自滅したがるアメリカ2006年3月14日 田中 宇最近のアメリカは、どう考えてもアメリカ自身にとってマイナスにしかならないと思われる戦略を、立て続けに行っている。 その一つは、3月初めにインドを訪問したブッシュ大統領が、インド政府との間で、アメリカが持つ原子力の技術と燃料をインドに供与する協定に調印したことである。この協定によってアメリカは、インドに対し、日本に対してと同じぐらいの、制限の少ない核技術の供与を行うことになった。 インドは1974年と98年に核実験を行った核兵器保有国である。しかも、インドはIAEA(国際原子力機関)に加盟しておらず、自国内の核施設に対する査察も拒否している。アメリカは従来、米英仏中露の国連の常任理事5カ国以外の国が核兵器を持つことを禁じた核拡散防止条約(NPT、1970年発効)を維持し、5カ国以外が核兵器を持たないようIAEAが各国を査察する国際体制を守る戦略をとってきた。 だがNPT体制が作られた後、インドのほか、パキスタンとイスラエルが、NPTとIAEAの体制に入ることを拒否したまま核兵器を保有している。加えてアメリカは、北朝鮮とイランが核兵器開発を行っていると指摘している。アメリカが核拡散防止の世界体制を維持しようと考えるなら、北朝鮮やイランを制裁するだけでは足りず、インド、パキスタン、イスラエルという「不正」な核保有国に対して厳しい態度をとることが必要になっている。 (常任理事国のみに核兵器保持を許すNPTの体制そのものが「正しい」ものかどうか、以前から疑問が出されているのに加え、イランが核兵器を開発している根拠はなく、北朝鮮についても最近CIAが「核兵器を持っているかどうか分からない」と見解を後退させているなど、核拡散防止をめぐる世界体制にはおかしな点が多いが、ここではアメリカの建前的な考え方に沿って話を進める)(関連記事) ▼最悪のタイミングで出されたインドへの核技術供与 今回、アメリカがインドに対して与えることになった核の技術は、発電用の原子力技術ということになっている。しかし、インドはアメリカから得た技術を、計画中の高速増殖炉の建設に使うと予測される。高速増殖炉ではプルトニウムが生成されるので、インドはプルトニウム核爆弾の大量生産が可能になる。(関連記事) NPTとIAEAに加盟していないインドに、核兵器への転用が可能な技術を供与することは、インドが核爆弾を追加製造することを認めるに等しい行為である。ブッシュ政権とインドとの協約は、国際社会の核拡散防止体制を破壊する行為であるという批判が欧米の新聞に載り、日本政府内のこの問題の担当者も、昨年末の段階で、私に対して同様の懸念を示していた。 アメリカがインドに核技術を与えるのを見て、世界の他の国々が「NPTに入って核兵器開発をあきらめるより、インドのようにNPTに入らずに核兵器開発をしてしまった方が、結局アメリカは追認してくれるのだから得策だ」と思うようになり、こっそり核兵器の開発を始める国が今後増えそうだと予測されている。これは、NPTに基づく核拡散防止体制の崩壊につながる。 ブッシュ政権は内外からの批判に応え、核協定を結ぶまでの交渉の中で、インドにIAEAの査察を受けるよう求めたが、これはおざなりのものだった。米側との交渉の中で、インド側は、国内の22カ所の原子炉のうち、発電用の原子炉は査察させてもよいと表明し、いくつの原子炉が査察を受けるかが米印間の交渉の焦点の一つとなった。 ブッシュ大統領のインド滞在の最後の夜に、インド側は査察対象の原子炉を14カ所に増やすところまで譲歩し、そこで交渉が妥結した。核兵器の開発が、高速増殖炉を含む残りの8つの軍事用原子炉で行われていることは明らかで、そこを査察しないと意味がなかったが、ブッシュ政権は、これでインド側と交渉したことにしてしまった。(関連記事) アメリカとインドの原子力協定は「これ以上悪いタイミングはないと思われるぐらい悪いタイミングで行われた」と指摘する新聞記事も出ている。米印間の協定は、アメリカを中心とする「国際社会」が、イランに圧力をかけて核開発をやめさせようとしているまさにそのときに調印されたからである。(関連記事) イランはNPTに加盟し、IAEAの査察も受けている。IAEAは、イランが核兵器を開発していると考えられる根拠をつかんでいない。