変容する中東政治2009年4月7日 田中 宇2月24日、サウジアラビア中部のイスラム教の大聖地メディナにある、預言者ムハンマドのモスクの周辺で、2千人のシーア派イスラム教徒の巡礼団の集まりを、宗教警察と治安部隊が襲撃して乱闘となり、3人のシーア派巡礼者が死亡し、100人が怪我をする事件があった。 (Saudi Arabia's Shiites stand up) メディナのムハンマド・モスクは、イスラム教をひらいた預言者ムハンマドの墓となっており、シーア派の巡礼団はムハンマドの墓を拝もうとモスクを訪れた。しかし、サウジアラビアで多数派を占めるスンニ派、中でもサウジ王家と建国以前からのつながりがあるワッハビズムのスンニ派は、彼らの言うところの「純粋」なイスラム教を信奉し、墓や遺体をありがたがるシーア派を異端の偶像崇拝とみなして攻撃弾圧した。 (別の記事によると、シーア派が礼拝したのはムハンマドの墓ではなく、シーア派の聖職者の墓だった。また乱闘が起きた原因は、スンニ派の宗教警察がシーア派の巡礼団をビデオで撮影し、撮影対象に女性巡礼者が入っていたため、シーア派側が「女性を撮るな」と怒ってビデオを奪って破壊し、宗教警察と乱闘になった。メディナの乱闘後、国王は短時間ながらシーア派の代表と謁見し、乱闘時に逮捕したシーア派巡礼者を釈放した) (Saudi government cracks down on Shiite dissidents) イスラム教はメッカとメディナという紅海沿岸の地域に発祥した。当時の中東文明の中心だったメソポタミア(イラク周辺、アラビア半島の紅海の反対側)の宗教は、古くからのユーラシアの伝統を継ぐ偶像崇拝系であり、ムハンマド以来のイスラム教の布教は、この古来の諸宗教を破壊していく戦いだった。正統派イスラム教勢力(スンニ派)は、他宗教の人々を改宗させていったが、改宗後もメソポタミアや中東各地の山岳地帯などに住む人々はイスラム以前の信仰儀礼を残しており、今に続くシーア派や、表向きはスンニ派だが実は山岳密教的、観音信仰的なものと混じり合っている「スーフィ」となった。 シーア派やスーフィは、自分たちの信仰体系をイスラムの物語の中に組み入れることで、イスラム世界の中での存在を維持しようとした。それで、シーア派とスンニ派の対立は、表向き、ムハンマドの子孫の正統性をめぐる解釈の違いということになっている。だが、私が見るところ、シーア派は、イスラム以前の偉大なアジアの信仰の名残りを何とか生かそうとして、それがスンニ派との違いとなっている。スンニ派と比べ、シーア派の精神は日本人の精神に近い。 (イラク日記(5)シーア派の聖地) ▼中東各地でシーア派の強気 シーア派は、メソポタミアからペルシャ湾岸にかけてのイラク、イラン、クウェート、サウジアラビア東部、バーレーン、それから地中海岸のレバノンなどに多く住んでいる。サウジ東部の人々の75%はシーア派だ(サウジ総人口2260万人の10%)。巨大油田が連なる東部地域は、サウジの稼ぎ頭である油田地帯であり、サウジを潰そうとするイスラエル右派(ネオコン)は、以前からサウジ東部のシーア派の反政府反乱を扇動しようとしたが、あまり成功しなかった。 むしろ、サウジのシーア派が大胆な政治活動をやるようになったのは、ネオコンの仇敵であるイランの台頭に影響されてだった。1979年のイスラム革命後、サウジ東部での政治宗教運動が一時期さかんになった。そして今また、米国のイラン敵視策が失敗してオバマ政権がイランとの和解に入ろうとする中で、サウジのシーア派は政治宗教的な動きを強めている。米国のイラク占領が失敗し、その後のイラクがシーア派中心の国になったことも大きい。 サウジは王家の独裁政治だが、独裁だからといって勝手にやれるわけではない。王族が欧米かぶれになりすぎたと批判された1980年代には、サウジ中枢に近いところから、オサマ・ビンラディンのような反米・反王室的な政治運動が出てきた。東部のシーア派や、南部のイエメン系の人々に不満が高まると、王家は東部や南部に資金を投入したり、国王が不満を聞く会を設けたりして懐柔する。米国の中東民主化の尻馬に乗って、都会のリベラル派が民主主義を求めたため、選挙らしきものをやったりもした。 しかし同時に、米国やリベラル派やシーア派の言うことを聞きすぎると、昔から王家とともにあった粗暴で純粋なワッハビズムの勢力が騒ぎ出す。