米国民を裏切るが世界を転換するトランプ2016年11月11日 田中 宇ドナルド・トランプが米大統領選挙で勝ったことで、来年1月にトランプが大統領になった後、尖閣諸島をめぐる日中対立に再び注目が集まりそうな流れが始まっている。オバマ大統領は、尖閣諸島が日米安保条約の適用対象地域に含まれるという解釈をとってきた。中国が尖閣諸島に侵攻して日本との交戦になったら、米国は日本に味方し、米軍が中国と戦うために参戦するということだ。トランプは、大統領就任後、このオバマの解釈を廃棄し、代わりに「尖閣諸島は日米安保条約の対象地域に含まれない」という新たな解釈を表明する可能性がある。 (With Trump as President, What's Next for Japan and the U.S.?) 米国の共和党系の論文サイト「ナショナル・インテレスト」は11月9日に「トランプは就任から百日間にどんな新しい外交政策をやりそうか」という記事を出した。その中で「地球温暖化対策パリ条約にオバマが署名したのを撤回する」「オバマ政権がイランと締結した核協約を破棄する」というのに続き「尖閣諸島は日米安保条約の対象地域だと言ったオバマの姿勢を撤回する。尖閣諸島で日中が交戦した場合、米国が参戦するかどうかはその時の状況によって変わる、という姿勢へと退却する(日本を疎外しつつ米中間の緊張を緩和する)」というのが、トランプが就任後の百日間にやりそうな新外交政策の3番手に入っている。 (Donald Trump's First 100 Days: How He Could Reshape U.S. Foreign Policy) 4番手には「中国を不正な為替操作をする国の一つとしてレッテル貼りし、それに対する報復として米国が輸入する中国製品に高関税をかけ、米中貿易戦争をおこす」というのが入っている。尖閣紛争を日米安保の枠から除外して軍事面の米中対立を減らす代わりに、貿易や経済の面で米中対立をひどくするのがトランプの政策として予測されている。 (Yuan slips as dollar recovers but wary over Trump's China intentions) 米フォーチューン誌は11月9日に「トランプ大統領は最初の1年間に何をしそうか」という記事を載せた。「米国内での大規模なインフラ整備事業の開始」「地球温暖化対策の後退」「税制改革」などの後に、尖閣諸島問題をあげて「トランプの最初の外交試練は中国との間で起きる」と予測している。日本の安全保障に米国が全面的な責任を負う従来の体制を拒否するトランプの姿勢を見て、中国がトランプを試すため、トランプ就任後、尖閣諸島での中国側の領海侵犯がひどくなると予測し、これが「トランプの最初の外交試練」になると予測している。 (Here’s What to Expect from Donald Trump’s First Year as President) 英ガーディアン紙は「トランプ政権下で激動しそうな10の国と地域」という感じの記事を11月10日に載せた。タリバンの要求に応じて米軍が撤退するかもしれないアフガニスタン、親ロシアなトランプの就任におののくバルト三国、NAFTA改定を心配するカナダ、トランプ勝利のあおりでルペンが来春の大統領選で勝ちそうなフランスなどに混じって、オバマ政権からもらった尖閣諸島を守る約束をトランプに反故にされかねない日本が言及されている(北の核の話と合わせ、日韓がひとくくりにされている)。 (Mapping the Trump factor: 10 countries and regions feeling the heat) 米国の外交政策の決定権は議会にもあり、大統領だけで決められない。米議会は今回の選挙で上下院とも共和党が多数派になったが、議会では軍産複合体の影響が大きく、日韓など同盟国との関係見直しは議会の反対や抵抗を受ける。とはいえ、議会と関係なく、大統領令や、大統領による意思表明によって決まった政策もかなりある。温暖化対策やイランとの核協定は、議会の反対を無視してオバマが大統領令で固めた部分が大きい。それらは、トランプが新たな大統領令を出すことで政策を転換できる。 (Obama's Environmental Legacy Just Went Up in Smoke) 日米安保に関しても、安保体制そのものを変えることは議会の承認が必要であり、トランプの一存で決められないが、安保条約の対象地域に尖閣諸島を含めるという決定・解釈は、オバマ大統領が議会と関係なく発したものだ。だからトランプ大統領も、議会と関係なく、尖閣諸島は日米安保条約の対象地域でないと言ったり、対象地域であるかどうか曖昧化してしまうことができる。対象地域から明確に外すと議会の反発を受けるが、曖昧化は議会の反発を受けにくいのでやりやすい。曖昧化されるだけでも、日本政府にとって非常に恐ろしいことになる。 (世界と日本を変えるトランプ) 世界的には、トランプ政権下で変わりそうなことの中で、日米安保よりも、温暖化対策パリ条約からの離脱や、イラン核協約からの脱退の方が意味が大きいようにも見える。だが、パリ条約は批准国が55カ国を超えて事前の規定に達し、先日、条約として発効した。米国が離脱しても条約の体制は変わらない。米議会はパリ条約の批准を拒否しており、オバマは議会上院を迂回して大統領権限で条約を批准したことにしている。トランプは、このオバマの策を無効化するつもりのようだ。 (Paris Agreement to combat climate change becomes international law) (Global Warming Scam Exposed) (White House defends Obama evading Senate on Paris climate deal) 米国が転換・離脱してもくつがえらないのは国連で決まったイラン核協約も同じだ。欧州やアジア諸国など他の世界各国は、制裁をやめてイランとの経済関係を広げており、いまさら米国がイラン制裁を再強化しても大したことでない。オバマ政権下でも、議会はイラン制裁解除を拒否し続けており、トランプはそれを追認するだけだ。温暖化もイランも、トランプがやりそうなことは、米国自身の孤立を深めるだけだ。日米安保から尖閣を外すことの方が、米国としての大きな方向転換になる。 ▼石油産業や金融界と癒着しつつ覇権構造を変える歴代共和党政権 トランプ政権になって新たに始まる外交政策の最大のものは、対ロシア関係だろう。トランプとロシア政府は、選挙期間中に連絡を取り合っていたことを認めている。前出のナショナルインテレストの記事は、トランプが大統領就任後、自分の権限でやめられる対露制裁をすべて廃止し、プーチンと会ってウクライナ問題とシリア問題を話し合うと予測している。シリア問題では、オバマ政権(ケリー国務長官)が何度もロシア側と会い、ロシアに頼んでシリアに軍事進出してもらい、中東覇権をロシアに譲渡した観がある。トランプは、この路線を継承する。オバマが目立たないようにやってきたことを、トランプは大っぴらにやる。 (Trump, Putin have really close positions in foreign policy: Kremlin) (Donald Trump's First 100 Days: How He Could Reshape U.S. Foreign Policy) ウクライナ問題での米露交渉は、トランプが独自に新たに始める部分だ。オバマ政権は、ウクライナ問題の解決に参加していない(露独仏で推進)。オバマ政権はむしろ、ウクライナの政権転覆を煽るなど、内戦や混乱を引き起こした「犯人」の側だ。ロシア敵視の一環として内戦を引き起こした米国が、内戦解決のためにロシアと対話し始めるのだから、トランプになるとウクライナ問題の意味が全く変わる。 (ウクライナでいずれ崩壊する米欧の正義) 経済分野では、米国内のエネルギー産業に対する優遇がトランプ政権の一つの特徴になりそうだ。温暖化対策を拒絶することがその一つで、温室効果ガスを多く出すとして使用を規制されてきた石炭に対する規制を撤廃し、環境問題を理由に止められてきた米国内の石油ガスパイプラインの敷設も解禁しそうだ。シェールの石油ガスの採掘に対する規制も緩和される。 (The Promises of President-Elect Donald Trump, in His Own Words) 環境保護の観点から、トランプのエネルギー政策への反対が強まるだろう。