米財政赤字上限問題の再燃2015年10月24日 田中 宇米国で、政府の財政赤字(国債発行)の総額が法定上限に達し、赤字増で何とか運営してきた米政府の国庫が空になり、公務員給与や生活保護費(フードスタンプ)の遅配、役所の閉鎖、国債の元利返済のとどこおり(デフォルト)などが懸念される事態が再燃している。 (As debt limit deadline nears, Lew worries about 'terrible' accident) 米国は、世界で数少ない、累積財政赤字の上限額が法律で決められている国だ。赤字上限を法律で決めているのは、米国とデンマークだけだ。米議会は1917年にこの制度を作った(それまでは、米政府が国債を新規発行するたびに議会の承認が必要だった)。赤字上限の制定は、米政府が赤字を野放図に増やさないようにするための策だったが、実際のところ、議会は上限の引き上げをほとんど問題にせず、引き上げは頻繁に行われ、歯止めにならなかった。 (Congress Is Holding The Debt Ceiling Hostage Yet Again) 米議会が、財政赤字の上限額を引き上げることを拒否するようになったのは、オバマ政権になって共和党が議会上下院の両方の多数派を握り、共和党の中で「茶会派」(ティーパーティ)が強くなった2010年ごろからのことだ。茶会派は「小さな政府」をめざす、草の根の大衆運動に支持された勢力で、小さな政府を強制的に実現するために、財政赤字上限の引き上げを強く拒否している。 (米国債政治デフォルトの危機) 共和党は、草の根に支持された茶会派と、金融界や大企業、軍関係者(軍産複合体)などに支持された主流派が党内で対立することが多くなっている。米政界は冷戦後、共和・民主の2大政党の両方が大企業や軍産複合体と親密になり、2大政党の主流派だけで政策を決めている限り、財政赤字は増えるばかりだった。この状態に殴り込みをかけているのが共和党の茶会派だ。彼らは、2大政党の主流派の談合を壊すため、赤字上限の引き上げを拒否して米国債をデフォルトさせるぐらいの荒治療が必要だと考えている。米国債がデフォルトして金融市場で信用が下落すれば、政府が米国債を発行しにくくなり、赤字体質を続けられなくなる。 (米国覇権自壊の瀬戸際) 茶会派が共和党内で台頭した後、米議会は2011年8月と、13年10月に赤字上限の引き上げを拒否し、騒動が起きた。11年は、米政府の国庫が空になる2日前に、共和党内で主流派の圧力を受けて茶会派が譲歩し、上限が引き上げられた。13年は、茶会派の拒否によって米政府の予算案が議会を通らない事態も併発し、10月1日の新予算年度開始から16日間、米政府は予算がないまま、役所の閉鎖や公務員給与の遅配が起きた。しかし2回目も、米国債のデフォルトが起きる前に騒動が収拾している。 (米国債がデフォルトしそう) (延命するほど膨張するバブル) 前回の騒動が収拾した13年10月、米議会は赤字上限を16兆7千億ドルから18兆1千億ドルに引き上げた。米政府の国債総額は今年3月、その新たな上限に達した。米政府はその後、純増となる新国債を発行せず(償還と同額の発行のみ)公的年金基金からの借入金などの「へそくり」で国庫を満たしてきた。だが、米財務省によると、このへそくりも11月3日で枯渇する。それまでに米議会が赤字上限を引き上げない場合、2年ぶりに役所の閉鎖や給与の遅配、福祉事業の配給停止などが起こる。 (Congress runs out of cash November 3rd…) 赤字上限が引き上げられない場合、米政府は11月10日から月末までの20日間に710億ドルが不足する(歳入1470億ドル、支出2180億ドル)。国債元利支払い300億ドル、官制健康保険金450億ドル、防衛関連200億ドル、フードスタンプや失業保険金120億ドルなどを優先的に支払う半面、公務員給与など120億ドル、教育関連70億ドル、他省庁への資金430億ドルなどを支払わず遅延すると予測されている。 (The holy mess Congress will make if it doesn't raise the debt ceiling) だが、政府の会計システムは、このような選択的な支払いと未払いを分別して処理できるように作られていない。コンピューターでなく手計算での支払いが必要になるが、米政府は月に平均8千万件の支払いをこなしており、こんな膨大な量を手計算で処理するのは不可能だ。