米国の利上げと世界不況2015年8月12日 田中 宇米国の連銀(FRB)が、早ければ9月に利上げしそうだと喧伝されている。8月7日に米政府が発表した7月分の雇用統計で失業率が低下し、平均賃金も上がったので、連銀が9月17日の理事会で利上げを決定する可能性が高まったとマスコミがいっせいに報じている。 (Solid U.S. jobs report bolsters case for Fed rate hike) 米国の失業率は5・3%だが、この数字(U3)には、求職活動をやめて4週間以上経った人が失業者に含まれていない。近年の米国は、仕事をいくつも掛け持ちしないと生活していけない低賃金やパートの求人ばかりなので、就職をあきらめる人が多い。米政府は4週間以上求職していない人を「失業者」の範疇から外し、5・3%と発表している。求職活動をやめて4週間から1年経った人を含む「U6」の失業率は10・4%だ。U3よりU6の方が、本来の「失業率」の概念に近いが、10%の失業率なら「景気が回復している」とはいえない。 (What's the real unemployment rate?) (Record 93,770,000 Americans Not in Labor Force…) 低賃金とパートしかない求人市場の状況は、もう何年も続いている。米国では、求職活動をやめて1年以上経つ人も多い。それらの人々を含む失業率は、1994年にクリントン政権の米政府が、経済を良く見せるため統計から外してしまった。分析者(John Williams)の概算によると、それらを含む本当の失業率は、今年7月時点で23%だ。米国の失業率は、1930年代の大恐慌の時と同水準、もしくはギリシャと同じ水準になる(ギリシャも失業率を粉飾しているかもしれないが)。 (The US Economy Continues Its Collapse) (米雇用統計の粉飾) (揺らぐ経済指標の信頼性) 失業率の粉飾を考えると、失業率が下がって景気の回復が確認されたので米連銀が利上げするという筋書きは、茶番だとわかる。金融界やマスコミは、連銀の利上げが近いと述べるのがプロパガンダとして命じられたことなので、そのように喧伝するが、連銀が本当に利上げするのか、疑問視する向きも強い。ゴールドマンサックスは、利上げは9月でなく12月だと予測している。来年になると、秋の米大統領選挙が近くなるので、政治的な抵抗が大きくなり、利上げしにくくなる。利上げを開始するなら今年中か、遅くとも来春までだ。 (Why Goldman Is Confident The Fed Will Wait To Hike Until December (At Least)) 連銀理事(Dennis Lockhart)は、演説で利上げが近いことを示唆したが「9月」を明言しなかったので、市場は失望してドル売りが出たという。連銀が利上げすると、米国債からジャンク債までのすべての利回りが上がり、債券市場の危機や、倒産企業の増加などの悪影響が出かねない。そのため、連銀や金融界、マスコミは「間もなく利上げだ」「いやまだだ」といった利上げをめぐる右往左往を意図的に演出し、利上げに対する準備や覚悟を市場に行わせ、利上げによる悪影響を事前に市場に織り込もうとしている。意図的な右往左往は、昨年に連銀がQEをやめる前にも演じていた。 (dollar Dumped As Fed's Lockhart Fails To Mention Word "September") (米連銀はQEをやめる、やめない、やめる、やめない) 米国は、雇用が回復していないので、米経済の68%を占める消費が伸びない。人々の景況感も悪いままだ。ギャロップの調査によると、米国民の57%が「経済が回復していない」と考えており「回復している」と考える39%よりずっと多い。今年2月以来、米国民の景況感は悪化を続けている。自動車などを中心に流通在庫が増えており、商品の売れ行き悪化を示している。 (U.S. factory activity dips; consumer spending cools) (?utm_source=alert&utm_medium=email&utm_content=morelink&utm_campaign=syndication) Americans Who See Economic Deterioration Outnumber Optimists By 50% (Recession Imminent As Wholesale Inventories Surge, Sales Disappoint; Autos Worst Since 2009) (US consumers are less healthy than investors hope) 株や債券が上昇し、マスコミは景気回復と報じるが、実のところ米国の景気は回復していない。株や債券の上昇は、QEやゼロ金利策などバブル膨張策が原因で、株価と景気は前代未聞の大きな乖離になっていると指摘されている。 ("This Is The Largest Financial Departure From Reality In Human History") 米連銀が利上げを志向する目的は、景気の過熱を防ぐためでない。基軸通貨としてのドルの信用を守るためだ(私は以前、利上げを景気回復とだけ結びつけて考えていたので、景気回復が粉飾である以上、米連銀の利上げ志向は「ふりだけ」だと考えていた)。従来、世界の多くの国々が、輸出を振興するため、米国債(ドル)を買って自国通貨を売り、自国通貨の対ドル為替の上昇を防いできた。米国がゼロ金利策を続け、低利回りのままだと、世界各国が米国債の保有を減らし、ドルが貿易決済通貨として使われず、ドルが基軸性を喪失しかねない。