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米国を覇権国からふつうの国に戻すトランプ

2017年1月28日   田中 宇

 まず今回書きたいことの概要。トランプが大統領就任とともに始めた経済戦略の要諦は「世界の消費に責任を持つ覇権国としての責務を放棄し、米国を消費の国から生産の国に引き戻すことで経済成長と雇用増に結びつけ、支持率維持と再選を狙うこと」だ。トランプがやると言っている自由貿易圏の破壊、関税引き上げ、輸出産業へのテコ入れ、国際化した米大企業の母国引き戻しは、いずれも経済覇権放棄の具体策だ。 (What Trump Means For Vol Trading: "This Is The Start Of Global Regime Change") (トランプ革命の檄文としての就任演説

 トランプのTPP離脱を受け、豪州NZは、米国が抜けたTPPに中国を引き込み、TPPとRCEPの統合を図っている。中国は、米国抜きの自由貿易国際体制の守護役に名乗りを上げ、欧米側で自由貿易を推進する国際支配層が集まるダボス会議に習近平が呼ばれ、欧米エリートと中国が結束する新たな世界体制が立ち上がっている。自由貿易支配層は米国を追い出され、中国BRICSにすり寄っている。日本など自由貿易を信奉する世界の多くの国は、経済覇権国になる中国との敵対をやめていかざるを得ない。米国が買ってくれない以上、中国などに売り込むしかない。 (TPP Is Dead. What Now?) (TPP: 'Australia first' trade policy outlined by Scott Morrison after Donald Trump's withdrawal

 日本やカナダは、対米従属や中国敵視に固執してTPPに関する「トランプ説得・翻身」に望みをかけるが、覇権放棄はトランプ革命の根幹なので説得翻身は無理だ。メキシコはトランプと交渉しようとしたが、国境の隔離壁の建設費を出せとトランプに言われ、米墨サミットは中止された。トランプは、壁の建設費徴収を口実に、メキシコからの輸入品に高関税をかける。トランプは、いずれ他の国々からの輸入品にも高関税をかけそうだ。トランプは、英国と2国間の貿易協定を結びたいが、それは「英国みたいにEUから離脱する国は、米国が貿易協定を結んでやる」という態度をとって、EUを分裂させるドイツ=EU敵視策だ。概要ここまで。 (U.S.-Mexico crisis deepens as Trump aide floats border tax idea) (Mexico president cancels meeting with Trump over border wall) (米欧同盟を内側から壊す

▼米国との2国間貿易協定もマイナスしかない

 ドナルド・トランプ米大統領が、TPPへの参加を取り消す大統領令を出したことに対し、日本や豪州、ニュージーランド(NZ)、カナダなどの加盟諸国が、いくつかの異なる姿勢を表明し、大騒ぎになっている。一つの姿勢は、日本やカナダが発している「米国抜きのTPPは無意味だ。TPP離脱を取り消すようトランプを説得する」というものだ。トランプは企業人なので、TPP加盟が米国の経済利得になることにいずれ気づいて再転換するはずという考え方が、この姿勢の原動力だ。だが、これは非現実的だ。 (Canada Hopeful TPP Can Survive Without U.S., Trade Minister Says) (Cannot Enter Into Force Without US - Canada’s Foreign Ministry) (TPP trade deal dead without US: Canada

 すでに何度も書いたが、トランプの基本戦略は「覇権の放棄」であり、TPP離脱はこの戦略に見事に合致している。トランプはTPP離脱を決して撤回しない。トランプは企業人として経済利得を重視するが、その利得は非常に長期的な、覇権の視野に立っており、年単位の経済成長だけを重視する狭い視野と異なる。 (トランプの経済ナショナリズム) (トランプが勝ち「新ヤルタ体制」に

「米議会がトランプを弾劾してくれるはず」というカミカゼ式の楽観論が存在するが、それも甘い。トランプは、議会の多数派である共和党の大統領で、共和党議員たちを喜ばせるため、軍事費増加、イスラエル強烈支持、環境や金融に関する規制の撤廃などをせっせとやっている。トランプは英国と2国間の貿易協定を結びそうだが、これも、米政界に影響力を持つ英国を厚遇して取り込む策だ。共和党の多くの議員は、覇権放棄屋のトランプに不満だろうが強く反対せず、弾劾決議案は通らない。トランプを辞めさせたいジョージソロスの団体ですらが「トランプの弾劾は無理だ」と断言する記事を出している。 (Donald Trump and the shape of things to come) (Mexico Warns It Is Ready To Quit NAFTA If Trump Crosses "Red Lines"

