戦争とマスコミ2006年7月25日 田中 宇7月12日にイスラエルがレバノンに侵攻して以来、衛星放送の「BBCワールド」の英語のニュースを見ていると、イスラエルからの現地レポートが始まったとたんに音声が途切れたり、映像が切れてしまうことが何回かあった。アナウンサーは「技術的な問題が生じた」と説明して次のニュースに移るという対応をしていたが、私には「問題は技術的なことではなく、イスラエル当局が自国に不利な放映を阻止したのではないか」という疑いが浮かんだ。 AP通信の記事によると、戦争開始以来、イスラエル軍は、イスラエルで取材するマスコミが報じる戦況報道について検閲を行い、敵方を有利にする情報が流されそうなときには、放送を止めたり、メディアの発行を差し止めたり、記者を拘束したりする報道管制を行っている。イスラエル軍の報道管制担当の主任(Col. Sima Vaknin)はAP通信に対し「私は、新聞社や放送局を閉鎖することなどを含む、ほとんどどんなことでもやれる強大な権限を持っている」と述べている。(関連記事) 報道管制は、イスラエル国内のマスコミだけでなく、イスラエルに駐在ないし短期滞在して取材する外国のマスコミや、フリージャーナリストにも適用される。BBCの放送は、イスラエルの取材現場から、衛星回線を通じてロンドンの編集センターに送られていると推測されるが、イスラエルから衛星回線に乗せる際、イスラエル軍の報道管制担当の検閲を経ていると思われる。報道管制官は、必要に応じてビデオ信号の流れを止めたり、音声だけを止めたりしているのだろう。 私が「これは報道管制だな」と感じた一つのシーンは、ヒズボラのロケット弾がイスラエル北部の町ハイファに着弾し始めた2日めの現場レポートだった。前日のイスラエル国内新聞の報道では、ハイファの市民は意外と平静で、ヒズボラのロケットが着弾した場所を見に行く野次馬が多かったと書いていた。 翌日のBBCニュースでは、ハイファに滞在する記者が「ハイファ市民は意外と冷静で・・・」と現地レポートを始めたとたん、映像が途切れてしまった。アメリカの新聞などでは「ヒズボラの攻撃でイスラエルは大変なことになっている」といった感じの報道が多く、これこそがイスラエル軍の望んでいる報道なのだろう。BBCが「イスラエル市民は意外と冷静で、ミサイルの着弾現場には野次馬がたくさん来ています」といった現実を報道してしまうと、世界の世論にイスラエルを不利にする悪影響を与えかねない。だから軍が放送をカットしたのではないかと思われた。 さらにその翌日のBBCのニュースでは、ハイファの現場レポートが著名な戦場記者(Lyse Ducet)に入れ替わり、ほとんど人がいない繁華街を背景に「みんな防空壕に避難し、市民生活が奪われています」といったレポートをしていた。これはカットされず、検閲に合格したようだった。 ▼「中東特派員をやめられて嬉しい」 アメリカでは、イスラエルは、今回の戦争が始まるずっと前から「検閲」を行っている。中東問題に詳しいロバート・フィスクが昨年末に報じたところによると、アメリカの多くのマスコミは、在米のイスラエル右派系勢力からの脅しやヒステリックな抗議を受け続け、中東の情勢について事実ではないことを書かねばならない状況に追い込まれている。 ボストンの新聞ボストングローブの中東特派員は、配置換えで中東を去るにあたって「もう事実をねじ曲げて記事を書かなくても良くなるのでうれしい」とフィスクに述べたという。アメリカのイスラエル右派系の団体は、マスコミに対し、親イスラエル的な表現を使わない記事について非難を繰り返し、記事の表現を変えさせ、悪いのはパレスチナ人の方であるという印象を、読者に持たせるべく、活動を続けている。(関連記事) イスラエル右派系の過激な活動家たちが標的にしているのはマスコミだけでなく、中東問題を教える大学の教官や、中東に対する外交政策を討論する政治家などに対しても、さかんに行われている。私が2000年にアメリカの大学で中東の地域学の授業を聴講していたとき、すでに教室の最前列にはキッパ帽をかぶったイスラエル系アメリカ人の学生が陣取り、教官がイスラエルについて批判的なことを言わないよう監視していた。 すでにアメリカでは、中東問題に関する報道は歪曲が定着し、学者もきちんとした研究ができず、政治家はイスラエルを批判することが不可能になっている。中東問題に関しては、ジャーナリズムも、アカデミズムも、民主主義も、すでに死滅している。 この傾向は1990年代末からひどくなり、2001年の911事件を機に、決定的になった。