新しい中国包囲網の虚実2005年12月8日 田中 宇12月14日、マレーシアのクアラルンプールで、日本、中国、韓国、東南アジア諸国、インド、オーストラリアなどの首脳が集まり、初めての「東アジアサミット」が開かれる。この会議には、アメリカが招待されておらず、アジア太平洋諸国がアメリカ抜きで集まる史上初の国際会議となる(この会議に参加するには、会議開催の中心者であるASEANと和平条約を結ぶ必要があり、アメリカは条約締結を断ったため、参加できなくなった)。(関連記事) この会議について、中国政府は「アメリカに頼らないアジア共同体の形成に寄与するので好ましい」と考えている。反対に日本政府は「アメリカ抜きの会議は良くない」と主張している。ここで重要になるのは、当のアメリカはどう考えているか、ということである。 11月30日、東京で記者会見したトーマス・シーファ駐日アメリカ大使は「アメリカは、アジア太平洋諸国の一つである。この会議が、アメリカをアジアから排除する動きであるとしたら問題だ」と述べた。日本では、多くの人が「アメリカは自国が参加できないアジア会議に反対している」と考えており、大使の会見は、その日本人の見方を裏づける効果をもたらした。(関連記事) ▼アメリカは東アジアサミットに賛成?反対? ところがその一方で、12月5日にワシントンの米政府国務省で行われた記者会見では、国務省の広報担当者が「アメリカからアジア諸国へは最近、ブッシュ大統領やライス国務長官らが次々と歴訪しており、アジア諸国との関係は十分に緊密さを維持している。だから、アメリカの代表が東アジアサミットに出席しなくても、何ら問題はない」という主旨の発言を行っている。ASEAN諸国や中国は、アメリカは東アジアサミットの開催に反対していないという見解に立っており、国務省の発表は、中国などの見方を裏づけるものとなっている。(関連記事) 一体、アメリカはサミットに反対なのか、それとも容認しているのか。実は、東京とワシントンの記者発表の内容は、矛盾していない。両方をつなげて読むと「サミットによってアメリカがアジアから排除されるなら問題だが、現実にはアメリカのアジア諸国との関係は緊密なので問題はない」という見解になる。米政府は、東京では上の句を言い、ワシントンでは下の句を言ったのである。 最近、ブッシュ政権の対中国外交担当の責任者としてロバート・ゼーリック国務副長官が注目されているが、彼は8月に北京で中国との戦略対話を行った際、中国政府に対し「国際社会の諸問題を解決するために、もっと努力してほしい」と要請した。ゼーリックは中国側に対し、具体例として、12月に香港で開かれるWTOの年次総会で、増加している国際貿易紛争を解決できる世界体制作りに貢献してほしい、と要請している。(関連記事) ゼーリックの対中戦略からうかがえるのは、今のアメリカは、自国が負い切れない「世界の指導者」としての仕事の一部を、中国にやってもらおうとしている、ということだ。アメリカは、覇権の一部を中国に割譲しようとしている。この延長線で考えると、アメリカ抜きの東アジアサミットは、むしろアメリカにとって好ましいことになる。 しかし、だとしたら、なぜアメリカの駐日大使は、サミットについて「上の句」しか言わず、日本人が「アメリカは中国の覇権拡大に反対している」と、間違って思い続ける結果を生んでいるのか。 私が見るところ、騙しの構図は、小泉政権とブッシュ政権の共同作業によって作られている。アメリカが覇権の一部を中国に割譲し、中国が大国になることを誘導していると日本人の多くが知ったら、小泉首相が靖国神社に参拝して中国人の怒りを誘発し、日中関係を悪化させていることに対し、日本国内で今よりもっと大きな反対の世論が出てくるだろう。そうならないよう、日本人が「アメリカは中国に敵対し、日本などと協力して包囲網を作っている」と考える傾向を持つような仕掛けが作られている。 以前の記事でも述べたが、小泉の靖国参拝の背景には、中国を日本の仮想敵にしておいて、それをバネに憲法改定や自衛隊の拡大発展を実施しようという戦略があり、さらにその背景には、アメリカが世界的な軍事展開を縮小する方針を採り始めた結果、在日米軍が縮小してアメリカは日本の防衛をやらなくなるので、自衛隊を軍隊に昇格させる必要があるという、アメリカが原因の状況変化がある。 (小泉首相は9月に民主党に大連立を打診して断られたと報じられているが、小泉が大連立という異例なことを提起した背景には、何としても憲法改定を実現せねばならないという状況があるに違いない)(関連記事) アメリカは、自国の軍事戦略の転換を日本でも実現するため、小泉の中国脅威化戦略に協力しているのだと思われる。同時にアメリカの軍事産業にとっては、日本の軍事拡大は、儲けを増やすことにもつながる。 ▼中国包囲網は兵器販売促進のイメージ戦略? アメリカはここ数カ月、中国周辺の他の国々に対しても「アメリカが新たな中国包囲網を作ろうとしている」といったイメージを与えることで、アメリカ製の兵器などの売り込みをはかっている。最近、米政府の高官たちがインド、ベトナム、インドネシア、マレーシアなどを訪問し、アメリカとの軍事関係を強化する動きをしている。ブッシュ大統領が11月の東アジア歴訪時、米大統領として初めてモンゴルを訪問したのも「新中国包囲網」のイメージを背景にした軍事関係強化の一環だったと見られている。(関連記事) ニューヨーク・タイムスは11月19日の社説で「中国はアメリカの脅威になっておらず、台湾をめぐる緊張も解けてきているのに、ブッシュ政権は中国周辺の国々との軍事関係を強化している。中国は警戒感を強め、軍事拡大を始めており、アジアの緊張が不必要に高まりそうになっている」という主旨の主張をしている。同紙はまた、日本とインドがアメリカの誘いに乗って軍事拡張し、日本ではナショナリズムが扇動されていると批判した。(関連記事) さらに、ニューヨーク・タイムスの系列紙であるボストン・グローブは12月5日の社説で、小泉の靖国参拝と、中国政府の反日扇動の両方を批判した上で「中国は、アメリカが日本の軍事拡大を扇動していると疑っている」「(疑いを晴らすため)まず米政府は、アメリカは日中関係の悪化を望んでいないとはっきり表明すべきである」と主張している。(関連記事) こうした主張は、ロックフェラーなど米政界の親中国派(多極主義者)に後押しされたものだろう。ブッシュ大統領や駐日アメリカ大使も、11月のブッシュの東アジア歴訪の前後に「日中関係が悪くなっているのは問題だ」と発言している。中国政府は「小泉が靖国参拝さえしなければ、日中関係を好転させ、日本を東アジア共同体に巻き込める」と考えており、アメリカを通じて小泉に圧力をかけようとしているのだと思われる。(関連記事) ▼米英日印で中国包囲網 アメリカの多極主義者が日中関係を好転させたいのに対し、ネオコンは違う構想を練っている。12月2日、アメリカの右派シンクタンク「アメリカン・エンタープライズ研究所」の研究者トーマス・ドネリーが「アメリカ、イギリス、日本、インドという世界の4大国で新たな同盟を組み、中国の台頭を抑制し、中東のテロや核拡散を防止し、世界に民主主義を拡大し、それらを実現する際には軍事力を使って良いという4つの方針を共有すべきだ」とする「4大国同盟」と題する論文を発表した。(関連記事) ドネリーは、軍事産業のロッキード社の出身で、イラク侵攻計画を1998年から主張していたネオコン団体「新しいアメリカの世紀のためのプロジェクト」(PNAC)の中心人物でもあり、国防総省の戦略計画の策定にも参加している。(関連記事) 彼の今回の論文は、前出のニューヨーク・タイムスの社説に触発されて書いたものらしく、同社説からの引用が議論の出発点になっているが、社説とは反対の結論につなげている。論文の内容は、次のようなものである。 ブッシュの「単独覇権主義」は失敗したが、ブッシュが目指した「世界民主化」「中東民主化」はアメリカ人の国民性に基づいた理想なので頓挫させるのは惜しい。アメリカは「協調主義」に戻り、伝統的な最重要同盟国であるイギリスとの関係を再強化するとともに、中国の台頭を懸念する民主主義国という点でアメリカと利害が一致する日本とインドとも、軍事関係を中心に同盟関係を強化し、日印にも中東と世界を民主化するアメリカの計画に参画してもらい、アメリカ中心の世界体制(パックス・アメリカーナ)を維持すべきである。 英日印の3カ国は、いずれもユーラシアの周縁部に位置し「地政学」的に見ても、中東や中国といったユーラシア大陸内部の勢力に対峙する存在という共通点がある。イギリスではブッシュ政権を嫌う世論が強く、日本では軍事力を自由に使えない憲法の制約が残り、インドはまだ非同盟主義の考え方を残している。英日印はいずれも、すぐに4大国同盟を結成できるような状況ではなく、現状では4カ国が同盟を話し合う会合を開くことも難しい。だが「民主主義を広げる」「中東や中国などの脅威と対峙する」といった共通理念の共有化がうまくいけば、この同盟はいずれ成功する(内容紹介終わり)。 ▼日本人をネオコン化してイスラエルに協力させる 論文の筆者も認めているように、この論文の構想を実現することは難しく、絵に描いた餅でしかない感が強い。しかし、私がこの論文の登場に関心を持ったのは、外務省や日本言論界の「対米従属」の信奉者にとっては「アメリカやイギリスなどとともに中国を包囲監視し、世界民主化の大構想に参加する」という、この論文に描かれた日本の未来像が、日本の今後の国是としてぴったりなので、この論文と似たような言説が今後日本のマスコミにも頻出するのではないか、と思ったからである。 実際、すでに日本は、この論文に描かれた方向に進んでいる。小泉首相は今年5月にインドを訪問し、日本とインドの戦略関係を強化しようとインド側に持ち掛けている。来年1月にはイスラエルなど中東を訪問することが決まっており、パレスチナ国家の建設費の一部を日本が負担することを了承すると予想される。このまま行くと、論文の中で日本の障害として挙げられた憲法改定も、時間の問題だろう。(関連記事) 中国との関係を見ると、イギリスは中国を包囲するより中国で金儲けしたいという面が強い。インドは、中国を警戒しているものの、すでに中国とは戦略的関係を結び、シリアやイラン、中央アジアなどでは、インドと中国が組んで油田開発やパイプラインを作る話が進んでいる。(関連記事) 前回の記事に書いたように、日本がアメリカからの圧力を受け、油田開発の相手をイランからリビアに代えたのと対照的に、インドはアメリカから批判されても、イランの油田開発を止めていない。インドは、アメリカとも中国ともイランともロシアともつき合うという、全方位外交を展開している。イギリスやインドの対応を見ると、4大国構想では中国包囲網は実現できないことが分かる。 実現できないのに、こうした構想が出てくるのはなぜか。私が疑ったのは、ネオコンは中東、特にイスラエルの立て直しのために、日本にカネを出させようとして、日本人が好む「中国包囲網」「日米同盟を米英同盟と同水準まで強化」「地政学的な大国同盟」といった言葉をちりばめた論文を発表したのではないか、ということである。時期的にも、小泉首相がおそらくブッシュ大統領からの要請を受けてパレスチナ訪問を決め「日本は中東和平に貢献する」と宣言する直前に、この論文が発表されている。 ネオコンが掲げた「中東民主化」は、一時はアメリカ人を熱狂させたが、イラクの泥沼化によって米国内の支持を失った。そのためネオコンは、次は日本人の「反中国」意識を利用し「アメリカと一緒に、中東と中国を民主化しよう」と呼びかける構想で、日本人を「ネオコン化」しようとしているのではないか、とも思える。 論文では、4大国が一致すべき4項目の方針の一つに「国家にとって軍事力の行使は正当で有益な手段であると考える」というのを入れているが、この方針は米英印にとっては改めて宣言するまでもないことであり、憲法で戦力不保持を掲げる日本にとってのみ重要なことである。この論文は、英日印の中でも、特に日本を対象に書かれていると感じられる。 (ネオコンや、その他のアメリカの外交立案者の論文には、真の目的が別に隠されていると思われる論文が多い。外交論文誌「フォーリン・アフェアーズ」などは、その宝庫である。ネオコンは、プラトン的な「賢者は、他の賢者のみが見抜ける高貴なウソをついても良い」という方針を持っている。どこでも国家には秘密があり、外交はこの秘密の部分が絡むことが多い。だから外交方針を書いた論文には、一般国民に知られたら困るので関係者どうしのみが理解できる隠された意図が存在することが多いのだろう)(関連記事) ▼理解不足で中東問題に介入するのは危険 日本は1990年代、パレスチナでオスロ合意が進展していた時にも、パレスチナ国家の建設費の一部を負担してやったが、当時日本がカネを出した建設物の多くは、その後イスラエルがオスロ合意を破棄したため、イスラエル軍などによって破壊されたり、ほとんど使われなくなったりしている。 今またイスラエルのシャロン政権は、ガザや西岸から撤退し、前回より小さくて弱いパレスチナ国家の実現を容認する姿勢に戻っているが、アラブ側では過激派が政治力を拡大しており、中東和平が実現される可能性は前回より低いと感じられる。(関連記事) 日本政府は「カネを出すだけでなく、もっと外交的な貢献もする」という方針のようだが、日本がアメリカの意に添うかたちで中東問題に介入することは、イスラム主義が強くなりつつある中東の人々が、米英だけでなく日本をも嫌う傾向を強めることになりかねない。石油の確保にも問題が出てくる。 パレスチナにしろイラクにしろ、中東の問題は、欧米の支配が絡んだ複雑で奥の深い問題である。イスラエルの問題は、欧米諸国の隠された歴史的構造の一部であり、日本を含むアジアの人々は、ほとんどその構造を理解できていない。欧米の暗黒部分であるパレスチナ問題に、日本が首を突っ込みすぎるのは、非常に危険である。その一方で、4大国同盟に参加しても中国包囲網は実現しないので、日本は「外交的詐欺」に遭ったような結果に陥りかねない。(関連記事) ▼知的な従属こそが問題 日本が外交的詐欺に遭いかねない理由は、日本の外交を考える外務省、学者、記者などの知識人が、自分の頭で世界情勢を分析せず、アメリカ(欧米)の高官や学者、記者が発する言論を、絶対の真実として信じてしまうという「知的対米従属」に長く陥っているからである。権威あるアメリカ人がどのように言っているかを正確に把握することだけが重視される、悪しき「翻訳主義」である。 翻訳主義は、昨今のようにアメリカの中枢が混乱し、内紛になっているような状況になると、行き詰まってしまう。イラク戦争前の2002年、欧米メディアで米中枢のネオコンの存在が危機感を持って語られ、私の記事にもネオコンが頻出するようになったころ、日本の外交専門家の多くは「ネオコンなんか存在しない。無根拠な陰謀論にすぎない」と言っていた。 その後、ネオコンはイラク侵攻を実現したものの、間もなく政権内で外される観が強まった。そのころになって、日本の専門家の間では「ネオコンは米中枢で大勝利した。アメリカは今後ネオコンによる支配が続くだろう」「ネオコンの中東民主化は良い計画だ」といった論調が目立ち始めた。 2003年夏にはイラク占領が泥沼化する傾向が強まったのに、日本人はアメリカのプロパガンダを軽信し、翌年になっても「イラク占領は成功している」と言い続ける専門家が多かった。日本の専門家は、知的対米従属から抜け出せないため、従属相手のアメリカの中枢で起きていることさえも、分析できなくなっている。 翻訳主義の弊害は、日本だけでなく、東アジア全般に大昔からあった問題であり、必ずしも現代日本人だけの責任ではない。だが、日本の知識人が知的従属を続けている限り、日本は「高貴なウソ」に満ちた世界の裏の仕組みを理解できないので、外交的に強い国になれない。自分の頭で世界を分析できる状況にならないまま、憲法を改定して強い軍隊を持つと、いずれ外交で失敗し、60年前のように勝てない戦争を不用意に繰り返すことになりかねない。 日本の外務省などが対米従属をとことん続けたがるのは、自分自身の頭で分析したことに対する自信が持てない結果なのかもしれない。自信が持てない最大の理由は、かつて自分の頭で分析して世界に出て行って戦争になり、大敗北したという歴史的な経験があるからだろう。 自信をつけるには、少しずつ独自外交を拡大していくのが良いだろうが、独自外交は、日本人が比較的理解している東アジアに対する外交から着手すべきだろう。日本のワシントン大使館には、ユダヤ人問題が分かる人を置いていないと聞いた。日本政府は欧米問題としての中東問題の本質を理解しているとは思えないので、パレスチナに対する外交は独自外交ではなく対米従属外交であり、日本人が外交的自信をつけるためには役立たない。 独自外交に対する自信がつけば、ロシアや中国など、アメリカ以外の国々とも戦略的な関係を締結したくなるだろう。日本もインドのように中国と戦略的関係を結び、その後で、たとえば台湾の国際承認を呼びかけるといったような、中国を牽制する言動を外交カードとして切るのなら意味があると私は考えている。
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