他の記事を読む

隠然と現れた新ペルシャ帝国

2014年6月16日   田中 宇

この記事は「イラク混乱はイランの覇権策?」の続きです。

 6月10日、スンニ派イスラム教の武装組織「イラクとレバントのイスラム国(ISIS)」がイラク第2の都市モスルを陥落し、続いてもう一つのイラク北部の大都市キルクークからもイラク政府軍が遁走し、ISISに占領される前にクルド自治区の軍隊(ペシュメガ)がキルクークを占領し、クルド人は民族の悲願を達成した。これらの件について前回の記事で、ペルシャ湾南岸からイラク、シリア、レバノンまでを影響圏に入れつつあるイランが、覇権運営の一環として、ISISなどスンニ派と、クルド人を懐柔して傘下に入れるため、モスルとキルクークの陥落を容認したのでないかと書いた。そう考えることで、いくつも不可解なことが納得できるようになる。

 ISISの侵攻とイラク軍の解散・遁走とともに、180万人のモスル市民のうち50万人が市外に避難した。しかしその後、ISISのモスル統治がかなり合理的で、すでに学校や病院が再開し、殺人や虐待も少ないので、かなりの人数がモスルに戻っていると報じられている(逆に、虐殺が頻発しているという報道もある)。報道によると、モスルでは、これまでよりましな1日9時間の電力供給が市街地に開始され、イラク軍が市内に設けていた市民の移動を制限する検問所が各所で撤去された。 (Iraq crisis: despite decapitations and deaths thousands

 モスル市民の大多数はスンニ派で、中央政府のシーア派主導のマリキ政権は、彼らを敵視する傾向が強かった。今回の陥落に際し、スンニ派市民は、イラク軍でなくISISに味方する者が多かった。モスルを含むイラクのスンニ派地域には、03年の米軍侵攻で潰されるまでフセイン政権の幹部をしていた者が多く住み、彼らは今回のモスル陥落より前からISISに協力していた。モスルだけでも、フセイン政権下で治安関係の仕事をしていた者が7千人以上、元軍人が10万人以上、前歴を隠して住んでいたとされる。 (ISIS see as liberators by some Sunnis in Mosul) (Battle for Mosul: Critical test ahead for Iraq

 今回、イラク西部の広い範囲からイラク軍が撤退し、スンニ派の統治(自治)が始まったが、その主力はISISでないという見方がある。マスコミ報道では、残虐で好戦的なISISがイラク西部を席巻したとおどろおどろしく報じられているが、それは間違いだとイラクのスンニ派の聖職者たちが主張している。イラク西部を席巻したスンニ派勢力の中心は、実際のところフセイン政権(バース党)の残党と、スンニ派の古くからの各派閥の部族長ら(フセイン政権も彼らに依存していた)であり、そういったスンニ派の連合勢力の中で、ISISは小さな勢力でしかないと指摘されている。 (Iraqi Sunni scholars: Iraqi rebels, not ISIS, who face the Iraqi army

(03年の米軍のイラク侵攻時、バース党のイラク政府と軍は、米地上軍がバグダッドに到達する直前に、政府ごと解散して雲散霧消した。幹部たちは市民にまぎれて潜伏した。あれから11年、今回は逆に、バース党イラク軍を倒した米軍が作ったマリキ政権のイラク軍が、旧バース党と連動したISISに侵攻され、解散して雲散霧消した。あの時もキルクークはペシュメガが席巻した。だが米政府はその後、キルクークがクルドの街になることを許さなかった) (消えたイラク政府) (Iraqi crisis is unexpected prize for Kurds

 ISISは、イラクとシリアに数千人ずつしか軍勢がおらず、そんな勢力で、人口数百万、10万平方キロのイラク西部を短期間で治められるはずがない。ISISは看板として使われているだけだろう。ISISという、アルカイダでさえも「残虐すぎる」と言って縁を切った超アルカイダ的なひどいテロ組織が、電撃作戦で数千人の小部隊で広大なイラク西部を占領したというストーリーは「テロ戦争」を続けたい米国の軍産複合体や、イラクのシーア派地域を自国の傘下に入れておきたいイランにとって好都合だ。 (Iraqi crisis: Terrorist attacks or popular uprising?

