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北朝鮮ミサイル危機で見えたもの

2006年7月4日  田中 宇

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 北朝鮮が、アメリカ本土まで届くとされる長距離ミサイル「テポドン2号」の発射実験を行いそうだと日米韓の当局が言い始めたのは、5月下旬のことだった。6月に入り「北朝鮮はミサイルをサイロから出した」「燃料の注入を始めそうだ」といった、偵察衛星の写真解析をもとにした情報が頻繁に流れるようになった。(関連記事

 6月20日ごろまでには、日本海岸の基地内のミサイルの周辺に燃料タンクが置かれているのが上空から確認された。ミサイルの燃料は腐食性で、注入したら数日間のうちに発射する必要があり、天候なども考慮すると、6月24−25日の週末に発射される可能性が高いと言われていた。

 日本政府は「ミサイルを発射したら経済制裁を検討する」と発表し、アメリカ政府は「事前通告なしの実験は、本気のミサイル発射と見分けがつかない。戦争になるおそれがある」などと発表した一方、韓国政府は「置かれている燃料の量から考えて、搭載されているのは爆弾ではなく人工衛星であり、ミサイル発射ではなく人工衛星の打ち上げだろうから心配しなくて良い」と緊張緩和に動いた。(関連記事

 北朝鮮政府は6月20日に「わが国にはミサイル実験を行う権利がある」と発表するとともに、北朝鮮の国営メディアは「6月25日に重要発表がある」と予告し、前回1998年の発射実験のときの成功談を報じたりした。 6月24−25日にミサイル発射実験が行われそうな流れだった。 (関連記事

 ところが実際には、発射実験は行われなかった。どうやら北朝鮮政府は、本当に注入しているかどうかは上空からは分からないことを利用して、人工衛星から見えるように燃料タンクを置きつつ実際には注入しなかったり、自国のマスコミで重要発表を予告したりして、アメリカなどの外国に対し、ミサイル発射の芝居を打ったようである。

【この記事を書いた2日後の7月6日、北朝鮮がミサイルを発射した。アメリカは、 】

▼アメリカとの直接交渉が目的

 北朝鮮は、なぜミサイル発射の芝居を打ったのか。日程的なタイミングから考えると、その理由は「アメリカに直接交渉を断られたから」である。北朝鮮をめぐる6カ国協議は中国や韓国が主導だが、北朝鮮は中韓との交渉には積極的でない。北朝鮮は「世界一強いアメリカから国家の存続を認められれば、他の国々など怖くない」と考えて、アメリカとの2国間交渉の成立を最重要課題にしてきた。

 北朝鮮政府は6月1日、アメリカの対北朝鮮交渉担当者であるクリストファー・ヒル国務次官補を平壌に招待したいと発表した。同日には、4月に訪米してブッシュ大統領との個人的なつながりを得た中国の胡錦涛国家主席もブッシュに電話して、北朝鮮の招待を受けてヒルを訪朝させてほしいと依頼した。しかしブッシュは「わが国は6カ国協議の枠組みでのみ、北朝鮮と交渉する。直接交渉はしない」と言って断った。(関連記事その1その2

 北朝鮮がミサイル発射の芝居を本格的に始めたのは、北朝鮮がヒルを招待し、米側が断ってからのことである。ミサイル発射の懸念が高まった6月21日、国連で北朝鮮の代表が、アメリカとの交渉を希望すると表明している。(関連記事

 米政府内には、核問題の解決には、北朝鮮と直接交渉した方が良いと考える人もいるが、政権中枢は、直接交渉を強く拒否している。4月中旬、東京で「アジア協調対話」の定期会合が開かれ、そこに出席したアメリカのヒル次官補と北朝鮮外務省の代表が、全体会合とは別に米朝が2者会談できるよう、日本側が計画したが、米政権中枢が直接対話に反対し、実現しなかった。(関連記事

 北朝鮮がアメリカとの2国間交渉を希望し続け、アメリカはそれを断り続け、北朝鮮が過激な言動をとってみせると、アメリカは中国に向かって「6カ国協議は貴国が中心なのだから、北朝鮮を抑えてくれ」と求め、中国や韓国が動き出す、ということが2003年以来繰り返されてきた。

 今回も同じパターンが繰り返されており、中国政府は、6カ国協議の他の参加国に対し、7月下旬のG8首脳会議の後、非公式の6カ国協議を行うことを提案している。中国が目指している解決策の中身はまだ明らかではないが、これまでの経緯から、昨年9月の6カ国協議でアメリカが認めた北朝鮮に対する不可侵声明を、さらに具体的な不可侵の約束にすべくアメリカに確約させ、その見返りに、北朝鮮に核査察の受け入れなどを飲ませるというシナリオを中国が展開しようとするのではないかと推察される。(関連記事

