イスラム民主主義が始まるエジプト2012年6月25日 田中 宇6月24日、エジプトの選挙管理委員会が、6月16、17日に行われた大統領選挙でムスリム同胞団(自由公正党)のムハンマド・モルシー候補が当選したと発表した。モルシーの得票率は、同胞団が選挙直後に発表した数字とほぼ同じ51・7%だった。ムバラク前大統領の失脚後、エジプトの権力を握る暫定軍政(SCAF)は、ムバラク元側近のアハマド・シャフィクを勝たせる選挙結果を選管に出させる懸念があり、多くの人がカイロのタハリル広場に集まり、選管の発表を待っていた。選管は不正な結果発表をせず、モルシーの当選を認めた。 (Egyptians crowd Tahrir Square calling for end of military rule) (◆エジプトがムバラク時代に戻るかも) 軍政は、モルシーが当選してエジプトの議会と大統領の両方を同胞団が握る可能性が高まったこの2週間に、同胞団の権力を削ぎ、軍政の権力を最大限にする司法クーデターの動きを連発した。モルシーが当選しても、簡単に権力を握れないようになっている。6月13日には、最高憲法裁判所が、今年1月に行われて同胞団(自由公正党)が第一党になった議会選挙について、憲法で決められた制度を守っておらず無効だとする決定を発表し、議会を解散した。最高憲法裁判所は、いまだにムバラク時代の人々が判事をしており、軍政と気脈を通じている。軍政は、1月の議会選挙を推進し、選挙後に裁判所に違憲の決定をさせる政治謀略をやった。そもそもエジプトの三権分立の原則から見て、裁判所に議会を解散する権限がない。だが軍政は同日、議会が解散されたので仕方がないとして、議会が持つ立法権を軍政に移管すると発表した。 (◆エジプトの司法クーデター) 大統領選挙の投票が終わった直後の6月17日には、軍政が、自分たちに認められた憲法への臨時条項追加の権限を活用し、大統領からいくつかの権限を奪って軍政に付与すると宣言した。議会や政府でなく軍自身が防衛予算を決めることや、大統領が軍の許可を得てからでないと他国と戦争できないこと、国内が混乱した場合の治安維持権が軍にあることなどが憲法に追加された。軍政は、土壇場でお手盛りの権力強化をやった。 (Egypt's Military Cements Its Powers as Voting Ends) 同胞団は議会と大統領の選挙を通じ、民主的にエジプトの国権を取得した。だが取得した時点で、すでに軍政に権力を奪われている感じだ。とはいえ、よく考えると、裁判所に議会を解散する権限がない以上、同胞団主導のエジプト議会はまだ権力を持っているはずだし、同胞団の候補が大統領に当選しそうだと見るや軍政が大統領の権限を剥奪する憲法改定を発表したのも、民主主義の原則から見て無効だ。エジプトの議会は、自分たちの解散を認めていない。モルシーは、大統領権限を宣言する軍政の憲法改定について「軍政が勝手に表明したことであり無効だ」と言うだろう(今のところモルシーは沈黙している)。議会が解散していると主張する軍政は、モルシーに、大統領就任の宣誓を最高憲法裁判所で行うよう求めたが、議会の解散を認めないモルシーは、議会で宣誓すると言っている。 (Islamist leader wins Egyptian presidency) タハリル広場に陣取った同胞団の支持者たちは、モルシーが大統領に就任しても、議会の解散が撤回されない限り、広場からどかないと言っている。半面、軍政は、同胞団の支持者が騒乱を起こした場合、非常事態を宣言して民政を制限し、同胞団の幹部たちを逮捕投獄するだろう。軍政は、大統領選挙の結果発表を1週間引き延ばし「選管はシャフィクの当選を発表する」という情報をマスコミに流して報道させ、同胞団の支持者を怒らせて騒乱を扇動しようとした。ムバラク前大統領が死んだという未確認情報も流された(実際は植物人間のようだ)。軍政と同胞団の権力争いは、大衆を巻き込んだ心理戦として展開している。その裏で、軍政と同胞団の幹部の秘密交渉も行われているだろう。 (No Results in Sight, Egyptians Wait and Protest) (`Egypt army to announce Shafiq winner') ▼同胞団の政権を容認する米イスラエル 軍政と同胞団の権力争いは、しばらく続きそうだ。「不安定な状態が5年以上続くだろう」という予測も出ている。だが私は、不安定がそれほど続かないと思っている。「不安定な状態」をどう定義するかにもよるが、意外な展開(エジプトとイスラエルの戦争など)がない限り、数カ月以内に事態が安定すると現時点で予測している。 (Morsi facing huge challenge to heal rifts) 私がエジプトの早期安定を予測する理由は、エジプトが同胞団の政権になることを、米国もイスラエルも容認しているからだ。米国の国防総省は、エジプトで大統領選挙の投票後に軍政が憲法改定で大統領権限を剥奪したのに対し「われわれは、憲法改定の宣言がなされたことを懸念している。軍政が、民主的に選出された文民政府に、すみやかに全権力を移譲することを希望する」と発表した。米政府は、親米的なエジプト軍が権力を握り続けるのでなく、イスラム主義であってもエジプトに民主的な政府ができることの方を望んでいる。 (Islamists and old guard at loggerheads) 米政府が同胞団の政権を望むはずがなく、民主化擁護は建前だけだ、と思う人もいるだろう。そういう人は、オバマ政権が昨年2月、ムバラク大統領とエジプト軍部に対し「民主化要求を弾圧するな」と言い、それがムバラク失脚の決定的な引き金になったことを思い出すべきだ。米政府はブッシュ前政権以来、どんな結果になろうが中東の民主化を支持する姿勢で一貫している。 (やがてイスラム主義の国になるエジプト) 私は、米国だけでなくイスラエルも、エジプトの軍政が権力の座に固執して事態が混乱するよりも、同胞団の政権できて事態が安定する方を望んでいると分析している。イスラエル中枢では、以前から右派と中道派が暗闘している。右派は、米国のネオコンやタカ派と一心同体で「軍産複合体」の一部であり、イランやスンニ過激派との戦争を望んでいる。彼らは事実上「イスラエルが国家消滅してもかまわないから戦争したい」という姿勢だ(だから私は、イスラエル右派やネオコンが、親イスラエルのふりをした反イスラエルだと考えている)。 (Israel's Sinai catastrophe) イスラエルのネタニヤフ首相は右派出身だが、右派の望み通りにやっていると国家滅亡なので、近年、米国が中東から出ていく動きをとる中で、入植地の拡大阻止など中道的な姿勢を強めている。米イスラエルの右派は、エジプトの不安定が続き、エジプトとイスラエルが隣接するシナイ半島で、ガザから出てきたイスラム過激派がイスラエルに攻撃を仕掛け、それが両国間の戦争になることを望んでいるようだ。すでに国境沿いで爆破テロが起き、イスラエル軍はエジプトとの和平条約で禁止されていた戦車部隊の国境配備に30年ぶりに踏み切った。 (IDF deploys tanks near Egypt border, in violation of peace treaty) イスラエル右派はシナイ半島を再占領すべきだと言い出しているが、イスラエルにシナイを占領されることは、国内に有事体制を敷いて軍政の権力を温存できるので、エジプト軍政にとっても都合が良い。「イスラム過激派」が国境で爆破テロをやり、イスラエル右派はエジプトを非難し、エジプト軍政は国内マスコミに「同胞団の仕業だ。やつらは過激派だ」と書かせて同胞団非難に使う事態になっている。しかしイスラエルは、右派の策略に引っ張られると亡国の危機に瀕するので、イスラエルを何とか存続させたい中道派は、むしろエジプトとの緊張を緩和したい。ネタニヤフらは、軍政が権力に固執するより、同胞団が政権をとってイスラエルとの和平条約を維持してくれることを望んでいる。 (Mixed messages from Israel as Islamist Morsi wins Egypt presidency) (イスラエルと共存するムスリム同胞団) エジプトの政治は闇の部分が大きい。軍政は権力を手放さず、同胞団との暗闘がこの先何年も続き、イスラエルとの関係も悪化するかもしれない。しかし、もし軍政がそれほど粘らなかった場合、次の課題は、同胞団が、イスラム主義政治への固執を乗り越えて、キリスト教徒やリベラル派など少数諸派の要望や権利を認めるかどうか、エジプト経済を立て直せるかどうか、女性の権利を抑圧したり、アルコールの一斉禁止をやるのかどうか、といった点になる。少数派の権利をどう擁護するかは、エジプトだけでなくすべてのイスラム諸国の民主化の重要点だ。イスラム主義の政治を掲げる国の中で、この点について比較的よく考えられているのは、シーア派のイスラム共和国であるイランだ。アラブ諸国の中で、民主主義に沿って動いてきたのはレバノンぐらいしかないが、レバノンも内戦続きで不安定だ。同胞団政権がエジプトを安定させられれば、それはアラブ史上画期的なことだ。 (How will the Muslim Brotherhood govern Egypt?) ▼同胞団にパレスチナ和平を期待するイスラエル エジプトが同胞団政権で安定し、イスラエルとの関係を何とか維持できた場合、次に進みそうなのが「パレスチナ和平」だ。ガザを統治するハマスはもともと同胞団のパレスチナ支部であり、同胞団が政権をとってまずやりたいことは、ガザの状況の改善である。その一つの簡単なやり方は、閉まっているガザとエジプトの間の国境を開放し、ガザの人々をエジプト国民として迎え入れることだ。イスラエルのシャロン政権は05年にこれを試みたが、ムバラク政権のエジプトに拒否されている。 (イスラム過激派を強化したブッシュの戦略) このやり方は「ガザと西岸に独立国家を作る」という「パレスチナの大義」を実現しない。同胞団の目標は、パレスチナの大義の実現である。だからガザの国境開放の前に、07年以来、米イスラエルの謀略に引っかかって対立している、ガザのハマスと西岸のファタハ(パレスチナ自治政府)との和解をエジプトが仲裁し、連立政権を作るとともに、エジプトの仲裁でイスラエルとパレスチナの和平交渉を再開し、パレスチナ国家の創設を進める必要がある。 (Hamas: Morsi victory in Egypt will help Palestinian cause) イスラエルは、90年代後半以来、米国の中東政策を乗っ取って、米軍をイスラエルの衛兵として使う戦略だったので、パレスチナ和平を進めず、むしろパレスチナ人を「テロリスト」に仕立て、米国の敵にすることにいそしんだ。しかしイラク占領の失敗後、米国は中東から出ていく方向に転じ、イスラエルは孤立し始めるとともに、米国から渡ってきた過激策を好む右派が占領地を席巻している。このような中、イスラエル国家を何とか存続したい中道派は、エジプトに同胞団の政権ができ、分裂しているパレスチナ側をまとめて交渉相手を作ってくれて、パレスチナ和平が進み、自国周辺の緊張緩和と右派排除につなげられることを、ひそかに喜んでいるはずだ。 米国からも、この流れに同調する言動が出ている。米政府の外交政策を検討する「奥の院」であるロックフェラー系の「外交問題評議会(CFR)」のリチャード・ハース会長が、先日イスラエルの会議に出席し「パレスチナの和平交渉で米国が支配的だった時代は終わりつつある。今年の米大統領選挙で、中東の案件は、イラン問題しか争点になっていない。誰が米次期大統領になっても、米国内の問題に忙殺される。和平交渉では、米国の支配が弱くなり、イスラエルとパレスチナ人自身の責任が重くなる」と語った。 (Ex-U.S. official: American dominance over Mideast peace process is ending) オバマ政権は就任以来、本気でパレスチナ和平に取り組んだことがない。今秋の大統領選挙で、親イスラエルを声高に自認するロムニーが当選したとしても、ロムニーはイスラエルにイラン空爆など右派的な過激策を勧めるばかりで、パレスチナ和平の仲裁をやらず、ブッシュ前政権と同様、イスラエルが独自に和平を進めようとしたら妨害するだろう。イスラエルが国家存続するには、米国に頼らず、同胞団政権になって対米従属を脱するエジプトに仲裁してもらってパレスチナ和平を進めるのが良い。CFRのハースの発言は、そうした流れに合致している。 パレスチナ側は、和平が再開されない場合、国連総会でパレスチナを、スイスなどと同格の「国連非加盟の国家」として承認してもらうと言っている。パレスチナは昨年、国連加盟を申請したが、加盟には安保理の決議が必要で、米国などの反対で断られている。一方、非加盟国家の承認は、総会の多数決だけで決まる。パレスチナは、国連から国家として承認されたら、違法入植地問題や占領地での人権侵害について国際刑事裁判所にイスラエルを提訴する予定だ(提訴権は国家にしかない)。裁判所の判決しだいで、イスラエルは「犯罪国家」に成り下がる。 (Abbas Warns: We'll Go to UN General Assembly) こうした道を回避するにも、イスラエルはパレスチナ和平を再開するしかない。エジプトの政情が早めに安定するほど、パレスチナ和平の再開も早めに行われるだろう。パレスチナ和平交渉は2002年以来、米国、EU、ロシア、国連の4者で作られる「カルテット」が仲裁し、今後もその体制で行われるだろうが、今後もし和平が進むとすれば、その裏にエジプトの仲裁があるはずだ。イスラエルがパレスチナ和平に応じる限り、エジプトはイスラエルとの国交を断絶しないだろう。 ▼イスラエル訪問を熱望するプーチンの策略 米国でなくエジプトの仲裁でパレスチナ問題を解決していくことは、イスラエルにとって、米国に取り付いて国家存続する従来戦略を放棄することを意味する。イラク侵攻後、米国の中東支配が陰っているのだから、これは自然な流れであり、世界の多極化にイスラエルが対応していく動きでもある。イスラエルの多極化対応については以前、中国との関係で記事を書いた。 (◆多極化に呼応するイスラエルのガス外交) CFRのハースが「もう米国は中東和平の仲裁をしませんよ」と言いに来たのと入れ替わりに、今週、ロシアのプーチン大統領がイスラエルを訪問する。イスラエル訪問は、プーチンの強い希望だった。プーチンは5月に大統領に再就任した後、フランス、ドイツ、中国を訪問し、その次がイスラエルだ。急いでイスラエルに来る感じだ。イスラエルが米国に取り付くのをあきらめ、多極型世界に対応した動きを模索していると考えれば、多極型世界の創設に熱心なプーチンが、覇権運営に関与する術に熟達しているイスラエルを、この時期に早く訪れたいと思うのは当然でもある。 (In Israel, no one is sure how to enlist Putin in the fight against Iran) プーチンのロシアは、イランとシリアの問題に深く関与し、米国がイランやシリアを政権転覆することを防いでいる。イスラエルは、イランとシリアの問題について、表向き米国と同一歩調で両国の政権転覆を支持している。だが、実際のところ、イスラエル政府は米国に命じられてイランを空爆するのを嫌がっている。シリアのアサド政権が転覆されてイスラム過激派の政権ができることも、イスラエルにとって周辺事態の悪化を意味し、マイナスだ。 (When Putin meets Netanyahu) プーチンはイスラエル沖のガス田開発に自国のガスプロムを参加させてくれと言うかもしれず、その場合ネタニヤフは了承するだろう。ロシアは米軍に対抗するため、無人戦闘機の技術を開発したいが、イスラエルは世界有数の無人飛行機技術を持っている(米国との関係上、簡単にロシアに渡せないが)。ロシアはカルテットの一員なので、パレスチナ和平の仲裁役でもある。パレスチナ和平が進むとしたら、その後はイスラエルとイラン、シリアの和解が、ロシアの仲裁によって進むかもしれない。イスラエルが国家存続するには、仇敵のはずのイランと和解するしかないからだ。
田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |