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モスル奪還めぐる米国の意図

2016年10月23日   田中 宇

 10月16日、イラクのアバディ首相が、イラク北部の大都市モスルをISIS(スンニ過激派・テロ組織)から奪還する戦闘を開始したと宣言した。モスルは、主にスンニ派が住む人口200万人弱のイラク第2の都市で、2014年からISに占領されている。 (Iraq PM Announces Beginning of Mosul Invasion) (Iraq Launches Military Offensive To Retake Mosul From ISIS; Up To 1 Million Refugees Expected

 モスル奪還の戦いには、イラク政府軍(主な兵力はシーア派)と、それを支援するイラン系のシーア派民兵軍、モスルをクルド自治地域に編入したいクルド軍(ペシュメガ)と、その傘下にいるISから逃げてきた元モスル市民からなるスンニ派民兵団(ハシドワタニ)などが参加している。クルド軍とスンニ民兵団はトルコに支援されており、数百人のトルコ軍顧問団が、イラク政府の拒否を無視して勝手にイラクに侵入・駐留している(トルコは、自国とシリアのクルド軍と敵対しているが、シリアのクルド軍とは友好関係にある)。この戦いには国際的にイラク、イラン、トルコが絡んでいる。 (イラクでも見えてきた「ISIS後」) (Mosul Braces Itself for Next Bloody Chapter After 13 Years of War

 モスルをめぐる構図は、上記のように、少し書いただけで大変に複雑だ。正確に書こうとして詳述すると、ますます複雑になる。たとえISから奪還しても、その後のモスルを誰がどう統治するかをめぐる対立が続き、地元勢力の意志を尊重していたら永久に解決しない。モスルが安定していたのは、オスマントルコ帝国、大英帝国、サダム・フセインといった外部の強力な勢力が、上から独裁的に統治していた時代だ(最近まで「新オスマン主義」を掲げていたトルコは、再びモスルを自国の影響圏に入れて安定させたい。イラク政府は猛反対してみせるが、自国内に勝手に駐屯するトルコ軍を追い出す力がない)。 (Erdogan: Turkey Determined to Play Role in Ousting ISIS From Iraq's Mosul) (クルドの独立、トルコの窮地) (近現代の終わりとトルコの転換

 モスルなどイラク北部(スンニ派とクルド人の地域)の全体が、複雑で解決困難な状況だ(南部はシーア派だけなので安定している)。だから、シーア派主導のイラク政府やその後見人であるイランは、イラク北部の統治に本腰を入れていない。ISが14年にモスルに侵攻した時、イラク政府軍やイラン人の軍事顧問団は、ISと全く戦わずに遁走した。そんなイラク政府が今回、モスルをISから奪還する戦いを始めたのは、イラクに影響力を持つ米政府(軍部)がモスル奪還をやりたがっているからだ。 (More US Troops Arriving in Iraq Ahead of Mosul Invasion) (イラク混乱はイランの覇権策?) (クルドとイスラム国のやらせ戦争

 米政府はISと戦っているが、これは表向きだけだ。米国の軍部(軍産複合体)やヒラリー・クリントンは、ISを倒さず放置・温存し、ISがアサド政権を倒すよう仕向けた方がいいと考えている。米国は、シリアでISを放置温存する一方、イラクではモスルでISを退治しようとしている。米国の戦略はシリアとイラクで矛盾している。 (露呈するISISのインチキさ) (わざとイスラム国に負ける米軍

・・・と思っていたら、なるほどと思える説明を見つけた。いくつかのメディアが「米国は、モスルを奪還してISをイラクからシリアに追い出し、これから露シリア軍との戦いになりそうなシリア東部にISを結集させて負けないように強め、ISがシリア軍に勝ってアサド政権を転覆するところまでやらせたい」という趣旨の解説をしている。米政府は以前から何度も「間もなくモスル奪還戦に入る」と宣言し、ISに対し「シリアに逃げ込むなら今のうちだ」という信号を送り続けた。ロシア政府筋によると、米国とサウジアラビアは、イラクにいる9千人のIS兵士が無事にシリアに移動できるよう、安全回廊を用意してやったという。 (After Mosul Falls, ISIS will Flee to Syria. Then What?) (Retaking Mosul will be hard, but Raqqa will be harder) (US 'Relocated' ISIS Terrorists Out Of Iraq, Into Syria To Fight Assad

 この件について、ドナルド・トランプは、クリントンとの討論会で「オバマ政権がモスル攻撃の予定を事前に発表しているのは、ISに準備期間を与えてしまう利敵行為だ。なぜこんな馬鹿げたことをするのか。私が大統領になったらこんなことはしない」と述べている。これに対して、クリントンでなく討論会の司会(テレビのキャスター)が「何らかのきちんとした理由があるはずよ(素人のくせに勝手に批判するな)」と、トランプに食って掛かったのが、マスゴミの偏向ぶりを象徴していた。 (Donald Trump: "Why Can't We Sneak Attack Mosul, Why Do We Have to Tell Them?"

