北朝鮮ミサイル危機と日本2006年7月11日 田中 宇この記事は「続・北朝鮮ミサイル危機で見えたもの」の続きです。 7月5日に北朝鮮がミサイルを発射して以来、この問題に対して「国際社会」がどう対応しているかということについて、全く逆方向の2つの構図が展開している。 一つは、日本のマスコミ報道でふんだんに流されている構図だ。「日本が国連で提案した北朝鮮制裁案をアメリカは強力に支援し、制裁に反対しているのは、国連安保理15カ国のうち中国とロシアだけになった。日米やその他の国際社会と、中国、ロシア、北朝鮮という旧社会主義諸国との対立が、冷戦以来の激しさになりかねない。日本政府は、アメリカとの強い協調関係のもと、北朝鮮の悪事に荷担する中露に対し、毅然とした態度をとっている」というものだ。 もう一つは、日本のマスコミでは大きく扱われていないが、欧米マスコミでは主流の記事として出ているもので「アメリカは、北朝鮮を何とか6カ国協議の場に引き戻し、中国に主導させて、この問題を解決しようとしている」という構図である。これは、前回や前々回の記事で、私が説明してきた動きでもある。 日本語のマスコミにしか接していない読者の目には、一つ目の構図しか見えないかもしれないが、二つ目の構図は、間違いなく存在し、6カ国協議を再開しようとするアメリカの意志は、しだいに明確になっている。 アメリカ米政府を代表してヒル国務次官補が北京とソウル、東京を回り、6カ国協議の再開に向けて中国政府と話し合いをした。ヒルは、7月末に中国北東部の瀋陽で開くことを中国が呼びかけている次の6カ国協議の非公式会議の場で、アメリカと北朝鮮の代表が1対1で会合しても良いと発表した。これは、6カ国協議に北朝鮮を参加させるための提案である。(関連記事) 北朝鮮は、アメリカとの1対1の交渉を求めている。アメリカは、2国間交渉を拒否しつつも、6カ国協議の枠内でなら、米朝が2国間で対話することはかまわないと表明することで、北朝鮮の要求を限定的に受け入れる姿勢を見せた。6カ国協議の枠内で米朝が2者対談をおこなうやり方は、すでに昨年の6カ国協議で実現しており、それが繰り返されることになる。 ▼6カ国協議再開への道をひらくアメリカ アメリカは、前回の6カ国協議で北朝鮮に対する不可侵を消極的ながら表明した直後の昨年9月、マカオの銀行が北朝鮮政府のマネーロンダリングに協力していると非難し、アメリカの圧力を受けたマカオ当局は、マカオの銀行に北朝鮮の政府系企業が持っていた2400万ドルの銀行口座を凍結した。北朝鮮側は、マカオの口座の資金は違法なカネではないと反論し、アメリカがこの問題での北朝鮮の正当性を認めない限り、6カ国協議には二度と参加しないと宣言した。(関連記事) この問題について、ヒル国務次官補は、アメリカは問題の口座の凍結を解除するつもりはないと述べている。(関連記事) しかし、口座の凍結が解除されなくても、北朝鮮が満足できる別の方法が採られる見通しがある。アメリカの当局者は最近「問題の口座に入ってきた資金の出所を調べている。マカオの銀行から手書きの伝票の束を借り、1枚ずつ解読しているので時間がかかるが、口座の資金のうち、マネーロンダリンクの疑いがないと判明した分から、凍結を解除していく」という主旨の発言をしている。つまり、マカオの銀行の資金は、疑いが晴れた分から、少しずつ北朝鮮に返される可能性がある。この方法が採られた場合、北朝鮮の面子が立ち、6カ国協議に戻る条件が整う。(関連記事) また、日本人にとっては意外なことだろうが、アメリカ政府の担当者の中には「7月5日に北朝鮮が発射したのは長距離ミサイルではなく、人工衛星打ち上げ用のロケットだったようだ」と考えている人々がいると、AP通信などが短く報じている。(数発の短距離ミサイルと、人工衛星の発射を、同じ日に行ったという見解なのだろう)(関連記事その1、その2) 北朝鮮は、前回は1998年にテポドンを打ち上げたが、これも今では米政府内では「あれはミサイルではなく、人工衛星の打ち上げだった」ということになっている。いずれも、アメリカは、問題の解決を、中国中心の6カ国協議に任せられるよう、北朝鮮の脅威を過小評価しているのではないかと疑われる。 ▼日本の強硬姿勢は日米同盟強化のため 日本政府は、国連加盟のすべての国が北朝鮮を経済制裁することを義務づけられる決議でないと意味がないと主張してきた。制裁案は7月11日、土壇場で評決が延期され、中国による北朝鮮への説得工作の結果を待つことになったが、北朝鮮に対する日本の強硬姿勢は今後も変わらないだろう。 