威ある人だ。何の肩書きもない私などとは全く「格」が違う。ホワイトは、トランプ就任時から、トランプが覇権放棄をやりそうだと的確に指摘しており、アジアにおける米国の退潮と中国の席巻が意外と早く進んでいるという彼の指摘は、重視されるべき確度の高いものと考えた方が良い。 (Australia's White Paper woes

 ホワイトの論に信憑性がありそうだと私が考えるもうひとつの根拠は、米国の早期退潮(自滅したがる米国)を指摘する彼が、豪州の他の外交専門家やマスコミから誹謗中傷的な批判を受け続けてきたことだ。外交専門家やマスコミは軍産複合体の一部であり、彼らは米覇権の衰退を指摘する論者を無力化することに力を注いできた。指摘が正鵠を穿っているほど、誹謗中傷されやすい。本来、米国の覇権を守りたいのなら、軍産は覇権衰退の指摘を傾聴すべきだが、現実は正反対で、覇権衰退の指摘を極論や空論だと排除することで、軍産は自分たちの覇権衰退を早めてしまっている。軍産の中に隠れ多極主義の傾向があるので、このような自滅的なやり方になるのだろう。 (Hugh White falters on China's rise, ANZUS demise) (Review: Hugh White's 'Without America'

 ホワイトは米国覇権の早期退潮を予測するが、彼は退潮が今後どのように進むか具体的に予測していない(私が読んだ範囲内だが)。私なりに補足して考えると、今後の米国退潮のシナリオは、北朝鮮問題の解決が一つのカギだ。米朝が全面戦争になると、米中戦争に発展しやすく、米国退潮と中国の席巻にならず、ホワイトの見地から外れる。むしろ、米国が北朝鮮と戦争しようとするほど、米韓の安保同盟に亀裂が入り、米朝全面戦争になる前に韓国が対米同盟を放棄して開戦を防ぎ、自国を守るシナリオの方がありそうだ。 (北朝鮮危機の解決のカギは韓国に

 台湾の状況ももうひとつのカギだ。台湾への米国の軍事的なアクセスを中国が阻止できる状態にならないと、米国退潮・中国席巻の事態にならない。米議会とトランプは最近、米軍艦を台湾に寄港させる計画を盛り込んだ法律を可決・署名しており、これがどう発展するかが注目点だ。北朝鮮問題を契機として米韓同盟が崩れて韓国が米国側から中国側に転換するとともに、中国が台湾への米軍のアクセスを阻止できるようになると、在日米軍が現状のままでも、米国退潮・中国席巻の事態が出現する。ホワイトの分析に沿って私なりに具体的シナリオを考えると、上記のようになる。 (China angered as U.S. considers navy visits to Taiwan

 ホワイトは、豪州の核武装を提案している。そこまで豪州が追い詰められているという認識であり、すごいことだ。豪州を追い詰めているのは「中国の席巻」でなく「米国の退潮=アングロサクソン諸国網の崩壊」の方だ。すでに述べたように、従来の豪州の安保上の強さは、米英中心のアングロサクソン諸国網に属していたことだ。この諸国網が、軍産複合体であり、この200年の世界支配構造(大戦前の英国覇権と、戦後の米国覇権)の基盤である。英国のEU離脱による大幅弱体化と、米国のトランプ登場により、アングロサクソン諸国網の崩壊が一気に進んでいる。トランプにNAFTAを潰されるカナダは、中国と自由貿易協定を結ぼうとしている。 (Canada’s Trudeau Says China Trade Talks to Proceed at ‘Proper Pace’

 アングロサクソン諸国網の崩壊により、豪州は国家安全保障を一気に失い、核武装が言及される事態になっている。ホワイトは、台頭する中国に全面降伏するのはダメだと書いている。豪州は、諸国網(=米国覇権)の後ろ盾を失い、同盟できる強い国がいなくなっても、核武装して一国で中国の脅威に立ち向かわねばならないと、悲壮感あふれることを言っている。 (White Paper reveals Australia’s anxiety

 この手の悲壮感は、日本にない。もともとアングロサクソン諸国網(ファイブ・アイズ)は、戦時中に日本(日独伊)と戦うために大幅強化された。日本は、アングロサクソン諸国網によって打ち破られ、米国の傀儡国になった。日本は諸国網の一員でなく、諸国網に監視される囚人・傀儡である。囚人だが、監獄生活が楽ちんなので満足しているのが今の日本だ。米国覇権や諸国網が崩壊し、日本は監獄から出られるが、日本むしろシャバに帰りたくない囚人であり、米国がダメなら中国の傀儡になるのも仕方ないかと考える敗北者だ。戦後日本は国際的に受け身だ。核武装しても中国と張り合うぞと悲壮な宣言をする、能動的な豪州と全く違う。 (Hit 'pause' on Japanese ties: Hugh White

 とはいえ、米国覇権の崩壊と中国の席巻は、豪州と日本の両方にとって、世界における自国のあり方を再考して出直す好機でもある。監獄が廃止されて失業した看守と出獄した囚人が力を合わせた方が、新たな脅威(=中国)にうまく対抗できる。脅威に対抗するというより、きたるべき多極型世界において、日豪(やその他のアジア諸国)が、中国圏のとなりに別の「極」(海洋アジア圏、日豪亜)を形成することが、良い戦略として存在する。ホワイトら豪州側は、日本に対する不信感が強いので、それを払拭する努力が日本側に必要だ。まず、対米従属しか考えない姿勢からの脱却が必要だ。



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