トランプの相場テコ入れ策2017年6月11日 田中 宇6月8日、米議会でのFBIコミー元長官に対する公聴会が、大した話も出ずに終わった。米国の民主党やマスコミなど反トランプ勢力は、ロシアが昨秋の米大統領選挙に介入した疑惑の捜査に関して、コミーが「トランプから捜査をやめろと言われた」と明確に証言することを期待していた。捜査妨害を立件できれば、ニクソンやクリントンに対して試みられたように、議会がトランプを弾劾しようとするところまで持ち込めるかもしれないからだった。だがコミーは、トランプが捜査を歓迎していないように見えたという曖昧な印象論を述べただけで、証拠つきの捜査妨害の事実を提示しなかった。5月10日のコミー解任以来の騒動は一段落した。 (The Comey Testimony Is Great For Trump, Terrible For Democrats) (GOP Lawmakers Stick With Trump After Comey Testimony) コミー騒動が一段落したので、トランプと議会共和党は、再び経済政策を進めようとしている。6月9日、トランプは議会共和党の幹部たちと会合し、夏の終わりまでに税制改革と健康保険改革にめどをつけることを目標として決めた。もうひとつの選挙公約である大規模なインフラ整備を後回しにして、着手しやすい税制改革(減税)を先にした。加えて、同じ6月9日には、議会下院が、銀行が自己勘定で投機的な高リスクの取引を行うことを禁じた、リーマン危機後に作られた金融規制法(ドッド・フランク条項)を無効にする新法(CHOICE法)を可決した。 (Here Are All The Financial Reforms That Will Disappear With Dodd-Frank) (While Comey And Trump Feud, Wall Street Moved One Step Closer To Repealing Dodd-Frank) 今回の減税と、金融規制の撤廃は、異様な高値を更新している株式や債券の相場をテコ入れし、下落を防ぐ効果がある。昨年11月のトランプ当選後、トランプが減税や金融規制撤廃、インフラ投資などの経済テコ入れ策をやると公約していたことを好感し、株価が上昇し続けた(トランプによる株価テコ入れ策=トランププット)。だが1月の大統領就任後、議会の民主党に加えて共和党の財政緊縮派(茶会派)が、減税やインフラ投資といった財政赤字を増やす策に反対し、公約の経済政策が行われていない。民主党やマスコミは、トランプ政権にロシアのスパイの濡れ衣を着せ、確たる証拠がないのに弾劾だと大騒ぎが続き、これも経済政策の実行を妨害している。 (軍産に勝てないが粘り腰のトランプ) 今のところ、日欧の中央銀行がQE策(債券買い支え)で巨額資金を金融市場に注入し続けているので、相場の最高値更新が続いている。以前は、相場を動かす最大の要因が「政治」だったが、今では、コミー証言でも、英国の選挙でも相場はほとんど動かない。相場を動かす唯一絶対の要因は中銀のQEの動向になっている。 (Bill Blain: "Forget 'Super Thursday', Today Is About Central Banks") (米金融覇権の粉飾と限界) 日欧の中銀は、昨年の2-3倍の速さで市場に資金を注入している。昨年は年間で合計8千億ドルの注入だったのが、今年はすでに1・5兆ドルを突破している(最近まで年初来1兆ドルと概算されていたのが急増)。QE策への批判が強まっており、日欧中銀は息切れしそうだ。米連銀は、ドルの再健全化のための利上げと勘定縮小に没頭し、日欧に協力できない。米国の株高は、アップルなど一部のハイテク株の上昇に支えられているが、6月9日には突然ハイテク株が急落し、恐怖指数VIXがはね上がった。中銀だけに頼るのは危険になっている。 ("Nothing Else Matters": Central Banks Have Bought A Record $1.5 Trillion In Assets In 2017) (Apple, Facebook, Amazon: Suddenly, Tech Stocks Are Getting Slammed) そこで金融界などから出てくるのが「そろそろトランプいじめをやめて、トランプに経済テコ入れ策をやらせるべきだ」という声だ。CNBCは「いちど株価が急落すれば、トランプを邪魔している議員たちはショックを受け、トランプが税制改革を進めることを許さないとダメだと痛感するだろう」と指摘する記事を出した。