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サウジ滞在記(3)911の功罪

2005年4月26日   田中 宇

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この記事は「サウジ滞在記(2)」の続きです。

 サウジアラビアは全国的に完全な自家用車社会なので、地方の町に行っても、目抜き通りの道路わきに、車から降りずに現金を引き出せるドライブスルー型の銀行のATMマシンがある。いくつかの銀行が同様のサービスをしているが、最も目立つのが「サンバ(samba)」である。

 イスラム教を厳しく解釈しているサウジでは、公の場で音楽を鳴らしたりダンスをしたりすることが禁じられている。そんなサウジで、南米の賑やかなダンス音楽を連想させる銀行名がついているのは奇妙であると感じていたら、この命名には裏があることが分かった。

「サンバ」は「サウジ・アメリカン銀行(Saudi AMerican BAnk)」の短縮名で、アメリカのシティバンク銀行のことである(サウジ政府は、外国銀行が単独でサウジに進出することを許さなかったので、シティバンクはサウジ資本と合弁して進出した)。サウジ人に見せてもらったサンバのキャッシュカードは、私が持っている日本のシティバンク発行のカードと、デザインがほとんど同じだった。(関連サイト

 この銀行は、以前はサウジ・アメリカン銀行として一般に知られていたが、2001年の911事件後、アメリカを嫌うサウジ人が多くなり、アメリカの名前を冠した銀行にお金を預けておきたくないという顧客の不満を受け、正式名称ではなく短縮形の「サンバ」の方を表に出す方針に変えたのだという。

▼サウジ人は親米

 サウジ人の、911後のアメリカに対する心情は複雑である。単なる「反米」ではない。もともとサウジ人の多くは親米だった。

 サウジでは、ちょっとした組織の責任者、たとえば日本でいうと地方の小さな町の助役みたいな地位にあたる人でさえ、アメリカの大学に、4年間とか大学院まで6年間とか長期留学した経験を持っている。彼らに「アメリカはどうでしたか」と尋ねると、顔を輝かせ、流暢な英語でうれしそうに留学の経験談を話してくれる。いたるところに、アメリカの大学の卒業者がいる感じである。

 サウジの近代化は、かなりの部分をアメリカに頼ってきた。第二次大戦後、サウジが産出する石油がアメリカを中心とする世界経済の発展に不可欠なものになって以来、サウジは安い石油をアメリカとその傘下の国々に供給し、アメリカはその見返りとして、高速道路や軍事基地の建設から、商法など国家システムの一部までをサウジに作ってやり、国家を運営する人材を育成するため、多くのサウジ人青年をアメリカの大学に留学させた。

 1970年代の石油危機で国家収入が増えたサウジでは、青年たちが留学を希望すれば奨学金がもらえる状態となり、アメリカなどへの留学生が増加した。今、サウジ社会の中堅どころを担っている40−50歳代の中には、多くの留学経験者がいる。彼らの多くは親米で、サウジをアメリカ流の近代国家にしようと努力してきた。

▼近代化をゆっくり進めるための反欧米

 サウジには、反米や反欧米の人々も多いことは確かだ。しかし歴史を見ると「反欧米」は「近代化」をゆっくり進めるために必要な機能であり続けてきたことが分かる。サウジは、国のかたちが1920−30年代にできて以来、欧米化(近代化)を進めようとする方向と、欧米化を非イスラム化と考えて排斥し「真のイスラム」に戻ろうとする方向との間の対立や葛藤がずっと続いており、その相克の中で近代化勢力の方が少しずつ優勢になり、近代化がゆっくり進められていくという経緯になっている。

 1920年代ごろには「真のイスラム」を希求する宗教派(サラフィスト、ワハビスト)の人々は、自動車や電話の使用を「反イスラム」だと攻撃していたが、今では宗教派の人々自身が、自動車を乗り回し、携帯電話で連絡を取り合っている。モスクを中心に近所の人々のさまざまな相談に乗ることで人々の支持を集めている宗教派の人々にとって、人々からの相談をいつでも受けられる携帯電話は、今や不可欠なツールになっている。宗教派が主張する「反イスラム」の範囲はゆっくりと縮小し、サウジはその分だけ近代化が進むという歴史をたどってきた。

 1979年にイランでイスラム革命が起きたり、1991年にイラク・クウェートで湾岸戦争が起きたりするたびに、近代化対イスラム維持の相克のバランスに異変が生じ、純粋なイスラム主義を主張してサウジ王室、アメリカ、イラク・バース党政権のいずれをも敵視するオサマ・ビンラディンのような反近代化・反欧米のイスラム主義者が1990年代に出てきたりした。

 しかし歴史的な流れとして見ると、サウジの反米(反欧米)意識は、急速な近代化によってイスラム的なものが失われることに対するブレーキとして働いており、反米派の存在は、近代化と伝統維持という相克のバランスの中で見るべきである。「親米か反米か」「近代化かイスラム化か」という二者択一ではなく、両者のバランスの中で近代化の速度を調節するかたちになっている。

 首都リヤドは保守的だが、国際都市メッカ周辺のヒジャズ地方はそうでもないといった地方ごとの意識差は存在するが、サウジ全体としてみると、アメリカ的なものは好きだけど、自国にそれを取り入れる際は、イスラムやアラビアの伝統を保持したまま、ゆっくりと取り入れたい、というのがサウジ人の(少なくとも建前的な)コンセンサスであるように感じられる。男はトーブ(オバQスタイル)、女はアバヤといった、伝統的宗教的な服装にこだわるのも、その一環であろう。

▼アメリカのサウジ批判は中傷作戦

 911事件後にアメリカがサウジに対してとった態度は、このようなサウジのメカニズムを壊そうとする方向性を持っていた。アメリカの政府やマスコミからは、サウジ人のイスラム信仰そのものの中に、テロに走る傾向が含まれているという主張が大量に流された。

(アメリカのこの傾向は911以前からあり、2期目のクリントン政権でネオリベラル派のオルブライト国務長官が就任し、アメリカの外交政策が「人権」重視となり、「文明の衝突」が刊行され、反米諸国を「ならず者国家」と呼んで政権転覆も辞さないタカ派の傾向を強めた1997−98年ごろから始まり、その後911を機に一気に開花した)

 アメリカの政府や石油産業には、サウジの近代化を助けてきた「アラビスト」と呼ばれる集団がいるが、彼らは911後のアメリカを支配した「反イスラム主義」の中で発言力を弱め、代わりにアラブを仇敵とみなすイスラエルに近いネオコンの人々が米政府中枢で権力を握った。「911の報復としてメッカを空爆すべきだ」「サウジに侵攻して油田を没収すべきだ」「サウド家の支配を転覆せよ」といったネオコン的な主張がアメリカの言論界を席巻し、アメリカのサウジに対する批判は中傷作戦の色合いを強めた。(関連記事

(欧米や、欧米の報道を鵜呑みにしがちな日本では、サウド家の支配がサウジ国民を苦しめているかのような報道が目立つが、私が見たところ、サウジ国民でサウド家の支配を倒したいと思っている人はほとんどいない。抑圧されているシーア派でも、サウド家の体制に対する不満はあるが、待遇改善を求めているだけで、政権転覆は求めていない。サウジに対する米タカ派の主張は、日本人に分かりやすいように置き換えると「天皇制は今の日本国民を苦しめているから、在日米軍が皇居に侵攻して皇室を逮捕するか殺してしまえ」と言っているのと同じである)

 アメリカからの中傷は、多くのサウジ人を怒らせているが、同時にアメリカがなぜサウジを中傷するのか理解に苦しみ、困惑しているサウジ人が多いようだ。サウジ人の方は親米を貫きたいのに、アメリカ人の方が勝手に「サウジ人は全員テロリストだ」といった感じの非難を浴びせかけているのだから、サウジ人が困惑するのは当然である。もしアメリカの為政者が「日本人のための皇室転覆」を主張し始めたとしたら、日本人はひどく当惑するだろう。それと同じ状況である。

▼911の濡れ衣を飲んでしまったサウジ人

 サウジ人はアメリカからの中傷に当惑し、怒っているが、そもそも911事件はサウジ人が起こしたものなのかどうか、という根本的な点を疑っているサウジ人は少ない。

 これまでに何度か書いてきたことだが、2001年の911事件の犯人の大半がサウジ人だとされていることについては、私には大きな疑念がある。米当局は、911事件の発生を事前にも当日にもきちんと阻止しようとせず、事件後はきちんとした捜査を行っていない(詳しくは、これまでに書いた911関連記事を参照)。

 FBIは事件発生の直後、19人のイスラム教徒青年を犯人として発表し、そのうち15人はサウジアラビア人であると発表されたが、15人のサウジ人のうち6人は、名前、顔写真、生年月日が一致する人が、9月11日当日にアメリカ以外の場所におり、テロ事件とは全く関係なく生きていることがFBIの発表から数日以内に判明している。(関連記事

 911事件で濡れ衣を着せられていることについて、サウジの人々はどう考えているのか。それは、私がサウジアラビアで知りたかったことの一つだったが、サウジに来て私が出した結論は「多くのサウジ人は濡れ衣であることを気づかず、罪を受容してしまい、それを消化できずに苦しんでいる」ということだった。

 リヤドの新聞社の幹部は「サウジ国内にはテロをやりそうな若い不満分子がおり、爆破テロ事件が何回も起きている。そいつらの一部がアメリカまでテロをやりにいっても不思議ではない」と語り、サウジ人が実行犯の大多数であることを疑っていなかった。たしかに、親族のすねをかじって食っていけるが職がなく、フードコートの男性コーナーでとぐろを巻いているような若い男たちはけっこうおり、若い層の不満は募っている。彼らをテロリスト予備軍と見ることは不可能ではない。

