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変容する中東政治(2)

2009年4月9日   田中 宇

この記事は「変容する中東政治」 <URL> の続きです。

 前回の記事で、米国のオバマ大統領がイスラム世界に対して仲直りを呼びかる演説を4月6日にトルコで発したことなど、イスラム世界におけるトルコの地位を米国が押し上げてやっていることを書いた。だが、なぜ米国がトルコを応援する必要があるのかは、今一つ私にも説明がつかなかった。

 オバマのトルコでの演説について書いたイスラエルの新聞ハアレツの4月7日の解説記事が、この点について説明している。オバマ政権は、ブッシュが失敗したイラク占領の後片づけをせねばならないが、イラク占領は米国と世界の人々に評判が悪いので、できるだけ問題を回避して早く終わらせたい。オバマは同時に、外交戦略で得点をあげようとアフガニスタンの再建に注力し、イラクからアフガンへの転戦を進めている。そして、その一環として、イラクと国境を接するトルコに協力してもらい、米軍が減員した後のイラクの安定を維持しようとしている。 (Obama speech in Turkey heralds end of 'axis of evil' era

 前回の記事で、トルコのギュル大統領が3月、トルコの首脳として33年ぶりにイラクを訪問したことを紹介したが、米国がイラクからの安全な撤退を実現するためにトルコに協力を頼んでいると考えると、なぜギュルがオバマのトルコ訪問前にイラクに行ったのかも、容易に説明がつく。半面、クルド人がまたもや欧米に裏切られたことも浮き彫りになる。 (米軍イラク撤退の中東波乱

 トルコは、イスラム世界の盟主だったオスマン帝国政権が第一次大戦に参戦して負けて崩壊した後、それまで政治の中心に位置していたイスラムの要素を全て放棄して「欧州化=近代化」することを目指す「ケマル主義」(建国の父ケマルパシャにちなむ)のトルコ共和国に変身した。しかし欧州人は意地悪でトルコに冷たく、隣のキリスト教のギリシャは簡単にEUに入れてもらえたが、トルコは入れない。「イスラム教徒とキリスト(+ユダヤ)教徒の戦い」を展開したブッシュ政権の米国は、欧米化とイスラムの間で揺れるトルコを、ことさらイスラムの側に突き落とそうと画策した。

 オバマによるトルコへの再接近は、このブッシュの「イスラムとの戦い」を否定するものとなっている。トルコは、第一次大戦の前後の混乱期に、帝国内に住んでいるアルメニア人(キリスト教徒)を虐殺したと非難されているが、この問題は、日本が抱える「南京大虐殺」や、ドイツが抱える「ホローコスト」と同様、戦争に負けた国が、戦時中の行為に関する残虐性を、戦勝国のマスコミが戦時プロパガンダとして誇張して報道したままに、丸ごと「史実」として認めさせられている事案である。 (US-Turkey Relations Set to Worsen Over Iraq and Armenian 'Genocide'

 トルコの「アルメニア人虐殺」に対する糾弾は、米国に移住したアルメニア系勢力が、ホロコーストを誇張する在米イスラエル系勢力の誇張の手法をそっくり真似て展開している。ブッシュ政権時代の米政界は、アルメニア人虐殺問題を好んで取り上げ、トルコを「反米イスラム主義」の方向に突き落とそうとした。しかし今回トルコを訪問したオバマは、この問題に対する言及を避け、政府の意を受けたのか、米国のマスコミも、最近のトルコとアルメニアの関係改善を積極的に報道している。 (Turkey, Armenia Ties Improve

▼「悪の枢軸」戦略の終わり

 米軍がイラクからうまく脱出するためにトルコの協力が必要なので、オバマ政権が親トルコ的な態度をとっているのだとしたら、同じ説明が、米国とイランとの関係改善にも当てはまる。今のイラク政府を主導するのは、イラク国民の6割を占めるシーア派であり、同じくシーア派主導であるイランとのつながりは、表に出ているよりはるかに強い。

 前回の記事に書いたとおり、シーア派には秘密保持を重視する密教的な要素がある。イスラムでは政治と宗教は一体のものだから、イラクとイランは、表にはアラブとペルシャというナショナリズム的な違いを出しつつ、裏ではシーア派どうしの緊密な関係を持つと考えられる。米国がイラクから撤退するには、イランの協力が不可欠である。

 オバマのトルコ訪問を報じた前出のハアレツの記事のタイトルは「トルコでのオバマの演説は『悪の枢軸』の時代の終わりを予兆した」というものだ。ニューヨークタイムスの記事も、同様の論調で「オバマは、テロリストは敵視するが、独裁者については非難せず、世界民主化を掲げたブッシュと対照的だ。アルカイダは潰すべき対象だが、イラン、北朝鮮、キューバは、熱心に相手にすべき対象となった」と書いている。 (Outlines of an Obama Grand Strategy Emerge By DAVID E. SANGER

(皮肉にも、この記事を書いたのは、かつてイラクやイラン、北朝鮮の大量破壊兵器開発について誇張歪曲された記事をさかんに書きまくり、米政府の悪の枢軸キャンペーンの一翼を担ったデビッド・サンジャー記者だ。ニューヨークタイムスは経営難で、いずれ潰れるだろうが、当然の報いだ) (New York Times Sells Asset

 濡れ衣的な「悪の枢軸」の戦略が終わりつつあるとしたら、北朝鮮が最近やたらに大騒ぎしていることの説明もつく。米国が北朝鮮を武力で潰す戦略を放棄するのなら、その後の米国は北朝鮮とどんな関係を結ぶのか。金正日は、緊張関係を目いっぱい高めることで、それを探ろうとしている。

 そして、その答えはすでに半分出ている。ネオコンのジョン・ボルトン(ブッシュ政権で中道派のパウエル国務長官を監視する副長官だった)は最近「オバマ政権は北朝鮮に譲歩するだろう」「米国は以前(ブッシュ政権の後半)から、北朝鮮には無意味な譲歩ばかりしており、その姿勢はオバマも変わらない」と書いている。 (John Bolton: Obama's NK Reaction: More Talks

 北朝鮮のロケット発射については、中国、ロシア、韓国が「発射したのはミサイルではなく人工衛星」と表明し、米政権中枢からも同様の分析が発せられている。米政府は日本とともに、国連安保理で北のロケット発射を問題にしたが、常任理事国の中国とロシアは「平和利用の人工衛星の打ち上げなのだから、何の問題もない」と突っぱねている(米政府は、人工衛星だったとしても、弾道ミサイルの技術を使って打ち上げたのだから、安保理で問題にすべきだと言っている)。 (China warns US over N.Korea launch

 国連安保理では、07年初めに米英主導の対ミャンマー制裁を中露が結束して潰して以来、中露が結束して突っぱねた案件は通らない状況が確定している。今回の北朝鮮問題でも、中露は結束しており、米国は譲歩するだろう。日本が強硬姿勢を貫くと、絶対の国是である「対米従属」から離脱するので、日本政府もいやいやながら黙るだろう。そもそも北朝鮮は、核兵器を持っているかどうか怪しい。口だけかもしれないし、06年秋の「核実験」も火薬を地下で爆破させた演出かもしれないとも疑われる。米国が北朝鮮に対して譲歩するのは、報じられているほど危険なことではない。 (人権外交の終わり) (実は悪くなかった「悪の枢軸」

▼パレスチナ人を守るオスマントルコの登記簿

 中東では、オバマの態度軟化を見て、パレスチナのイスラム主義勢力ハマスが、エジプトの仲裁によるパレスチナ親米派のファタハとの和解交渉に参加しなくなった。ハマスはシリアやイランの傘下にあるが、オバマはシリアやイランに対する敵視をやめたので、ハマスにかかっていた圧力が減った。オバマの譲歩姿勢は、東アジアでは北朝鮮を、中東ではハマスをはじめとする反米勢力を強気にさせ、その半面で、米国の覇権にぶら下がってきた日本やイスラエルを困らせている。 (Hamas aborts Palestinian unity talks, empowered by US courtship of its Syrian sponsor

 これまでイスラエルの味方をすることが多かったトルコも、イスラエルを見限る傾向を強めている。中東和平案でイスラエルとパレスチナの両方の首都になる予定のエルサレムでは、イスラエル側が、パレスチナ人の土地を奪って自分たちの領分を拡大しようと画策しているが、その案件でトルコが絡む新たな動きがあった。

 イスラエル側(スファラディ・ユダヤ人協会)は、エルサレム旧市街近くのシェイク・ジャラ(Sheikh Jarrah)地区の、500人のパレスチナ人が住む区画について、19世紀に当時のパレスチナ人地主から土地を買ったと主張し、昨年からパレスチナ人に立ち退きを求めた。パレスチナ人側は「売却などしていないはずだ」と主張し、パレスチナがまだオスマントルコの支配下にあった当時の土地登記簿を見ようと、弁護士がトルコ政府にかけあったが、昨年の時点ではまだトルコが親イスラエルだったため、断られた。

 ところが今年1月、イスラエルがガザに侵攻してトルコの世論が反イスラエルに傾くのと同期して、トルコ政府はパレスチナ人の弁護士に当時の登記簿を閲覧させる方針転換を行った。その結果、ユダヤ人協会の主張はウソであることがわかり、パレスチナ人は土地を守れそうな展開になっている。イスラエル側は、他の町でも、パレスチナ人の地主から土地を買ったという契約書を偽造して、パレスチナ人の土地を奪おうとしたことが発覚している。 (Turkey's Fallout With Israel Deals Blow to Settlers

 イスラエルは、全方位的に不利になっている。政治面での不利が目立つが、最も重要なのは、実は経済である。世界不況と、世界各国からしだいに強く受けるようになっているボイコット(経済制裁)の影響で輸出が減り、失業や倒産が増え、国家も企業も家計も赤字が増すなど、イスラエルは今、建国以来の経済危機にある。1月のガザ侵攻後、イスラエルの輸出企業はボイコットを受け、製品を売りにくくなっている。 (Netanyahu: Israel facing dire financial crisis) (ECONOMIC BLUES HOVERING OVER ISRAEL

 イスラエルにとって米国からの公的・私的な経済支援は財政の重要な柱だった。米議会に対するイスラエルの影響力はまだ大きいので、米国からイスラエルへの公的支援は満額が可決されそうだ。しかし米国のユダヤ系投資家などからの私的な経済援助は、金融危機の影響で急減していると推測できる。イスラエルの新政権では、ネタニヤフ首相自らが財政戦略を練り、世界のどこから金を引っ張ってくるか検討しているが、先行きは厳しい。 (US Senate moves to fully fund Israel aid) (Netanyahu Sworn in as Israeli PM

(おそらくイスラエルは従来、諜報機関モサドが集めてきた経済分野の外国の機密情報を、米英のユダヤ人資本家に流して儲けさせ、見返りに儲けの一部をイスラエルに寄付させてきたのだろう。だが昨今の金融危機と世界不況で、儲けは急速に減っている)

▼アラファトの死の謎解きも再開

 イスラエルでは倒産企業の元従業員や解雇された人々が、工場に立て籠もったり、自社店舗の在庫品を略奪したりする事件が相次ぎ、社会不安も増大している。 (In Israel, recession pressures boil over into looting

 加えて、イスラエルの右派勢力は、国民の15%を占めるアラブ系住民(イスラエル国籍のパレスチナ人)が多く住む町で、敵対的な反アラブのデモ行進を行って、対立や暴動を扇動している。また、右派の入植者集団の中には、西岸の自分たちの入植地のまわりに意図的にフェンスを作らず、周辺に住むパレスチナ人が襲撃してきやすい環境を醸し出し、襲撃してきたら倍返しで復讐する者もおり、イスラエル全体で内乱が扇動されている。 (Israel fears Jewish extremists will avenge settlement murder

 国連人権委員会では、イスラエルがガザ侵攻でパレスチナ人に対する戦争犯罪をおかした疑いがあるとして、捜査が開始されている。捜査官には、もともと反イスラエル的な姿勢がある米国人(Richard Falk、プリンストン大学名誉教授)が選ばれており、イスラエルは捜査官のガザ入境を認めず、国境で拘束したりした。これは、捜査官がイスラエル敵視を強める結果しか生んでいない。しかも、これまで国連人権委員会が「反イスラエル的」だとして参加を拒否してきた米国が、ここにきて再参加を表明するという「隠れ反イスラエル」的な行動をしており、事態はイスラエルに不利になっている。 (UN envoy Falk: Gaza op seems to be war crime of greatest magnitude) (US to Join UN Human Rights Council, Reversing Bush Policy

 最近では、ニューヨークタイムスなど米国のマスコミでも、イスラエルのガザ侵攻を正面から批判する記事が載るようになり、これまでイスラエル批判を避けてきた米国のマスコミの姿勢も変化している。 (ISRAEL ON TRIAL) (ガザ戦争で逆転する善悪

 アラブ側は、イスラエルが不利になっている好機を利用して、かねてから「イスラエルが殺したのではないか」と言われてきた2004年のアラファトPLO議長の死について、改めて真相究明することを決め、アルジェリア、エジプト、パレスチナなどの医師が調査団を結成し、当時の診断書や聞き取りによる調査を行うことになった。アラファトの本当の死因が何であれ「イスラエルのモサドが毒殺した」という結論が政治的に導き出される可能性がある。 (Doctors to reopen Yasser Arafat death investigation) (アラファトの「死」

▼オバマの「核兵器廃絶」は隠れ反イスラエル

 パレスチナ問題では、米国とイスラエルとの方針の食い違いが明確化している。イスラエルのネタニヤフ新政権の外相となった極右政治家のアビグドール・リーバーマンは就任早々の4月3日、米国のパレスチナ和平の基本方針である07年11月の「アナポリス合意」(パレスチナ国家の創設、エルサレム分割など)を否定し、パレスチナ国家の創設による中東和平はうまくいかないと宣言した。下野した前指導者であるリブニ前外相は「リーバーマンは、わが国の20年間の和平の努力を、20秒の発言で全部壊した」と批判した。 (Editorial: Israel will pay heavy price for Lieberman's mistakes) (Livni: Lieberman Wiped Out Years of Peace Efforts in 20 Seconds

 リーバーマンの宣言の4日後、オバマ大統領はアンカラでの演説で、中東和平はパレスチナ国家の創設によって実現すると述べ、アナポリス合意を今後も米国の中東和平の基本戦略とすると表明した。 (ANALYSIS / Obama saying Israel still bound to two-state solution

 米政界では、オバマが率いる大統領府(ホワイトハウス)が反イスラエル色を強めているのに対し、米議会は依然として親イスラエル色が強いので、ネタニヤフはオバマを相手にせず、直接に米議会に政治圧力を加え、米議会を動かしてオバマを妨害しようとしている。対抗してオバマは議会に対し、ネタニヤフの言うことを聞かないよう、働きかけている。イスラエルは軍産複合体とも結託しているから、オバマはやり方を間違えるとケネディのように殺されうる。 (Obama team readying for confrontation with Netanyahu

 オバマは今回の欧州歴訪で「イランとは交渉するが、核兵器の秘密開発は許さない」と宣言した。これは実は、イランにとっては問題ではない。IAEAの調査によると、イランは原子力発電の燃料用である低濃度のウラン濃縮しかやっておらず、核兵器用の高濃度濃縮をやっていない。米国が勝手に「イランは核兵器開発している」と決めつけ、欧州など国際社会は不本意ながら米国に従ってきただけだ。

 中東において「核兵器の秘密開発」が真に問題になるべき国はイランではなく、イスラエルである。イスラエルは1960年代から秘密裏に核兵器を開発し、今では400発の核弾頭を保有している。米当局はイスラエルの核兵器に見て見ぬ振りをしてきたが、昨年初めて、国防総省などが「イスラエルは核兵器を持っている」とする報告書を出した。今後、イランの核兵器開発疑惑が濡れ衣であることが確定し、しかもオバマ政権が「秘密の核兵器開発を許さない」という姿勢を堅持すると、悪者はイランではなくイスラエルだということになっていきかねない。

 米国は、イランの民生用核開発を容認すると同時に、伝統的にイランのライバルであるアラブ側にも、民生用核開発を開始することを許し、アラブ首長国連邦で米国が協力して原子炉建設が開始されることになった。 (Oil-Rich Arab State Pushes Nuclear Bid With U.S. Help

 イランやアラブが大手を振って原子力開発に取り組めるようになる半面、イスラエルは核開発に対する査察や核兵器の解体を求められ、悪者にされ始めている。ネタニヤフ新首相は、右派だけに引っ張られすぎないよう、連立政権内に中道派の労働党を引っ張り込んだが、それでも右派の政治力は強まる一方だ。右派が暴走し、核兵器を取り上げられる前にイランに向けて発射しろ、という話になると、米国の「キリスト教原理主義」の勢力が狂喜する「ハルマゲドン」や「キリスト再臨」にふさわしい事態になる。 (Please tell me, where is Israel headed?



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