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エジプトの司法クーデター

2012年6月17日   田中 宇

 エジプトでは、大統領選挙の決選投票が6月16−17日に行われている最中だ。18日には結果がわかるだろう。決選投票では、ムスリム同胞団(自由公正党)のムハンマド・モルシーと、ムバラク前政権の首相だった暫定軍政寄りのアハマド・シャフィクとが争っているが、モルシーが優勢だ。 (◆エジプトがムバラク時代に戻るかも

 5月23−24日の一回目の投票で、モルシーらイスラム主義系の候補たちが全体で約半分を得票した一方、シャフィクら軍政支持の候補者たちは全体で3割しか得票していない。米国の大学の研究者は、公正な選挙が行われればモルシーが勝つはずだと言っている。モルシーが勝つと、エジプトの権力は、議会と行政府の両方がムスリム同胞団に握られて「同胞団のエジプト」が出現する。 (Egypt: Presidential Second Round 'The Worst Possible Scenario'

 ところが、投票日まで3日に迫った6月13日、エジプトの最高憲法裁判所が、議会の解散を宣言した。憲法裁判所の長官はムバラク時代に任命された人(Farouq Sultan)で、軍政と結託し、軍政に有利な決定を下したと考えられている。米国の外交政策に大きな影響力を持つ外交問題評議会(CFR)の研究者が、エジプトの憲法裁判所は中立でなく、軍政寄りだと明言している。 (Analysts: 'Soft coup' court ruling could reignite Egyptian revolution

 1971年に制定されたエジプトの現憲法では、議会の総議席の3分の2を政党政治家に、3分の1を無所属の政治家に与えると定めている。ムバラク失脚後、ムバラクの政党(国民民主党)は解散させられたが、元同党員が無所属で立候補することが可能だった。この抜け穴をふさぐため、ムスリム同胞団などが、議会の無所属枠を廃止するよう軍政に求め、軍政もそれを認めた結果、今年1月の議会選挙は無所属枠を設けずに行われた。憲法裁判所は今回、無所属枠を廃止したのは違憲だと決定し、議会選挙は無効なので議会は解散すべきと判断した。議会の議席の7割は、同胞団などイスラム主義勢力で占められている。同胞団の台頭を嫌う軍政は、いったん同胞団の要求を容れて議会選挙を実施した後、憲法裁判所に違憲判決を出させ、選挙を無効にする策を行ったと考えられる。 (Brotherhood says Egypt revolution 'overturned'

 憲法裁判所は、議会選挙を無効としたため、今期の議会が定めた法律や取り決めを無効にした。その一つは、ムバラク時代の高官の被選挙権を剥奪する法律で、この法律が有効だと元首相のシャフィクは立候補できなくなる。裁判所は、この法律を無効とし、シャフィクの立候補を認定した。もう一つは、議会が先週決定した憲法改定百人委員会の設置決定について、裁判所が無効と判定した。憲法は、どの機関が権力を持つか、イスラム教の法体系をどの程度認めるかといった重要事項を定める。誰が改憲委員会を主導するかが非常に重要だ。

 エジプトでは、ムバラクの独裁を支えていた憲法を改定する必要が説かれ、議会が改憲委員会を作って改定を進めることになったが、イスラム主義が議会を席巻しているため、新憲法がイスラム教徒以外を差別する内容になると懸念されて紛糾し、改憲委員会の設立が遅れていた。同胞団が譲歩して改憲委員会の議席の25%しか占めないことになり、ようやく改憲委員会の陣容が定まったところで、憲法委員会が議会解散を決定し、改憲委員会も無効にされた。 (Egyptians End Impasse on Who Will Draft Charter

 憲法裁判所が議会の解散を決めたのを受け、軍政はその日のうちに、新たな議会が選出されるまで、議会が持っていた立法権を軍政が持つことを宣言し、改憲委員会の陣容もいったん白紙に戻り、新たに軍政が決定すると発表した。今回の裁判所の決定によって、軍政は、議会の解散、立法権の奪取、仲間であるシャフィクの立候補認定、改憲委員会を好きなように選出する権限など、多くの権力を同胞団から剥奪して掌握した。同胞団やリベラル派などが、これは軍によるソフトなクーデターだと指摘している。 (Motivated by fear not hope, a polarized Egypt heads to the polls

 エジプトでは、ムバラク政権時代から30年間続いた戒厳令が、5月末に期限切れでようやく失効した。だが6月13日、憲法裁判所が議会の解散決定を発表した直後、軍政は、軍警察や軍諜報機関が裁判所の令状なしに国民を逮捕拘束し、民生裁判所でなく軍事法廷で裁くことを認める、失効したばかりの戒厳令とほぼ同じ新政策を発表した。エジプト軍政は、ムバラク追放後に行われた民主化や政治自由化の施策を次々に無効にしていき、エジプトをムバラク時代に逆戻りさせようとしている。 (Egypt back to square one?