サウジ王家が最も重視するのは、国内・国外諸派の力のバランスをとって、できるだけ何事もなく国家運営することである。 昨今のイランやイラクでのシーア派の台頭を受けたこともあり、2月14日にサウジのアブドラ国王は、宗教的な多様化に向けた改革を行う方向性を示した。宗教警察のトップは更迭され、ごりごりのワッハビストから、やや穏健派に代わった。国王にもの申せる宗教者会議(ウレマ)は、それまで国教扱いのワッハビズムの代表しかメンバーでなかったが、今回初めてワッハビズムより穏健な他のスンニ派イスラム諸派の代表者が含まれることになった。また、今回初めて閣僚に女性が起用された。 (Major Reshuffle in Saudi Arabia) このような改革にも関わらず、その10日後にメディナでシーア派巡礼団と宗教警察の衝突が起きたことは、3つのことを意味しうる。一つは、シーア派の国民がアブドラ国王の宗教改革を不十分だと思っていること。もう一つは、宗教警察が改革を潰そうと騒ぎを起こした疑い。そして三つ目は、シーア派の後ろで糸を引いているかもしれないイランが、サウジの政治を混乱させ、サウジ社会の安定度を測っているのではないかということだ。サウジ国王の宗教政治改革は、穏健派のスンニ派をウレマに入れたものの、シーア派はまだ外されたままである。 3月末には、サウジ東部の貧しいシーア派が多く住むアワミヤ(Awwamiya)という町で、シーア派の宗教指導者が礼拝時の説教の中で「シーア派は政府の要職にも就けず、政府による富の再配分も十分に受けていない。政府がシーア派の待遇を改善しない場合、われわれは国家統合よりも自分たちの怒りを優先し、分離独立を求めるようになる」と述べた。アワミヤは以前から、反政府的な言動が発せられる町で、当局はすぐに取り締りを開始し、40人近くが逮捕されたが、分離独立発言をした指導者自身は雲隠れした。 (Saudi government cracks down on Shiite dissidents) サウジ東部から比較的近いイラクでは、中世から03年の米軍侵攻まで、サダム・フセインを頂点とする少数派のスンニ派が、多数派のシーア派を統治してきたが、今では「米国のおかげ」で民主主義が確立され、シーア派主導の国となった。その向こうのイランでは、反米的なアハマディネジャド大統領が米国やイスラエルの戦争犯罪を堂々と指摘し、中東全域で喝采されている。サウジなど他の中東諸国のシーア派は、巡礼としてイラクやイランの聖地を定期的に訪問するが、この時にイラクやイランのシーア派から政治的な影響を受け、母国に帰ってスンニ派主導の政府に対する要求を表明するようになっている。 サウジの沖合のペルシャ湾に浮かぶ小島の国バーレーンも、以前のイラクと同様、支配者はスンニ派だが国民の多数派はシーア派という状態だ。サウジだけでなくバーレーンでも、シーア派の政治要求が強まっても不思議ではない。 ▼アフガン占領に不可欠になるイラン オバマ政権になって、米欧はイランに対する敵視を弱めているが、その背景には、米欧(NATO)が続けているアフガニスタン占領が失敗色を強め、これまでアフガン占領を手伝ってもらっていなかったイランに、手伝ってもらう必要が増したことがある。4月4日には、独仏国境でNATO結成60周年の式典が開かれ、出席した米オバマ大統領は、独仏など欧州のNATO諸国に、アフガンへの兵力増派を要請したが、派兵しても惨敗するだけとわかっている欧州諸国は、増派をほとんど受け入れなかった。 (Europeans Reluctant to Follow Obama on Afghan Initiative) 半面、NATO諸国の代表団は3月中旬、イランの代表団と会い、アフガン占領を支援してもらう段取りをつけた。NATOとイランの関係は、イスラム革命で米イラン関係が断絶してから30年ぶりに復活した。 (Iran and NATO End 30-Year Impasse) 不況の影響で財政難の米欧各国は、軍事面だけでなく財政面でも、アフガン占領でイランの協力を受けざるを得ない。イランも財政は豊かではないが、アフガンでは都市部を中心に人口の2割がイラン系なこともあり、以前から米欧とは関係なく広範なアフガン支援をやっている。カブール大学はイランからの寄付で再建された。イラン国境に近いヘラートの町は、アフガでは珍しく24時間電力が切れない。米国は50億ドルのアフガン支援を表明したが、そのうち48%しか実施していない。