そして、この「死滅状態」を活用して起こされたのが、2003年のイラク侵攻であり、今回のイスラエルのレバノン侵攻である。 ▼イスラエルの戦術を見習う諸勢力 最近では、イスラエルのやり方を見習って、過激な活動家集団を形成してマスコミに圧力をかけ、報道の論調を自分たちに有利な方向に傾けさせようとするいくつもの勢力が、世界中で活動するようになっている。 たとえば、欧米で強いアルメニア系の勢力は、第一次世界大戦の時期にトルコがアルメニア人を虐殺した話をテコに、反トルコのキャンペーンを世界中で展開し、虐殺されたアルメニア人の数をできるだけ多く見積もる運動(ホロコーストの被害者数の運動から学んだのだろう)を行ったり、トルコを少しでも擁護するマスコミの言動を潰したりしている。 アルメニア人は、アゼルバイジャン(トルコ系のイスラム教徒)とのナゴルノ・カラパフ紛争に関しても、すべてアゼルバイジャン側が悪いという宣伝を世界的に行い、かなり成功している。アルメニア人は、イスラエル人(ユダヤ人)と同様、欧米に広く民族が離散しており、国際的な政治活動がうまい。 トルコ系も世界に移民がおり、イスラム教徒も世界中にいるのだが、彼らは結束できず、連帯した巧妙な政治活動が下手で、いつもユダヤ人、アルメニア人、アングロサクソン(米英)などの巧妙な人々に完敗し「悪者」役をやらされている。 日本国内で、イスラエル右派のやり方を学んだのではないかと思えるのは、北朝鮮の拉致問題に取り組む勢力の中の一部である。拉致問題に取り組む団体の活動家から脅しを受け、記事の論調を書き直させられたという、数人の雑誌編集者や記者から話を聞いたことがある。 ▼軍広報官を苛立たせる 今回のレバノン戦争に際し、イギリスでは当初、アメリカと同様、イスラエルを無批判に支持していた。しかしイスラエルが空爆によってレバノンの一般市民の住宅や公共施設を容赦なく破壊し続けたため、イギリスの世論が反イスラエル的になった。 以前の記事に書いたように、イギリスは、アメリカの覇権力を使って世界を動かす「英米同盟中心の国際協調戦略」を採ってきた。このためブレア首相は、できる限りブッシュ政権と歩調を合わせようとしたが、イスラエルによる残酷な攻撃は、イギリス政府内にすら反イスラエル的な意見を広める結果となり、開戦から12日たった7月24日、イギリスの外相が公式に、イスラエルのレバノン市民社会に対する攻撃を非難した。(関連記事) これを機に、BBCなどイギリスのマスコミは、レバノンで惨状を大々的に報道するようになり、イスラエル批判の論調を強めた。イギリス以外の欧州諸国でも、世論はすでにイスラエルを強く非難している。 軍の報道管制があるイスラエル側からの現場レポートは、イスラエルを批判するとカットされてしまう。そのためBBCの記者(Lyse Ducet)は、巧妙なやり方をしていた。イスラエル軍の広報官にレポート現場に来てもらい、記者が「今日、イスラエル軍はレバノンの国営テレビ局を空爆しましたね」と尋ねると、軍広報官は「ヒズボラの行為を宣伝していたので」と返答。記者は「しかし、国営テレビ局はレバノンの国民生活に必要不可欠なものだったのではないですか」と尋ねると、広報官が「われわれは必要に応じて攻撃を行っている」。 記者はさらに「今日は、レバノンの携帯電話の基地局も空爆しましたね」。広報官は「携帯電話がテロ組織に使われていたから」。記者は「しかし、携帯電話は、一般市民の生活必需品だったのではないですか」。不利になってきた広報官はしだいにイライラして「われわれはテロ組織と戦っており、必要に応じて作戦を展開している」と怒った感じで返答した。記者はイスラエルを直接批判しなかったが、テレビを見ている人々には、何が起きているかが伝わった。広報官が出演しているニュースなので、イスラエル軍は放映をカットするわけにもいかなかった。 ▼沈黙する日本 イスラエルに対する擁護と非難で騒然としている欧米のマスコミとは対照的に、日本のマスコミでは、今回のレバノンでの戦争は、意外な小ささでしか報じられておらず、沈黙している。このニュースは、新聞の一面やテレビのトップニュースにならない日の方が多い。 今回の戦争は、インドから北アフリカまでの広い範囲を巻き込んだ大戦争になりかねず、アメリカの覇権や戦略に大きな影響を与えそうである。イラクの泥沼化以来、厭戦気分のアメリカは、孤立主義の傾向を強めかねず、だからこそイスラエルはアメリカを中東での継続的な戦争に巻き込むため、ヨルダンを攻撃し続けている。