▼イラン問題との関係

 昨年9月、中国の主導で、アメリカが北朝鮮に対する不可侵を約束した6カ国協議の共同声明が出されて以来、北朝鮮はアメリカとの直接交渉を求める動きを止めていた。それがここにきて、ミサイル発射芝居という形の対米直接交渉の要求が、北朝鮮から改めて出てきた背景には、イランの核疑惑をめぐる交渉にアメリカがしぶしぶながら参加することを決めたことが関係していそうだ。

 アメリカは、イランでイスラム革命が起きて反米政権ができた1979年以来、27年間にわたり「イランは敵なので交渉せず、政権転覆させる」という態度を貫いてきた。昨年からの核開発疑惑で、EU(英独仏)は、イランと交渉して核開発をやめさせようとした。だがイラン側は、アメリカから潰されかねない中で、EUと和解して譲歩することなどできないと拒否し、アメリカが参加しない交渉はやらないという方針をとった。EUはアメリカに、交渉に参加するよう頼み込み、アメリカは5月末、不本意ながら参加を了承した。(関連記事

(ただし、アメリカの交渉参加は、イランが民間利用も含めたウラン濃縮工程をすべて止めることを前提としている。イランは民間利用のウラン濃縮の停止を強く拒否しているため、アメリカは、形式上は交渉に参加したものの、それは実質的な変化ではない)(関連記事

 イランに対するアメリカの27年ぶりの態度の軟化を見て、北朝鮮の金正日は「うまくやれば、アメリカはわが国とも直接交渉してくれるかもしれない」と思ったのだろう。それで、6月1日に、ヒル国務次官補を平壌に招待する声明を出した。しかし、アメリカは乗ってこなかったので、金正日は、ミサイル発射の芝居を打った。

▼韓国との関係改善への警戒

 北朝鮮がミサイル芝居を打ったことには、もう一つ背景がありそうだ。それは、韓国との関係である。昨年9月の6カ国協議で、アメリカが北朝鮮に不可侵を約束する共同声明を出した後、韓国は北朝鮮との関係改善に動き出した。(関連記事

 今年5月には、南北の鉄道の相互乗り入れや、金大中・韓国前大統領の平壌訪問、韓国が北朝鮮に作った開城工業団地への外国企業の誘致などの計画が浮上し、初の南北軍事対談も行われ、南北関係が進展した。韓国のイ・ジョンソク統一相は5月19日「今後1年以内に、南北関係は劇的に改善するだろう」という予測を発表した。(関連記事

 しかしその一方で、昨年9月に示されたアメリカの北朝鮮に対する不可侵宣言は、その後具体的な形になっていかず、北朝鮮としては、アメリカから攻撃される懸念が消えていない。韓国との緊張緩和が先に進み、鉄道線路の結節などが実現すると、北朝鮮としては、在韓米軍に対する防衛力が低下してしまう。そのため北朝鮮は、韓国側との緊張緩和の動きを止めることにしたらしく、5月25日に予定されていた初の鉄道の相互乗り入れを、前日になって突然中止すると発表した。(関連記事

 その後、北朝鮮側は、アメリカからより明確な不可侵の約束をとりつけるため、もう一度事態を緊張させるべく、ミサイル発射の芝居を打ち、これを受けて、6月27日に予定されていた金大中の平壌訪問も延期された。

 このように、今回のミサイル騒動によって、韓国と北朝鮮の緊張緩和の動きは止まったが、今後、中国の主導で、アメリカの北朝鮮に対する不可侵の約束が明確化される動きが再開されれば、南北での緊張緩和の動きも再開されると予測される。

▼北朝鮮にだけ甘いチェイニー

 金正日の芝居は、今回も、アメリカの態度を変えるには至らなかったが、副産物として、ブッシュ政権が本当はどのような戦略を持っているのかを暴露する効果があった。

 北朝鮮のミサイル発射準備に対するブッシュ政権の反応として最も象徴的だったのは、チェイニー副大統領の対応だ。彼は「北朝鮮のミサイルの能力は大したことがないので、アメリカにとって脅威ではない。だから北朝鮮を先制攻撃する必要はない。北朝鮮を攻撃すると、朝鮮半島で戦争が起きてしまうので、攻撃しない方が良い」と、6月22日のテレビのインタビューで発言した。(関連記事その1その2

 チェイニーは2003年のイラク侵攻前には「イラクが大量破壊兵器を持っている根拠が薄いとしても、イラクのミサイルがアメリカには届かないとしても、イラクがアメリカにとって脅威であることには変わりがなく、いずれフセインはアメリカを攻撃してくるのだから、その前にイラクを先制攻撃すべきだ」という趣旨の発言を繰り返し、政権内のネオコンを率いて、大量破壊兵器も長距離ミサイルも持っていないことが分かっていたイラクに米軍を侵攻させる計画を主導した。チェイニーは、核兵器を持つまでには10年以上かかるイランに対しても、先制攻撃を辞さない方針をとり、最近はロシアに対しても敵対的な強硬発言を行っている。(関連記事

 脅威を誇張し、敵対を煽り、交渉を拒否して軍事的な「解決」を行うのが、チェイニーらブッシュ政権の主流派(タカ派)のやり方だった。ところが彼らは、北朝鮮に対しては全く逆の姿勢をとっている。北朝鮮は、長距離ミサイルも核兵器も持っている可能性が高いのに、チェイニーらは「大した脅威ではない」「戦争になるので攻撃しない方が良い」と、脅威を小さめに評価している。

 この傾向は以前からのものだ。たとえばイラク侵攻の戦略を立案したネオコンとチェイニーのシンクタンク「アメリカ新世紀プロジェクト」(PNAC)は、2003年のイラク侵攻直後「北朝鮮とは戦争しない」という論文を出している。(関連記事

▼消極的な中国に北朝鮮問題を主導させる

 ブッシュ政権が、北朝鮮に対してだけ「攻撃しない」と言い続けているのは、おそらく、そうしないと中国が6カ国協議の主導役を務めてくれなくなるからである。中国は、アメリカに敵視されることを恐れている。共産党政権樹立後の60年間の米中関係は、アメリカ側の反中国派(冷戦派、軍事派)と親中国派(財界、多極主義者)との暗闘が反映されて揺れ続けてきた。中国側は、冷戦期のようにアメリカから敵視される傾向が強まると、経済制裁や軍事包囲網などによって国力を消耗させられるので、アメリカとの関係を悪化させたくない。

 アメリカが北朝鮮を軍事攻撃する方針の場合、中国が北朝鮮の問題に関与しすぎると、中国は北朝鮮の味方だとアメリカからみなされ、米政界の反中国派に格好の攻撃材料を与えかねない。アメリカが中国に「北朝鮮問題の解決を主導してくれ」と頼んでくるのは、あとで中国を北朝鮮と同罪の悪役に仕立てて潰しにかかるための「引っかけ」かもしれないと中国側は疑い、北朝鮮問題に関与することに消極的だった。

 中国側を警戒させないためには、ブッシュ政権は、緊張が高まるごとに「北朝鮮を攻撃しない」と言い続ける必要がある。中国は、アメリカとの敵対は避けたいが、アジアでの覇権国にはなりたいと考えている。ブッシュ政権は、この中国の野心を利用して、北朝鮮問題の解決を中国にやらせている。

 中国に北朝鮮問題を主導してもらうため、アメリカは密約的な交換条件を出した疑いもある。私が疑っている交換条件の一つは「アメリカは台湾の独立運動をやめさせる」という約束である。ここ1−2年ほどの間に、アメリカは独立傾向を持つ台湾の陳水扁政権に対してしだいに冷淡になっている半面、親中国の野党・国民党の馬英九党首を、今年3月の訪米時に厚遇している。(関連記事

 中国側は「北朝鮮問題に取り組むから、日本の首相の靖国参拝もやめさせてくれ」とブッシュ政権に求めた可能性もある。ブッシュ大統領は昨年11月の訪日時、日中関係の悪化を懸念していると小泉首相に伝えたのに対し、小泉は「誰が止めても、私は靖国参拝します」という趣旨の発言をしている。

▼暴露されたミサイル防衛システムの欠陥

 金正日のミサイル芝居が期せずして暴露したアメリカの秘密は、ほかにもある。それは「アメリカのミサイル防衛システムは使いものにならない」ということである。

 北朝鮮がミサイル発射実験を実施する懸念が高まった6月20日、アメリカ国防総省の高官が匿名で「ミサイル防衛システムを、テストモードから実戦モードに初めて切り替えた」という情報を米マスコミに流した。ミサイル防衛システムは、アメリカに向けて飛んできたミサイルに対し、アメリカ西海岸やアラスカから迎撃ミサイルを当てて空中で破壊する防衛システムで、1980年代から巨額の防衛費をかけて開発され、2004年から配備されていた。(関連記事

 鳴り物入りで開発されてきたミサイル防衛システムがいよいよ実戦で使われるという報道が出たわけだが、これに対する国防総省の正式発表は「ミサイル防衛システムはまだ開発段階で、その能力には限界がある」というものだった。国防総省は、ミサイル防衛システムは北朝鮮のミサイルを迎撃できないだろう、と認めたに等しかった。(関連記事

 この一件を受けて、米マスコミでは「ミサイル防衛システムは、全く使いものにならない状態にある」という解説記事が出てきた。国防総省は、2002年から10回にわたり、ミサイル防衛システムの迎撃実験を繰り返してきたが、このうち迎撃に成功したのは5回だけだった。しかも、この実験の条件は、あらかじめミサイルの発射時刻、軌道、大きさ、速度などを、システムに把握させた上で、雲のない好天時に、実際のミサイルより遅い速度で飛ばしたダミーのミサイルを迎撃させたものだった。(関連記事

 現実には、ミサイルの飛来が把握されるのは迎撃すべきタイミングの数分前で、ミサイルの大きさや軌道、速度などの条件の多くが分からない状態で、迎撃ミサイルを発射させねばならない。敵方のミサイルの飛行状況を事前にすべて把握した状態での好天時の命中率が50%ということは、飛行状況がほとんど分かっていない悪天時の現実的な命中率は、非常に低いことになる。

 また、これまでの実験で、迎撃ミサイルの発射装置に重大な欠陥があることが分かっている。基地は海岸の近くにあり、常に潮風を受けているのだが、塩の被害によって迎撃ミサイル発射装置が正常に作動せず、発射ボタンを押しても発射しないケースが、04年と05年の実験時に相次いだ。このため国防総省は、発射装置をメーカーに差し戻し、再設計させる予定になっている。迎撃ミサイルは、命中しない以前に、発射できないのである。(関連記事

 これらの状況は、米議会の会計検査院(GAO)が今年3月に発表した報告書で明らかにされていたが、米マスコミで大々的に報じられることはなかった。6月に北朝鮮のミサイル発射問題で、国防総省が「ミサイル防衛システムはまだ使えない」と発表したため、GAOの報告書が注目を集めることになった。

 こんなお粗末な展開になっているのは、本来はあと20回ほどの実験を行ってから配備するはずだったのに、メーカーの軍事産業が、911後に軍事予算の急増が続いている間に前倒しで配備するよう米政府に圧力をかけ、ブッシュ政権は、実験不足のまま2002年に配備を決めてしまったからだった。(関連記事

(北朝鮮のミサイル発射問題の緊張が高まったことを利用して、日米は、アメリカの「パトリオット」型迎撃ミサイルを日本に配備することを決めている。これもミサイル防衛システムの一つであるが、この件については、北朝鮮問題に対する日本の対応のユニークさや、日米の軍事関係の隠された本質について分析する必要があり、話が長くなるので、次の機会に改めて分析する)

▼ブッシュ以上の強硬姿勢を見せたがる米民主党

 ブッシュ政権が、北朝鮮は攻撃しない姿勢を採っているのを見て、アメリカの野党民主党は、この姿勢を非難することで、今秋の米議会の中間選挙で自党を有利にするための宣伝に使おうとした。北朝鮮がミサイル発射実験しそうな緊張状態が高まっていた6月22日、クリントン政権で国防長官だったウィリアム・ペリーと、彼の副官だったアシュトン・カーターという民主党の戦略家2人がワシントンポストに「ブッシュ政権は、北朝鮮を先制攻撃することを検討すべきだ」という主張を載せた。(関連記事

 イラク占領の泥沼化で、米国民の間には反戦気運が広がっているが、米政界ではいまだに反戦より好戦の方が選挙戦に有利だと考えられていて、民主・共和両党とも、2008年の大統領選挙への出馬を考えている政治家は皆、好戦的な発言を繰り返している。民主党の主流派は、何とかして共和党ブッシュ政権よりもさらに好戦的な言動を行い、ブッシュの弱腰を非難する構図を作りたいと考えて、ペリーらの先制攻撃の主張が出てきたようだ。

 在韓と在日の米軍部隊の多くは、イラクの兵力不足を補うため、イラクに行ったままになっており、今の米軍には北朝鮮を先制攻撃する余裕はない。米民主党は、それを十分承知の上で先制攻撃の主張をしているのだろうから、彼らの主張は選挙前の宣伝活動以上のものではない。(関連記事