イランは5億ドルの支援表明をして、その93%を実施している。アフガンでは道路舗装を急がねばならず、イラン製のアスファルトは安価なのだが、米国は従来イラン敵視策を掲げていたためイラン製の購入を禁じ、高い金を払ってきた。こうした状況は今後、改善しうる。 (US-Iran Thaw Could Bolster Afghanistan Rebuilding Efforts) 米政界ではイスラエルの息のかかった勢力が強いので、オバマ政権は表向きイラン敵視をやめていない。目くらまし的に、ゲイツ国防長官が「イスラエルは今年、イランを空爆しないだろう」と発言する一方で、ペトラウス統合参謀本部長は「イスラエルはイランを空爆するだろう」と発言し、おそらく意図的に、食い違いを見せた。 ('Israel unlikely to attack Iran this year') (Petraeus Says Israel Might Choose to Attack Iran) しかし、目くらましの裏で、米政府はイラン敵視をやめる傾向を強めている。ロンドンG20サミット前日の4月1日、ロシアのメドベージェフ大統領とオバマ大統領は会談し、その後の共同声明の中で「イランは民生用の核開発(原子力開発)を行う権利がある」と表明した。もともとIAEA加盟国には民生用核開発を行う権利があり、イランはIAEA加盟国である。イランはIAEAの査察を受け、核開発が民生用でしかなく、軍事用の高濃度ウラン濃縮を行っていないことを証明している。 (Obama and Medvedev: Iran has right to peaceful nuclear program) しかし米国はこれまで、民生用・軍事用を問わず、イランの核開発を認めない姿勢をとってきた。ロシアは、従来から「イランの核開発は民生用であり、イランは続行する権利がある」といって、米国と対立してきたが、ここに来て初めて米露の立場が一致した。イスラエルの圧力を受け、米政府は今後も「イランは核兵器開発をやめろ」と言い続けるだろうが、それはしだいに空文化するだろう。すでに、米政府の諜報担当責任者であるデニス・ブレアは、3月中旬の議会証言で「イランは核兵器を作るのに十分な核物質を持っていない」と発言している(彼は、北朝鮮が打ち上げるのはミサイルではなく人工衛星だと、早くから言っていた人でもある)。 (U.S., Israel Disagree on Iran Arms Threat) ▼トルコを押し上げるオバマ ブッシュ政権以来の米政府は、イランを敵視しすぎた結果、イランを強化してしまっているが、米政府が強化しようとしている相手はイランだけではない。米オバマ政権は、イランのとなりのトルコの立場も強化してやっている。オバマは、G20サミット出席の帰途、大統領として初めてのイスラム諸国訪問としてトルコを訪れ、4月6日にアンカラのトルコ議会で「米国は、イスラム教徒を敵とした戦争をやっていない」と演説し、ブッシュ以来の米国のテロ戦争が「イスラムとの戦争」ではないことを強調した。 (In Turkey, Obama Says U.S. `Never' at War With Islam) オバマが、イスラム世界に対するこの呼びかけを発する場所としてトルコを選んだことは、イスラム世界の中でのトルコの位置を押し上げている。 (Obama 'to address Muslims in Ankara') イラクにおいても、撤退宣言後の米国の影響力が低下するのと反比例して、トルコとイランの影響力が拡大している。トルコのギュル大統領は3月下旬、トルコ首脳としてイラクを33年ぶりに訪問した。イラク北部には、親米反トルコのクルド人勢力がいるが、トルコはシーア派主導のイラク中央政府と組んで、クルド人を挟み込み、クルド独立を阻止する動きを続けている。 (Turkey's Gul in Landmark Iraq Visit) 3月末にカタールでアラブ連盟のサミットが開かれたが、そこに招待されたイスラム諸国会議(OIC、イスラム諸国の集まり)の議長は、アラブ諸国に対し「イランやトルコと協調することで、パレスチナ問題など中東の諸問題を解決する力を増強せよ。イランとトルコは、イスラム世界にとって重要な国だ」と呼びかける演説を行った。 (OIC wants Iran-Turkey help on regional issues) アラブ諸国は従来、自分たちこそがイスラム世界の盟主であり、異端のシーア派を信奉するイランや、イスラムを捨てて欧米化を目指す近代史を歩んだトルコには発言権はないという態度をとってきた。しかし、サウジやエジプトを中心とするアラブ諸国は、親米路線を選んだがゆえに、反米意識が強まる最近の中東での政治正統性を失う傾向を強めている。 サウジは、レバノン内部の和合を仲裁するも、失敗した。エジプトはファタハとハマスというパレスチナ2派の和解を試みて失敗し、イスラエルとの交渉も頓挫している。OICはサウジやエジプトに対し「君らだけでは政治力が足りないのだから、イランやトルコと協調するしかないよ」と言ったのである。 ▼落ち目のエジプト しかし、こうしたアドバイスはきちんと聞かれていない。カタールでのアラブ連盟サミットでは、主催国のカタール王室がイランのアハマディネジャド大統領を招待したことに怒って、エジプトからは大統領も外相も来ず、低位の代表しか送ってこなかった。 (Arab League tells Israel: Accept Saudi initiative now or never) (カタールのアルジャジーラ衛星テレビがエジプト批判の番組を流したことも一因だった。アルジャジーラは、米英の傀儡だったヨルダン前国王を「CIAのスパイだった」とも報じたりして茶目っ気がある) (A comprehensive Mideast peace is a fantasy) アラブ連盟サミットでは、強硬派と穏健派の対立を何とか乗り越え、パレスチナ和平について02年のサウジ提案(イスラエルが入植地から全撤退したら、アラブ諸国はイスラエルと外交を結ぶという交換条件)を改めて強調し、イスラエルは今すぐサウジ提案を了承しなければ最後の和平の機会を失うとの声明を出した。イスラエルが国際社会の悪者になりつつある今、この声明は全くまっとうなものだが、実際にはイスラエルにはネタニヤフ首相の右派政権が成立し、和平はもはや不可能になっている。 アラブ諸国内では、強硬派のシリアなどの発言権が拡大し、穏健派のエジプトなどは弱まっている。米政府の諜報部門は2月下旬に「エジプトはアラブの盟主の地位を失い、代わりにサウジが強くなっている」「親米路線はエジプトにプラスになっていない。現ムバラク大統領が辞めた後は、エジプトは反米色を強めるのではないか」とする報告書を出している。 (U.S. report: Saudis replacing Egypt as regional leader) エジプトだけでなく、サウジも親米路線から脱せられず、外交力の弱体化や内政混乱があり得るが、そのあたりはサウジ王室も対策を考えているようだ。この記事の前半で紹介した2月14日のアブドラ国王の宗教政治改革は、対策の第一弾だろう。 アブドラ国王は05年に即位したが、これまでの4年間、大きな政治改革をやらなかった。王室内の求心力の増強を待っていたとされているが、むしろ私には、中東における米国やイスラエルの支配力の先行きがどうなるかを見極めようと待っていたのではないかと思われる。 サウジでは毎年、2月14日のバレンタインデーが近づくと、宗教警察が、贈り物を扱う商店や、バレンタインデーを思わせる赤い飾りを施した商店を抜き打ち検査し、いちゃもんをつけて取り締まりや破壊活動をする。バレンタインデーは「キリスト教の祭典」とみなされ、異教の信仰を取り締まる宗教警察が出てくるのだが、これはサウジ国民に評判が悪い。そんなバレンタインデーに今年は、国王が宗教警察のトップら、ごりごりのワッハビストを辞めさせた。多くのサウジ国民が、突然の国王からの贈り物に喜んだ。 (Saudi king shakes up establishment) 米政府がオバマに代わってイランやハマスを許す傾向を強める半面、イスラエルは右派政権となって米国との齟齬が拡大していく傾向が定まりつつある。そのような新事態を受け、サウジのアブドラは内政・外交の両面で新たな動きを開始するのではないかと私は予測している。今後の中東は、サウジ、イラン、トルコという3つの主導国がどう絡まっていくかが注目される。 それに加えて、もちろんイスラエルがどうなっていくか、次に何をやらかすかも注目されるが、これについては改めて書く。今回は、イスラエル以外の中東政治の動きについて分析した。
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