イスラム国が中東諸国を結束させる?2014年8月21日 田中 宇この記事は「クルドとイスラム国のやらせ戦争」の続きです 前回の記事で、イスラム原理主義武装組織(未承認国家)のISIS(イラクとシリアのイスラム国)に攻撃されて逃げたヤズディ人の避難民を、米欧からテロ組織に指定されているシリアのクルド軍(PKK系のPYD。シリア民主統一党の軍勢)が助け、クルド軍に対する国際的な印象が強まった話を書いた。その後、調べてみると、米国の市民運動が運営する「バイスニュース(VICE News)」が、現地を取材して動画の番組として8月19日に公開していた。 (The Battle for Iraq (Dispatch 6)) 動画によると、ISISがイラク北部のヤズディ人の町シンジャルを攻撃し、ヤズディ人たちが山に避難した直後、シリアのクルド軍(PYD)がイラクに越境し、ISISと戦いながら国境から20キロほど入ったシンジャル山まで行き、ヤズディ人を助けてシリアの難民キャンプまで送り届けたという。ISISが一帯を占領する中で、クルド軍はシリア・イラク国境からシンジャルまでの砂漠の中の細いルートを、ヤズディ人の人道上の回廊として確保した上で、ヤズディ避難民の捜索を完了した。動画では、バイスニュースの記者が、クルド軍に案内され、まわりをISISに囲まれた(ただし、ISIS軍勢の姿は全く見えない)人道回廊を恐々と往復する様子を映している。クルド軍兵士たちが、記者を怖がらせるかのように「あっちにもこっちにもISISがいる」と言っている。 この動画は一見、クルド軍がISISと鋭く対立しつつ、ヤズディ人を救出する英雄的な光景を描いている。しかし考えてみると、ISISがクルド軍の細い回廊を潰すつもりなら簡単にできる。映像を見ると、回廊を守るクルド軍の人数は少ない。クルド軍がISISと戦って回廊を確保したのでなく、裏で交渉して回廊を作ったと考えるのが妥当だ。ISISは、自分たちが悪役になることを承知で、クルド軍が人道上の英雄になり、米欧から武器支援されることを可能にしてやった(ISISは偽悪的な組織だ)。やはり、ISISとクルド軍は裏で談合している感じがする。 バイスニュースは、ISISの統治や戦闘を取材した動画番組も、5回シリーズで発表している。その3回目に、ISISの本拠地であるシリアの町ラッカのラマダン(断食月)中の光景が出てくる。ISISはラッカで、抑圧的で厳格なイスラム教の行政を行っているが、その一方でラッカの繁華街はそこそこにぎわっているのが見て取れる。ISISの係官は、小売業に対する価格統制も行い、経済面で一応の行政能力を持っていることが示されている。 (From ISIS to the Islamic State) (Enforcing Sharia in Raqqa: The Islamic State (Part 3)) ISISは、占領した町の行政や宗教、軍務などの最高位の人々を殺したり追放するが、その下の中間管理職をそのまま残し、彼らに引き続き行政実務を任せることで、統治がうまくいくようにしている。ISISは、ダム、小麦のサイロ、油田、製油所など、水、食料、エネルギーといった重要資源を優先して攻略して奪取し、自分らが統治する地域に水や食料、ガソリンなどの供給を維持している。 (ISIS Hasn't Gone Anywhere - and It's Getting Stronger) (ISIS Is Turning Food And Water Into A Weapon In Iraq) ISISはイラク国営企業のサイロから4-5万トンの小麦を強奪し、その一部をスイスの穀物取引商社を経由して販売したとも指摘されている。彼らの組織には広報担当官が置かれ、取材に来るメディアを案内して宣伝活動をしている。彼らが発表する文書はすぐにインターネットで発表され、短時間でいくつもの言語に翻訳される。ツイッターやユーチューブの使い方も巧みだ。イラクとシリアの国境の施設を破壊して「(百年前に英仏が中東を分割した)サイクスピコ体制を壊した」と宣言するなど、知識人向けの地政学的な宣伝にも余念がない。ISISは非常に欧米的な技能を持っている。その点でも、モサドやCIAが育てた組織という感じがする。 (Now A Commodity "Trading" Powerhouse: Islamic States Steals Iraq's Grain Then Sells It Back To Iraq Government) 03年までのイラクのフセイン政権は、イラクの統一状態を強化するため、東部のシーア派を北部のクルド人地域に強制移住させるなど、混住状態を強める策を続けていた。ISISは、このフセイン政権の政策を逆回ししている。