かつてリーマン危機後も、株価が下落したので、金融界に公的資金を注入する策が議会を通った。 (Why a stock market plunge may be needed to get tax reform done) 5月21日には、それまでトランプをさんざん誹謗中傷してきたNYタイムスとワシントンポストが、同じ日に突然、トランプ弾劾キャンペーンは慎重にやるべきだと主張する社説を出している。さもないと経済が悪化し、民主党への支持が減って逆効果になる、などと警告している。これらも、トランププット待望論として読み解ける。(トランプを弾劾できる違法行為が見つからないのに弾劾せよと叫ぶ策が逆効果だということもある) (Washington Post and New York Times urge pullback on calls for Trump impeachment) (米国消費バブルの崩壊) (Bipartisan Pushback Greets Trump’s Proposed Budget) ▼トランプがうまくやるほど、その後の金融システムと米覇権の崩壊がすごいものになる トランプの減税が実施されると、株価が上昇する。トランプは、減税しても10年後に米政府を財政均衡させられると主張している。だがトランプの説は、米経済が毎年3%という、現実としてありえない成長率を続けることを前提としている。現実的にみると、トランプの減税は、米政府の財政赤字をむしろ急増させる。オバマも財政赤字を急増させたが、トランプも同様だ。トランプは、米国を財政破綻に近づけている。しかもトランプは、中産階級の復活を公約として掲げているのに、政府予算の改革では社会保障費を大幅に削り、貧困層に転落した中産階級をさらにひどい目に合わせようとしている(この傾向は、当選時から予測されていた)。 (Ron Paul: Trump's Budget Projections "Bear Little Or No Resemblance To Reality") (JPMorgan: US Debt Is Never Going Down Again) (Trump's Budget Will Slash $1.7 Trillion In Entitlements, Cut Food Stamps By 25%) 米議会共和党が進めているドッドフランク条項の廃止、銀行規制の撤廃も、短期的な銀行株の上昇につながる。年初来、下落傾向の米国の銀行株が反騰する。だが、銀行は高リスクで無謀な投資融資を急増し、長期的に、銀行の破綻増加につながる。共和党のドッドフランク廃止条項(CHOICE法)は同時に、破綻した銀行を公金で救済すること(ベイルアウト)を禁じている。政府でなく、破綻した銀行の株主、債権者、預金者に損失を負担させること(ベイルイン)を義務づけている(EUはすでに、銀行破綻時にベイルインを義務づける法律を作り、今回初めてスペインの銀行が同法に基づくベイルインで破綻処理される)。銀行は資金の置き場としてハイリスク・ローリターンになっていく。(CHOICE法はまだ上院を通過しておらず、大きな変更がありうる) (“Bail-In” Era for Europe’s Banking Crisis Begins – Many Banco Popular Investors Wiped Out. Taxpayers Off The Hook. What It Means For Italy) トランプの減税や金融規制緩和は、短期的に株価を押し上げるが、延命期間がやや伸びるだけで、長期的には、よりひどい形でのバブル再崩壊、金融危機の発生を引き起こす。最終的には良い結果を生まない。だが、トランプ政権を持たせるための策、再選を目指す策としては効果がある。トランプの経済政策が順調に実行されていけば、今年から来年にかけての株価の下落を防ぎ、異様な最高値が続く可能性が増す。秋にインフラ投資政策が実現するなど、トランプの経済政策が今後順調に実現した場合は、特にその可能性が増す。 (Paul Singer Warns "All Hell Will Break Loose") (米国民を裏切るが世界を転換するトランプ) 著名な投資家たちのうち比較的悲観的だった人々が、最近、巨大な金融危機が近いという警告を相次いで発している。かつて債券の神様と呼ばれたジム・ロジャーズは6月9日に「リーマン危機より大規模な、最悪の暴落が起きる」との予測を発した。ヘッジファンドのポール・シンガーは「市場全体の負債総額がリーマン前より大きくなっている。金融システムはもはや健全でない」と6月8日に警告した。 (JIM ROGERS: The worst crash in our lifetime is coming) (Elliott's Singer Warns System May Be More Leveraged Than 2008) これらの警告を見ると、数週間内に大暴落が起きても不思議でない。とてつもないバブル状態だ。だが、トランプの相場テコ入れ策が生きてくると、意外にこのバブル状態が崩壊せず保持されていくのでないかとも思える。トランプのテコ入れがいつまで有効であるか予測は難しいが、年内とか来春ぐらいまで持つのでないかという感じもする(確たる根拠はない)。非常に高リスクな状態であるのは確かだ。バブルは保持されるほど拡大し、その後の最終的な金融崩壊がひどいものになる。 (BofA: "If Bonds Are Right, Stocks Will Drop Up To 20%") (Fitch says biggest threats to the USD's global supremacy are at home) トランプは、G7やNATO、温暖化防止体制、NAFTA、TPP、WTOなど、戦後の米国覇権体制を解体・破壊している。覇権の解体、米国の覇権放棄が、トランプの世界戦略だ。米国の覇権を守りたい人々(軍産マスコミ、グローバルなリベラルエリート層)は、覇権の解体を防ぐため、トランプに次々とスキャンダルを浴びせかけ、無力化しようとしている。だが、トランプを無力化すると、トランプが公約した経済テコ入れ策が進まず、QEだけでは持たなくなっている金融市場が崩壊し、米国覇権の解体につながる。しかたがないので、エリート層はトランプに対する攻撃を緩和する。するとトランプは抑制を解かれ、政治面の覇権解体作業を加速する。エリート層は、トランプをめぐるジレンマに陥っている。トランプは、エリート層から潰されないよう、金融市場を巻き込んだ巧妙な策をやっている。それは以前から感じられた。 (潰されそうで潰れないトランプ) (Trump Is More Optimistic Than Reagan, and That’s Not Good) トランプは、大統領を2期8年やる可能性が増している。ロシアが昨秋の米選挙に介入してトランプを不正に勝たせたという、FBIが捜査している容疑は、根拠が何もないままだ。ライバルの民主党が昨秋、悪事が書かれたメールの束を暴露された事件から世の中の目をそらすため、ロシアがトランプのために民主党のサーバーに侵入してメールを盗んだと言い出したのが、このスキャンダルの起源であり、民主党が捏造したウソの話である可能性が高い。メールの束は、ロシアが盗んだのでなく、民主党全国委員会のデータ分析スタッフだったセス・リッチが匿名でウィキリークスに流したものだ。セス・リッチは、ウィキリークスに情報を流した後の昨年7月、何者かに殺されている。民主党系の勢力に殺された可能性がある。 (Did Seth Rich Contact WikiLeaks? by Justin Raimondo) (Murdered DNC staffer Seth Rich was the “DNC emails” Wikileaker: Confirmed) (Murder of Seth Rich) このところ民主党は、政治献金の収集額が減っている(4月に470万ドル)。トランプの共和党は献金収入を増やしている(4月に960万ドル)。マスコミが濡れ衣のトランプ中傷報道をガンガンやっても、草の根からトランプへの献金は増えている。民主党は、次期の大統領選に向けた有力な指導者を登場させられないでいる。ヒラリー・クリントンは最近、民主党本部を批判する発言を展開し、党内から迷惑がられている。トランプに対抗できる民主党の指導者は、極左のバーニー・サンダースぐらいだ。トランプは右からの覇権解体屋であるのに対し、サンダースは左からの覇権解体屋だ。トランプの次にサンダースが大統領になると、覇権を維持したい軍産エリート層は、ますます無力化される。今後予測されるそのような流れのどこかで、金融バブルが延命できなくなり、巨大な金融危機と、米国の経済覇権の崩壊が起きる。 (Trump's Base Is Holding) (Dems want Hillary Clinton to leave spotlight) (Supporters of Bernie Sanders Look to Take Democratic Leadership in California)
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