英国が火をつけた「欧米の春」2016年6月27日 田中 宇6月23日に英国でEUへの加盟継続の可否を問う国民投票が行われた背景にあったのは、EUが政治経済の国家統合を加速しようとしていたことだった。EUの目標は、発足以来、加盟する諸国の国家主権を剥奪してEUに集中し、EUを事実上の「欧州合衆国」にすることだった。 (Merkel and Hollande must seize this golden chance) (The European Union: Government by Deception) 欧州大陸の2大国であるドイツとフランスは、歴史的に欧州大陸の覇権を争い続けてきたが、第2次大戦後、米国の提唱で独仏が国家統合していくことで欧州を安定した強い地域にする計画がEECなどとして進められ、冷戦終結で東西ドイツが再統一するとともに、欧州の国家統合計画が加速した。92年のマーストリヒト条約で通貨と財政の統合を決め、02年からユーロが流通したが、2011年に英米投機筋がユーロを破壊する目的で引き起こしたギリシャ危機が始まったあたりから、国家統合が進まず逆にEUが崩壊しそうな流れになった。 (Birth of superstate: Frederick Forsyth on how UNELECTED Brussels bureaucrats SEIZED power) 欧州大陸を安定した強い地域にしたい独仏と対照的に、欧州の沖合にある島国の英国は、昔から大陸諸国が強くなることが脅威だった(欧州を統一した強国は、次に英国を侵略したがる)。英国の戦略は500年前から、外交術を磨き、欧州諸国間の自滅的な対立を扇動することだった(そのため英国は、全欧に情報網を持つユダヤ商人を国家中枢に招き入れた。近代世界の外交システムの基礎を作ったのも英国だ。口で協調や安定を語りつつ、気に入らない敵を破綻させるのが「外交」だ)。 (覇権の起源:ユダヤ・ネットワーク) 第2次大戦後、米国が世界的に覇権国となったが、その前の覇権国だった英国は、同盟国である米国に戦略を伝授すると言いつつ、ひそかに「軍産複合体」を作って米国の戦略立案過程を乗っ取り、米ソが鋭く対立しつつ仇敵ドイツを東西に恒久分断し、欧州大陸を米英の支配下に置く冷戦構造を作り上げた。その反動で、米国の中枢に、英国のくびきを逃れたいと考える勢力が出てきて、それが90年前後のレーガン政権による冷戦終結、東西ドイツ再統合、EU創設という、英国を困らせる流れにつながった。 (UK-US special relationship shaky following Brexit vote) (ニクソン、レーガン、そしてトランプ) EUの国家統合が成功すると、それを主導するのは欧州最大の経済大国であるドイツであり、事実上ドイツが全欧を支配する隠然ドイツ帝国の誕生となる。米国は、独仏にEUを作らせ、英国をドイツ傘下のEUに「恒久幽閉」して潰し、英国が米国の戦略を牛耳る事態を終わらせたかったと考えられる。英国がEUを好まないのは当然だ。EU離脱派の最大の懸念は、移民や難民の増加でなく、EUの統制力の増大によって英国の民主主義が抑圧されることだった。これに「EUなんかに頼らなくても経済発展してみせる」というナショナリズムが加わり、離脱派が増えた。 (Boris Johnson Emerges, Explains What "The Only Change" As A Result Of Brexit Will Be) ▼EUを潰すために参加した英国 米国が戦後、欧州国家統合を独仏に進めさせた時、英国は、米国の同盟国であるがゆえに、統合に正面切って反対するわけにいかなかった。英国は一応、70年代のEUの前身のEECから欧州統合に参加しているが、ユーロなど国家主権の剥奪を伴う部分への参加を拒否し続けている。英国は冷戦後、EUが統合を加速する中で、東欧やバルカン諸国のEU加盟を強く支援し続け、EUが不安定な周縁部を持つ脆弱な機関になるよう仕向けた。英国は、EUを弱体化するためにEUに入っていた。 (欧州の対米従属の行方) 英国には、EUを壊そうとする勢力だけでなく、EUとともに繁栄しようとする勢力もいる。だが英国のEU協調派にとっても、EUが「拡大ドイツ」を意味する国家統合の組織でなく、もっと結束力の弱い、市場統合だけの組織である方が良かった。その点で、EUを弱体化することは英国の超党派の国家戦略だった。 (英国では、米国の覇権や米英同盟が弱まる時期になると、欧州統合に本気で加盟した方が良いと考える勢力が強くなり、米国の覇権が復活すると、英米同盟を強化して欧州統合を潰したい勢力が強くなる。英国がEECに入った70年代は、米国がベトナム戦争や金ドル交換停止で弱体化した時期だった。しかし80年代になると、米英同時の金融自由化で金融覇権戦略が始まり、サッチャーはEECと対立を強めた。今はリーマン危機後、金融覇権体制が弱体化しつつある時期なので、EU統合に参加するかどうかで英国内が再びもめている) (Russia says Brexit opens door for new UK relations but US blasts vote as 'Putin's victory') ドイツは、EUに対する英国の懸念を知っていたので「隠然ドイツ帝国」「英国幽閉」の意図などないと表明し続け、英国が好むとおりに政治より経済の統合を先にやり、英国の数々の提案を受け入れた。英国はこの状況を逆手に取り、EUを脆弱にしていった。独仏が国家統合の加速を目論見た2011年前後から、英国の破壊策が功を奏し、ギリシャ危機、難民危機、パリのテロなど、周縁部の脆弱性がEU全体の混乱や弱体化につながる事件が続発し、EU各国の民意がEUを嫌うようになり、統合と反対方向の各国ごとのナショナリズムが勃興し、統合推進どころでなくなった。 (欧州極右の本質) (欧州大陸の各国のナショナリズムを扇動して大陸諸国を反目させて漁夫の利を得るのは、18世紀からの英国の戦略だ。その扇動のために英国はジャーナリズムを発達させ、各国で政府を批判する「ジャーナリスト」を崇高な存在に仕立てた。英米以外の「ジャーナリスト」の多くは、自分の肩書きに仕込まれた謀略に気づいていない。ジャーナリストを自称するのは、自分が深く考えない人間だと宣言するに等しい) (戦争とマスコミ) (米露の接近、英の孤立) ▼国民投票は新たなEU破壊策 多くの難問がありつつも、独仏は国家統合の推進をあきらめなかった。ここ数年、ユーロ危機を終わらせるためには財政金融政策の統合が必要だという理屈で、独仏は、各国の議会の政府予算決定権を剥奪する財政統合や、各国政府が民間金融機関監督する権限を剥奪する「銀行同盟」などを計画した。その先には軍事安保政策の統合もあった。これらの統合に英国が参加するなら、その前に国民投票をやれと、保守党内でキャメロン首相に対する突き上げが強くなった。キャメロンは、2015年の総選挙の際、保守党内をまとめて続投するために17年末までに国民投票を実施すると約束した。それが今回の投票実施につながる動きとなった。 (英国がEUを離脱するとどうなる?) (英国がEUに残る意味) 国民投票は、英国がEUに対して放つ新たなEU破壊策でもあった。英国がEUに残留するかどうかを問う国民投票をやれば、国民の間にEUへの反感が募る他の諸国でも国民投票をやろうということになる。世論調査(Pew)によると、英国よりフランスの方が、EUに対する国民の好感度が低い。国民投票をやって、英国は僅差でEUへの残留を決めるが、英国に影響されて投票をやるフランスは僅差でEUからの離脱を決め、独仏の統合を中心とするEUの国家統合計画が崩壊する、というのが今回の英政府のシナリオだったと考えられる。 (英国の投票とEUの解体) 英国の投票後、フランス、オランダ、スウェーデン、ハンガリー、イタリア、ポルトガル、オーストリアなどで、EU反対を掲げる政党がEU離脱の国民投票を呼びかける事態になっている。フランスでは、来春の大統領選挙で極右のマリーヌ・ルペンが勝つ可能性があるが、ルペンは大統領になったら半年後にEU離脱の国民投票をやると言っている。ユーロ危機・難民危機・イスラムテロを誘発してEU各国民をEU嫌いにして、各国の反EU的なナショナリズムを扇動し、各国がEU離脱の国民投票をやってEUを崩壊・弱体化させる英国の策略は、見事に成功しつつある。 (Six More Countries Want Referendums to Exit EU) (Portugal’s Left Bloc Wants EU Referendum if Country Is Sanctioned) この線に沿って見ると、トルコのエルドアン大統領が、シリアやアフガニスタンからトルコに来て住んでいた何万人もの難民をEUに流入させ、難民危機を引き起こしてEUを大混乱におとしいれ、全欧の市民の日常生活に直接的な脅威を与えたことの理由がわかる。エルドアンは、英国に頼まれて難民危機を引き起こし、欧州市民がシェンゲン体制(国境検問廃止)を作ったEUを大嫌いになるよう仕向けることに協力した。EU側(ドイツのメルケル)は、シェンゲン体制を守るためエルドアンの言いなりになり、市民はますますEU嫌いになった。トルコ人は、自分たちを馬鹿にしてきた西欧人たちが難民を抱えて大混乱するのを見て溜飲を下げ、エルドアンの人気保持につながった。 英国の策略は成功つつあったが、大事な一点だけ大失敗した。それが今回の国民投票の結果だった。FTやエコノミストといった英国のエリート紙は年初来、EU残留しか道はないと言い続けており、離脱の可決は国策に入っていなかった。与党保守党で離脱派を率いていたボリス・ジョンソン(次期首相?)らは、投票後、EUにリスボン協定50条にもとづく離脱申請を出すタイミングについて急に何も言わなくなり、離脱決定を帳消しにしたいかのような態度をとり始めている。これらのことから見て、英国の支配層は、EU離脱を推進するつもりがない。英支配層にとって、国民投票は大失敗だった。 (I cannot stress too much that Britain is part of Europe – and always will be) (EU Tells Cameron To Hurry Up With Article 50 As Merkel Says No Need To Rush) 英政府は、かなり開票が進むまで、EU残留が勝つと考えていた。結果を見誤った一因として、金をかけて非公開の世論調査をやっていた英金融界(投資銀行?)が、金融市場の乱高下を誘発して大儲けするため、意図的に間違った結果を官邸や英国の上層部に流したことが考えられるが、もうひとつ、EU各国の反EUナショナリズムを煽った英当局自身が、その扇動が自国民に感染する度合いについて過小評価していたことが考えられる。英上層部は、自国のナショナリズムの火力調整に失敗した。反EUナショナリズムは、火付け役の英国が逃げ切れず焼死するほど強く燃えている。 (EU Referendum: Farage predicts Remain `will edge it') (The EU must now decide what it stands for) ▼スペイン選挙が示す混ぜ返し とはいえ、国民投票でEU離脱の結論が出てみると、英国がEU市場からはじき出され、ロンドンの国際金融センターの地位が急低下し、EU市場を目当てに英国に工場や支店を作って操業していた外国企業が英国脱出を検討する事態となり、英経済の急速な悪化が喧伝され始めた。他のEU諸国の人々は「EUは嫌いだが、EUを離脱すると自国が経済破綻する」という矛盾した状況に直面した。「EUなんか絶対に離脱だ」と叫ぶ反EUナショナリズムの勢いがにわかに衰え、その結果、6月26日に行われたスペインの総選挙では、反EU(反財政緊縮、反財政統合)を掲げる左翼のポデモスが、数日前までの躍進予測に反してふるわず現状維持にとどまり、対照的に、既存エリート層の中道右派与党のPP(国民党)が事前の減少予測に反して拡大(14議席増)した。 (Spanish PM's conservative party gains most seats: Exit polls) 英国の投票直後は、欧州大陸諸国で反EU政党が躍進し、各国で国民投票が行われて相次いでEU離脱が決まり、EUが崩壊するというシナリオが取りざたされた。ジョージ・ソロスも「もうEUは終わりだ」と決定的な感じで語る文章を得意げに発表した。FTの軍産系記者も似たような記事を書いている。だが、スペインの選挙を見ると、現実がそんなに一直線に進まないことが見てとれる。 (Brexit and the Future of Europe) (Italy may be the next domino to fall) 英国のEU離脱自体、英政府がなかなかEUに離脱申請を出さず、先延ばしにしている間に英独間で新たな協定が結ばれ、いつの間にか「やめるのをやめる」事態になる可能性がある。EU上層部では、メルケル独首相が、英国と新たな協定を結ぶことを推進している。EU大統領のユンケルらはそれに不満で、英国を早くやめさせて独仏で勝手にEUの方向転換を決められるようにしたい。 (Merkel sees no need to rush Britain into quick EU divorce) (Brexit: Angela Merkel yet again at centre of EU crisis) だが、EUで政治的に最も強いのはメルケルだ。メルケルは実のところ英国(軍産)の傀儡だったことが露呈していくかもしれない。ドイツではメルケルに辞任を求める声が出ている(だが辞めない)。英国の投票直後は、英国から独立してEUに加盟する住民投票をまたやると意気込んでいたスコットランド上層部も、その後、住民投票は慎重にやりたいと言って姿勢を曖昧化している。 (Die Briten haben auch Merkels Alleingänge abgewählt) (Die Welt Calls For Merkel's Resignation, Slams "EU's Gravedigger") (Sturgeon cautious over timing of new independence vote) ▼英国の離脱はトランプ人気に連動 英国の国民投票の結果は、金融、国際政治、地政学など、いくつもの面で、世界の意外な領域に影響を及ぼしそうだ。私の中ではかなり読み解きを進めているが、今ここで全部を書く時間的な余裕がない(投票日から4日経ったのに、まだこの記事を配信してない)。一つだけ書くと、それは「英国のEU離脱は、米国の大統領選挙でトランプが優勢になる方向を示している」ことだ。 (Trump Backs Brexit, Urges Europeans To `Reconsider' EU Membership) (Brexit is a problem central banks will struggle to fix) 英国と米国は今、世論的な政治状況が似ている。英国民はEUのエリート支配に対する不信感を強めている。米国民は、ワシントンDCのエリートたちの好戦的な世界支配策、リーマン危機以来の国民無視の金融救済策などに対する不信感を強めている。英国のアングロサクソンの中産階級や貧困層は、流入する移民や難民に雇用を奪われ、ロンドンなどでは家賃の上昇にも苦しんでいる。米国のアングロサクソンの中産階級や貧困層も、移民に雇用を奪われ、金融救済の余波で起きている家賃上昇に苦しんでいる。彼らは、英国でEU離脱に投票し、米国ではトランプを支持している。英国ではEU支持のエリート層が嫌われ、米国ではクリントンを支持するエリート層が嫌われている。英国のBBCは、国民投票前に「英国でEU離脱が勝つと、米国でトランプが勝つ可能性が高まる」「米英の状況は似ている」と報じていた。 (Five reasons Brexit could signal Trump winning the White House) (Donald Trump hails UK `independence' vote) 英国の投票でEU離脱が勝つと、とたんに米国で「米国民の3分の2はトランプを大統領にふさわしくないと考えている」という報道が出てきた。共和党の草の根党員の過半数がトランプを支持したのだから、この指摘にはおそらく歪曲が入っている。米大統領選挙までまだ4か月あり、予測は困難だが「権威あるBBC」が正しいとしたら、11月の米大統領選挙はクリントンの楽勝でなく、少なくとも大接戦になる。英国のマスコミは「EU離脱が勝つと大惨事になる」と報じ続けたが、その警告は多くの有権者に無視され、EU離脱が勝ってしまった。いま米国のマスコミは「トランプが勝つと大惨事になる」と報じ続けている。米国の有権者が、この警告をどの程度留意するかが一つの注目点だ。 (Most Americans see Trump as unqualified for presidency) ("Do Not Underestimate The Global Contagion" From Brexit) 英国の国民投票は、英国と欧州大陸、そして米国という「欧米」の民衆が、エリート支配に対して民主的な拒否権を発動する事態の勃興を示している。かつてエジプトやバーレーンなどで、民衆が為政者の支配を拒否して立ち上がる「アラブの春」が(おそらく米諜報機関の扇動で)起きたが、それは今(おそらく英諜報機関の扇動で)欧米に燃え広がり「欧米の春」が始まっている。ブレジンスキーが目くばせしている。 (The “WESTERN SPRING” has begun) (世界的な政治覚醒を扇るアメリカ)
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