 米国のオバマ政権は、今回のイラクの危機に対し「マリキ政権がスンニ派と政治対話を強めない限り、マリキに頼まれた軍事支援をやらない」と言っており、多分ほとんど何もしないだろう。これに対し、軍産複合体とつながりが深い野党の共和党は「オバマはイラク市民がアルカイダに虐殺されるのを看過している」とオバマを非難して中間選挙で有利になろうとしている。ISISは残虐な方が好都合だ。 (Obama considers military action in Iraq

 ISISは、シーア派の2大聖地であるイラク中部のナジャフとカルバラの聖廟を「偶像崇拝」なのでぶち壊すと宣言している。この表明は、イラクとイランの数千万人のシーア派に対して喧嘩を売っている。無数のシーア派イラク人の青年たちが、2聖都を守るための義勇軍に志願している。義勇軍を実体的に率いるのはイラク人でなくイラン人だ。イラン軍(革命防衛隊)は、11年の米軍撤退後、軍事顧問団をイラクに派遣し、イラク軍やシーア派民兵を養成してきた。ISISがイラクのシーア派に喧嘩を売るほど、イラク人はイラン軍の傘下で結束し、イランが得をする。イラクのスンニ派聖職者は、ISISがカルバラやナジャフを攻撃するのは間違いだと非難した。 (Iraqi Sunni scholars: Iraqi rebels, not ISIS, who face the Iraqi army

 ISISは、名称からして「国家」を自称している。破壊のみを目的とするアルカイダとは対称的な存在だ。ISISは、すでに昨年からシリア北部のユーフラテス川沿いの人口600万人の地域を統治し、川沿いの町ラッカを「首都」にしている。そこでは、一応の行政運営が行われている。シリアのISISも、ISISというのは看板だけで、その下にはイラクから入った旧バース党勢力がいるのかもしれないが、どちらにせよ、ISISは「テロ組織」というより、スンニ派イスラム主義を掲げた国家もしくは地域の自治的な運営をめざす武装政治勢力だ。アフガニスタンのタリバンや、レバノンのヒズボラに近い民族主義団体といえる。 (The Islamic State of Iraq and Greater Syria) (The Fight for Syria's Raqqa

 アルカイダはISISが残虐だから縁を切ったように米欧マスコミで報じられているが、そうではない。アルカイダはシリアでアサド政権の打倒だけを目標にしたのに対し、ISIS(を称する連合体)は、シリア北部に自前の独立国家(自治地域)を作ることを目標にして動き、アルカイダの命令に従わなくなったので対立し、縁を切られた。ISISは創設直後の04年から昨年まで、アルカイダに忠誠を誓っていた。 (Islamic State in Iraq and the Levant From Wikipedia

 前回の記事で、イランはシリア内戦を終わらせるため、シリア北部に陣取っているISISに出ていってもらおうとしており、ISISにイラン傘下のイラクのモスルをあげる代わりに、ISISにシリアから出ていってもらおうとしているのでないかと書いた。この仮説にはその後、私自身が疑問を持ち始めている。ISISはシリア北部を手放さず、むしろイランは、シリア北部をISISの領域であることを認め、残りの地域をアサド政権が統治することで、シリアを連邦型の国家として再編するつもりかもしれない。イランは最近、シリアの内戦を終わらせる和解案を作っている。イランが支援してきたアサドは大統領として残るが、その下の首相にはスンニ派が就任し、シリア国内の各派が何らかの発言力を持てるようにする案が報じられている。レバノン型の解決といえる。 ('Peacemaker' Iran moves to end Syria war) (Iran ready to help rebuild Syria: Minister

 モスル陥落後、シリアに展開するISISが戦闘をやめているという報道がある。その一方でISISがイラクで獲得した武器をシリアに搬入しているとの指摘もある。私の上記の仮説を検証するには、まだ情報が錯綜している。 (Syria Islamist militants pause and reinforce from Iraq

 イラクもシリアも、政権がイランの傘下にいる。イラクのマリキ政権と、シリアのアサド政権は、従来どおり国土の全部を自分が率いる国家としてずっと統合して維持したいと考えている。だがイランは、イラクやシリアの国家としての統合性を重視していない。イラク西部とシリア北部がISISを称するスンニ派の自治区もしくは国家となり、イラク北部がクルド人の自治区もしくは国家になっても、それらの自治区もしくは国家がイランの言うことを聞くなら、その方が良い。

 イラクやシリアの国家統合が維持されると、いずれイラクやシリアが安定して強さを取り戻した場合、ナショナリズムを使ってイランの影響力を排除しようとしかねない。そんな目に遭うぐらいなら、イランは、イラクやシリアが弱くて分裂している今のうちに、分裂している各派を個別にイランの影響下に入れ、分裂した状態で各国を傘下に入れておきたいはずだ。「ホフィントンポスト」が、こうした考え方の記事を出している。同記事は、イスラエルとイランを、アラブを弱体化する共通目的を持ったペルシャ・ユダヤ同盟として描いている。この記事は、今後の中東の中長期的な展開を示唆している。 (ISIS 'Achievements' in Iraq and Syria a Gift to the Iranian Negotiator?

 イランは、イラクに協力してISISを潰すと表明しているが、本気かどうか疑わしい。11年の米軍撤退後、イランは、イラクのマリキ政権を支援する最大の勢力だ。マリキは、もともと米国が傀儡として置いた指導者で、自分の権力をできるだけ長く維持することだけに固執する人だが、そのような人物の方が米国にとって傀儡化しやすく、都合が良かった。米軍撤退後、マリキはイランにとって都合の良い無能さを持った傀儡になっている。 (US-Backed Maliki Gov't is Driving Iraq Into Civil War

 イランは、米軍撤退後のイラクを自国が握っていることを隠している。イラクはいまだに米国の植民地だと世界中が思っている方が、イランにとって都合が良い。イランは、シーア派の宗教的なつながりを通じて、昔からイラクに隠然とした影響力を持っている(だから、イランがイラクにイスラム革命を輸出しようとした時、イラクのフセインは脅威を感じ、逆にイラクのナショナリズムを扇動しつつイランに侵攻し、イラン・イラク戦争を起こした。イランにとって、イラクのナショナリズムは危険なものだ)。イスラム世界で少数派のシーア派の盟主であるイランは、各国にいるシーア派と、古来の諜報網ともいうべき隠れた国際ネットワークを持つ(中国人、ユダヤ人が同種の国際網を持っている)。イランは少数派であるだけに、多数派を制御するために隠然とした策を好む。アングロサクソンのうち、英国は隠然網が好きだが、米国は何でも顕在化したがる(ウソを意図的に顕在化しがちだが)。

 シーア派はイスラム世界の全域で少数派で、多数派のスンニ派から弾圧されてきた。だからイランは、昔から隠然策を好み、それに長けてきた。シーア派の信仰そのものが、イスラム以前の信仰を、力尽くで征服され改宗させられたイスラム教の中(行間、解釈)に紛れ込ませるかたちになっている(だからスンニに弾圧される)。 (イラク日記・シーア派の聖地) (イランとアメリカのハルマゲドン

 米軍撤退後、イラクを隠然と支配するイランは、マリキの権力欲を満たしてやりつつ、イラク軍の運営を握っていた。イランがモスルやキルクークの陥落を回避しようと思えば、事前にいくらでも対策できた。イラクの軍戦略を練ってきたイランが、モスルがISISに、キルクークがクルド人に奪われてもかまわないと考えていたからこそ、モスルやキルクークのイラク軍はまったく戦わず解散したのだろう。イラン軍幹部はNYタイムスに対し「ISISは強くない。イラン軍がイラクに進出すれば一気に潰せる。しかし、そんな必要はない」と言っている。イランはISISに対して本気で立ち向かっていない。 (As Sunni Militants Threaten Its Allies in Baghdad, Iran Weighs Options

 ISISは今年1月、イラク中部のファルージャを陥落し、支配を開始した。イランはその直後から、イラク軍のファルージャ包囲を支援(指揮?)している。イラク政府は当時、ファルージャを包囲するがISISを壊滅させるつもりはなく、交渉すると言っていた。イラク軍が弱いからISISを壊滅させられないのだと報じられているが、私は違う見方をしている。イランは、イラク軍を弱い状態に置いて、ISISを倒せないようにしているのでないかと考えている。 (Iran General Offers Equipment, But No Troops, for Iraq's War) (Maliki says army won't attack Fallujah

 ISISはモスルを陥落した後、バグダッドに向かっていると報じられている。米国もNATOも助けてくれないので、イラク政府はより強くイランに頼るしかない。イラン軍は2大隊をイラクに入れ(イラン軍のイラク駐留は数百年ぶり)、イラクのシーア派義勇軍をイラン軍が率いて、ファルージャなどバグダッドから近いところにいるISISと対峙する作戦を開始した。しかしイラン軍はISISを壊滅させず、対峙するだけだろう。スンニ派のファルージャと、シーア派のバグダッドの間に、事実上の国境線が引かれる。イラン軍は、その隠然国境線を監視・守備するために進駐する。

 前回の記事に書いたように、すでにクルド人は、自分らの自治区とISISの統治地域の間に、千キロにわたる隠然とした国境線を引き、クルド自治軍(ペシュメガ)がその隠然国境線を警備している。すでにイラクは3分割されている。しかし、この3分割はなかなか顕在化しない。米英発の分析の中には、すぐにでもイラクが3分割されるように書いているものがあるが、国際社会がクルド国家とISISを国家承認しない限り、3分割の顕在化は起こらない。残虐なテロ組織として描かれている限り、世界はISISを国家として承認しない。イラクは、イラン好みの隠然分裂国家であり続ける。ISISのせい(おかげ)で、シリアも似たような隠然分裂の状態になりそうだ。 (An abrupt awakening to the realities of a recast Middle East