アメリカは、NPT体制に加盟しているイランを先制攻撃の対象にする一方、NPTに加盟せずに核兵器を開発したインドには、追加の核兵器を開発できる技術を与えている。これを見て、もともとアメリカに負けず強硬姿勢だったイランは「核開発は軍事用ではなく発電用なので絶対にやめない」という態度をさらに強めている。(関連記事) ブッシュ政権は、イランに戦争を仕掛ける口実を作るため、最悪のタイミングでインドと原子力協定を結んだのかもしれない。ブッシュ政権の中には「戦争によってしかイランの政権転覆は実現できない」と考えているネオコン的な強硬派がいる。以前の記事に書いたように、彼らは昨年7月のイランの選挙で対米強硬派のアハマディネジャドが勝って大統領になるのを助けたりしている。 ブッシュ政権内の強硬派は、EUやロシアが頑張ってイランと交渉して外交的にイランの核疑惑が解決されてしまうことを避けたいはずだ。彼らがブッシュ大統領を動かし、イランをめぐる外交交渉が盛り上がってきた矢先に、インドとの原子力協定を締結させたのかもしれない。 ▼中国包囲網にもなっていない 米印間の原子力協定は、インドを軍事的に強い国にすることで「中国包囲網」を強化する意図があるという指摘もあるが、これは当たっておらず、ブッシュ政権がインドとの核協定を正当化するためにマスコミにリークした説明だと思われる。親中国派のキッシンジャー元国務長官は、インドへの核供与をやんわり批判する最近の論文で「アメリカの対インド政策は、しばしば(本当の目的は別のところにあると示唆する)ウインクをともなって、中国包囲網として正当化されている」と書いている。(関連記事) 中国とインドは、冷戦時代の対立関係を2002年ごろから劇的に好転させ、中印にロシアを加えた3大国で、ユーラシア大陸の新しい安全保障体制を構築し始めている。インドは、中国やロシアと戦略的な関係を築くとともに、アメリカとも友好関係を維持するという、両立ての戦略を採っている。アメリカは今回の核協定に至る交渉の中で、インドに対し、中国との関係見直しを促すような要求を何も行っていない。そもそも最近のブッシュ政権は、台湾の陳水扁政権の独立傾向を批判したりして、全体的に中国に対して腰が引けている。「中国包囲網」は口だけである。(関連記事) アメリカがインドに核技術を与える決定をしたのを見て、慌てたのはパキスタンである。ブッシュ大統領はインド訪問の後、3月4日にパキスタンに立ち寄った。パキスタンのムシャラフ大統領はブッシュに「インドに与えたのと同じ核技術をわれわれにもください」と求めた。だがブッシュは「インドとパキスタンは、必要とするものも歴史も異なるので、当然違う対応になる」と答えて拒否した。インドは民主主義国だが、パキスタンは独裁国でイスラム原理主義が強く、核技術を渡すとアルカイダが核兵器を持つようになるのでダメだ、という意味である。(関連記事) パキスタンの核技術は中国から譲渡されたものだと考えられているが、アメリカから核技術をもらえなかったパキスタンは、今後さらに中国との軍事技術関係を強化する可能性が高い。アメリカがインドにだけ核技術を与えたことは、パキスタンが中国に頼る傾向を強めることになり「中国包囲網の強化」とは反対方向に事態を動かしている。 インドは、イランの石油や天然ガスを、パキスタンを経由して自国まで運ぶパイプライン構想を進めている。ブッシュ政権は、以前からこの構想に反対しているが、この構想を中止することが、インドに核技術を渡す米側の条件になったりはしなかった。インドは、アメリカから核技術をもらう見返りとして、何もあきらめる必要がなく、中国との戦略的関係を維持し、イランとのパイプライン構想も続行している。ブッシュが帰った数日後、インドはイランやパキスタンとパイプライン建設について会合を持った。アメリカの新聞には「ブッシュ大統領はインドに行かない方が良かった」という批判記事も出ている。(関連記事その1、その2) ブッシュの奇妙な行動を受けて、核兵器開発疑惑でアメリカと対立しているもう一つの国である北朝鮮も反応した。北朝鮮は3月8日、日本海に向けてミサイルを試射し、これと前後して「アメリカが経済制裁を解かない限り6カ国協議には参加しない」という表明を繰り返した。これは、アメリカの真意を探るために強硬姿勢をとってみるという、北朝鮮が以前から採っている戦略を行ったのだと考えられる。(関連記事) アメリカでは軍事産業の政治的影響力が強いので、ブッシュがインドに核技術を与えたのは軍事産業(原子力産業)を儲けさすためだろう、という見方をする人もいる。しかし、アメリカ原子力産業の最大手2社の一つであるウェスティングハウスは、日本の東芝が全株を買収して傘下に入れてしまった。アメリカの技術を使ってインドが原子炉を増設しても、もはやアメリカの企業が儲かる状況ではなくなっている。(関連記事) ▼ドバイ・ポーツ社問題も自滅的 アメリカで自滅的な国際戦略を強行している人々は、ブッシュ政権のホワイトハウスだけではない。ホワイトハウスを批判監督する立場にあるアメリカ連邦議会も、アメリカを自滅に導きかねない行動をとっている。 最近、その象徴と思えるものは、中東・アラブ首長国連邦の政府系の港湾運営会社である「ドバイ・ポーツ・ワールド」が、ニューヨークなどアメリカ東海岸の7つの貨物港の運営を手がけることになったのに対し、米議会が超党派でこれに反対して話を潰したことである。 アラブ首長国連邦(UAE)は7つの首長国の連合体で、それぞれ別々の王家(首長)が統治している。首都はアブダビ首長国にあるが、経済的に最も発展しているのがドバイ首長国である。ドバイ首長のマクトム・ビン・ラシド・アル・マクトムは、石油収入を浪費せず投資に回してドバイを経済発展させることに熱心で、大規模な空港やオフィスビル街、世界最大の人工島、砂漠の人工スキー場まで作り、世界から金融機関を呼び込んでドバイを中東有数の金融センターに成長させた。 2001年の911事件後、アメリカではアラブの資金は「テロ資金ではないか」と金融当局から疑いをかけられることが多くなり、巨額の石油収入(オイルマネー)を持っているアラブ諸国の王家など金持ちはアメリカに投資しにくくなり、地元の中東で投資するようになった。その影響で、金融業などのドバイのビジネスも空前の繁栄を遂げている。(関連記事) ドバイ首長は、サービスが評判で優良航空会社として知られるエミレーツ航空を立ち上げるなど、交通関係のビジネスにも力を入れている。その一つが世界各地での港湾運営業である。ドバイ首長はもともとドバイの港湾を整備して流通業をさかんにすることに熱心だったが、この港湾運営ノウハウを国際的に拡張していくため、昨年ドバイ・ポーツ・ワールドを設立し、業務拡大のため、イギリスの大手の海運・港湾運営会社「ペニンシュラ&オリエンタル・スチーム・ナビゲーション社」を買収した。(関連記事) ペニンシュラ社は、アメリカのニューヨーク、ニュージャージ、ボルチモア、フィラデルフィア、マイアミ、ニューオリンズの各港の運営を米政府から委託されており、買収によって、これらの港の運営はドバイ・ポーツ社が手がけることになった。米政府は、いったんは港湾運営者がペニンシュラからドバイ・ポーツに変わることを了承した。 ▼テロ対策を装った衆愚政治 だがその後、アメリカ連邦議会は、911事件の実行犯のうち2人がアラブ首長国連邦の旅券を持っていたことを理由に「ドバイはテロ支援をしている疑いがあり、そこの会社にアメリカの港湾運営を任せることは問題だ」として反対し始めた。反対運動は、共和党・民主党の超党派で展開され、アラブに対する偏見が強くなっている米国民の世論を巻き込んで反対が強まり、結局ドバイ・ポーツは港湾運営を断念し、アメリカの企業に権利を譲渡することになった。(関連記事) (イラク戦争で荒稼ぎしたチェイニー副大統領系の企業ハリバートン社が、安く権利を買うのではないかという皮肉な推測も出ている)(関連記事) この事件が怪しげなのは、今回の一件が持ち上がるまで、二大政党の両方とも、米国内の港湾のテロ対策について、ほとんど重視していなかったことである。911後、港湾のテロ対策費として56億ドルの国家予算を計上する案があったが、米議会の下院はこの法案を潰してしまった。ドバイ・ポーツの一件は、テロ対策を口実にした米政界の権力闘争である。(関連記事) 米議会では、今回の件を機に、アメリカのエネルギー、交通、ハイテク、不動産、放送などの業種に対する外国企業による大規模な買収は、必ず議会の承認を得なければならないという法律を作ろうとしている。米政界は昨年すでに、中国の政府系石油会社がアメリカの国際パイプライン運営会社「ユノカル」を買収したことに反対し、中国側に買収を取り消させている。今後、この手の海外からの投資を規制する動きがアメリカで強まりそうである。(関連記事) 愛国的なアメリカ人の中には「怪しい外国勢力による買収を止めるのは良いことだ」と考える人が多いが、アメリカが巨額の貿易赤字を抱え、赤字が急増し続けていることを考えると、海外からの投資を止めるのは非常に危険である。従来は貿易赤字が増えても、同時に世界からアメリカへの投資が増えていたので、投資黒字が貿易赤字を軽減する効果をもたらしていた。貿易赤字を埋めるには、アメリカは毎週100億ドルずつの海外からの投資を必要としている。今後、アメリカ側が投資を規制すると、貿易赤字が高金利などをもたらすようになり、アメリカを自滅させかねない。(関連記事) ブッシュ大統領は今年1月の年頭教書演説で「中東から石油を買わないようにしていく」と宣言したが、これも今回のドバイ・ポーツの一件と同様、見かけだけのテロ対策で、実際にはアメリカの経済を弱体化させる結果をもたらしている。この発言の後、中国やインドなどアジアの新興発展国に石油を売り込む姿勢を強めている。ドバイも、今後はアメリカとのビジネスをあきらめ、中国やインドとの関係拡大を模索する可能性が強い。世界の自由貿易体制は、アメリカ抜きで行われる傾向が強まりかねない。(関連記事) ドバイやサウジアラビアは、最近の経済発展の中で、さかんにアメリカの製品を輸入しており、アメリカからアラブ首長国連邦への輸出は昨年倍増している。ドバイはアメリカの貿易赤字を減らし、投資黒字を増やしてくれるお得意さまだった。こうした状況はサウジアラビアなど他のアラブ産油国も同様である。その意味でも、アメリカの今回の措置は経済的にマイナスである。(関連記事) ▼「隠れ多極主義者」が主流派に? ブッシュ大統領の父親(元大統領)はアラブの石油利権とのつながりが強く、911以前はビンラディン一族と一緒に投資活動をしたこともあった。その関係で、ブッシュ政権はドバイ企業がアメリカでビジネスをすることに寛容で、ブッシュ家の利権を重視してテロ対策を怠っている、という批判も出ている。(関連記事) しかし、私から見ると、この批判は中途半端である。パパブッシュがアラブの石油利権と親しかったのは事実だが、その一方で米当局の中には911を故意に防がなかったのではないかと思われる動きがある。 これらを総合して考えると、911は、パパブッシュを含む米政界の上層部とアラブの石油利権とを切り離す意図を持った、米政界内部の反アラブ系の勢力(おそらくイスラエル系の勢力。ネオコンなど)による、ある種のクーデターのようなものとして起こされた(発生を黙認された)可能性が大きい。米政界の反アラブ勢力は、911とともに政権内で力をつけ、かねてからやりたかったイラク侵攻を実現している。(関連記事) ところがイラク占領の泥沼化とともに、米政界内の暗闘の図式も変化した。政界全体がイスラエル寄りのタカ派になったかのように見える中で、タカ派の主張を振りかざしつつ、よく見るとアメリカを自滅に追い込むような決定を下すことに精を出している人々が、ホワイトハウスと連邦議会の両方に見受けられるようになった。 今回分析した、インドとの核協定とドバイ・ポーツの件はいずれも、反アラブや反中国、軍事産業強化といった、タカ派の戦略を反映しているように見えながら、よく見るとアメリカを自滅に追い込み、イラン、北朝鮮、ベネズエラなどの「反米諸国」や、中国、ロシア、インド、サウジアラビアといった「非米諸国」が台頭して、世界の多極化が推進される結果を生み出すものとなっている。イランとの戦争も、イラクとの戦争と同様、アメリカを無意味に衰弱させる点で、自滅的多極主義の一環になる。 この動きは、共和党にも民主党にも共通している。民主党では、次期大統領の座を狙うヒラリー・クリントンがドバイに対して批判的だが、その一方で夫のビル・クリントン前大統領は、今回の事件に関してこっそりドバイ政府にアドバイスしていたことが発覚している。夫のドバイとの関係を問われた妻は「知りませんでした」と答えているが、本当に知らなかったとは信じがたい。これから大統領を狙う妻は、今の政界の主流である「タカ派のふりをした隠れ多極主義者」を演じる必要があるが、もう大統領を終えている夫は、昔ながらの親アラブ的な政治姿勢を続けているのかもしれない。(関連記事)
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