ISISがイラク西部のスンニ派地域に住んでいたシーア派やクルド人、キリスト教徒などを脅して150万人を避難民化させ、他の地域に追い出したことで、イラク西部にはスンニ派しかおらず、シーア派は東部のシーア派地域に集中する傾向を強めた。ISISはイラクを、シーア、スンニ、クルドの3地域に分割できる状態に近づけている。イラクを3分割して弱体化させる策は、昔からイスラエルが望んできたことだ。 (Militant violence creates homogeneous enclaves for Iraq's sects) しかしISISは、やり方が下手な面も多々ある。ISISが念願の「国家」になるには、少なくともイスラム諸国から国家承認される必要があるが、シーア派や異教徒を殺戮している限り、それは不可能だ。ISISは6月10日にイラクの大都市モスルを陥落し統治を開始したが、その後彼らはモスル市内の「ヨナの墓」など、聖人の墓がある古来の廟を次々と爆破して壊した。これらのいくつかは、コーランに登場する聖人の廟であり、スンニ派のモスクである。 ISISは他のイスラム原理主義者と同様、聖人の墓をまつることを「偶像崇拝」とみなし、破壊の対象としている。ISISはモスルを「イスラム国の首都」にするつもりで、そのための宗教的な「浄化作業」として、偶像崇拝の廟を破壊した。しかし、穏健的な大多数のスンニ派市民は、聖人の墓を崇拝しており、多くのモスル市民がISISによる破壊に激怒した。それ以来、ISISの兵士がモスル市内を巡回中に暗殺されたり狙撃される事件が起こり始めた。 (Razing of Mosul's shrines sparks first signs of resistance against Islamic State) ISISがモスルを陥落できたのは、モスルに多く隠れ住んでいる旧バース党の幹部たちの協力を得ることができたからだった。バース党はフセイン政権の政党で、幹部のほとんどがシーア派だ。米国がフセイン政権を倒した後、解散させられ、幹部らは地下に潜っていた。旧バース党幹部たちは、シーア派のマリキ政権を敵視し、ISISがシーア派主導のイラク政府軍を追い出してモスルを陥落させることを歓迎し、協力した。しかしISISは、6月10日にモスルを陥落し、6月末に「イスラム国」の建国を宣言した後、7月上旬にモスル在住の約300人の旧バース党幹部を次々と逮捕・勾留した。 (ISIS rounds up ex-Baathists to eliminate rivals) バース党は元左翼の世俗派で、イスラム原理主義のISISと教条的に対立している。ISISは、モスルを陥落するために便宜的に旧バース党と組んだが、モスルを支配してイスラム国の建国を宣言した以上、旧バース党は用済みとなり、大量逮捕に踏み切った。バース党はISISに騙された。旧バース党で残っている人々は、ISISに忠誠を誓わねば殺すと脅されて拒否し、ISISに宣戦布告した。 (Baath Party declares war against ISIS) イラクの旧バース党幹部で生き残っている最も強力な人はイザット・ダウリ(Izzat Ibrahim al-Douri)で、彼は「ナクシュバンディ軍」という数千人規模のスンニ派武装勢力を率いて「イラクのアルカイダ」の傘下で、ティクリートなどで米軍と戦ったり、テロをしてきた。ダウリはスンニ派といってもスーフィ(密教的なイスラム以前の信仰が混じっている神秘主義の宗派)の人で、ナクシュバンディはスーフィの教団(宗派)の名前だ。敵が米軍だった以前は、スーフィを敵視するISISやアルカイダといったイスラム原理主義者と、ナクシュバンディ軍が共闘していた。 (Iraq crisis: Is Izzat Ibrahim Al Douri pulling the strings?) しかし、ISISが旧バース党を弾圧し、スンニ派の信仰の内部に存在する廟への信仰が禁止され、スーフィを中心とする非正統派のスンニ諸派(広義のシーア派ともいえる)が弾圧の対象になっていく中で、ナクシュバンディ軍はISISと離反し始めた。それまでISISとナクシュバンディ軍は一緒にバグダッドを攻略していたが、7月中旬以降、両者は相互に暗殺しあうようになった。 (ISIS Executions Signal Sunni Infighting in Iraq) 同時に、モスル市内でもISIS兵士に対する暗殺事件が起こり始めた。ISISの上層部は、自分たちを敵視するモスルを無理矢理に平定するよりも、いったんモスルから引き上げ、バグダッド攻略や、シリア政府軍との戦闘に力を入れた方が得策と考えたようで、7月中旬にモスルの市街地の大半からISISが撤退し、代わりにナクシュバンディ軍がモスルを統治するようになった。ISISによるモスル統治はうまくいっていない。