米国が中国を怒らせるほどドルが危なくなる2013年11月28日 田中 宇11月23日に中国が、尖閣諸島周辺を含む東シナ海の公海上を「防空識別圏」に定めたと発表し、2日後の25日には米国が、中国をあなどるかのように、2機の爆撃機を事前通告なしに中国の防空識別圏に侵入させた。米政府は、通常の軍事訓練の一環であり、通常の訓練と同様、どこの国にも事前通告せずに飛行しただけと言っている。しかし、米軍の戦闘機が尖閣上空を飛ぶことは滅多にないと英ガーディアン紙が書いている。 (US warplanes defy Chinese air defence rules with B-52 flyover of disputed area) 防空識別圏は、敵の戦闘機が超高速で侵入してきても、敵機かどうか識別して迎撃体制をとる時間を作れるよう、陸地から12海里しかない領空の外側に幅広く設けるものだ。識別圏は、第二次大戦の勃発時に米国が初めて設定し、冷戦時代に西側の対ソ連の防空体制として米国の同盟諸国が相次いで設定した。単独覇権的な米国が始めた制度なだけに(前の覇権国である英国が、自国に有利な国際規約を細かく作って世界に守らせる戦略だったのと対照的)、防空識別圏について国際的な規定はなく、他国の了解を必要とせず、各国が自由に設定できる。中国が防空識別圏を設定するのは、今回が初めてだ。 (China's ADIZ undermines regional stability) (Air Defense Identification Zone (North America) From Wikipedia) 日本、韓国、台湾は、いずれも軍事面で米国の傘下にあるので、領域的に重複しないかたちで防空識別圏を設定している。対照的に、中国が今回設定した識別圏は、日本、韓国、台湾の識別圏と重複する領域がある。尖閣諸島も識別圏内に入っている。中国は今回、あえて米国や日本と同じ土俵に立って識別圏を設け、しかもそれを日本などと重複するかたちにすることで、国際的な合法性をとりつつ、尖閣諸島に対する領有権の主張を強化した。 (中国が設定した防空識別圏は、韓国が海洋研究施設を置いている離於島暗礁も含んでおり、韓国政府はこの件で中国に抗議した。韓国は近年、中国への接近を強めているが、在韓米軍と韓国軍が中国の領海近くで軍事演習を繰り返しているため、中国は韓国を威嚇する識別圏設定をしたのだろう。韓国自身は自国の防空識別圏に離於島暗礁を含めていない。離於島暗礁は、日本の防空識別圏に入っており、韓国が後から自国の防衛識別圏に入れようとするのを、日本政府は拒否した。離於島暗礁は、干潮時にも海水面の上に陸地が出ないので、どの国も領土権を主張できず、尖閣と趣が異なる問題だ) 識別圏は各国が自国を守るためのものなので、本来、複数の国の防空識別圏が重複すること自体には問題がない。中国は、日本に事前相談せずに防空識別圏を制定したが、日本も以前、台湾に事前相談せず、台湾の識別圏に隣接する与那国島周辺の識別圏を拡大し、台湾側を怒らせている。 (消えゆく中国包囲網) 中国の設定に従うなら、日本の飛行機が自国領空である尖閣諸島の周辺を飛ぶたびに、中国に連絡しなければならない。また、自国の陸地に向かって飛んでくる飛行機は、自国を空爆しようとする敵性戦闘機の可能性があるが、自国の陸地に平行して飛ぶ飛行機は、敵性が低い。中国は今回、この2つの飛び方を区別せず、識別圏設定の対象としたため、日本や米国から、航空路の自由を妨げていると抗議を受けている。日本政府は、識別圏設定に従って中国側に事前通告することにした日航と全日空に、事前通告をやめさせたが、シンガポールやオーストラリアの航空会社は、中国への事前通告をしている。 (US B-52 bombers challenge disputed China air zone) 日本の政府や対米従属派は「中国はけしからん」といいつつ、米軍が初めて中国を威嚇・侮辱するかたちで尖閣諸島の周辺に戦闘機を飛ばしてくれたので、してやったりと、ひそかに驚喜しているはずだ。米政府は尖閣問題について、日中どちらの領土であるか言わず、日中の問題だとして中立な姿勢をとっており、今もその建前は続いているが、その一方で、尖閣は日本政府が実効支配しているので日米安保条約の対象地域であると繰り返し表明してきた。今回はヘーゲル国防長官が一歩踏み込んで、日中が戦争になったら日本に軍事的に味方すると表明し、中国の識別圏設定を非難した。 (US, Japan war of words with China aflame over disputed islands) 日本にとって、中国が尖閣に防衛識別圏を設定したことは、それをだしに日米の軍事同盟を強化できる格好の新材料になった。もともと、中国との対立が激化することを承知で、日本政府が尖閣諸島の土地を国有化した背景に、中国との対立激化が日米同盟の強化につながるという考え方が見え隠れしており、今回の米軍爆撃機の中国識別圏への突入は、その戦略の成果だ。しかし、もう一歩踏み込んで考えると、米国が本気で日本のために中国と対決し続ける気がどこまであるのか疑問が湧き、喜びは不安に転換する。 (尖閣問題と日中米の利害) (尖閣で中国と対立するのは愚策) 中国に対する米国の最大の弱点は、中国が世界の諸国の中で最大の米国債の保有者であることだ。中国は、これまで輸出が経済成長の主導役だったので、元安ドル高を維持するため、輸出代金をドル建てで持つ、つまり米国債を買い増し続けることが必要だった。しかし習近平政権になって、中国は、経済成長の主導役を輸出から内需に切り替える動きを強めている。 (世界経済の構造転換) 輸出主導経済は通貨の安値が国際競争力になるが、内需主導経済は、自国通貨が高い方が国内需要製品の輸入価格を下げられる。中国の中央銀行(人民銀行)は、先日の共産党の重要会議(3中全会)に際し「ドルの外貨備蓄を増やすことは、もはや国益にならない」という趣旨の表明を行った。従来、世界のドル建て資産のほとんどは米国債だが、中国は代わりに海外の鉱山や農地などを外貨で購入し、ドル依存を減らそうとしている。 (PBOC Says No Longer in China's Interest to Increase Reserves) (Has the US dollar Lost its Credibility?) 中国は、米国債の価値を下げない(金利を上昇させない)ようにしつつ売り抜け、自国の保有高が減ったところで米国債の金利が上昇して米国が困窮するよう仕向けたいのでないか。米国の金融市場では「連銀がいつQEを縮小するか」と並んで「中国が米国債を買わなくなるのでないか」が、大きな懸念材料になりつつあると報じられている。 (The other 'taper' that could hit Treasurys) 米国債の観点で見ると、米国が一線を越えて中国を敵視するのは、米国の国益に反している。「一線」とは、中国が米国債を使って米国の覇権を壊そうと決意するまで、中国を追い込んでしまうことだ。米国が、日本のために自国の覇権を崩しても、中国敵視を続けるとは考えられない。日米と中国の対立は、軍事の問題としてのみ語られているが、その行方にとって決定的なのは軍事でなく、米国債や金融相場、経常収支などに象徴される経済だ。世界の覇権動向を語る際によく出てくる言葉として「地政学」(地理政治学)があるが、今や覇権動向は「政治」でなく「経済」が決定的なので「地経学」(geoeconomics)の方が重要になっているとFT紙が書いている。 (Trade trumps missiles in today's global power plays) 政治(軍事外交)で見ると、米国はまだ世界最強だが、経済でみると、米国は巨額の財政赤字と通貨ドルの過剰発行(QE)によって脆弱性が急速に拡大している。にもかかわらず、国際政治を語る権威者の多くが(少なくとも日本では)ドルや債券市場など経済について不勉強で「私は経済について知りません」と言いながら、米国の覇権についてとうとうと語ったりする。 最近は、むしろ金融関係者の方が、地政学や地経学を問題にしている。米国を初めとする世界の金融相場は、米連銀や日銀などが続けるQE(量的緩和策)によって底上げされ、QEが続く限り、他の経済情勢が霞んでいる。その代わり、経済情勢でなく、政治情勢が相場を動かす場面が増えている。今年、米国のVIX(恐怖指数)が最も上昇したのは、2月のイタリア総選挙がユーロ市場を混乱させたときだった。今後、相場に最も影響を与えそうな政治情勢は「尖閣問題」であると、これもFTが「QEばかり見ている奴らは気づかないだろうけど」という感じで書いている。 (QE-blinded investors misprice political risk) 話を中国に戻す。米国の対中戦略は大昔から(意図して)曖昧なところが多く、敵なのか味方なのかわからないようにしている。米国からは来週、バイデン副大統領が中国を訪問し、両国関係について話し合う。米軍機が中国の防空識別圏内をあえて飛行して中国を侮辱しても、中国も米国も、バイデンの訪問を取りやめたりしない。日本政府は中国を拒否しているが、米国はもっと大人な戦略的曖昧さを保持している(米国は対露戦略も戦略的曖昧さがある)。 中国への曖昧な態度が基本である米国は、いつでも尖閣問題で日本の中国敵視につき合うことをやめて、日中間の「公正な仲裁者」を装える。中国は、米国が昔から公正な仲裁者だったかのように振る舞うことを容認するだろう。日本は、はしごを外されうる。日本は、ポーランドやイスラエルと同様に、米国の歓心を買うために曖昧さのない極端な(高リスクな)姿勢をとらざるを得ない「小国」である。「中国はけしからん」ばかり言う人は、自国のリスクを高めていることに気づいていない。 (Joe Biden to visit China and Japan over disputed air zone) 中国の防衛識別圏の制定はタイミング的に、政治外交分野で米国の覇権減退が具現化した、イランと「国際社会(米露中英仏独)」の核問題の協約締結の直後に行われている点が注目に値する。米国は01年の911事件以来、イラク、イラン、アフガニスタン、シリア、北朝鮮といった国々の政権を、武力行使や経済制裁によって転覆する「テロ戦争」「強制民主化」を覇権戦略として持っていた。米国がイランと和解したことは、米国がこの覇権戦略から脱却したことを意味する。 米国の覇権戦略の結果、イラクは武力で政権転覆されたもののシーア派主導の親イラン国家として再生し、米国の国益にマイナスの結果だ。大量破壊兵器を持たないイラクに濡れ衣をかけて侵攻し、50万人のイラク市民を殺したことの犯罪性は大して問われていないが、米国に対する国際信用を崩した。米国はアフガニスタンにも侵攻したが、国家再建できないまま来年撤退する。その後のアフガンは、中露主導の上海協力機構に入り、米国の傘下から離れていくだろう。北朝鮮は、中国の傘下に入って延命している。シリアの内戦は、米国が今夏、空爆策を放棄した結果、主導役がロシアに移り、このほど内戦終結の国際会議の開催にめどがついた。そしてイランも、米国が核兵器開発の濡れ衣を解き、国際社会と協約した。 (中東政治の大転換) これらテロ戦争の対象国のすべてについて、米国の覇権が衰退し、代わりに中国やロシアの影響力(多極型の覇権構造)が増す結果となっている。米政府は、覇権衰退を認知しようとせず、覇権衰退を踏まえた新たな世界戦略を打ち出していない。現実的に考えて、米国はいずれ、中露などが形成する新たな多極型の覇権構造を容認する方向に動くだろう。 (見えてきた中東の新秩序) 中国は、シリアとイランの問題が、米国の覇権が衰退するかたちで相次いで解決されていく今夏以来の流れが、11月24日のイランと国際社会の協約という結果になるのとほぼ同時の11月23日に、尖閣紛争で一歩踏み込む防衛識別圏の設定を行った。中国は、米国の覇権が崩れ、国際社会で自国が台頭していることを踏まえて、防衛識別圏の設定をしている。覇権が陰りつつある米国がどう対応し、対米従属の日本がどう動くかを見る目的もありそうだ。 (China-Japan rearmament is Keynesian stimulus, if it doesn't go horribly wrong) 尖閣問題で日中が武力衝突し、それが米中の戦争に発展するとの見方がある。計算外の突発事件として、それが起きる可能性は確かにある。しかし、これまで正史が「突発事件で始まった」と書いている現代の戦争の多くは、純粋な突発でなく、突発事件のふりをして大国が戦争を起こしたと考えるべきものだ。そこそこの諜報力を持つ国なら、突発事件の発生や拡大を防止できる。突発事件の発生と拡大をあえて容認する策がとられたときに、突発事件による戦争勃発となる。尖閣問題が大戦争になるのは、米国もしくは中国が望んだ時だけだ。 今の米国は、突発的な大戦争を望んでいない。米国に対する影響力が日本よりはるかに強いイスラエルがいろいろ画策したのに、米国はイランと戦争せず、それどころかイスラエルの主張を拒否してイランとの和解を進めている。それを考えると、米国が中国と戦争するとは思えない。米国はこの10年あまり、覇権戦略の失敗によって、中国を強化する結果となっている。中国が強くなり、米国が弱くなった今になって、米国が中国と戦争することはない。米中はすでに経済の分野で、中国が米国債を買わないと金利が高騰してしまう「米国の負け」になっている。 米国は孫文を支援したころから、中国を民主的な経済大国に育てようとする「資本家」的な動きをしていた。中国は今、民主的な国ではないが、経済大国に育ち、中国人の内需が世界経済の牽引役になっていこうとしている。中国に対する米国の資本家的な夢が実現しつつあるときに、米国が中国と戦争し、中国経済を破壊するとは考えにくい。あえてこの時期に中国と戦争することで、覇権の多極化を防ぐという、英国・軍産複合体式の考え方はあるが、米国がそこに進むと、武力の戦争になる前に、中国が米国債の金利を高騰させる「金融大量破壊兵器」を発動するだろう。 中国は今後、世界各国との外交関係において、日本を、台湾やチベットと同列に扱うだろう。世界経済の牽引役になる中国市場に参入したい国、中国から投資や支援を受けたい国は「台湾は中国の一部です」「チベットは中国の一部です」という2カ条に加え「尖閣諸島は中国の領土です」という条文を大声で唱えねばならなくなる。これもFT紙の分析だ。 (Beijing plays a longer game with its air defence zone grab) 台湾は、中国に対抗して世界各地の中小国家を経済支援して外交を保持しようとしてきたが、台頭する中国に負けている。最近は西アフリカのガンビアが、台湾との外交を断絶し、中国側に寝返った。中国の資金力は拡大し、日本の資金力は縮小している。日本は、台湾のように各国から外交を断絶されることはないが、尖閣が中国の領土だと唱える国が増えていくことを看過せざるを得ない。尖閣問題の激化は対米従属の強化が目的なので、米国以外の国がどう考えようが日本政府に関係なく、日本の不利は国内で問題にされないだろうが。
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