日本が強硬姿勢を崩さないのは、アメリカが日本の強硬姿勢を強く支持してきたからだ。アメリカが少しでも「日本の姿勢は過激すぎるのではないか」という意志を示唆したら、日本はすぐに態度を軟化させるはずである。戦後の日本政府は、アメリカが反対する外交政策を、決してやろうとしない。戦後の日本の外交政策は、日米の同盟関係が唯一絶対の重要性を持っている。 日本が7月11日に制裁案の表決延期を決めたのも、アメリカが「もう少し中国に努力させてみませんか」と日本に示唆したからだろう。アメリカは日本に、はっきり指図したりはしない。やんわりと持ちかけるだけだ。それだけで、日本はアメリカの意図を察して動く。日米間には、あうんの呼吸の主従関係がある。 ブッシュ政権が中国やロシアの台頭を容認する姿勢を強める中で、日本政府は、何とかして「日米が同盟し、中国、ロシア、北朝鮮などと対立し続ける」という冷戦時代の東アジアの国際体制を維持したいと思っている。アメリカが中国を敵視するほど、日米同盟は強化され、逆に、アメリカが中国の台頭を容認するほど、日米同盟は空洞化する。日本政府は、日米同盟の衰退を容認するわけにはいかない。 一方、中国政府は、日本やアメリカが個別に北朝鮮を経済制裁するのは、効果が薄いのでかまわないが、中国や韓国が対北朝鮮制裁を強制されることは絶対に認められないと考えている。北朝鮮の経済を細々と支えているのは、中国との国境貿易や、北朝鮮人の中国への出稼ぎなどであり、国連制裁でこれらの経済活動の息の根が止められると、北朝鮮は本当に困窮し、追い詰められて、朝鮮半島での戦争の可能性が高まる。 日本政府はおそらく、日米同盟が強化されるのなら、中国の拒否権発動によって国連安保理の協調体制が崩れ、国連が無力な組織になってもやむを得ないと思っている。中国が拒否権を発動すれば、日本としては中国を悪者にできて、その分日米同盟が強化されるので、むしろ日本にとって好都合だと日本政府は考えていたかもしれない。 日本が提案した北朝鮮制裁案には、イギリスとフランスという欧州勢も賛同しているが、彼らは、日本の意図とは逆に、国連の機能を維持するために、日本案に賛同してきた。国連は、欧米中心の世界体制を維持する機能の一つであり、隠れ多極主義のブッシュ政権は、国連なんか壊してやると思っているふしがあるが、欧州勢は、国連の力を何とか維持したいと思っている。 英仏は、国連の崩壊につながりかねない中国やロシアの拒否権発動を避けるため、最後の段階で、日本提案の制裁決議案の文章の一部を軟化させられるよう、賛成の陣営に加わってきた。国連安保理での欧米と中露との分裂は、同じく安保理で議論されてきたイランの核問題をめぐる交渉に悪影響を与えている。イランは、欧米から提案された条件への返答を遅らせる動きを再び強めている。(関連記事) ▼アメリカの二枚舌外交の意味 このような状況下で、最も大事な点は、アメリカは何を考えているのかということである。アメリカは、日本に対しては、中国が嫌がる強制力のある国連決議をやるのが良いという姿勢を見せる一方で、中国に対しては、中国主導の6カ国協議で問題を解決したいという姿勢を見せてきた。 これは、二枚舌外交のようにも見えるが、よく見ると2枚の舌の中身は矛盾していない。現実的にこれからどのような展開になりそうかということを見ると、アメリカの動きは「中国に問題解決のための努力を急がせる」という、一つの意図を持ったものに見えてくる。 日本が提案する北朝鮮制裁や、先制攻撃といった強硬策は、問題を解決できず、逆に、北朝鮮に戦時体制を強めさせ、金正日政権を維持する効果がある。北朝鮮は、もう何十年も戦時体制を続けており、金正日政権は、外国から攻撃されそうな状態が続く限り、軍内や党内からの異論を封じ込めることができ、国内政治的に安泰である。(関連記事) 北朝鮮は、制裁によって経済的に行き詰まったら、日米などに戦争を仕掛けてくるかもしれないが、実際に戦争になって最も損をするのは、戦時体制が得意な北朝鮮の方ではない。情勢安定を前提に経済発展することが最重要課題になっている韓国や日本の方である。 結局、北朝鮮問題の解決の方法は、米朝の直接交渉か、中国主導の6カ国協議しかない。アメリカは、直接交渉する気はないと何度も言っているので、問題の解決には、中国の外交力に頼るしかない。たとえ今後、国連での決議が強行され、中国の拒否権発動で否決されたとしても、アメリカは一時的に中国を非難するだけで、その後も中国中心の交渉で問題を解決しようとする姿勢を変えないと予測される。