▼北朝鮮問題と世界の多極化

 アメリカが、何とかして中国に北朝鮮問題の解決を主導させるべく画策している理由は、ブッシュ政権の隠れた戦略が「世界の多極化」であると考えると、よく理解できる。

 中国が主導し、韓国とロシアが協力するという6カ国協議は、中国とロシアが組んでユーラシア大陸の広域安保体制を作る「上海協力機構」などと並んで、世界を、アメリカの単独覇権体制(欧米協調体制)から、多極化された体制へと転換させる動きになっている。

 中国主導の6カ国協議と、ブッシュが拒否する米朝の直接交渉とは「北朝鮮に核兵器を放棄させる」という目標は同じだが、プロセス的に正反対の作用をもたらす。米朝の直接交渉は「アジア諸国にとって世界の中心はアメリカで、重要な外交事項は、すべてアメリカとの2国間の話し合いで決まる」という、冷戦時代からのアジアでのアメリカの単独覇権体制を維持強化するものだ。反対に、6カ国協議の行きつく先は、極東の諸国が自分たちで問題を解決し、アメリカは形だけ参加しているという、アジアの自律的な安保体制である。

 6カ国協議を通じて北朝鮮と周辺国の敵対や緊張が解決された後、6カ国協議は極東の多国間の安全保障機構として残るだろう。極東より西の地域では、中国・ロシア・モンゴル、中央アジア・インド・イランを包括する「上海協力機構」が立ち上がっている。東南アジアには「ASEAN+3」ができている。いずれも、アメリカの覇権からは独立した集団安全保障の枠組みとして機能しつつある。これに、極東の6カ国協議が加わり、台湾海峡の問題も台独運動の縮小によって安定すれば、アメリカにとって手のかからないアジア、アメリカの覇権から自立したアジアが出現する。

 ブッシュ政権がアジアの自立や世界の多極化を望んでいるという考え方は「アメリカが自ら覇権を手放すはずがない」という人々の直観や常識に反しているが、イラク侵攻以来、世界が多極化の方向に動き続け、アメリカがそれを止めず、無関心ないし逆効果の対応を続けていることは、ほぼ確かな事実である。

 ブッシュ政権は、反米的な傾向が強い中東諸国やロシアに対しては、相手方の反米傾向を煽り、反米諸国を結束させることで、多極化を推進している。イランに対して「軍事侵攻も辞さず」という態度を採り続けているのが、その例である。また、イラクでの米軍の残虐行為が暴露されるたびに、反米感情が世界的に強まり、結果的に多極化が推進される。半面、反米のレッテルを貼られたくない中国に対しては、ブッシュ政権は「北朝鮮は攻撃しない」と言い続け、朝鮮半島への中国の覇権拡大を誘導している。

 ブッシュ政権中枢で、世界の多極化を推進する中心的な人物は、おそらくチェイニー副大統領である。ライス国務長官、ハドレイ大統領補佐官も、チェイニーと同歩調の発言を繰り返しており、強硬な単独覇権主義者のふりをした多極主義者であると感じられる。彼らは、単独覇権主義を過度にやることで、世界を多極化している。一方、ブッシュ大統領は、おそらくチェイニーらの謀略に気づいていない。ブッシュは、側近が吹き込む歪曲された話を信じ続け、現実世界の込み入った事情について何も知らないまま、任期を終えるのだろう。

 911後の国際情勢の一つのポイントは、政権中枢の人々だけに知らされる「極秘情報」の中に、チェイニーの側近らが歪曲捏造したウソ情報がたくさん混じっていることである。この「極秘情報」を知らされた日本や西欧などの同盟国の高官たちも、米高官が伝えてきた話だから間違いないと思って、ウソを疑わずに信じてしまう。同盟国の高官たちが「どうもアメリカはおかしい」と気づくころには、チェイニーらの謀略は、すでに逆転できないところまで進展している。

 チェイニーらが仕掛けた多極化戦略は、イラクの泥沼化と米軍以外の同盟軍の逃避、イスラエル周辺の事態の泥沼化、米英同盟の崩壊(イギリス世論の反米化)、ロシアや中国の覇権強化、中南米の反米左翼化などが実現しつつあることで「仕込み」の段階が終わった観がある。今後、金利高によるアメリカ経済の減退、ドルの大幅下落などを経て、アメリカの覇権衰退が現実のものとなり、世界の多極化が現実化していくと予測される。


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