赤字上限が引き上げられない場合、米政府は予期せぬ混乱に陥る。 (Congress Is Holding The Debt Ceiling Hostage Yet Again) 長期的な影響が最も大きいのは、国債の元利返済だ。米政府が一度でも国債の元利返済期日を守らずデフォルトすると、その後何年にもわたって米国債の信用が落ち、米政府は高い金利を払わないと国債を発行できなくなる。それを懸念して共和党主流派は、政府が国債の元利返済を優先できるようにする法案を米議会で通した。しかし、すでに述べたような会計システム上の限界があるなど、予期せぬ障害がありうる。赤字上限が引き上げられなかった場合、11月12日の1カ月もの国債の償還を、米政府が予定どおりにこなすかどうかが注目されている。デフォルトが起きる最初の可能性はこの日になる。 (Early signs of a debt ceiling freakout in this market) 金融市場は、今回も赤字上限の引き上げがぎりぎりで実施され、2年ごとに繰り返されてきた騒動は、今回も大惨事になる前に寸止めされると予測している。市場が赤字上限問題を懸念しているなら、米国債の金利が上昇するはずだが、それはほとんど起きていない。先日、ルー財務長官が赤字上限問題の危険性に言及した後、短期国債の金利が少し上昇したが、長期国債の金利は低下しており、深い懸念が存在しないことを示している。政府支出の支払遅延は経済成長にマイナスで、すでに不況気味の米経済をさらに悪化させるが、株価は上昇しており、政府が閉鎖される懸念は全く無視されている。 (Early signs of a debt ceiling freakout in this market) しかし、騒動の行方を握る共和党の内部を見ると、これまでのように主流派が茶会派を抑えきれるかどうか、かなり心もとない状態だ。共和党主流派の中心は議会下院のベーナー議長だが、彼は10月いっぱいで議長と議員を辞職することが前から決まっている。9月末、米政府の10月からの新年度予算案に茶会派が反対するという、13年と似た事態が起こり、ベーナーが自分の首を差し出すことを条件に茶会派が譲歩した。この時、ベーナーはすぐに辞めるのでなく、1カ月後の10月末に辞めると表明した。10月の1カ月間で茶会派を抑えて赤字上限の引き上げにこぎつけてから辞めるのがベーナーの戦略だった。 (◆米金融財政の延命と行き詰まり) (US debt ceiling is no party for investors) ベーナーの後任の下院議長はなかなか決まらず、立候補した議員が茶会派の反対を受けて立候補を取り消すなど、暗闘が続いた。最終的に、共和党主流派のポール・ライアン議員が「この先も党が分裂しないこと」などを条件に、10月22日に立候補を表明した。だが今後、ベーナーが赤字上限を引き上げられないまま辞めると、後任のライアンが就任早々の求心力の低い時期にこの問題を解決することは、ベーナーがやるよりさらに困難になる。11月にずれ込んだが解決するというシナリオは、あらかじめ失われている。9月末にベーナーの辞任を引き出して時点で、茶会派はすでに勝利を一本とっている。 (Paul Ryan hedges on conditions, agrees to run for Speaker) (Tea Party wave that lifted Republicans threatens to engulf them) ベーナーは、茶会派を上限引き上げの反対から賛成に転換させることをすでにあきらめており、代わりに共和党主流派と民主党という超党派で賛成票をまとめ、赤字上限を、今の18・1兆ドルから19・6兆ドルに引き上げる法案を可決しようとしている。これが実現すると17年まで米政府を回せる。 (Presenting America's New Debt Ceiling: $19,600,000,000,000) だが米議会の規則として、法案を出す際、まず自分の党内の大多数の賛成を得ねばならない。ベーナーは、まず茶会派が満足する法案を作らねばならない。茶会派は、上限引き上げに正面から反対すると経済難や財政破綻を誘発したがっていると非難されるので、社会福祉の財政支出を切り捨てる条項と抱き合わせるなら上限引き上げ法案を出して良いと言い出した。社会福祉の削減は、民主党が絶対に受け入れられないものだ。茶会派は、ベーナーが民主党を抱き込み、茶会派が最後に反対しても上限引き上げを実現できるようにする策略だと知っているので、民主党が受け入れられない条項を入れた法案にすることをベーナーに求めた。 (House Leaders Unlikely to Propose Bill Linking Debt-Ceiling Increase to Conservative Issues) ベーナーは茶会派に対し、民主党が拒否する福祉切り捨て条項と抱き合わせでかまわないから赤字上限の引き上げ法案を共和党として出そうと提案した。共和党の全体が賛成すれば法案は通る。おかしいぞ、裏があるなと思った茶会派が調べたところ、下院が法案を可決した後、同じ法案を審議する上院で、民主党がいやがる福祉切り捨ての条項を全部削除する改訂を共和党主流派が行い、この改訂法案を議会手続きにのっとって下院に差し戻し、こんどは茶会派を排除し、共和党主流派と民主党が改訂法案を可決するシナリオであることが判明した。ベーナーの魂胆を見破った茶会派は10月22日、福祉切り捨て条項と抱き合わせにした法案にも賛成しないと言い出し、法案提出は白紙状態に戻った。 (Conservative Debt Limit Plan Shelved) (With RSC Proposal Scrapped, Republicans Have No Plan On Raising The Debt Ceiling) ベーナーの辞任まで、現時点であと6日しか残っていない。この間に、ベーナーら共和党主流派が、新たな策略をやって上限引き上げを実現できるかどうかが焦点だ。それができなければ、11月に入って米政府の国庫が空になる可能性が高まる。 (GOP scrambling to find debt ceiling Plan B) ベーナーが辞任前に上限引き上げを達成するメドが立たないと、ライアンが後任議長になることを辞退して共和党の下院議長の後任が定まらない可能性も増す。下院議長が不在だと、共和党内はますます混乱し、それに乗じて茶会派が過激な姿勢を貫き、米国を財政破綻に追い込む創造的破壊を挙行しようとするだろう。米連銀のバーナンキ前議長は、こうした危険性を指摘し、共和党の茶会派を強く非難している。バーナンキはもともと共和党支持者だったが、もう愛想が尽きたと言っている。彼は、金融危機の再発を示唆している。 (Ben Bernanke Is Fed Up: The former Fed chair says he's no longer a Republican because the GOP has lost its economic policy mind) (Bernanke Says Economy Needs To Crash Periodically So We Can Be Sure We're Pushing It Hard Enough) 茶会派は、米国を強制的に小さな政府の国にしてくれるといって、米国債のデフォルトを歓迎する傾向がある。11年や13年と同様、今回も茶会派は最後の段階で共和党主流派にしてやられて譲歩するのかもしれないが、その場合でも、この次(2017年)に赤字上限の引き上げや米政府の予算編成で議会が相同になったときは、茶会派は今よりさらに強くなり、自国の財政破綻をしつこく誘発しようとするだろう。ロシアからは「米議会が赤字上限の引き上げ問題でもめるほど、ドルと米国債への信用が揺らぎ、中国人民元が台頭する」という見方が出されている。 (US May Accelerate Rise of China's Renminbi by Playing With Debt Ceiling) 国債の利回りは米欧日とも、ゼロからマイナスの領域に下がる傾向にある。米国だけドルの健全化をめざして利上げし、その分のリスク上昇を日欧がQE(造幣し債券を買って金融バブルを膨張させる策)を拡大して対応するのが米欧日のシナリオのようだが、世界不況のあおりで米連銀が利上げできず、日欧も買える債券が足りなくてQEを拡大できないので、金利をマイナスにすることを代替策にしたいようだ。米国の赤字上限の引き上げが失敗すると、米国債を筆頭とする世界中の金利が一転して上昇する事態になりかねない。先行きは不透明だ。 (NIRP Goes To Nippon: Japan Auctions 1 Year Paper At Most Negative Yield On Record)
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