(関連記事) アメリカの同盟国の中でも、アジア重視の姿勢を強めるオーストラリアは、北朝鮮に対し「安く石炭を売るから6カ国協議に出てほしい」と提案している。中国や韓国と同じ姿勢である。東南アジアのASEAN諸国も、北朝鮮を説得したいと考えている。日本以外のアジア諸国は「中国に頑張ってもらい、これに他のアジア諸国も協力し、6カ国協議で問題を解決する」という姿勢に傾いている。アメリカも、二枚舌のうちの一枚は、この姿勢である。(関連記事その1、その2) ▼日本にほえさせて中国をけしかける 国連での北朝鮮制裁案の審議は、中国政府を「早く6カ国協議を開かねば」という気にさせている。アメリカは、日本の強硬姿勢を支持することで、中国に6カ国協議の早期開催をけしかける戦略であると見ることができる。 日本は、日米同盟の強化を願って、北朝鮮に対する強硬姿勢をとっているが、この日本の姿勢を利用してアメリカは、日本の願いとは逆に、中国中心のアジア諸国の自立した動きによって、朝鮮半島の問題を解決する新体制を作ろうとしている。中国の外交努力が成功したら、その後の朝鮮半島は、中国と韓国、ロシア、北朝鮮という当事者間の話し合いで動いていくようになる。アメリカは、東アジアおける国際体制の多極化を容認する度合いを強める。日米同盟強化のための日本の強行策は、結果的に、日米同盟の空洞化を進めることになりかねない。 このような展開を食い止めようと、日本が強硬姿勢を激化させたら、アメリカはそれを支持し続ける。たぶん最後まで、日本を制止するようなことはしない。アメリカのネオコンやタカ派は、日本の強硬姿勢を大歓迎するだろう。しかし、そこには罠がある。 アジア周辺諸国は、日本に対する批判的な姿勢を強め、日本抜きでアジアの問題を解決していく体制を作るようになる。アメリカは、二枚舌的に、このアジア独自の問題解決体制に対して「アメリカの負担軽減になる」と言って歓迎する姿勢を見せるだろう。 そしてアメリカは、アジアが独自に問題を解決できるようになったところで、アジアに対する影響力の行使を減らしていく。「これからもずっと日本の味方です」と言いながら、静かに日本からも米軍を引き揚げる。窮した日本が「これから日本はどうやって生きていけばいいのですか」とアメリカに相談すると「中国や韓国と仲良くしたら良いのではないですか。中韓も、日本との関係強化を望んでいるようですよ」と、おだやかに示唆される。私には、そのような展開の可能性が、日々強まっているように見える。 ▼イギリスやイスラエルの二の舞に? ブッシュ政権になってから、アメリカの覇権力を利用して自国の力を伸ばそうとした同盟国が、次々に似たようなやり方で弱体化させられている。イギリスやイスラエルがその例である。 イギリスは911後、冷戦に似た長期の地政学的な対立として「テロ戦争」を数十年続けることをアメリカと一緒に画策し、アメリカが単独でやろうとしたイラク侵攻にもついていった。たが、アメリカはイラクの占領を泥沼化させてしまい、イギリスでは反米感情が強まって、ブレア政権は窮地に陥っている。(関連記事) イスラエルも、テロ戦争の「キリスト・ユダヤ連合対イスラム世界」という構図を利用し、イスラムのアラブ側を政権転覆によって無力化し、中東での力を拡大しようとした。しかしこれも、アメリカが過激にやりすぎた結果、イスラム世界が反米・反イスラエルで結束する逆効果をもたらし、窮したイスラエルは、パレスチナ占領地からの撤退という「縮小均衡」で逃れようとしたが、困難に直面している。(関連記事) イギリスやイスラエルは、ブッシュ政権の強硬姿勢を利用して自国を強化できると考えたのだろうが、ブッシュ政権は強硬姿勢をやりすぎて、世界中の反米・非米の勢力を強化してしまい、自国と同盟国を弱体化している。日本も、今はまだ、日米同盟で中朝露など対峙して勝てると考えている人が多いだろうが、そのうちにイギリスやイスラエルと同様、ブッシュ政権の隠れ多極主義者に足をすくわれかねない。 日本が、自国に不利な結果を招きたくないと考えるなら、対米関係だけに賭けず、オーストラリアやシンガポールのように、アメリカと、中国中心に自立しつつあるアジアとの両方を向いた、両建ての戦略を採った方が良い。日本が両建ての戦略を採っても、アメリカは十分容認してくれるはずである。両建ての戦略を採る場合、北朝鮮の問題に対しては、6カ国協議の再開を最重視することになるので、日本と中国の方針は、同じ方向性になる。(関連記事)
田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |