続・ウクライナ民主化の戦いのウソ2006年1月20日 田中 宇2004年11月末、ロシアの西隣にあるウクライナで、大統領選挙で不正が行われたと野党が主張したことをきっかけに「民主化革命(オレンジ革命)」が起きたとき、私は「この政権転覆の試みは、アメリカを中心とする欧米によって巧妙に誘導されたものだ」と指摘する「ウクライナ民主主義の戦いのウソ」という記事を書いた。 その後、欧米のマスコミでも、この疑惑が取り上げられるようになった。「英語圏のウェブログでは、ロシアに支持されたヤヌコビッチを『悪』『独裁』『反欧米』とみなし、対立候補のユーシェンコを『正義』『民主派』とみなす傾向が強いが、これは間違っている。ウェブログ界は、だまされている」と指摘するブログ記事も出た。(関連記事その1、その2、その3) ユーシェンコは、顔面がただれて「秘密警察に毒を盛られた」と主張していたが、この主張もウソである疑いが強くなった。(関連記事) 事態は、アメリカの力を借りて大統領になろうとしたユーシェンコに不利になり、親ロシアのヤヌコビッチ(当時首相)や、その上司であるクチマ(当時大統領)、さらにその後ろにいるロシアのプーチン大統領らにとって有利になっていた。双方は引かず、ウクライナは、ヤヌコビッチを支持する東部地域と、ユーシェンコを支持する西部地域の間で内戦が起きる懸念が高まった。 ▼終わっていなかった権力闘争 ところがその後、ヤヌコビッチ・クチマ陣営は、ユーシェンコ陣営が望んでいた大統領選挙の再投票を行うことに合意した。再投票をすればユーシェンコが有利になると予測されていたのに、ヤヌコビッチの側は譲歩し、結局04年12月末のやり直し選挙では、予測どおりユーシェンコが52%の得票で勝ち、05年1月に大統領に就任した。 ヤヌコビッチ陣営が、再投票を了承した条件は「誰が次期大統領になっても、首相の任命権を大統領から議会に移す憲法改革を、予定どおり2006年1月に行うこと」というものだった。この憲法改定は、クチマ政権が以前から予定していたものだったが、なぜこの改定を予定どおり行うことがそれほど重要なのか、当時の私には分からなかった。(関連記事) だが、ユーシェンコ政権が始まって数カ月すると、まだ権力闘争に決着がついていなかったことが分かってきた。オレンジ革命で権力を握った勢力は、1994年から2004年まで続いたクチマ政権でいったんは重用されながら、その後クチマ大統領に罷免されて野党勢力に転じた政治家たちを糾合した人々である。彼らは「クチマ政権を倒し、自分たちの新政権を作る」という一点では結集していたが、新政権をどんなものにしたいか、という点ではバラバラだった。 冷戦後のウクライナ政界には、ロシアや他の旧ソ連諸国と同様、社会主義から資本主義に転換する過程で、民営化された国有企業を私物化して儲け、巨万の富を蓄えた後、利権をさらに獲得するため、その財力を使って政界に参入した政治家が多い。ユーシェンコ政権の高官になった人々も、例外ではなかった。彼らは新しい地位を利用して私腹を肥やし始め、やがて内部の権力闘争に発展した。新政権発足から8カ月後の05年9月に内紛が表面化し、ユーシェンコは内閣を総辞職させた。 与党勢力の内部崩壊は、オレンジ革命で負けたヤヌコビッチ陣営に漁夫の利を与えた。今年3月に予定されている議会選挙では、ユーシェンコ陣営より、ヤヌコビッチ陣営が有利になっている。ここで、04年末の選挙時に、与野党で「06年から、内閣の任命権は大統領ではなく議会が持つ」という議会の権限強化を決めたことが、ヤヌコビッチ陣営にとって生きてくる。議会選挙で負けそうなユーシェンコは、権力を失う可能性が増している。(関連記事) ▼どちらの陣営にも私腹を肥やした人々 05年1月に大統領となったユーシェンコは、ソ連時代から冷戦後まで、国立銀行で農業部門の幹部をしていたが、ソ連が崩壊して監督が不徹底だった1990年前後に、国立銀行から自分の私的な会社に無利子で巨額融資をさせ、その金を市中金利で他に転貸し、最後は元本も銀行に返さず、私腹を肥やしたと指摘されている。(関連記事) ユーシェンコはその後、ウクライナ中央銀行の総裁になり、1999年にはクチマ大統領から首相に任命されたが、行政改革を推進しようとして他の財界人と衝突するようになり、2001年に議会で不信任案を可決され、罷免された。(関連記事) オレンジ革命後の新政権で首相となったユリア・ティモシェンコも、民営化の過程で蓄財して政界入りし、その後クチマに切られた人だ。欧州のファッション雑誌の表紙を飾るほどの洗練された着こなしと美貌を持つ彼女は、1995年から97年までウクライナのガス会社を経営しており、この間にロシアから輸入したガスを私的に西欧に転売して財をなし「ガス・プリンセス」と呼ばれるようになった。(関連記事) だが結局、ライバルの親クチマの財界人たちとの争いに負けて経営者を辞めさせられ、野党政治家に転じた。政界でカリスマ的な能力を発揮した彼女の政党は、議会で力を持つようになり、99年にクチマ大統領がユーシェンコを首相に任命した際、改革担当の副首相に任命された。(関連記事) 彼女はそこで「改革」の名のもとに、かつてのエネルギー業界のライバルたちの腐敗を暴いて仕返ししようとしたため政争となり、結局ユーシェンコ首相とともに罷免された。この時ティモシェンコは、ガス会社を経営していた時代にガスを私的に西欧に転売したことを関税法違反に問われ、一時勾留されていた。(関連記事) ティモシェンコは、オレンジ革命が始まると、ユーシェンコに協力し、カリスマ性を発揮して政権交代の成功に貢献した。その貢献への見返りとして、彼女は新政権で首相の座を勝ち取った。 04年のオレンジ革命の前後、欧米の新聞は「クチマ政権は腐敗しており、ユーシェンコら民主派が、それを改革しようとしている」という論調に満ちていたが、実はユーシェンコやティモシェンコらも、クチマ側と同様、冷戦後の民営化の過程で私腹を肥やした人々だった。(クチマ前大統領は、国営製鉄会社を親族に格安で売ったりしている) ▼国営ガス取引を仲介する実体不明のスイス法人 腐敗のにおいは、前々回の記事で解説した、今年正月のロシアとウクライナのガス値上げ紛争の解決策からも、立ちのぼってきている。 元日に、ロシアの国有ガス会社ガスプロムが、ウクライナの国有ガス会社ナフトガスに売るガスの値段を上げるため、ウクライナに送るガスの一部を止めた事件は、1月3日、ウクライナ側が値上げに応じて新契約を結ぶことで決着した。だが、新契約には「謎」があった。ガスの売買が、実体不明の外国法人を経由するかたちになっていたのである。 ウクライナ国内のガス事業はナフトガスに集約されているので、ガスの販売は、ガスプロムからナフトガスに売る契約になるのが常識的である。しかし、現実はそうなっていない。ガスプロムのガスは「ルスウクルエネルゴ」(RosUkrEnergo)という、ロシア側とウクライナ側で折半して作った合弁会社にいったん売られ、そこからナフトガスに転売されている。ルスウクルエネルゴは、施設を持たないペーパーカンパニーで、スイスで法人登記されている。(関連記事) しかも、この合弁会社のロシア側の株の所有者はガスプロムの金融子会社だが、ウクライナ側の所有者は、秘密になっている。ウクライナ側の所有者は、名目上はオーストリアの銀行系の投資会社なのだが、この投資会社は本当の所有者の代理人として機能しているだけだと明言しており、本当の所有者は「ウクライナの複数の投資家」であるということ以外は公開されていない。 ガスの購入はウクライナ政府が決めたことであり、やり取りされる金額は年間に数10億ドルという巨大なものだ。間に挟まったペーパーカンパニーのルスウクルエネルゴに、いくらの利益が出ているのかは非公開だが、取引高の5%としても数億ドルである。そんな巨額の国営事業の儲けが、誰のポケットに入っているのか秘密になっている。 ▼旧ソ連諸国に裏金を供給するプーチン この取引の謎は、以前の経緯をさかのぼって見ていくと解けてくる。ルスウクルエネルゴが設立されたのは2004年7月で、プーチンと、当時のウクライナ大統領のクチマと、トルクメニスタンの大統領ニヤゾフとの3者会談で決定された。(関連記事) ウクライナが買うガスは当時から現在まで、トルクメニスタン産が3分の2、ロシア産が3分の1で、トルクメニスタンのガスはいったんロシアのガスパイプライン網に入ってロシア産のガスと混合され、ウクライナに送られる。ロシアからウクライナのガスパイプラインに送られたトルクメニスタンとロシアのガスの一部はウクライナ国内で消費され、残りは西方の欧州諸国に送られる。 (今回のロシアとウクライナの交渉では、ガスプロムからウクライナへのガスは、ガスプロムの主張どおり1000立方メートルあたり50ドルから230ドルに上がったが、トルクメニスタンからのガス価格は50ドル前後の従来水準に据え置かれ、混合すると95ドルへの値上げにとどまった) ウクライナは、消費したガスの代金を払う一方、自国を通って欧州に送られるロシアとトルクメニスタンのガスの通行料を受け取る権利がある。3カ国の間で発生する、ガス料金と通行料の複雑なやり取りを決済するのが、ルスウクルエネルゴの目的だった。 とはいえ、これはルスウクルエネルゴの「オモテ」の顔である。実体はおそらく、ロシアのプーチンが、ウクライナとトルクメニスタンをロシア寄りにしておくため、クチマとニヤゾフの陣営に政治資金として裏金を供給するためのシステムである。 ユーシェンコ政権は05年初め、ルスウクルエネルゴがクチマ前政権の高官たちの私腹を肥やしているのではないかと疑い、警察に捜査を開始させた。同時にウクライナ当局は、ルスウクルエネルゴが、トルクメニスタンのニヤゾフ政権の高官たちにとっても、私腹を肥やすとともに政治資金を作るためのシステムとして機能していたと思われる証拠をつかみ、その証拠をトルクメニスタン政府に送った。裏金はニヤゾフ大統領自身にも渡っていた疑いがあるが、ニヤゾフは側近たちの責任として処理し、何人かの側近や担当閣僚が更迭されたり、逮捕され、即席裁判で有罪判決が下されたりした。(関連記事) ルスウクルエネルゴが設立される以前には、同様の機能を果たしていた「ユーラル・トランス・ガス」(Eural Trans Gas)という、ハンガリーに法人登記された別の会社があった。ところが、アメリカのFBIがこの会社を捜査し始めたため、プーチンとクチマとニヤゾフは、ユーラル・トランス・ガスを捨て、ルスウクルエネルゴを設立し、機能を移転させた経緯があった。(関連記事その1、その2) 前回の記事に書いたように、KGB出身のプーチンは、ガスプロムを使った「経済マフィア」的な謀略によって、旧ソ連東欧諸国や、その外側の世界に対して影響力を拡大しようとしている。「ルスウクルエネルゴ」も、そのような戦略に基づいて作られた会社なのだろう。 ▼大詰めで中止された捜査 ここで、現状に目を戻してみると、奇妙なことに気がつく。オレンジ革命でクチマ政権が終わり、ユーシェンコが政権に就いたにもかかわらず、その後もロシアとウクライナのガス取引は、クチマ派の資金源になっていると疑われるルスウクルエネルゴが仲介するかたちをとり続け、今年1月3日の新契約でも、その形式は変わっていない。ルスウクルエネルゴのウクライナ側の所有者が誰なのか、今も秘密にされている。 ユーシェンコは当初、ルスウクルエネルゴが仲介する形式をやめることを目指したが、ガスプロムが了承しないので、捜査当局にルスウクルエネルゴをめぐる取引の暗部を調べさせ、スキャンダルに発展させて取引形式を変えようとした。この捜査はかつて「ガスプリンセス」の座を追われて以来、クチマ派によるガス利権の独占に復讐しようと努めてきたティモシェンコ首相が先導した。(関連記事) ところが、捜査が大詰めに差し掛かった昨年8月、ユーシェンコ大統領の命令で捜査が打ち切られ、警察の長官は更迭されてしまった。ティモシェンコ首相は捜査の打ち切りに不満を持ち、ユーシェンコと対立するようになった。(関連記事) もともと、ティモシェンコ首相が、金持ちから取り立てた金を貧困層への福祉に回そうとする「ポピュリスト」であるのに対し、ユーシェンコ大統領は、金持ちを重視して市場原理による経済成長を目指す米英型の「市場原理主義者」であり、国家運営の方法をめぐり、就任早々から対立していた。両者の対立激化は政権中枢の内紛に発展し、昨年9月、ユーシェンコはティモシェンコ首相を、他の閣僚全員とともに罷免した。(関連記事) なぜユーシェンコは、ルスウクルエネルゴに対する捜査を打ち切ったのか。その理由はおそらく、ユーシェンコは自分の権力を維持するため、経済運営に失敗したティモシェンコとその陣営の人々を切り、同時にクチマ派の人々との対立を緩和しようとしたからだと考えられる。 ユーシェンコは、腐敗追及を経済成長を阻害しない程度にとどめたかったのに対し、ティモシェンコは徹底した追及を主張した。また、ティモシェンコが貧困救済政策として行った食料品などに対する価格規制はインフレを生み、経済成長は大幅に鈍化した。ウクライナでは、ユーシェンコ政権に対する失望が広がり、野党のクチマ派が批判を強めた。事態を立て直すため、ユーシェンコはルスウクルエネルゴに対する捜査を打ち切り、クチマ派と手打ちを行ったのだろう。(関連記事) ▼プーチン側に寝返ったユーシェンコ 1月3日に妥結された新契約は、さらに奇妙な状況になっていた。ロシア側とウクライナ側との間に挟まっている企業がルスウクルエネルゴだけでなく、ロシア側とウクライナ側の合弁で近く新設される「ガストランジット」(Gaztransit)という名前の新企業がもう1社挟まることが、新契約に盛り込まれている。ガス代金の「中抜き」をする会社が、1社から2社に増えたのである。(関連記事その1、その2) なぜこのような形式になっているのか全く不明だが、これまでの経緯から推測するなら、ルスウクルエネルゴがクチマ系の政治家への政治資金供給システムであるのに対し、新会社ガストランジットは、クチマ系と手打ちをしてロシアに楯突くことをやめたご褒美として、ロシア側からユーシェンコ大統領に政治資金を供給するメカニズムとして作られたのかもしれない。 1月3日の新契約に対しては、ウクライナ議会で再び力を持ったティモシェンコ派の議員が盛んに批判しているが、これに対してユーシェンコとプーチンは口をそろえて、新契約は良いものだと主張している。こうした現実から見ても、もはやユーシェンコはプーチンの敵ではないと感じられる。(関連記事) オレンジ革命には、プーチンに潰されてイギリスに亡命して以来、復讐を目指し、米英のロシア敵対策に協力しているロシアのオリガルヒ、ポリス・ベレゾフスキーも資金援助していた。ベレゾフスキーは従来、資金援助したことを否定していたが、ユーシェンコがプーチンの側に寝返ってしまったため、ユーシェンコ陣営を資金援助したことを公式に認め「渡した金の使途が不明だ」と言い出した。ベレゾフスキーは、自分がウクライナで「米英の手先」と見られていることを認識した上で「自分が金を出した」と言うことで、寝返ったユーシェンコの評判を落とそうとしたのだろう。(関連記事) これらの件についての正確な真相は分からず、この記事を書いている間にも、ルスウクルエネルゴをめぐる不透明さを欧米から批判されたガスプロムは、仕組みを透明化すると発表しており、事態は流動的だ。(関連記事) しかし全体的な流れとしてウクライナの政治は、オレンジ革命によって「改革」されることはなく、結局は、前回の記事で紹介した、プーチンによるKGB的な経済マフィア戦略の中に再び取り込まれてしまっている観がある。
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