ISISは、安定している本拠地のシリアのラッカに外国人記者を入れるが、モスルには入れていない。 (New militant group replacing Isis in Mosul, says city governor) ISISが中東の国際政治にもたらす影響を考えてみると、それは03年からの米軍のイラク侵攻・占領と似ているところがある。イラク侵攻は当初、米国の中東支配を恒久化し、石油産業がイラクの石油利権を独り占めにして、イスラエルにとっては米軍を長期的に中東に派兵させて自国の衛兵として機能させる意図だった。しかし、占領は泥沼化し、米軍は疲弊して撤退せざるを得なくなって米国の中東支配力が低下し、イラクの石油利権はロシアや中国に蚕食され、シーア派が権力を持ったイラクはイランと親密になり、中東諸国はイスラム主義が席巻して米イスラエルへの敵視が強まった。 ISISの登場は現時点で、中東を従来よりさらに細分化した上で相互に敵対戦争させ、スンニ派とシーア派が殺し合って相互に消耗するという、米イスラエル好みの構図になっている。たとえばISISは最近、シリアからレバノンに越境攻撃を開始し、レバノンのイラン傘下のシーア派武装勢力ヒズボラとISISが戦争する流れになっている。レバノン南部のイスラエルの近くに拠点を持ち、イランから武器を支援されるヒズボラは、イスラエルにとって大きな脅威だ。ヒズボラがISISと戦って相互に消耗することは、イスラエルにとって非常に好都合だ。 (ISIS brings its war to Lebanon - and it could be key to a masterplan Robert Fisk) しかし長期的に見ると、ISISの拡大は、これまで仇敵どうしだったサウジアラビアとイランが、ISISという共通の敵を前にして消極的ながら和解する動きにつながる。ISISは、いずれサウジアラビアに攻撃を仕掛けるだろう。ムハンマドのイスラム帝国の再来を夢見るISISは、イスラム教の最大の聖地であるメッカを陥落・支配したいはずだ。イラクのISISの支配地域は、サウジと国境を接している。サウジでは今年5月、ISISを支持する地下組織が摘発され、約60人が逮捕されている。 (Saudi Officials Think ISIS Fighters May Hit Them Next) サウジ王政は7月末、ISISの国境侵犯を防ぐため、パキスタンとエジプトに地上軍部隊の派遣を要請した。サウジ王政は、自国に陸軍を作りたがらない。強い陸軍を作ると、軍の上層部が民意の支持を背景に、王政を倒すクーデターを起こしかねないからだ。だからサウジ王政は、自国軍を強化して国境に配備するのでなく、日頃から資金援助している財政破綻国のパキスタンとエジプトに軍を派兵させて国境を守ろうとしている。サウジ王政にとって、世の中はすべてカネだ。 (Saudi grand mufti denounces ISIS) サウジはかつて、シリアのアサド政権と戦うISISに資金援助していた。サウジは今、ブローバック(過激派を支援したら、いつの間にかその過激派から攻撃されること)を受けている。サウジがこのブローバックを止めるには、まずシリア内戦への介入をやめて、アサド政権の統治を認め、アサド政権がシリア国内のISISの支配地を潰すことに手を貸すのが早道だ。ISISのすぐ隣にあるトルコ(宗教的にスーフィが大半)も、反アサドのイスラム過激諸派を支援しているうちに、となりにISISを建国されてしまい、サウジと似た境遇にある。サウジとトルコがシリア内戦から手を引き、アサド政権を容認すると、事態は大きく変わる。それは、サウジやトルコが、イランと同じ立場に転向することを意味する。イランも、シーア派の大国としてISISから敵視されており、イラン国境から40キロのイラクの町までISISに取られている。 (Fear brings the enemies of Isis together at last) 今は、サウジなどスンニ派アラブ諸国の中に、同じスンニ派のISISよりシーア派のイランを敵視して「ISISがイランと戦ってくれるのは良いことだ」と考える向きがある。しかし、ISISがサウジやヨルダン、トルコ、ペルシャ湾岸諸国などの政権の正統性を否定し、攻撃を仕掛ける構えを取るようになると、事態は一変し、アラブ諸国がISISを大きな脅威と考えるようになる。そうなると、サウジを筆頭とするアラブ諸国が、シリアやイランと和解する流れに転換する。長期的に、ISISの拡大は、イランとサウジ、シーア派とスンニ派の諸国の和解や結束につながる。これはイスラエルにとって不利益で、米国の中東覇権の衰退にも拍車をかける。 (The Arab world has to take on Isis in its own backyard) もう一つ、ISISの台頭によって発生したことは、イラクのマリキ首相が追い出され、同じシーア派のダワ党のアバディが後任首相に決まったことだ。米オバマ政権は、マリキ辞任とアバディ就任を歓迎している。米当局は、マリキが独裁的で、スンニ派やクルド人の主張を聞かず、今のイラクの3分裂状態を作り出したと批判し、アバディになったら改善されると期待を表明している。しかし、マリキもアバディも親イランのシーア派だ。スンニ派やクルド人の主張を聞きそうもない点で大した違いがない。 (Iraq's New PM, Like Maliki, Defined by Years of Sectarianism) マリキとアバディの大きな違いは、イランとの関係にある。マリキは米国に推されて首相に就任後、イラクの権力者として、イランと対等に付き合おうとした。しかしイランはシーア派の盟主としてイラクを属国のように考え、マリキがイランの言うことを聞くように迫った。マリキから見れば、イラクはイランより多くの石油を産出するし、イラクはイランより人口が少なく、イランよりずっと豊かになれる国だ。占領軍である米国の後ろ盾もあり、マリキはイランの言うことを聞きたがらなかった。11年の米軍撤退後、マリキは、イランの仇敵であるサウジに取り入ることまでやって、イランの言いなりになることを防ごうとした。 (Iraq's New Prime Minister Is Exactly Who Iran Wanted For The Job) 米国はイランを敵視している。米政府は、イランに対抗しようとするマリキを積極支持するのが常識的な線だ。しかし実際は逆で、オバマ政権はマリキを「独裁者」「スンニやクルドに厳しすぎる」と非難し続け、ISISの台頭を防げなかった責任をとらせ、辞めさせてしまった。代わりに首相になるアバディは、マリキよりもイランの言うことを聞く人だと考えられている。マリキからアバディへの交代で最も得をするのは、米国の敵であるはずのイランだ。それなのにオバマは、アバディへの交代を賞賛して「勝利だ」と言っている。 (Iran Joins U.S. in Backing Replacement for Iraq's Maliki) このオバマの不可思議な言動とつながりがありそうなのが、オバマが今年1月に雑誌「ニューヨーカー」に語った「中東の競争的均衡状態」だ。オバマは「最終的に、中東には、今より安定的な、地政学的な均衡状態が生まれる。スンニとシーアは、殺しあいや代理戦争をやめて、相互に不満や不信を抱き、競争しつつも協調し合う、競争的な均衡状態になる」「まず、イランの核兵器の野望を防ぐための政治的な機構が作られ、その上でイランを国際社会に受け入れる。その後、サウジなど湾岸のスンニ諸国とイランとの均衡状態を作りうる」という趣旨を述べている。 (Going the Distance - On and off the road with Barack Obama) オバマが語るこの構図は、米国中枢のCFR(外交問題評議会)系の高官らが以前から折に触れて曖昧に提示してきた、きたるべき多極型の世界体制の一部に相当する。多極型の新世界秩序の中で、中東は、イラン、サウジ、トルコ(、エジプト?、イスラエル?)が地域大国として相互に競争・牽制しつつ、均衡する状態になり、地域諸大国の談合で中東の国際問題への対策を決めていく態勢になる、というのがCFR系などの隠れ多極主義の人々が曖昧に言ってきたことだ。CFRに育てられたオバマは、この隠れ多極主義者たちの流れをくんでいる。 (自立的な新秩序に向かう中東) (中東政治の大転換) そう考えると、中東の自立化(世界の多極化)を阻止する動きとして、中東を細分化して相互に殺しあう状態を作るISISが出てきたことを逆手にとって、オバマがイラクの首相を挿げ替えて、イランがイラク支配を強化できるようにしてやったことが理解できる。FT紙は「オバマがニューヨーカーに語った中東の競争的均衡状態への移行の構想は、ISISの台頭によって失敗した」と書いている。しかし、このFTの指摘は、結論を急ぎすぎている。 (Uncaged demons are tormenting the Middle East) イラク侵攻直後、多くの人が「イラクは戦後の日本のように、これから数十年間、米国の傀儡国として再発展し、中東はイラクを中心に、親米的な米国覇権下の地域になる」と予測した。侵攻から11年、予測は見事に外れ、米国のイラク占領は大失敗し、米国は中東での覇権を棄てつつある。この教訓から見て、長期的にISISが中東にどんな影響を及ぼすか、最終的に中東の自立や競争的均衡状態への移行が阻害されるのか加速されるのか、まだ断定はできない。
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