 モスルやキルクークからの敗走を機に、米軍が訓練した米国製のイラク軍は急速に解体している。代わりにバグダッドなどで編成されているのが、イランが訓練指揮するシーア派の民兵団だ。既存のイラク軍はもう解体しているが、今後も、既存の米国製イラク軍が、シーア派民兵の協力を受けながらISISと戦っている構図が報じられ続けるだろう。それはイラン好みの幻影だ。イラン自身、79年のイスラム革命後、米英が訓練したイラン国軍を形式的に残しつつ事実上廃止し、ホメイニら聖職者群が新設した革命防衛隊が実質的なイラン軍として機能している。イラン国軍が事実上消滅したのにずっと組織として残っている点がイラン的だ(軍の事実上の組織を見えにくいようにする策は、中国の孫子の兵法につながる)。

 米国はイランの敵であるはずなのに、米国のマスコミは、イランが発する隠然戦略に騙され続ける。ネオコンやタカ派など、米国の戦略を構築してきた人々は、イランを敵視しつつ強化してやっている。ネオコンのアハマド・チャラビはイランのスパイだった。03年から11年までの米国のイラク占領で、最も得をしたのは、対価を何も払わずにイラクを自国の傘下に入れたイランである。米イスラエルの上層部には「イランを利するだけだ」としてイラク侵攻に反対した人々もいたが、ほとんど無視された。アラブでは、米国の傀儡か、無謀で非合理なアルカイダ(米国を敵視しつつ実は傀儡)しか目立った存在がない。しかしイランは、国家的にも、諜報網的、つまり国際政治的・軍事的にも(米国に敵視されたおかげで)中東における大きな勢力に育っている。 (イランの台頭を容認するアメリカ

 今回の事件でイラクは隠然と3分割されたが、イランはその3つともに対し、影響力を持っている。イラクの南半分のシーア派地域は明らかにイランの傘下だ。イラク中部のスンニ派地域では、ISISが表向きイラン(シーア派)を敵視しているが、ISISの実体が実務的な旧バース党勢力であるとしたら、彼らの目的はスンニ派地域の自治と発展であり、シーア派地域に侵攻して無益な戦争をすることでない。イラクのスンニ派は、イランが自治をくれるなら米国やマリキよりましだと考えるだろう。

 イラク北部のクルド人は、キルクークをもらったことで大喜びしている。クルド人も、自治をくれるならイランと対抗しようとは(少なくとも中短期的に)思わないだろう。クルド人はイラクのほか、イラン、トルコ、シリアに分裂して住んでおり、4カ国のクルド人地域を統合してクルド国家を作ることが夢だ。しかし、たとえばクルド人がキルクークの原油を海外輸出してクルド自治区の収入にすることをイランが認めるなら、イランはフセインよりもマリキよりも(マリキの上位にいた)米国よりもましな存在になり、イランのクルド人をけしかけて分離独立運動を煽ったりしないだろう。

 もし私の推察どおり、イランが今回ISISと話をつけた上でモスルが陥落したのであれば、イランはシリアでもISISと何らかの話をつけており、シリア内戦の終結と和解が近いことになる。そうなるとレバノンからシリア、イラクまでの、いわゆる「シーア派の三日月」地域におけるイランの覇権がぐんと強くなる。これは「新ペルシャ帝国」とも言うべきものだ。

 そのすぐ北にはトルコがいるが、トルコはすでに今年初めからイランと協調する国家戦略を打ち出し、敵対を避けている。イラクでのクルド人の独立を避けるため、トルコが北イラクに軍事侵攻する可能性を指摘した記事を見たが、イランがクルドと話をつけてキルクークを与えたのであれば、トルコが北イラクに侵攻するとイランと対立してしまう。トルコでは、プーチン的な長期政権をめざすイスラム主義のエルドアン首相が、反イスラム主義の従来エリート(軍、裁判所、官僚、マスコミなど)と対立し、国内が混乱している。北イラク侵攻は考えにくい。

 トルコは国内が混乱しているからこそ北イラクを侵攻しそうだと、従来の発想で考える人がいるかもしれないが、間違いだ。トルコの従来エリートはトルコ民族主義なので、国内のクルド人のクルド民族主義を同化しようと徹底弾圧した。しかしエルドアンはトルコ民族主義を超越したイスラム主義なので、クルド民族主義を敵視せず、クルド語の教育や放送、政党設立を認めた。トルコのクルド人は、エルドアンに懐柔されて喜んでいる。クルドを敵視しなくなったトルコは、北イラクに侵攻せず、イラクがイランの傘下に入ることを容認するだろう。

 新ペルシャ帝国の隠然とした出現は、サウジアラビアやイスラエルにとっても大きな問題だ。これらのことはあらためて書きたい。



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