米露の接近、英の孤立2008年3月22日 田中 宇国際情勢において「世界が多極化する瞬間」のようなものが近づいている。今後1カ月ぐらいの間に、アメリカの覇権や、米英中心の世界体制を支えていた何本もの柱が崩壊していく感じが加速しそうだ。 崩壊の最大のものは、最近何度も書いたが、アメリカの金融危機と、ドルに対する信用不安の急速な悪化だ。これまでの局面では、アメリカの社債や株が下落すると、投資家は資金の避難先として米国債を買っていた。しかし先週行われた10年もの米国債の入札では、これまで落札総額の25%前後を占めていた外国勢(米国外の投資家)の買いが6%へと急落した。従来は米国債を最も安全な投資先と考えていた中東や中国など世界の投資家たちが、米国債を敬遠し始めている。(関連記事) 今のところ米国債の売れ行き自体は落ちていない。だが、最近の米金融界は、毎週一つずつ大きな危機が起きている感じで、危機を鎮めるために連銀が利下げや資金供給をしても、不安解消は2−3日しか持たず、危機が再発する事態が続いている。来週、再来週と危機が繰り返される可能性があるが、連銀の短期金利(FFレート)はすでに2・25%まで下げられ、連銀は利下げという切り札を出せる余地が少なくなっている。 連銀が打つ手を失った状態で危機が再発したら、金融界は非常に危険な状態になる。投資家は、米国債やドル資産全体に対する敬遠を強め、米国債は売れなくなって長期金利が急騰する。アメリカの大手金融機関がいくつも破綻し、ドルも急落し、米経済は急速に不況色を強める。1930年代の「大恐慌」以来の巨大な経済危機に発展する。今後1カ月以内にそこまで行く可能性がある。もう事態は大危機に入っているという指摘や、グリーンスパン前連銀議長や共和党などが金融危機を誘発しているといった指摘まで、すでに米英マスコミ内で散見される。(関連記事) 連銀に金融面からの打つ手がなくなったら、米政府は政治(財政)面から、公的資金で金融機関を救済しようとするだろう。だが、それもおそらく一時しのぎにしかならず「米政府がこれだけやってもダメなのだ」という心理が市場に広がり、結局はドルや米国債に対する信用をいっそう落とす。米経済専門紙のウォールストリート・ジャーナルも「ドルが暴落し、金融クラッシュが起きる可能性がある」とする記事を出した。(関連記事) ▼「今後は強い円が日本の国益に合う」 日本政府は、日銀総裁を4月上旬まで空席にすることにしたが、この戦略は正しい。米金融界は今後4月前半にかけて崩壊していくだろうから、ちょうどその時に、日本は日銀総裁がいない状態だ。前回も書いたように、これは米政府から米国債の大量購入を頼まれるのを防ぐため、福田首相と小沢民主党党首が談合して日銀総裁を決められない状態にした疑いがある。敗戦以来、日本政府は、アメリカから強く頼まれたことは断れない状態にある。「日銀総裁が空席なので、決められません」「野党が反対してますので、できません」と言うぐらいが最大の戦略である。 日本のマスコミは、日米欧で協調してドルを支えねばならない時に日銀総裁がいないのは福田政権の失策だ、という論調だが、これは国賊的な間違いである。米政府自身がドルを下落させている時に日本などが買い支えても、一時しのぎ以上の効果はなく、結局買った米国債やドルが下がり、日本人の税金が無駄遣いされるだけだ。 EUの中央銀行(ECB)は「米連銀は自らの失策の結果、金融崩壊を激化させているのだから、ECBが連銀に協力して利下げする必要などない」と傍観する姿勢をとっている。日本政府も、同じ気持ちだろう。対米従属の日本は、EUと同様の露骨さでアメリカを批判できないので、代わりに日銀総裁空席作戦などで、米からの要請の回避を目論んでいるのだろう。(関連記事) 榊原英資・元大蔵省財務官は最近、ロサンゼルスタイムスのインタビューで「安い円が望ましい時代は終わった。これだけ世界の資源が高騰した以上、今後は強い円が日本の国益に合う。(インフレなどを勘案すると)今の1ドル80円は10年前の110円と同じだ。1ドル80−85円ぐらいの方が、輸入品の価格高騰が防げるので日本の消費者には良いし、ソニーやトヨタはその為替水準でも十分やっていける」という趣旨の発言をしている。(関連記事) ▼中東大戦争も4月前半が目途? もう一つ、アメリカの中東覇権の崩壊とイスラエルの破滅につながる中東大戦争も、起きるとしたら4月前半が目処になる。戦争の黒幕であるチェイニー副大統領は、イラン問題を主要テーマとして中東歴訪中の3月19日に「やっぱりイランは核兵器を開発しているようだ」と、昨年末に米政府が発表した「イランはすでに核兵器開発をやめている」とする報告書(NIE)を否定する発言をし始めた。(関連記事) パレスチナの西岸では、これまで隠れていたヒズボラが突然、示威行動を開始し、人々を驚かせている。ヒズボラは、レバノン南部に根を張るイラン傘下のシーア派武装組織で、スンニ派であるパレスチナ人の西岸地域には、支持者は少ないと思われていた。しかし実際には、イスラエルからの抑圧を受けてパレスチナ人がイスラム主義への支持を強める中で、ヒズボラは目立たない形で西岸の人々からの支持を拡大し、中東大戦争になりそうな今、政治集会などの場でヒズボラの旗が翻るようになった。戦争になったらイスラエルは、南のガザ(ハマス)と北のレバノン(ヒズボラ)から攻撃させるだけでなく、東の西岸からもヒズボラの攻撃を受けることになる。(関連記事) イスラエルでは4月6日から11日まで、建国以来最大規模の非常事態訓練が行われる。この訓練中にヒズボラなどが攻撃を仕掛け、戦争になるかもしれない。1990年のイラク軍のクウェート侵攻は、米軍が中東地域での軍事演習をしている最中に起きた。01年の911テロ事件は、ニューヨークでテロ対策の防災訓練の最中に起きている。いずれの案件にも絡んでいる米ネオコン(イスラエル右派)は、事態を大規模な戦争に発展させるため、訓練中に本物の敵が攻めてくる状態を誘発する作戦を好む傾向がある。私の考えすぎかもしれないが、4月6−11日のイスラエルの訓練中にヒズボラが攻めてくるシナリオがあり得る。(関連記事) 中東大戦争が起きれば、サウジアラビアなどは反米色を鮮明にして、ドル売りや石油対米輸出禁止などを発動するだろうが、戦争が起きなくても、もうアラブ産油国はアメリカには投資したくない気持ちを強めている。アラブ産油国や中国は最近、アメリカの金融機関から頼まれて資本参加しており、アラブと中国の金がアメリカの金融危機を救うのではないかという見方もある。しかし先週末、米大手投資銀行のベアースターンズが、少し前の株価の30分の1の安値で身売りしたのを見て、アラブや中国は、米金融機関への投資は大損になりかねないと思うようになった。(関連記事) ベアースターンズには、中国の政府系投資会社CITICが昨年、資本参加を検討していたが、その時の予定価格は1株138ドルだった。ベアーは先週末、身売り時に1株2ドルで買われた。CITICはベアー株を買わなかったが、もし買っていたら98%の損失だった。中国政府系の別の投資会社は昨春、鳴り物入りで米金融会社ブラックストーンに資本参加したが、これも大損に終わっている。もう中国や中東の政府系投資会社は、米金融機関から頼まれても資本参加しないだろう。(関連記事) 中国をめぐっては、チベットの騒乱も、中国警察のチベット人に対する発砲が明らかになった。米民主党のペロシ下院議長が3月21日、北インドのダラムサラに住むダライラマを訪問し、世界に向かって「中国を批判せよ」と呼びかけた。これから4月にかけて欧米が中国を非難し、中国側は怒って米金融界からの救済要請をことわる展開になっていくかもしれない。(関連記事) ▼米露接近のきざし 多極化の話は範囲が広いので、今回も前置きが長くなってしまった。今回の本題は、米英中心体制のもう一つの柱である、欧米による対ロシア包囲網が崩れそうだという話である。この件も、4月前半にかけて大転換が始まりそうだ。 ブッシュ政権は従来、欧米の軍事同盟であるNATOを率いてロシア包囲網を作り、ウクライナやグルジアといったロシア近傍の旧ソ連諸国をNATOに加盟させる、というロシア敵対策をとってきた。しかし3月17日に、アメリカのライス国務長官とゲイツ国防長官らがモスクワを訪問し、ロシア側と米露間の今後の「戦略的関係の枠組み」(strategic framework)について協議し、米露が劇的に和解しそうな感じが強くなっている。(関連記事) 劇的な和解の具現化になりそうなのは、NATOが窮地に陥っているアフガニスタンの占領を、ロシアが助ける構想である。アフガニスタンは06年から、イラクに忙殺される米軍に代わってNATO軍が占領しているが、反欧米・親タリバンのイスラム主義の高まりを受けてNATO軍は苦戦し、ドイツやオランダなどは、早く撤退したいと考えている。(関連記事) アフガニスタンはパキスタン、イラン、中央アジア諸国に囲まれる内陸国で、NATOがアフガンに武器や物資を送るには、ロシアを通らねばならない中央アジア経由と、欧米が敵視しているイラン経由のルートは使えず、パキスタンが唯一の補給路となってきた。だがパキスタンの対アフガン国境地域の北西辺境州では、今年2月の選挙で、反米で親アフガン的(ただし反イスラム主義)なパシュトン人ナショナリズム(中道左派)のアワミ国民党が勝利し、パキスタンを補給路として使い続けることが困難になっている。(関連記事) 2月の選挙で、パキスタンでは、暗殺されたブット元首相の一族の政党(PPP)と、シャリフ元首相の政党(PML−N)が勝ち、連立して政権を担当する動きになっているが、ブット家とシャリフ家は、父親たちの代からの50年間の対立の歴史がある。ブット家はシンド州、シャリフ家はパンジャブ州という、地縁に基づく大きな対立もある。両党は、今後は気持ちを入れ替えて仲良く連立政権を作る、と今は言っているが、独裁だったムシャラフ大統領の権限を奪った後、連立与党は政権争いの内部分裂で瓦解し、パキスタンは内乱状態に陥る可能性が高い。パキスタンはNATOの補給路として使えなくなる。(関連記事) NATO内では、イギリスはアフガニスタン占領を何とか成功させようとして、タリバンと交渉する戦略を進めたり、イギリス人の「アフガン総督」を置く構想をぶち挙げたりしてきた。しかし、アメリカは反対にアフガン占領を難しくするような戦略(表向きは大失策)を進め、アフガン・パキスタン国境地帯を空爆してパキスタン側の人々の反米感情を扇動したり、アフガンのカルザイ大統領を焚き付けてイギリスの総督構想に反対させて潰したりしてきた。(関連記事) ▼新レーガン主義ブッシュ政権による冷戦終結の再演 イギリスによるアフガン占領立て直し戦略は破綻し、パキスタンは混乱の際にある。そんな中で、アメリカはロシアに対し「NATOの物資や武器を、ロシアから中央アジア経由でアフガンに運ぶことを了承してくれたら、ウクライナやグルジアのNATO加盟を取り止めてあげる。アメリカがポーランドやチェコに配備するつもりだったミサイル迎撃施設も作らない」と非公式に持ち掛けた。 米政府からの提案を受け、ロシア政府は3月上旬にブリュッセルで開かれたNATOの会議に代表を送り、アフガニスタンのNATO軍への物資補給をロシア・中央アジア経由で行うことや、NATOによるアフガン警察の訓練の一部をロシアが肩代わりするなどのアフガン占領協力案を提案した。ロシアからのアフガンへの通り道にあるカザフスタンとウズベキスタンはロシアの影響力が強く、ロシアはこの2カ国と協力してNATOを助ける。(関連記事) NATOをロシア包囲網として見てきたイギリスや東欧諸国からは反対意見が出たが、親露的なドイツや、アフガン占領に苦しむ他の西欧諸国、あらかじめロシアと謀略していたアメリカは、ロシアの申し出に賛成し、4月2日からルーマニアで開くNATOサミットに、NATO史上初めて、ロシアの代表が参加することになった。(関連記事) ブリュッセルのNATO会議の後、ブッシュ大統領はプーチン大統領に、米露関係改善についての親書を送った。プーチンは「親書の内容はとても真剣であり、満足している」と述べた。(関連記事) 同時に、アメリカからライスとゲイツの両長官が3月17日に訪露し、今後の米露の戦略関係についてロシア側と話し合った。この話し合いは表向き「米側がミサイル迎撃構想にこだわり、何も決まらなかった」と報じられているが、これはおそらく米露和解の動きをまだ世界に知らせないようにするための煙幕である。(関連記事) ライスらの訪露後、ロシアのラブロフ外相は「米側から、ミサイル迎撃施設はロシアのミサイルを標的にしたものではないという、納得できる確約を得た」と地元紙とのインタビューで語り、米露交渉は前進があったと述べた。(関連記事) 東欧へのミサイル迎撃施設の配備は、ロシアではなくイランのミサイルを標的としていると、米政府は以前から言っているが、イランからアメリカへの弾道ミサイルの軌道は東欧を通らないので、この説明は馬鹿げている。ロシアが標的でないのなら、アメリカがミサイル迎撃施設を東欧に置く理由がない。おそらく、アメリカは東欧にミサイル迎撃施設を実際に設置することはない。 同時期にブッシュ大統領は、グルジアのNATO加盟に対して前向きの姿勢を見せたと報じられているが、これも「煙幕」だろう。(関連記事) ブッシュ政権が実際にやっていることは、1980年代後半のレーガン政権が、直前までソ連を敵視する姿勢を見せつつ、ゴルバチョフと難しいミサイル削減交渉をやっている形式をとりながら、本当は米ソが和解して冷戦を終わらせる交渉をやっていたのと似ている。米英の冷戦永続派(米英中心主義者)は、レーガンの煙幕にまかれ、冷戦終結を止めることができなかった。 ロシアがNATOを助け、米露が和解することは、まさに「冷戦終結の再演」である。ブッシュ政権のネオコンは以前から「ネオ・レーガン主義」を標榜してきたが、その真意は「反ロシアをやりすぎた後に親ロシアに急変する」という「隠れ多極主義」の戦略のことだったらしい。(関連記事) ▼敵対から共存への変質で多極化 NATOにとって、ロシアに助けてもらうことは、敵に助けてもらうことだ。NATOは冷戦時代に、ソ連と戦うためにアメリカが西欧を軍事的傘下に入れて作った欧米軍事同盟である。冷戦後、NATOは表向き反ロシアの組織ではないが、ロシアの近くの東欧諸国をNATOに加盟させてロシアを苛立たせたり、ロシアの影響圏の隣にあるアフガニスタンに駐留するなど、NATOはロシア包囲網としての性格を色濃く残してきた。しかし今後、NATOとロシアがアフガンで協調したら、NATOの意味づけは大きく変わる。 ロシアは自国だけでNATOに協力するのではなく、ロシアを中心とした中央アジア諸国やベラルーシ、アルメニアとの軍事同盟であるCSTO(集団安全保障条約機構)がNATOに協力するという形にしたいと考えている。これが実現すると、世界の安保体制上、非常に大きな変化を意味する。(関連記事) 従来はNATOとCSTOは互いに仮想敵だった。冷戦時代にはCSTOはソ連そのもので、その外側にはソ連と東欧諸国との安保体制である「ワルシャワ条約機構」があり、NATOと敵対していた。しかし今回、NATOとCSTOがアフガンで協力すると、NATOとロシア側の60年間の対立は解消され、ポーランドまではNATOが、その東はCSTOが地域の安保体制を守るという、地域分担の共存の関係になり、対立は共存に変わる。これはまさに覇権の「多極化」そのものである。(ポーランドとロシアの間にあるウクライナがどちらに入るか、今後の交渉があるだろう) さらにこの話には、今回は表に出てこない、もう一つの役者がいる。中国である。CSTOに中国を加えた地域安保組織として「上海協力機構」があり、そこにはすでにアフガニスタンやイラン、パキスタン、インドがオブザーバー参加している。ポーランド以西はNATO、その東のロシアから中国までは上海協力機構の範囲になる。(関連記事) そのまた東側の極東地域では、北朝鮮核問題の6者協議が解決したら、極東の集団安保組織に格上げされる構想がある。北朝鮮の核問題も、交渉を止めているのは北朝鮮ではなくアメリカなので、4月前半に世界が多極化し始めたら、アメリカの譲歩で解決していく可能性が高く、今年中に米朝関係も正常化するかもしれない。(関連記事その1、その2) 世界が多極化し、アメリカの覇権が衰退した後の日本は、中露に見守られつつ、韓国・北朝鮮とともに、北朝鮮6者協議を格上げした極東6カ国安保組織に入る。日本の政界の福田・小沢は、それで良いと思っているはずだ。国民がどうしてもいやだというなら「鎖国」という道もあるが、今の日本人には鎖国に耐える精神力はないだろう。 アフガンでNATOとCSTOが協力し、世界が多極化していきそうだという予測は、すでに昨年7月、多極化を研究している米ニクソンセンターの論文に出ている。さすが、多極主義者ニクソンの名前を冠する研究所だけのことはある。(関連記事) 今回の記事は「米露の接近」だけではなく、その反対側で起きている「英の孤立」についても解説するつもりだったが、すでに非常に長くなってしまったので、続きは次回に書く。英語を読める方は「イギリスはすでに、アメリカとの『特別な関係』というキーワードを使わなくなった」と指摘する英テレグラフ紙の記事が参考になる。
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