世界金融危機のおそれ2007年8月6日 田中 宇前回の記事に書いたように、アメリカの金融市場は、6月末に高リスク住宅ローン(サブプライム)債券市場が下落し、それが7月25日に企業買収用資金調達の債券市場の急落へと感染した。その後の1週間で、米金融市場では、事態が早いテンポでさらに悪化している。 住宅ローンの分野では従来、収入の低い人や、すでに借金漬けの人など、条件の悪い人への「サブプライム」の貸し出しについては、金融機関が貸し渋る傾向がすでにあったが、先週以来、住宅ローン貸し出しに対する金融機関の審査が急に厳しくなり、サブプライムの融資は市場全体でほぼ停止されただけでなく、条件の良い人(プライム)に対する貸し出しについても、貸し渋りや金利上昇が起きている。 ローン金利は、1週間で1%ポイント以上はね上がった。住宅ローン会社の担当者も、この展開の早さには驚き「信用収縮(クレジット・クランチ)と言われているが、そんな生やさしいものではなく、信用凍結が起きている」とニューヨークタイムスにコメントしている。(関連記事) 住宅ローンに対する信用収縮は、一般市民の借り手だけでなく、住宅ローン専業金融機関の資金調達にも影響を与えている。大手のアメリカの住宅ローン専業金融機関だった「アメリカン・ホーム・モーゲージ」(American Home Mortgage Investment)は、資金調達難に陥り、8月3日に廃業(倒産申請)した。(関連記事その1、その2) この会社は、優良なプライムの住宅ローンを中心に扱っていた。だが、ここ1週間、パニックに陥っている銀行や投資家は、リスクの度合いに関係なく住宅ローンの債券や融資を敬遠する傾向を突然強め、銀行は、事前にアメリカン・ホーム社に対して融資すると約束していた貸し出し枠の分を貸すことを拒否し、すでに融資している分については担保の積み増しを要求した。同社は、わずか数日で倒産に追い込まれた。(関連記事) ▼広がる貸し渋り ここ数年のアメリカの景気は、市民が自宅を担保に借金した金で消費することが最大の下支え要因だった。住宅ローンの凍結は、そのアメリカの消費力に、ここ一週間で急ブレーキをかけたことになる。この動きは、アメリカの消費を減退させ、中国や日本など、対米輸出で経済を回している国々にも悪影響が出る懸念がある。(関連記事) アメリカの信用収縮は、住宅ローンだけでなく、企業の事業用資金の融資や債券発行にも悪影響を与えている。銀行は企業への貸し渋りや審査の厳格化を行い、米企業の債券の格付けは下落(金利は上昇)している。米信用格付け会社S&P(スタンダード・アンド・プアーズ)によると、アメリカで発行された社債の半分以上が、高リスク・高利回りのジャンク債の格付け(speculative grade)に下がっている。(関連記事) アメリカで起きている信用収縮は、消費者と企業の両方の資金を枯渇させている。IMF(国際通貨基金)は8月2日、住宅ローン危機による信用収縮は、アメリカ経済の回復を止めてしまうかもしれないと危惧する報告書を発表している。(関連記事) ▼自らの投資のリスクを把握できない投資家 アメリカのサブプライムの住宅ローン債券は、高利回りをうたう金融商品の中に組み込まれ、投資する側が、自分の投資の中に高リスクのサブプライム債券が組み込まれていることを、今回の危機が発生するまで十分に把握していなかったというケースが、世界的に多発している。各国の政府当局も、自国の金融界がどの程度サブプライム債券への投資を抱えているか、よく分かっておらず、危険な状態になっている。 ドイツでは、ドイツ産業銀行(IKB)という金融機関が、最近の数日間のうちに、サブプライム債券投資の巨額損失で経営難に陥り、独政府系金融機関が支援する救済策が打たれたが、IKBは、つい10日前の定例記者発表では、サブプライム債券の崩壊で損失を出していることはないと説明していた。(関連記事) 加えて、先週月曜日に最初にIKBがサブプライム債券の損失を発表したときには、損失額は80億ユーロと発表されたが、木曜日には損失額が170億ユーロに増えたと再発表された。こうした混乱はIKBが、自分たちが投資しているアメリカの金融商品の中身について十分に知らなかったことから発生している。 IKBが抱えた損失は、同行の株式の時価総額の何倍もの規模を持っており、同行は今回の問題で突然死の状態になった。損失の大きさ、被害拡大の早さと国際的な広がりをみて、ドイツの金融当局者は、今回のアメリカ発の信用収縮は「1931年の世界金融恐慌以来の大規模な金融危機に発展するかもしれない」と警告した。(関連記事) つい先日まで、世界的に金融界では「金あまり」でリスクが軽視される傾向があり、金融機関だけでなく、年金基金や地方自治体も、リスクについて深く考えず、高利回りという点に引かれてサブプライム債券に投資してきた。オーストラリアでは、35以上の地方自治体が、米投資銀行のリーマンブラザーズ系のサブプライム債券(年利回り7・6%)を買っており、これらが今後どう処理されるかが注目されている。(関連記事) ▼隠される事態の深刻さ 欧州やオーストラリアでは、アメリカ発の信用収縮の被害が深刻にとらえられているが、本家のアメリカでは、信用収縮はあまり深刻に報じられていない。ドイツ当局者とは対照的に、アメリカのポールソン財務長官は「(これまでリスクに鈍感だった)投資家のリスク感覚が、正常に戻るという良い効果がある。(アメリカ以外の)世界経済の成長力が旺盛なので、経済全体への悪影響は少ない」という主旨の発言をしている。(関連記事) 日本のマスコミでも、今回の信用収縮はあまり大きく報じられていない。世界の株価も、先週から下落しているものの、今のところ暴落ではない。そのため、ドイツ当局者の恐慌説より、アメリカ当局者の楽観説を信じる人が多いかもしれない。しかし、私が最近の金融動向をできる限り詳しく見た上で思うのは「世界の金融界は、巨大な危機に直面している」ということである。恐慌説の方が正しく、アメリカ当局は危機回避を狙った情報操作を行い、日本ではそれが鵜呑みにされていると感じる。 前回の記事に書いたように、先週に急落した高リスク債券には、サブプライムの住宅ローンのほかに、企業買収の資金調達のためにアメリカの投資銀行が発行した債券がある。アメリカの企業買収会社が買収対象の企業の株を買うための資金を、投資銀行が融資し、投資銀行はその債権を証券化(債券化)して分譲販売している。これらの債券は先週から全く売れなくなり、ゴールドマンサックス、リーマンブラザーズ、ベアースターンズといったアメリカの大手投資銀行は、買収用債権を自ら抱えねばならなくなっている。 このまま債権が売れないと、多くの企業買収が途中で頓挫し、買収対象企業の株は下落し、投資銀行の債権の価値が大幅に下落する。先週、その危険性が急増したため、信用格付け会社は、ゴールドマンサックスやリーマンブラザーズの格付けをジャンク債の一歩手前まで引き下げた。経営難に陥っている企業とみなされたのである。格下げによって、これらの銀行は、より多くの金利を出さないと債券が売れなくなり、利益を出しにくくなった。(関連記事その1、その2) 先週以来のアメリカは、大手投資銀行が経営難に陥り、大手の優良住宅ローン会社が1週間で倒産している。そんな状況なのに「悪影響はない」「信用収縮なんか起きてない」と言っているアメリカの財務省や連銀の言葉は信用できないと、アメリカの機関投資家が言っているが、私も同感である。(関連記事) もし今後、アメリカの大手投資銀行が倒産した場合、事態は世界的な金融クラッシュへと発展するだろうという予測も出ている。アメリカの投資銀行は、世界の金融界の最も重要な部分を握っており、扇の要である。その破綻は、全世界の金融システムに大きな衝撃を与える。(関連記事) ▼日本の金融機関を潰しかねない円キャリー取引 アメリカの消費を支えていた住宅ローン市場の信用収縮によって、米経済が不況に陥ったら、米当局は金利を下げる必要が出てくる。しかし、まさに利下げが必要な今、石油相場が需給逼迫によって高騰し、1バレル=100ドルに達するかもしれないと予測されている。石油の先物市場では、すでに100ドルで取り引きされている。投機筋は、近い将来に100ドル超まで上がると予測しているということである。石油高騰はインフレを激化させ、利下げを難しくする。(石油高騰は、石油そのものの値上がりより、ドルの下落という側面が大きいと指摘されている)(関連記事その1、その2) 石油だけでなく、トウモロコシなどの食糧も高騰が予測されている。これらの要因は、いずれも世界的なインフレにつながり、利上げが必要になる。ブッシュ政権が打ち出した「バイオエタノール構想」で、燃料用に使われるトウモロコシが急増し、豊かにになりつつある中国などでの消費増と相まって、今後数カ月の間に、穀物価格が上昇しそうだと、石油や地政学の分析者であるウィリアム・エングダールが指摘している。(関連記事) 今後、アメリカの株式市場が急落した場合、日本にとっては東京市場の株価の連鎖的な下落だけでなく「円キャリー取引」の巻き戻し(清算)による急激な円高ドル安と、円キャリー取引に円資金を供給してきた日本の金融機関が破綻するおそれも出てくる。 円キャリー取引は、外国の機関投資家などが日本で低金利の円建て資金を調達し、ドルに転換してアメリカの株などに投資して差益を儲ける手法で、最近は、ニューヨークの株式市場が上昇した日には円キャリー取引が進み、円安ドル高になる傾向が強い。つまり、ニューヨークの株価を支えている要因の一つは、欧米の機関投資家が円キャリー取引で調達した資金だということになる。(関連記事) ニューヨークの株価は今後、債券市場の信用収縮の影響を受けて下落するだろうと予測されている。株価が下落した場合、円キャリー取引は清算され、円高ドル安になるが、株価下落があまりに急だと、円キャリー取引をしていた投資家が巨額の損失を出し、円高の為替差損と相まって、日本側の金の貸し手に資金を返済できなくなる。(関連記事) 円キャリー取引の円資金を誰が供給しているか、全く報じられていないが、多くは日本の金融機関が融資ないし債券購入していると推察される。アメリカの株価が急落すると、日本の金融機関は、株式投資の損失だけでなく、円キャリー取引の清算に失敗した外国人投資家に対する不良債権も、突然に抱えることになる。
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