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米金融財政の延命と行き詰まり

2015年9月28日   田中 宇

 9月24日、米連銀(FRB)のイエレン議長が、マサチューセッツ大学で講演中に具合が悪くなり、講演の終盤でうつむいたまま無言になったり、同じ箇所を何度も読んだりした。講演自体は何とか終えたものの、イエレンにかなりの圧力がかかっていることがうかがえた。 (Fed Refuses To Comment On Yellen's Health) (Yellen Speech:動画

 講演からくみとれる内容は「できれば今年中に利上げしたいが、世界経済の状況悪化もあるので無理かもしれない」というもので、利上げによって米国の経済覇権を立て直さないとまずいが、世界が日に日に不況色を強める中で、それが無理になり、連銀が行き詰まっている様子がうかがえる。 (Janet Yellen reiterates expectations of 2015 rate rise) (FRB: Yellen, Inflation Dynamics and Monetary Policy--September 24, 2015

 米連銀は、69歳のイエレンが、5千人を前にした講演時のスポットライトで脱水症状になったと発表したが、イエレンはこれまでに何度も長時間の講演や、ライトを浴びる記者会見をそつなくこなしており、おかしな説明だ。米国の金融市場は、連銀が利上げするかどうかを神経質に見守っており、イエレンが過労になるほど連銀が行き詰まっていることが露呈すると、株価の急落などが起こりかねない。イエレンの講演後、株が一時下がった。連銀は、イエレンの健康状態について発表を控えている。 (Fed Declines to Comment on Yellen's Health

 米政府は9月25日、4-6月期の米国の経済成長が3・9%と「好調」だったことを発表した。事前の予測は3・7%で、予想を上回る「景気回復」となっていることが示された、と報じられている。米連銀は最近、経済統計の動きを見て利上げするかどうか決めたいと言い続けており、3・9%の経済成長は(もし本当なら)利上げすべき状況だ。 (G.D.P. Growth in 2nd Quarter Is Revised Up to 3.9%) (Strong US growth in Q2 poses rate conundrum for Fed

 だが一方で、世界経済は不況に向かっている。中国の製造業における景況感は、リーマン危機以来の悪化となっている。米連銀が9月中旬に利上げを見送った時の状況が、さらに進展している。 (◆不透明が増す金融システム) (China manufacturing contracts at fastest pace in more than 6 years

 世界経済の先行きが業績に如実に反映されることで知られる米建機メーカーのキャタピラ社は、中国やブラジルなど新興市場諸国で、設備投資、建設、鉱山開発など、建機を必要とする事業が伸び悩んでいるため、同社の売り上げも減るとして業績の見通しを下方修正し、従業員の1割近い1万人の解雇も発表した。キャタピラは利益の6割を米国外であげている。同社の傾向から、世界が急速に不況に向かっていることがうかがえる。キャタピラの業績は今後さらに悪くなると分析されている。 (Wall St drops as Caterpillar falls) (Caterpillar warns on global demand) (Caterpillar pain is just beginning

 そもそも、世界経済が急速に不況に向かっているのに、米国だけ3・9%成長をしている点がおかしい。米国では、8月分の耐久消費財の受注が前月比マイナス2%と発表され、今年3月以来の悪さになっている。米国は、小売りの売上高も前年同月比0・9%の状態で、今年の米国の個人消費はリーマン危機以来の悪さになっている。 (Orders for US durable goods fall 2% in August) (U.S. holiday season in 2015 could be weakest since recession: AlixPartners) (Retail Sales Worst Since 2009 For This Time Of Year

 耐久消費財や小売り売上高といった、経済成長を構成する重要な部分(米経済の7割が消費で構成されている)が、マイナスや超低成長なのに、GDP全体で見ると3・9%成長になるというのは説明がつかない。米国のGDPが粉飾されている疑いは、以前から持たれている。米当局は、GDPや雇用統計といった基本的な経済指標を粉飾し、粉飾された統計を根拠に「景気が回復している」「利上げが必要だ」という理論展開で、QEなど超緩和策で脆弱になったドルの力を利上げによって蘇生しようとしている、というのが私の以前からの分析だ。 (揺らぐ経済指標の信頼性) (不透明が増す金融システム

 しかし米当局は、自国経済の統計を粉飾できても、世界経済の統計を粉飾できない。だから世界経済が悪化しても米経済だけ景気回復するという、おかしな事態になっている。マスコミも粉飾に協力しているので「おかしい」と報じず、マスコミが報じないので多くの人が「おかしい」と思わない。連銀が利上げすると、米経済がさらに悪化するが、それはさらなる粉飾でごまかせる(人々は好不況を体感できるはずだが、マスコミの粉飾報道に接すると、そうかなと思ってしまう)。しかし世界各国の政府は、米国の利上げで自国の経済が悪化して迷惑するので、各国政府やIMFなどが米連銀に「利上げするな」と圧力をかける。連銀は利上げできず、イエレンの血圧が上昇してしまう。

 ロサンゼルスでは、6万人のホームレスが市街地にあふれ、市役所が非常事態を宣言した。カリフォルニア州で家賃が上がりすぎたのがホームレス急増の一因だが、多くの人が低賃金のパートタイムの仕事しか得られないことも原因だ。NYやシカゴでもホームレスが増えている。こんな状況で、米国の景気が回復しているはずがない。 (The third world side of the American dream: In Los Angeles, the 60,000 homeless are everywhere as municipal officials declare a "state of emergency") (The Infrastructure Of America Is Collapsing

 米連銀が昨秋QEをやめて以来、代わりに日本銀行がQEを拡大し、リーマン危機以来蘇生しない米金融システムの延命を支えてきた。しかし日本では、日銀がQEの買い支えの対象にできる債券が底をついており、日本のQEも限界だ。日本経済は再びデフレがひどくなり、従来の(実はインチキな)理屈に従うならQEの拡大が必要だが、それはできない。 (Japan consumer prices fall for first time since launch of BOJ stimulus) (日銀QE破綻への道

 安倍政権は先日、新しい「3本の矢」を発表したが、それらはGDPの20%成長、出生率の向上、社会保障の充実で、通貨や財政の分野での具体的な政策が盛り込まれなかった。QEは、国民生活を改善しない。それを認めないまま、安倍政権はQEを政策の前面から静かに外している。米連銀は、日銀に頼れなくっている。 (Abe's New Economic Plan Confounds Analysts) (Japan's Abe Unveils New 'Arrows' Wish List: 20% GDP Growth, Higher Birth Rate, & Flying Pig

 QEの不健全さが露呈してきたので、米連銀はもうQEを再開できず、代わりに利上げをあきらめて金利をマイナスまで引き下げるのが良いという見方も出ている。 (From ZIRP To NIRP - Accelerating The End Of Fiat Currencies) (What if the Fed is wrong?

 金利がマイナスになると、銀行預金が目減りしてしまうので、人々は預金をおろして現金(たんす預金)で持ちたがる傾向が強まり、銀行の経営が厳しくなる。これを回避するため「現金廃止。全通貨の電子化」が最近再び欧米で提唱されている。 (Scrap cash altogether, says Bank of England's chief economist) (現金廃止と近現代の終わり

 同時に「ビットコイン」の暗号化技術(ブロックチェーン)について、米欧の大手銀行が共同研究を開始している。ビットコインは匿名で送金できる技術なので、これを民間が勝手に使うと、当局が資金の動きを把握できなくなり、権力行使(野党潰し、スパイ行為)や徴税率向上に支障が出る。そのため、ビットコインは潰される必要があった。代わりに、当局とつながった金融界がビットコインの技術を独占使用する体制を作ろうとしているようだ。 (Nine massive banks just teamed up to take the technology behind bitcoin mainstream

 しかし、全通貨電子化の前提にある現金廃止は、かりに政治的な合意ができたとしても、実現まで何年もかかる。欧州諸国は、何年も前から通貨電子化を進めているが、現金の廃止に至っていない。現金を廃止して最も困るのは、現金決済で(自国の警察にも税務当局にも知らせず)スパイ網を維持してきた米英の諜報機関や軍部かもしれず、現金廃止は政治的に困難だろう。米日欧の中央銀行による延命策は、かなり行き詰まっている。株高が維持できているのが不思議だ。

 米金融界では、ドイツの「ドイツ銀行」や、英スイス系の鉱山運営・鉱物取引会社である「グレンコア」の経営の行き詰まりが指摘されている。グレンコアは事実上、金融会社だが、株価がすでに史上最低で「コモディティのリーマンブラザーズ」になると懸念されている。ドイツ銀行は、最もデリバティブに入れ込んできた銀行の一つだ。いずれも破綻すると、08年のリーマン倒産的な、広範な金融危機につながりうる。 (Is Goldman Preparing To Sacrifice The Next "Lehman") (There Are Indications That A Major Financial Event In Germany Could Be Imminent) (We Have Entered A Season Of Time When Another "Lehman Brothers Moment" May Occur, A Major Financial Event In Germany Could Be Imminent

 10月に入ると、米金融界がシェール石油産業に対する評価が見直され、融資金利の引き上げなどが行われる。米金融界では「シェールのパーティーは終わった」といわれている。これも、広範な債券金融危機につながりかねない。 (The Shale Party's Over: "Closed" Bond Market Means "Restructuring Is Inevitable"

 12月になると、米連邦政府の政府閉鎖の懸念が増大する。米政府の財政年度は10月1日からで、米議会ではまだ来年度予算案が通っていない。計画出産や避妊中絶をしやすい体制作りを進める非営利の医療機関「プランド・ペアレントフッド(PPFA)」が、中絶した胎児の臓器や細胞を売って儲けていた疑惑に関し、両院の多数派となっている共和党内で、PPFAに対して例年通りの補助金を出すことが盛り込まれている来年度予算を拒否する動きが起こっている。リベラル(中絶支持)な民主党のオバマは「議会がPPFAに対する補助金を削った予算案を出してきたら拒否権を発動する」と表明し、9月中に来年度予算案が可決せず、10月1日以降、連邦政府の閉鎖が起こりうる事態になった (Planned Parenthood From Wikipedia) (Boehner plots shutdown move as critics weigh options) (Democrats actually the ones trying to shut down the government?

 上院議長である共和党のジョン・ベーナー議員が、政府閉鎖を避けるため、党内過激派の反対を押し切って、民主党と結託して上院で来年度予算を通そうとしたところ、共和党内でベーナーへの批判が強まった。もともと今年いっぱいで議員を辞めて引退しようと考えていたベーナーは9月25日、10月末に議長と議員を辞めると発表し、辞任までの間に、党内の反対を気にせず民主党と結託し、来年度予算を通す動きを強める挙に出た。これにより、10月の政府閉鎖の可能性は劇的に低下したと分析されている。 (Boehner resignation cuts U.S. government shutdown) (Senate Makes Progress on Avoiding Government Shutdown) (House speaker John Boehner resigns from US Congress

 だが、ベーナーが辞任カードを切ったことで米議会を通りそうな来年度政府予算は、1年分でなく、12月11日までのたった2カ月分でしかない。米議会はここ数年、2大政党間(議会と大統領の間)の対立が激しく、すんなり1年分の政府予算が決まったことがない。2-6カ月分ずつの暫定予算案を年に何度も紛糾しつつ可決することを繰り返している。今回も70日分の暫定予算が予定されている。この予算は12月11日に切れる。 (A Government Shutdown Suddenly Looks Far Less Likely

 このため、11月下旬から、米議会で再び政府予算が問題になることが必至だ。米政府は、今年3月に財政赤字が法定上限の18・1兆ドルに達し、それ以来半年間、米国債の純増発行ができないままになっている(償還分と同額の新規発行しかできない)。「小さな政府主義」を掲げる共和党が、赤字上限の引き上げに反対している。このままだと、米政府は景気が悪くなっても財政出動による景気テコ入れ策ができない。この件も、年末にかけて問題になる。 (House Speaker Boehner Resigns From Congress Amid "Conservative Coup"

 しかし、次に政府予算案や赤字上限が米議会で問題になるころには、共和党の上層部で民主党とのパイプ役をつとめてきたベーナーがすでに辞めている。共和党の上層部が、政府閉鎖をいとわない党内過激派を抑えられない可能性が増す。政府予算案が議会を通らず(もしくは大統領の拒否権発動によって)、米政府が閉鎖される確率は、今回(9月末)より次回(11月末)の方が高くなったと指摘されている。 (Boehner resignation heightens US government shutdown risk

 米共和党の過激な「小さな政府主義者」たちは、いろいろな理由をつけて、赤字上限の引き上げを拒否したり、予算案を通さず連邦政府を閉鎖に追い込むことを、強制的に政府の規模を縮小できる策として望んでいるふしがある。彼らが米国の財政的な混乱を何年間も引き起こしていることで、米国の覇権(国際的な信用力、影響力)が低下し、覇権の多極化を引き起こしている。かつて、イラク侵攻を無理矢理に挙行して米軍を占領の泥沼に引きずり込み、米国の覇権を低下させたのも共和党のネオコンだった。共和党が「隠れ多極主義」の秘密結社であると思われるゆえんだ。 (Boehner Is Out: What This Means For Government Shutdown Odds And The Debt-Ceiling Fight

 米国は、利上げできなかった米連銀の行き詰まり、政府予算の編成すら滞る米議会の危機、経済指標の粉飾がひどくなる米政府など、矛盾が肥大化し、リーマン危機をしのぐ金融危機がいつ起きても不思議でない状況にある。だが、表層的な動きだけを見ると、株価は上がり続け、政府やマスコミが発表する「経済状況」は好転し、延命する状態が続いている。このバランスが今後、いつどう崩れていくか、それとも崩れずに延命し続けるのかが、今後しばらく最大の注目点だ。



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