だが同時に、国内のエネルギー開発を抑制する既存の米政府の政策は、環境保護にかこつけたサウジアラビアなど産油国からの献金や政治ロビーの見返り(輸入に頼らざるを得ない状態の維持)という部分があった。クリントン大統領になっていたら「環境保護=サウジとの癒着=サウジが支援するISアルカイダを米国も支援」の構図が続いただろうが、トランプはそれを破壊する。米シェール産業とサウジ王政の、原油安とジャンク債市場が絡んだ長い戦いは、トランプの登場により、シェール側が優勢になる。 (米サウジ戦争としての原油安の長期化) (米シェール革命を潰すOPECサウジ) 経済面でトランプがやると宣言しているもう一つの政策は、リーマン危機後に金融バブル防止のために制定された金融規制法である「ドッドフランク法」を廃棄(Dismantle)することだ。これは、選挙期間中にクリントンを支持し、トランプを嫌っていた金融界を取り込むための作戦だろう。大統領選挙の投票日、トランプが勝ちそうなのでいったん株価が暴落したが、その後、株は反騰した。ドッドフランクの廃止など、トランプも悪くないぞということらしい。 (Trump Team Promises To 'Dismantle' Dodd-Frank Bank Regulations) (Donald Trump’s Transition Team: We Will ‘Dismantle’ Dodd-Frank) 2300ページという膨大なドッドフランク法は、議会審議の過程で金融界の強い介入を受けて骨抜きにされ、発効したもののバブル防止の効果はほとんどない。そもそも今の金融市場は、米日欧の中央銀行群が自らQEなどによって巨額資金を注入し、超法規的にバブルを膨張させており、どんな強力なバブル防止法があっても意味がない状態だ。それでも、金融危機再燃防止策の象徴だったドッドフランク法を廃止するトランプ政権は「一般市民の味方とか言っていたのに、当選したら金融界の言いなりだ。騙された」という批判を受ける。 (米国金融規制の暗雲) (QEの限界で再出するドル崩壊予測) トランプの経済政策は、ブッシュ親子やレーガンの共和党政権がやってきたことのごたまぜの観がある。ブッシュ親子は石油業界の出身で、米国内のエネルギー開発の徹底した自由化をやって環境団体から批判されていた。レーガンは金融自由化や劇的な減税をやり、米国の貧富格差拡大の源流となったが、トランプはこれを継承している。大幅な減税をやる一方で軍事費の増大をやる点も、トランプはレーガンを踏襲している。トランプは選挙戦で貧困層の味方をしたが、就任後の政策が金持ち層の味方になるだろう。彼は、クリントンより規模が大きい詐欺師だ。 米国内的にはそういうことだが、世界的には、レーガンが「冷戦を終わらせた人」であるように、トランプは911以来続いている米国の軍産支配を終わらせるか、弱体化させるだろう。トランプがウクライナ問題を対露協調して解決に乗り出したら、今まで米国に睨まれていたのでロシアを敵視していたドイツやフランスは、あわてて対露協調に転換する。独仏が独自でロシアを敵視する理由など何もない。NATOは内部崩壊だ。エルドアンの高笑いが聞こえる。英国メイもニンマリだ。これだけでも、トランプがレーガンの後継者であることがわかる。 (Trump's Revolution - Now beware the counter-revolution by Justin Raimondo) (ニクソン、レーガン、そしてトランプ) 米露協調でシリアやイラクのISアルカイダを退治しようという話になれば、米軍は増強でなく(ISカイダ支援をやめて)撤退するだけで、あとは露イラン軍やシリア政府軍がISカイダを退治してくれる。ISカイダは欧州などに行ってテロを頻発しようとするが、それはフランスのルペンなど欧州のトランプ派を政治的に強化し、難民や移民の流入を規制することで中長期的に抑止される。 米中関係は、しばらく貿易戦争した後、何らかの米中合意が結ばれるだろう。全体として、トランプ政権下で米国の単独覇権体制が崩れ、多極型の覇権体制の構築が進むことになる。トランプが大統領になる意義はそこにある。
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