 日本やカナダには、TPPやNAFTAといった多国間の貿易協定でなく、米国と2国間の貿易協定の締結を希望する道もある。だが、自由貿易を否定して覇権放棄に走るトランプは、多国間、二国間を問わず、日本などが満足する貿易協定を結ぶ気がないだろう。日本が米国と貿易協定を結ぶためには、トランプがトヨタなど外国の自動車などのメーカーに求めた「主要部品を含めた完全な米国内での生産」に同意せねばならない。悪い貿易協定を結ぶぐらいなら、トランプの任期が終わるまで協定を結ばない方が良い。英国は、米国と2国間協定を結ぶ方向だが、英米間の貿易はすでにほとんど自由化されており、新たに協定を結ぶ利得は少ないと英中銀が指摘している(しかも英国は、EUを離脱する手続きが完了しないと新たな貿易協定を結べない)。 (Japan says preparing for all possible U.S. trade contingencies) (Japan Gears Up For Trade War) (UK-US trade deal will have 'very small upsides' for Britain, says former Bank of England economist

 日本やカナダと対照的に、豪州とNZは「米国がTPPをやめるというなら仕方がない、中国をTPPに入れよう」と提案している。今のままの形のTPPに、中国が加盟したがるとは思えない。TPPには、超国家的な(主に米国の)国際大企業が、加盟諸国の貿易関連政策(通商、税制、環境、雇用、商品安全などに関する政策)のうち「不当」と感じたものを訴追して潰せる超国家法廷の条項(ISDS)など、大企業が国家政府より上位に立てる仕掛けがついている。国家の権力が異様に強い中国は、こんな民間企業優位の仕掛けを決して認めない。 (After U.S. exit, Asian nations try to save TPP trade deal) (Trump Hands China A Gift In Dumping Trans-Pacific Partnership

 TPPからISDS条項を外し、民間企業の権限を大幅に削ぎ、国家間の協定に変質させた上でなら、中国がTPPに入りうる。だがそうなると、TPPは、中国が主導するTPPのライバル貿易圏であるRCEP(中国+ASEAN+日韓豪NZ印)と、あまり違いがないものになってしまう。米国が抜けたTPPに中国を招き入れる豪NZ案は、TPPとRCEPを合併する案だ。米国抜きだと、中国が最大市場になるので、RCEPがTPPを吸収合併する、つまりTPPは中国主導になってしまう。トランプのTPP離脱は、隠然と中国を強化する隠れ多極主義的な策でもある。 (Canada to seek increased trade with China, Japan after death of TPP) (In Asia, China looks like the winner after scuttling of Trans-Pacific Partnership

▼米国を、覇権国になる前の戦前の状態に戻す

 カナダは右派政権なので、中国の台頭を認めたくない。だがカナダはTPPだけでなく、既存の貿易圏であるNAFTA(米加墨)も、トランプにダメ出しされ、再交渉の俎上に載せられて崩壊寸前だ。カナダ経済は圧倒的に米国に依存している。米国経済もカナダに依存しており「企業人のトランプが、カナダとの自由貿易を破壊したいはずがない」という楽観論が出回っているが、すでに述べたように、トランプは別のところを見ている。それを察知しているカナダ政府は、米国抜きの体制など考えられないと言う一方で「米国に頼れないなら、中国や日本などアジア諸国との関係を強化せざるを得ない」とも言い出している。中国との経済関係を重視するほど、豪州NZ案に賛成するようになる。 (Malcolm Turnbull, Shinzo Abe agree to push for TPP despite Trump scepticism) (Australia tries to save TPP after Trump exits deal

 この面に関して、浅薄な中国敵視に拘泥する日本は沈黙しているが、事態はカナダとさして変わらない。安倍首相は、トランプ就任前に豪州を訪問し、トランプがTPPを離脱したら、日本と豪州が協力して事態を乗り切ることを決めている。日本では、外務省などが官僚独裁体制を維持するため徹頭徹尾の対米従属・中国敵視の姿勢だが、安倍自身は政治的な野心(官僚独裁を打破して国会主導にする真の民主化の野望??)から、外務省などと微妙に違う姿勢にも見える。 (A 'Plan B' Trans-Pacific Partnership agreement could still go ahead without the United States, Prime Minister Bill English says) (見えてきた日本の新たな姿

 安倍は年初に、反米のドゥテルテが率いるフィリピンも訪問した。昨夏のドテルテ就任以来、フィリピンを訪問した外国首脳は安倍が初めてだった。安倍は豪州と新たな軍事協定も結んだ。ほのかに再び見えてくる「日豪亜」。もし、米国も中国も入らない場合のTPPを考えてみると、それは「拡大版の日豪亜」「日豪亜+環太平洋」「米国と中国の間に位置する第3の影響圏」だ。 (潜水艦とともに消えた日豪亜同盟) (Japan's Abe visits Philippines as Duterte's first top guest

 中国の台頭が進むと、この影響圏も中国に吸収されてしまう。日本が韓国朝鮮みたいな対中従属国に成り下がりたくないのなら、この影響圏を、豪州やドテルテと一緒につかむしかない。ISDSの裁判所の判事には、米国の弁護士軍団でなく、日豪亜の政府と内通した官僚出身者などが就任する。TPPは、多国籍大企業による覇権体制という従来の構想と、似て非なるものになる。米国がTPPを不可逆的に離脱しても、安倍はしつこくTPPを推進している。表向き、それは「トランプをなんとか説得する」という、日本外務省的な「徹頭徹尾な対米従属」の路線に見えるが、もしかするとこっそり「拡大版の日豪亜の貿易圏」を狙っているのかもしれない。 (Who's Afraid of the Trans-Pacific Partnership?

 TPPとは何だったのか、についてもう少し。ISDS条項などを見ると、TPPやNAFTAは、米国の国家の覇権体制というより、自由貿易体制下で儲けが増える米国などの多国籍企業群による覇権体制だ。ダボス会議に集まるような人々が、TPPやNAFTAを推進してきた。だから、TPPやNAFTAを潰そうとするトランプやその側近たちは、誰もダボス会議に招待されていない。ダボス会議に招待され、自由貿易体制を発展させようと演説して最も注目されたのは、中国の習近平主席(大統領)だった。 (The 2017 “Davos Consensus”—More Welfare and Warfare) (Australia, New Zealand pledge to salvage TPP after US exit

 ダボス会議には来なかったが、ドイツのメルケル首相も同時期に、自由貿易体制の重要性を強調する演説を行い、トランプの保護主義を批判した。メルケルも習近平も、トランプに敵視されている。自由貿易体制は今や、トランプの米国が敵視する勢力によって守られている。豪州などが、米国がTPPから出て行くなら代わりに中国に入ってもらおうと言い出すのは不思議でない。「地球温暖化」対策も、かなり前から世界的な主導役は発展途上諸国を率いる中国になっている。トランプは、温暖化人為説を否定している。温暖化と自由貿易に関するトランプの動きは、同じ構図になっている。 (As Trump stresses 'America First', China plays the world leader) (新興諸国に乗っ取られた地球温暖化問題

 トランプは、第二次大戦以来の世界的な単独覇権国である米国を「ふつうの大国」(西半球の地域覇権国)に戻そうとしている。これは米国を、覇権国になる前の戦前の状態に戻すことでもある。これまでの米国は、覇権国の義務である世界経済の牽引役として、自国の製造業を意図的にないがしろにして、世界から無関税で旺盛に輸入して消費する役目を果たしてきた。トランプは、この役目を放棄し、米国の製造業を蘇生し、輸入や消費をがんばる単独覇権国でなく、製造や輸出で儲ける「ふつうの国」に戻そうとしている。 (Corporate America split over radical import tax plan

 この転換は、うまくいかないかもしれないが、メキシコやカナダや日本や中国が製造業で得ていた経済成長を米国が奪うことを意味するので、うまくいけば何年間かトランプが言う4%の高度経済成長を実現できる。経済成長を実現し、支持率や権力を維持できている限り、トランプは経済面だけでなく政治面の覇権放棄や多極化推進も続けられる。金融危機が起きると経済が破綻するので、トランプは少なくとも任期(2期8年)の後半までイエレンの米連銀(FRB)を追い詰めず、オバマ時代に大きく膨らんだ金融バブルが破裂しないようにするだろう。途中でバブルが崩壊してリーマン危機のさらに大型版が起きると、トランプの経済政策は失敗の烙印を押されるが、同時にドルや米国債の基軸性が失われ、これまた米国覇権の崩壊と多極化の急進展につながる。 (Stephen Moore: The Donald Trump Plan for Boom Times) (Mnuchin Backs Fed Independence and Signals Reform Isn’t Priority



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