 軍政や官僚組織など、非民主的な権力機構が、議会や内閣など民主的に権力を持とうとする勢力を潰すため、裁判所など司法の場を、法的な判断から逸脱して政治的に利用することは、他の国々でも行われている。日本では、09年秋に小沢一郎ら民主党が政権をとり、官僚機構から権力を剥奪する事実上の「民主化」を進めようとしたところ、司法組織が検察審査会などを動員し、小沢一郎に針小棒大の嫌疑をかけ続けている。

 東南アジアのタイでは、前代未聞の人気ある政治家のタクシン・チナワットが、再選後、王室軍部の事実上の独裁を終わらせ、議会に権力を移転させる試みを始めたところ、裁判所など司法界がタクシンに汚職の罪をかけ、市民を巻き込んだ政争となった。妹の政権になってタクシンは優勢になり、亡命先から帰国するための政治的準備が行われている。「司法判断は政治的に中立だ」という建前論は、現実からかけ離れている。 (民主化するタイ、しない日本

▼裁判所は議会を解散できない

 1950年代のナセル政権以来、エジプトは軍政が60年続いてきた。ナセル、サダト、ムバラクと3代の大統領はいずれも軍人だ。ムバラク追放後も暫定軍政が続き、軍が権力を握る構図は変わっていない。今年に入って議会と大統領の選挙が行われ、軍が推挙する政治勢力が少数派になる流れが続き、60年ぶりにエジプトで民主政治が始まろうとしている。しかしその矢先、大統領が決まる直前になって、軍が本性を現し、民主化を阻止する動きに出た。同胞団のモルシーが大統領に当選したら、軍は権力を渡さないだろう。軍政は裁判所を使って議会を潰し、立法権の奪取を宣言した。行政府の中も、大統領と別に軍政が存続し、軍政は大統領を権力の弱い状態に置こうとするだろう。 (On Eve of Vote, Egypt's Military Extends Its Power

 万事休すだ、と思いきや、当の議会やモルシー、同胞団は、意外と落ち着いた、余裕のある対応をしている。同胞団やモルシーは、反政府デモを呼びかけず、それよりも大統領の決選投票の日に投票所に行ってくれと国民に呼びかけている。議会は、憲法裁判所に議会を解散する権限がないと主張している。エジプトの現行憲法は、国家のどの機関に対しても議会を解散する権限を与えていない。

 憲法裁判所は、議会が可決した法律を違憲だと判断することができても、議会そのものに無効の烙印を押して解散させることができない。憲法裁判所はこれまで、ムバラク時代を含めて3回、議会を解散させる決定を下したことがあるが、いずれの時にも、議会は憲法裁判所に議会の解散権がないと主張し、裁判所の決定を却下して、議会をそのまま存続させている。だから議会は、今回の決定も、法的な判断でなく政治的な動きでしかないと言っている。議会は今週末、来週も予定通りの議事をこなしつつ存続すると発表した。議会は、解散命令を受け取っていないと言っている。 (Egypt's Brotherhood says parliament not notified of dissolving

 同胞団は、裁判所が議会の法制を無効と宣言し、大統領選へのシャフィクの立候補を認めたことに関し、現実として認めると発表した。同胞団は、シャフィクが対抗馬になっても、自派の大統領候補であるモルシーが勝つと考えているのだろう。またモルシーは、テレビの取材に対し「憲法裁判所を国家機関として尊重している」と表明した。だがその一方でモルシーは「私は三権分立も尊重している。憲法裁判所の決定によって議会が解散することはない」とも言っている。つまりモルシーは、議会の解散を決定した憲法裁判所を国家機関として尊重するが、三権分立の原則がある以上、裁判所は議会を解散できず、裁判所の決定は勝手に言っているだけだと主張している。 (The Muslim Brotherhood needs a new strategy

 モルシーは同時に「私は軍を愛している。軍が一定の権限を持ち続けたいと求めていることについて重く受け止めている」という、軍をなだめすかし、すり寄るような発言も行っている。これはモルシーら同胞団が、モルシーの大統領当選後、同胞団主導の議会も解散を拒んだまま、軍政との間で交渉や政争を展開し、軍に防衛費などの面で自治権を与えて権力を同胞団の側に移譲させる戦略と考えられる。軍政は昨年11月、防衛費が議会や政府の意志に関係なく決められるべきだと宣言している。このあたりが軍の最低線の要求だろう。 (Egypt's Brotherhood pins hopes on presidency

 選挙でシャフィクが勝った場合、軍政が選挙不正を行ったという指摘が国際的に行われるだろう。米政府はエジプトに「民主化を逆行させてはならない」と言っている。これは米国がエジプト軍政に対し、選挙不正をするなと言っている意味に取れる。モルシーが勝っても、軍政が同胞団との交渉や譲歩を拒んで全権を保持し続けようとすると、デモや騒乱がひどくなり、エジプトは混乱する。同胞団と軍との交渉や暗闘、騙し合いが長く続く可能性も大きい。



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