アメリカでは「すでに第3次世界大戦が始まっている」と指摘する分析者も多い。 アメリカの覇権が大きく揺れていることは、対米従属の戦後60年を送ってきた日本の政府と国民にとって、非常に大きな関心事であるはずである。しかし日本では、政府もマスコミも沈黙している。レバノンで起きている戦争が、日本を含む世界に対してどんな意味を持っているかについての分析や議論は、全くといっていいほど行われていない。 このような状態になっている理由はおそらく、戦後の日本の対米従属が「アメリカの内部で決まったことに従う」という自主規制に従ってきたからだ。「お上」の宮廷内の不和については、興味を持たず、見て見ぬ振りをするのが賢明だ、下手に関心を持って意見を言ったりすると、痛い目に遭うかもしれない、と考えるのが、日本なりの戦後の生きる知恵である。 911以来、イスラエル系の勢力が米政界をかき回してテロ戦争を激化させているのは、日本から見るとまさに「お上の宮廷内不和」である。この件について日本人が騒ぐことは危険なので、政府は沈黙し、マスコミはなるべく小さくニュースを扱っているのだろう。日本政府は、アメリカの宮廷内紛で最終的に勝つ勢力が確定したら、その勢力の命令を聞こうと待っている。しかし911以来、宮廷内紛は激しくなるばかりで、終わる見通しがない。 ▼「ジャーナリズム」の本質 従来、日本では「マスコミは、政府から何の規制も受けずに報道している」というのが「常識」で、その常識からすると、日本のマスコミが政府の意を受けてレバノン戦争のニュースの扱いを小さくしていると考えるのはおかしい、ということになる。だが、911以来、日本にとっての「お上」であるアメリカが戦時体制を続けていることから考えて、今では日本のマスコミの上層部が、日本政府から何の「アドバイス」も受けていないとは考えがたい。 世界的に見ると、ある国が戦争を始めたら、その国のマスコミが戦争に協力した報道を行うことは、半ば義務である。マスコミが政府の戦争に協力しなければならないのは、公的な組織として、抵抗しがたいことである。 マスコミ業界の世界的な中心地であるアメリカでは、マスコミは、開戦後に戦争に協力するだけでなく、政府による戦争開始の策動に協力してきた。アメリカのジャーナリズムの賞として世界的に有名なものに「ピューリッツァ賞」があるが、この賞を作ったジョセフ・ピューリッツァは、1898年にアメリカとスペインの戦争(米西戦争)が始まる原因を作った人である。 米西戦争は、当時スペイン領だったキューバに停泊中のアメリカの戦艦メーン号が何者かによって爆破沈没され、これをピューリッツァの新聞「イブニング・ワールド」などのアメリカのマスコミが「スペインの仕業に違いない」と煽り、開戦に持ち込んだ戦争である。メーン号が沈没した理由が、故障による自損事故だったことは、後から判明した。 この米西戦争開始の経緯を見ると、アメリカのマスコミが政府の肝いりで「イラクは大量破壊兵器を持っているに違いない」と煽って開戦に持ち込み、後で、実はイラクは大量破壊兵器を持っていなかったことが分かったという、105年後の2003年に起きたイラク侵攻と、ほとんど同じであることが分かる。 ピューリッツァとその後の同志たちが巧妙だったのは、自分がやっていた扇動ジャーナリズムを、洗練された知的で高貴な権威あるイメージに変えることを企図し、成功したことである。ピューリッツァは、ニューヨークのコロンビア大学に巨額の寄付を行い、ジャーナリズム学科を創設した。今では、コロンビア大学のジャーナリズム学科は、ジャーナリズムを学ぶ場所として世界最高の地位にあり、ピューリッツァ賞は、世界最高の賞となっている。「ジャーナリスト」は、世界中の若者があこがれる職業になった。 しかし米西戦争からイラク侵攻まで、「人権」などの一見崇高なイメージを使って敵方の「悪」を誇張し、自国にとって有利な戦争を展開することに協力しているアメリカのマスコミのやり方は、巧妙さに磨きがかかっただけで、本質は変わっていない。 (ベトナム戦争では例外的に、アメリカのジャーナリズムが自国の政府や軍を批判したが、これは、米政界内で、冷戦派と反冷戦派が暗闘していたことと関係している) 人々が、マスコミによるイメージ作りに簡単にだまされてしまう状況も、105年間、ほとんど変わっていない。むしろテレビがお茶の間を席巻した分、昔より今の方が、世界的に、人々はより簡単にだまされてしまう状況になっている。 田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |