ブッシュ変節の意味2006年11月14日 田中 宇アメリカ中間選挙での共和党の敗北を受け、ブッシュ大統領は投票日翌日の11月8日、ラムズフェルド国防長官を辞めさせた。この人事のポイントは、後任の国防長官に元CIA長官のロバート・ゲイツが指名されたことである。 ゲイツは、ブッシュの父親(パパブッシュ)が大統領だった1991年から93年まで、CIA長官を務めていた。その時期、国務長官はジェームス・ベーカーだった。パパブッシュの最重要の側近だったベーカーは、国際協調派(外交重視派)で、チェイニー(当時は国防長官、今は副大統領)らタカ派(好戦派)と当時から対立していたが、今春以来、息子のブッシュがチェイニーらにそそのかされて挙行して大失敗したイラク戦争の後始末をするため「ベーカー委員会」を作って動いている。(関連記事) ラムズフェルドの後を継ぐゲイツは、ベーカー委員会のメンバーである。そこから推測されることは、今回の人事によって、ベーカー委員会は国防総省の乗っ取りに成功したということである。ラムズフェルドは、チェイニーの古くからの盟友である。国防長官がラムズフェルドからゲイツに代わることは、好戦的なチェイニー派から、外交重視派のベーカー派への人事交代を意味している。(関連記事) 私は前回の記事で、ラムズフェルドに対する軍内からの辞任要求について書いたが、同時にベーカー委員会はお飾り的な選挙の宣伝にすぎないとも書いた。この私の分析は、間違っていたようだ。今回の人事を見て言えることは、ベーカー委員会はお飾りではなく、権力を持っており、中間選挙で民主党が勝ったことを機に、それまで政権中枢で支配的だったチェイニーらタカ派を追い出し始めているようだということである。 ラムズフェルドの辞任は、ベーカー一派ではなく、大手投資銀行ゴールドマンサックス出身でブッシュの大統領首席補佐官であるヨシュア・ボルテンらが決めたのだという報道もある。(関連記事) 以前の記事に書いたように、ボルテンは、同じくゴールドマンサックス出身のヘンリー・ポールソンを財務長官に就任させる画策をした人でもある。金融派(大資本家)がホワイトハウスを動かしている感じであるが、彼らは、ベーカー対チェイニーという共和党中枢の対立の図式をそのまま使いながら、マスコミには「チェイニーが負けてベーカーが戻ってきた」という図式を信じさせつつ、事態を彼らが好ましいと思う方向(多極化へのソフトランディング)に持っていこうとしているのかもしれない。 11月7日の投票日、チェイニーは休みをとり、娘を連れて山にハンティングに出かけてしまった。共和党が選挙に負けてチェイニーらタカ派が外されることは、すでに選挙前に決まっていたシナリオだったのかもしれない。もしチェイニーが、選挙によって自分の力が失われることを心配していたのなら、投票日に休んで狩りに出かけるはずがない。(関連記事) チェイニーの側近として機能していたネオコンたちも、選挙前に相次いでブッシュ支持をやめる宣言文を発表したり「ネオコンは、2008年の次期大統領選挙でカムバックする」という主旨の予告文を発表したりしている。これらは、ネオコンの「別れの挨拶」だったのかもしれない。(関連記事その1、その2 ) ▼負ける前から決まっていた方向転換 投票日の翌日、ブッシュはラムズフェルドの辞任を発表するとともに、これまでの議会無視の強硬路線をやめて、議会と協調する路線に転換した。選挙翌日の11月8日の記者会見で、ブッシュはすでに議会の民主党の幹部と話し合いをしたことを明らかにし「これから任期満了までの2年間は、民主党と協調して、イラクの泥沼などの諸問題を解決していきたい」という主旨の発言を何度も繰り返した。そして、ラムズフェルド国防長官の辞任を発表した。 記者から「大統領は、選挙の前、民主党が選挙に勝つことは、イラクでテロリストが勝つことにつながると言っていたのに、何で態度を変えたのですか?」と尋ねられると「選挙が終わり、民主党が勝ったから」と答え、次に似たような質問が出たときにも「もう選挙は終わったんだ」と答えた。この問答は、ブッシュの方向転換の唐突さを象徴している。(関連記事) ブッシュはこの日、早朝7時前には、民主党の下院の最有力者であるナンシー・ペロシ(次期下院議長)に電話しようとして、側近に「まだ朝早すぎる」と止められている。つまりブッシュは、敗北が濃厚になった投票日当日の前夜のうちに、それまでの民主党と敵対する路線をいち早く捨てて、民主党に協調を呼びかける路線に転換したことがうかがえる。(関連記事) ベーカー委員会は、正式には「ベーカー・ハミルトン委員会」と言い、共和党のベーカーと民主党のリー・ハミルトン(元下院議員)の2人がトップに座り、その下の委員や、60人の専門家からなる顧問団も、共和・民主両党から均等に指名されており、超党派の組織となっている。ブッシュが選挙翌日、急に採用した超党派の協調路線は、ベーカー委員会のあり方そのものである。(関連記事) すでに書いたように、ブッシュの態度を転換させたのは、ベーカー委員会ではなく、ベーカー委員会を作って動かすシナリオを書いてきた、もっと上位にいるゴールドマンサックスのボルテン首席補佐官らなのかもしれないが、いずれにしても、ブッシュの変節は、中間選挙で共和党が負けたからやむを得ず行ったことではなく、ブッシュを動かしている勢力が、中間選挙で負けることを想定して事前に考えていたもので、選挙の敗北という好機を使って方向転換が行われたように私には感じられる。 ▼上院で勝てたかもしれないのに・・・ ブッシュがホワイトハウスで、超党派の協調路線への転換を発表したとき、まだ選挙は完全に決着がついていたわけではなかった。議会の下院は、投票日7日の深夜には、民主党が過半数を制したことが確定したが、上院の結果は、バージニア州が残っており、そのほかの州の結果は、民主党50、共和党50と拮抗していた。バージニア州の上院の開票は7日深夜に終わり、民主党の候補が7000票という僅差で勝っていたが、この僅差は、負けた共和党から再開票を要求できる状態で、再開票の結果によっては上院の過半数を共和党がとれる状況だった。(関連記事) (上院は議員数が100だが、評決が50対50となったときには、議長である副大統領に投票権が生じる。チェイニー副大統領は共和党だから、51対50で共和党が多数派になる) バージニアの共和党上院候補であるジョージ・アレンは、再開票を要請する構えを見せていた。ところが選挙翌日、大統領のブッシュは記者会見でさっさと上下両院での敗北を認め、多数派になった民主党と協調したい、と表明してしまった。アレンは、はしごを外された形となり、翌11月9日に、再開票の要請はしないと表明せざるを得なくなった。(関連記事) ブッシュの早すぎる方向転換は、ブッシュ政権の方針を決めるホワイトハウスの戦略立案者たちが、選挙の敗北を転換の好機として使おうと事前に決めていたことをうかがわせる。 ▼イラクから早期撤退するための演出? ここで出てくる疑問は、ブッシュの変節は何のためなのか、ホワイトハウスの戦略立案者たちは何のためにブッシュに変節を演じさせたのか、新戦略は何なのか、ということである。 今回の変節を演出したと思われるベーカー委員会や、その黒幕と思われるホワイトハウスのボルテン大統領首席補佐官らのやり方は、事態が自然に動いているように見せつつ、シナリオに沿って流れを微妙に操作していくことである。 だから、彼らの意図が何なのか見えにくいのだが、ブッシュの変節から5日が過ぎた現時点までで、最も大きな動きだと私が思ったのは、民主党の下院の院内総務(下院の民主党議員のリーダー。議長に次ぐナンバー2)に、以前からイラクからの早期撤退を、民主党有力者の中で最もはっきりと要求し続けてきた軍人出身のジョン・ムーサが就任しそうだということである。11月13日、民主党議員の最有力者であるナンシー・ペロシ(次期下院議長)が、ムーサの院内総務就任に支持を表明した。(関連記事) 11月7日の中間選挙で民主党が勝ち、議会の上下院の両方の多数派をとって以来、民主党がホワイトハウスに対し、どの程度の早さでのイラク撤退を要求するのかが、焦点の一つになっていた。ペロシが、ムーサの院内総務への就任を支持したことは、民主党はブッシュにイラクからの早期撤退を声高に要求することにしたという意味に取れる。(関連記事) ペロシは、ブッシュ政権の黒幕的な顧問団として機能し始めた超党派のベーカー委員会と話し合って方針を決めているだろうから、民主党がイラクからの早期撤退をムーサ流に声高に要求することは、ベーカー委員会も認めたことであると考えられる。そこから憶測できることは、ブッシュ政権の黒幕たちは「民主党から要求されてやむを得ず」というかたちをとりつつ、イラクからの早期撤退を実現しようとしているのではないかということである。 ▼許されそうなイランと、窮するイスラエル もう一つ重要なのは、ラムズフェルドの後任の国防長官になるゲイツが、2004年以来「イランとの問題は戦争ではなく、外交交渉で解決すべきだ。ブッシュは、イラクの近隣国であるイランやシリアと話し合い、イラクの安定化に協力させるのが良い」と主張してきたことである。米政府は今後、イラクからの早期撤退を目的として、イラクの安定化のために、イランやシリアと話し合う方向に動く可能性がある。(関連記事) ブッシュ政権が、イラクからの早期撤退と、イランやシリアとの協調という路線を「民主党に要求されてやむを得ず」という粉飾した形で行わねばならないのは、米政界に強い影響力を持っているイスラエルが、これらを望んでおらず、ブッシュ政権としては、イスラエルに対する誤魔化しが必要だからであろう。ライス国務長官は11月12日、イスラエルの新聞のインタビューで「シリアは危険な国である」と改めて非難した。(関連記事) アメリカにはしごを外されつつあるイスラエルは、ブッシュの変節を見て危機感を募らせており、オルメルト首相は11月12日、イランに対する先制攻撃を行う可能性について初めて示唆した。これまでは、イランへの先制攻撃を主張していたのは、イスラエルの中でも極右だけだった。イスラエルがイランを先制攻撃すれば、アメリカをイランとの戦争に巻き込めるが、下手をするとイスラエルの自滅を早めることにもなる。(関連記事) ブッシュ政権の中東和平特使だったジェームス・ウォルフレンソンは中間選挙の直前に「アメリカは今後1−2年の間に、イスラエルに対する関心を減退させるだろう」と、アメリカのユダヤ人組織に対して述べている。(関連記事) ▼北朝鮮とも交渉するかも 民主党やベーカー委員会は、ブッシュに対し、北朝鮮とも直接交渉した方が良いと勧めている。アメリカがもっと強かった以前なら、アメリカが北朝鮮と直接交渉することは、中国に任せる度合いを減らすことになり、アメリカが朝鮮半島に対する覇権を取り戻す動きを意味していた。 しかし、強硬姿勢が失敗した結果、柔軟な姿勢に転換せざるを得なくなった今後のアメリカは、中国を排除して単独で北朝鮮問題に取り組む余裕が失われつつある。しかも中国は、今年10月の北朝鮮による核実験の後、北朝鮮を制御することに本腰を入れるようになっている。アメリカが今後、北朝鮮との直接交渉をする場合、中国を排除するのではなく、中国の協力を得ながら進める可能性が大きい。 すでにアメリカの財務省は、以前に封鎖したマカオの銀行にある北朝鮮の口座に対する封鎖解除について、北朝鮮側と実務者レベルの協議を開始する準備をしている。(関連記事) また、強硬派だったはずのウォールストリート・ジャーナルが最近「アメリカは北朝鮮との国交を正常化すべきだ」という主張を載せたりしている。(関連記事) アメリカが中国の協力を受けつつ北朝鮮と交渉し、国交正常化の方向に進むとなると、米中、米朝、米韓のすべての緊張関係が緩和される。その半面、アメリカが中朝韓の3カ国と対立していることを前提に対米従属を強化しようとしてきた日本は、一気に孤立する。日本は、中朝韓の3カ国との関係改善をせざるを得なくなる。 孤立してもかまわず一国で腹をくくって強硬姿勢を採るという選択肢もないわけではないが、昨今の日本の強硬姿勢は、アメリカに頼った「虎の威を借る狐」でしかないので、アメリカが軟化したら終わりだろう。その後、日本はアジア重視の時代に入ると予測される。 ベーカー委員会や民主党が、イラクからの撤退、イランやシリア、北朝鮮との直接交渉を求めるのに対し、ブッシュ政権の側は抵抗したり拒絶したりして、今後も事態の改善は進まないかもしれない。しかし、この先時間が経てば経つほど、世界情勢は外交的、軍事的、経済的に、アメリカにとって不利になり、いずれブッシュは譲歩する。ブッシュは抵抗しつつ譲歩していくというのも、ホワイトハウスの黒幕が書いた、状況の展開を自然なものに見せるためのシナリオの一部なのかもしれない。
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