それを防ぐため、米連銀は短期金利を1-2%の水準に戻し、ドルや米国債の健全さを蘇生したい。 (Did China's Devaluation Crush Yellen's Rate Hike Strategy) 08年のリーマン危機後、部分的に凍結状態の債券市場を延命させるため、米連銀は昨秋まで、ゼロ金利策に加えてQE(ドルを過剰発行して債券を買い支える量的緩和策)をしていたが、昨年11月以降、不健全なQEを日本と欧州に肩代わりさせ、米国はQEをやめた。さらに米連銀と米金融界は今夏、金地金の急落や、中国株の暴落を誘導し、米国以外の世界中を不健全な状態に押しやることで、米国の健全性を比較優位的に回復し、そのうえで今秋、金利をゼロから1%台に向けて戻し始めることを画策している。投資家が資金を米国以外に移そうにも、世界中が不調で移したい先がない状態なら、米国は無理な利上げをしても金融崩壊しない。 (米国と心中したい日本のQE拡大) (通貨戦争としての金の暴落) (中国株暴落の意味) 米国(米英)の金融界(投機筋)は、リーマン危機後の2010年から、ギリシャや南欧諸国で国債危機から投資バブルの崩壊を引き起こし、基軸通貨としてドルの対抗馬だったユーロを長い危機に陥れた。米投機筋は昨年末、似たようなやり方でロシアを金融危機に陥れている(その後、オバマ政権が「イランやシリアなどの問題解決のためロシアの協力が必要だ」と言い出し、その影響なのか、投機筋によるロシア攻撃は止まっている)。ユーロ危機や、年末のロシア危機は、米国の金融を使った覇権防衛策である。 (ロシアが意図的にデフォルトする?) (ふんばるギリシャ) 最近は、中国やブラジル、ロシアなど、BRICSや新興市場諸国で、金融だけでなく実体経済全体の景気の悪化が加速している。コモディティ輸出国の豪州やカナダの経済も悪化している。株や債券などの金融市場や、金地金や原油などコモディティ市場は、先物やデリバティブを使って相場を急落させられるので、米金融界が米国の覇権防衛のために、欧州や中露の金融市場を破壊することがあり得るが、金融を超えた実体経済の悪化まで、米国の防衛策なのかどうかは疑問だ。米国が、自国以外の各地の経済を悪化させ、米国の比較優位性を高めた上で、利上げしようと画策している時に、何らかの画策の結果か、もしくは偶然の時期的な一致として、中国やブラジル、ロシアなど新興市場の経済が急速に悪化している。新興市場から資金が逃避し、その一部が米国の債券市場に流入し、米国の債券利回りを押し下げている。 (Fear Rises As Financial Markets All Over The Planet Start To Crash) (Outflows from emerging market funds accelerate) (Case For Yuan Devaluation Grows As Chinese Factory Prices Fall Most In Six Years) 新興市場経済の急速な悪化で、世界経済は半年から1年以内に不況に逆戻りしそうだと予測されている。この状態は、米国を比較優位の状態にする点で、米国の利上げに好都合だが、世界が不況になることは、米経済にも悪影響が大きい。米経済が悪化しているのに経済統計を粉飾して「景気が回復し続けている」とウソをつく状態がひどくなる。しかも、米国が金利を上げていける比較優位の状態が続くには、世界不況の長期化や、日本が財政破綻するまでQEを続けることが必要になる。 (The warning signs of trade stagnation) ("They'll Blame Physical Gold Holders For The Failure Of Monetary Policies" Marc Faber Explains Everything) 中国などBRICS諸国は、経済が悪化しても、貿易決済の非ドル化など、覇権を多極化する動きをやめるわけでない。むしろBRICSは、新たに作った開発銀行やAIIBなどの相互扶助機関を活用する傾向が強まり、その分、IMFなど米覇権体制に依存する度合いが減る。世界不況は、米国の覇権維持でなく、覇権喪失の要因になる。新興市場が世界不況から立ち直るころには、ドルの基軸性喪失がさらに進んでいるだろう。中国は、決済の非ドル化とともに米国債の大量保有が不必要になるため、米国債の売却を進めている。 (Sorry Bloomberg, Someone DID Notice That China Is Dumping A Record Amount Of Bonds) 米連銀が利上げするには、格付けが最も高い米国債と、最も低いジャンク債との金利差(リスクプレミアム)が小さい状態が維持されることが必要だ。リスクプレミアムは、リーマン危機の原因であるサブプライム危機の前に小さかった(ジャンク債が低利なのによく売れた)。低利でジャンク債を発行できると、倒産しそうな企業が簡単に資金調達でき、倒産が起こらないので景気が悪化せず、好景気が続く(ジャンク債の低利回りが、90年代以降の米経済の強さの秘密だった)。 だが、サブプライム危機の発生とともにリスクプレミアムが急拡大した(急拡大そのものが危機だ)。プレミアムが大きくなると、ジャンク債の金利が上がって発行不能になり、倒産企業が増え、景気が悪くなる。危機後に行われたQEやゼロ金利策は、金融市場に資金を過剰供給することで、リスクプレミアムを縮小する策だ。その結果、今またプレミアムが縮小し、ジャンク債が低利でよく売れている(つまりバブルが急拡大している)。今後、プレミアムの縮小状態を維持したまま利上げでき、何も起きなければ利上げは成功だ。 しかし、昨秋からの原油安によって最近、シェール産油企業のジャンク債が投資家から破綻の懸念を持たれ、利回り(リスクプレミアム)が上がり出している。シェール産油企業などエネルギー業界のジャンク債の利回りは、以前の7%以下から最近11%前後まで上昇した。ジャンク債全体の約2割を占めるエネルギー業界の利回り上昇が、市場全体に波及し始めている。ジャンク債の利回り上昇は、バブル崩壊の前兆であり、株式市場の急落を引き起こしやすい。業績が個人消費と連動するメディア関連株などの下落が、すでに起きている。 (High yield bonds start living up to their name) (Will US equities follow junk bonds down?) (Big Media Stocks Tank, Almost Nothing Left To Support The Market) 米シェール産業のジャンク債は、今年初めから危険が指摘されているが、当初懸念されていた今年前半の崩壊は起きなかった。シェールのジャンク債の破綻が債券市場全体の崩壊につながることを懸念する金融界が、破綻しそうな企業に追加融資したり新規債券発行させ、延命させてきたからだった。しかし、中小企業のジャンク債の多くは公募発行でなく、相対取引で発行されており、債券の存在自体の把握が困難だ。ジャンク債全体に占める相対取引の割合は、昨年の4割から今年6割に増加している。 (U.S. Junk-Bond Buyers Left in Dark as Private Deals Become Norm) サウジと米シェール産業の我慢比べである原油安は、来年まで続くと予測されている。先物市場の石油価格は、先の限月になるほど安く取り引きされており、業界人や投資家が原油相場の下落傾向を予測していることが見てとれる。米シェール産業の経営が悪化し、債券の不履行が連鎖する危険が増す。連銀が利上げするとしたら9月か12月だと言われているが、9月より12月の方が米シェール産業は危険になる。 (Oil Futures Signal Weak Prices Could Last Years) このような危険な状況下で、米連銀が利上げすると、それ自体がジャンク債のリスクプレアム拡大の引き金を引く可能性がある。いったん利上げしても、その後債券危機が起こり、急いで再びゼロ金利に戻したり、QEを再開せざるを得なくなるかもしれない。こんな不安定な状況下で、本当に米連銀が利上げするものなのか、私は大きな疑問を持っている。 (The Fed Is Out Of Options, "QE Is All It Can Do Here" Art Cashin Predicts) だが半面、連銀が利上げできない状態が続くと、それ自体が米国債に対する信用をゆるがせ、今春から慢性的な問題になっている米国債など債券市場の流動性の危機(大量の売りや買いを出すと、取引相手が見つからないまま価格が動いてしまう状態)がひどくなり、米国債金利の高騰や乱高下を引き起こしかねない。連銀は、座して死を待つより、かなり無理をしても利上げすると考えることもできる。 (US Treasuries market faces liquidity concerns) (出口なきQEで金融破綻に向かう日米) (加速する日本の経済難) これまでは、基軸通貨としてドルのライバルになりそうなユーロが、ギリシャ危機で窮地に陥っていたが、危機は峠を越しつつある。北欧諸国がギリシャ擁護に転じ、新たな救済策に反対していたドイツも態度を和らげた結果、8月11日にEUなど債権者とギリシャ政府が、新たな救済策で合意した。来週中にギリシャなど各国の議会で批准する。批准過程で頓挫しなければ、当初予定の8月20日に新協約が成立する。ユーロ圏は今後、ギリシャ危機の解決とともに、財政政策の統合など、政治統合を加速していく見通しだ。EUはしだいに、米国から自立した地域覇権勢力になっていくだろう。ウクライナ危機も、長期的に下火になる方向だ。欧州や露中など世界中をへこませ、米国が比較優位を得てドルを延命する戦略は、有効でなくなりつつある。 (Greece nears 86bn euro accord with creditors) (ユーロ危機の解決が近い) (ウクライナ危機の終わり) それとともに「ドルの基軸性喪失」という、これまで「陰謀論」扱いされてきたキーワードが、しだいに大っぴらに語られるようになっている。米議会にイランとの核協約を否決させたくないオバマ政権のケリー国務長官は最近「議会がイランとの協約を否決したら、ドルは基軸通貨であることをやめてしまうぞ。それでも良いのか」と議会に警告を発している。 (John Kerry Warns "Dollar Will Cease To Be Reserve Currency Of The World" If Iran Deal Rejected) 私も最近の記事に書いたとおり、米国がイランとの核協約を拒否すると、イランと世界の貿易はドル以外の人民元やユーロなどで決済されるようになり、世界貿易の非ドル化と、ドルの基軸性の低下につながる。ケリーはそれを警告したのだが、同時に言えるのは、米議会がイラン協約に同意したとしても、イランや露中といった非米反米諸国の国際政治力が上昇し、早晩ドルの基軸性が低下していく。ドルの基軸性の低下や喪失が、陰謀論でも空想でもなく、長期的に不可逆的な現実であることが確認されつつある。 (イランがシリア内戦を終わらせる)
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