 米露が合意してシリアで停戦が実施されていた9月17日、イラクに駐留する米軍機がシリア東部に侵入し、ISと戦うシリア政府軍が拠点とする空軍基地を突然空爆した。米当局は後から「誤爆だった」と釈明したが、その数日後にもイラクから米軍機をシリアに侵入させ、シリア政府の地上軍がISを攻撃する際に使うユーフラテス川の橋を2つも空爆した(英豪蘭軍機も同行した)。米軍の行為は、停戦を破壊するとともに、シリア軍を困らせてISを優位にする策だった。米軍による空爆は、シリア東部において、モスルからの合流組を迎え入れるISと、露シリア軍の間でこれから激化するであろう戦闘において、IS側を先制的に有利にするものだ(だから露政府は「あれは誤爆でない」と激怒した)。 (シリアでロシアが猛攻撃

(米政権内では、オバマと軍部が対立している。オバマがケリー国務長官に命じてロシアと協調する停戦合意を実現したが、停戦に反対する国防総省は、停戦を破壊するため、上記の空爆を繰り返した)。 (Pentagon Begins Low-Intensity, Stealth War in Syria

 モスル奪還戦がどのぐらいの期間続き、破壊や殺戮、避難民流出の規模がどの程度になるかは、モスルにいたIS勢力の何割がシリアに移動し、何割がモスルに残っているかによる。国連などは、200万人のモスル市民のうち100万人が避難民になり、国連が支援できる規模をはるかに超えると心配しているが、ISのモスル残留勢力が少ない場合、戦闘は意外に少なく、あっさり陥落する。 (Why the Battle for Mosul Could Become a Total Disaster) (Satellite images show why the liberation of Mosul could come at a high cost

▼ISヌスラを救うためのものから潰すためのものに大転換したトルコの安全地帯

 このように見ると、モスル奪還戦も、意味としてはシリア内戦の一部であり、国際政治的に重要なのはイラクよりシリアの内戦だ。シリアで大きな戦闘が残っているのは北部の大都市アレッポと、東部のISの本拠地ラッカの2地域だ。ラッカはIS、アレッポはアルカイダ(ヌスラ戦線)が主要な反政府勢力だ。米国は、ISとヌスラの両方を加勢している。ISへの加勢についてはすでに書いた。アレッポのヌスラ支援については、空爆しにくる露軍機を下から撃墜できるよう、小型の地対空砲を米国から送る案が出ていた。 (Obama Administration Threatens to Suspend Talks With Russia on Syria, Considers Weaponry for Syrian Rebels

 米国からもらった対空砲を使って、ヌスラがアレッポで露軍機を撃墜したら、それは米国がロシアを攻撃したことに近く、米露の世界大戦に発展しかねない。だが、プーチンのロシアは、独自の外交的機転によって、米国が対空砲をアレッポに送り込めないようにしている。それは、トルコを仲間に引き入れることだった。 (Administration Deeply Divided on Attacking Russia in Syria) (Why Is Obama Threatening Russia With World War 3 Right Before The Election?

 トルコは昨年11月にシリア上空で露軍機を撃墜して以来、ロシアと敵対関係になり、露軍のシリア進出が成功するにつれトルコは不利になったが、6月末に英国がEU離脱を決めてロシアの台頭に拍車がかかるとわかった直後、トルコのエルドアン大統領は突然一転してロシアと和解した。10月10日にプーチンがトルコを訪問し、ガスパイプラインの事業で合意した。同時に、シリア問題についてもエルドアンと話し合ったはずだが、内容が報じられず不可解なままでいたら、先日(今や親露・親トルコな)イスラエルのモサド系のデブカファイルが非常に興味深い記事を載せた。 (Russia and Turkey sign gas deal, seek common ground on Syria as ties warm) (露呈したトルコのテロ支援

 それによると、トルコが自国国境沿いのシリア領内に、シリア政府の反対を無視して、幅20キロ、長さ90キロの「安全地帯(飛行禁止区域)」を作っていることについて、ロシアはこれまでアサドに同調して反対してきたが、それを引っ込めて安全地帯を容認する。その代わりにトルコは、安全地帯の上空を飛べるのはトルコとロシアの飛行機だけと定め、欧米軍機の飛行を禁じる。米国がアレッポのヌスラに対空砲を送るには、トルコが設定した安全地帯を横切る街道を通るしかないが、トルコは、対空砲など外部からアレッポのテロ組織(ヌスラ)に送られる武器の通行を全て禁止する(テロ対策として国際的にまっとうな策)。安全地帯は、アレッポからの避難民を受け入れる土地としても用意されているが、ヌスラなどテロ組織の要員は受け入れない・・などを露トルコ間で決定した。 (Russia & Turkey carve anti-US enclaves in Syria

 トルコが以前から希求していた安全地帯の設置はもともと、トルコが米国の代理人としてISヌスラを支援していた時期(露側に寝返る前)に、内戦で疲れたISヌスラがやってきて休んだり、物資や武器を補給するための拠点として用意され、クリントン国務長官ら米国の好戦派の高官たちも大賛成した策だった。トルコの安全地帯はシリア領内にあるが、シリア空軍機の飛行を禁じる飛行禁止区域として設定される構想だった。オバマが設置に賛成しなかったため、安全地帯は公式なものにならず、トルコが勝手にやっている行為だった。 (Obama's Syria Policy and the Illusion of US Power in the Middle East) (No-fly zone in Aleppo would protect Al-Nusra – former Italian FM to RT

 今回、トルコが露側に寝返ったことにより、安全地帯の意味づけは一転し、ISヌスラや米国を助けるためのものから、ISヌスラを退治し、ロシアを助けるためのものに激変した。クリントンのためのものから、彼女が大嫌いなプーチンのためのものになった。トルコの寝返りにより、対空砲をアレッポに運び込めなくなったことを理由に、オバマは10月14日、軍部や好戦派高官(軍産)が望んでいた対空砲支援策をやめて、代わりに内戦終結に向けたロシアとの協議を再開することを決めた。プーチンは、トルコに対し、寝返ってくれたお礼として、世界最強の地対空ミサイルの一つであるS300を売ってあげることを決めた。ロシア敵視の軍事同盟であるNATOの加盟国に、ロシアの地対空ミサイルが配備されるのは、これが初めてだ。 (Aleppo's Ceasefire Continues to Hold for Second Day) (A Clinton Win Means an Expanded War in Syria

 トルコが設置した安全地帯の東と西には、クルド人の支配地域がある。クルド人は、支配地域を拡大して東と西をつなげ、トルコとシリアの国境地帯に細長いクルド人自治区(準国家、ロジャバ=西クルド共和国)を作ろうとしてきた。トルコは、安全地帯を設置することで、クルドが東西の支配地域をつなげるのを阻止する目的もあった。 (ロシア・トルコ・イラン同盟の形成

 安全地帯はシリア領内にあり、シリア政府の許可を全く得ていない。アサド政権は、ロシアがトルコの安全地帯を容認したことに不満だろうが、ロシアが来なければ今ごろアサド政権は転覆されていただろうから、文句を言えない。しかも、トルコとシリアは、まだ表向き仲違いしたままだが、もうトルコもシリアも反米親露的な姿勢で同類であり、裏ではすでにクルド人の台頭を防ぐことでこっそり協調している可能性がある。 (中東を反米親露に引っ張るトルコ

 アレッポのヌスラは、米国からの対空砲支援を受けられなくなったものの、アレッポの戦闘はロシアの思惑通りに進んでいない。ヌスラが占領する東アレッポを猛攻撃し、「人間の盾」になっている市民がいたたまれなくなって市外に逃げ出すように仕向け、残ったヌスラを殺すとともに、避難民になった市民をトルコが設置した安全地帯の難民キャンプに収容するのがロシアの策だった。ロシアは猛攻撃の後、何度か短い停戦期間を設け、その間に市民が逃げるように仕向けたが、国連が設定した避難路をヌスラが狙い撃ちして市民が逃げ出せないようにしており、ロシアの作戦は膠着している。「人間の盾」を使うやり方はモスルのISも同様で、ISがモスルから逃げ出す際、人間の盾として使われていた無数の市民(成人男性と男の子)が、報復防止策として、すでに大量殺戮されている。 (No one allowed to leave: Militants shell East Aleppo exit route as humanitarian pause ends) (Kremlin Slams Demands For Assad's Ouster As ISIS Kills Hundreds Of "Human Shields" In Mosul

 東アレッポの奪還戦は難航しているが、転向後のトルコの協力も始まり、いずれヌスラは退治され、最後の激戦地となるISの本拠地ラッカの戦いに移ることになる。ロシアが強くなるほど、ISヌスラに参加してもロシアに空爆されて死ぬだけになるので、欧州やイスラム世界から集まってくる志願兵が減り、ISヌスラは人員的にもじり貧になっている。 (What is the US really doing in Mosul?



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