(「店内が男性コーナーと家族コーナーに分かれているのは、女性差別ではなく、独身男性を差別するためだ」と不満を言っていた若い男がいたが、その感覚は理解できる。青年たちは、社会の厳格さゆえに自由恋愛を許されず、定職や財産がないので結婚もできない。結婚できない男性が増えているので、結婚できない女性も増えているが、彼女たちは家で静かにしているので目立たない)

▼報道管制がサウジ人の軽信のもと

 しかしその一方で私が強く感じたのは、サウジにはきちんとした報道機関の体制がないため、テロの背景が検証されず、アメリカの報道が鵜呑みにされてしまっているということである。当局は都合のいいことしか発表せず、マスコミも発表されたこと以上のことをあまり詮索しない体制になっている。

 サウジでは、国内で銃撃戦や爆破事件が起きても、その背景や犯人像について詳細に報じられることが少ない。日本で地下鉄サリン事件が起きた後、膨大な量の報道がなされたのとは対照的である。サウジの人々は、大事件が起きても背景や犯人像が分からないままであることに慣れている。

 だから911事件が起き、その責任をなすりつけられても、おかしいなと思ってFBIの動向を詳細に調査したり、アメリカの報道を細かく網羅的に調べたりしない。サウジの知識人の多くはアメリカ留学経験者なので、アメリカの知識人の影響を受け、裏読みの論議をタブー視する傾向がある。「911はイスラエルがやったんだ」というサウジ人もいたが、その根拠を具体的に述べることはできなかった。

 治安担当の王族は、911は濡れ衣だと主張し続けていたそうだが、その後しばらくしてサウジ国内で爆弾テロが起きるようになり、アメリカの捜査機関に助けてもらわねばならなくなった後、黙ってしまった。(サウジには7つか8つの治安組織や捜査機関があり、それぞれが別々の王族の管轄下にあったりして相互に協力したがらないので、欧米の機関に統括してもらわないと満足な捜査ができない)

 911の濡れ衣を受容してしまったがゆえに、サウジの人々は、アメリカからの中傷を「言いすぎだ」と反発することはできても「濡れ衣だ」と言い切ることができず、歯切れが悪い。私は何人ものサウジ人から「サウジアラビアをどう思いますか」と尋ねられた。その問いに込められた気持ちは「サウジ人はテロリストなんかじゃないと言ってください」「イスラムは暴力的な宗教ではないと言ってください」と、異教徒の外国人である私に期待しているのではないかと感じられるようになった。

▼911のおかげで商売繁盛

 このように911事件はサウジ人の心情に影を落としているが、その半面、911はサウジ経済に思わぬ効果をもたらしている。

 サウジアラビアは今、消費ブームに沸いている。首都リヤドに巨大なスーパーマーケットがいくつもできていることは以前の記事に書いたが、この現象はリヤドだけではなかった。私は、ペルシャ湾岸の東部州や、南部のアシール州を訪れたが、いずれの地域にも新しい大型スーパーマーケットが次々に開店しているという話を聞いた。

 週末(木曜日)の夜、東部州のダーランでは、開店したばかりのフランス系のスーパー「ジアン」の前に、駐車場に入るための長い自家用車の行列ができていた。私が訪れる数日前の開店当日には、店にお客が入りきらず、喧嘩が起きたと報じられていた。(関連記事

 サウジは昼間暑いので、人々は夜に家族で買い物に出かける。リヤドでは週末木曜日の夜中、午後11時ごろに都心で大渋滞が起きているのに出くわした。週末の夜は、高層ビル上層階の展望喫茶店も、予約がないと入れない状態だった。

 サウジ人たちは、この状態を「911のおかげだ」と皮肉を込めて語っている。911事件の後、アメリカではサウジ人の在米資産を凍結せよという主張や裁判が出た。資産を没収されることを恐れたサウジの王族やその他のお金持ちたちは、資産をアメリカから引き揚げ、自国や他のペルシャ湾岸諸国、レバノンなどに移した。

 巨額の資金が還流してきたサウジやドバイなどでは、建設ラッシュや消費ブームとなり、株価が上昇している。中東経済の好調さは、石油価格の高止まりが続いていることも一因だが、そのほかに、911後にアメリカから資金が還流してきたことも大きな原因となっている。(関連記事

 サウジでは金余り現象が起こり、資金の貸し出し先に困った金融機関は、消費者金融に活路を見出し、消費ブームに湧く市民たちはクレジットカードの利用残高を増やしており、借金漬けの状態に陥る人が出てきていることが問題になっている。(サウジの知識人は、アメリカとサウジとの文明的な違いを強調する傾向があるが、クレジットカードの借金地獄に陥っている人が増えてきたことや、自家用車社会で運動不足から肥満が問題になっているといった現実は、皮肉なことにアメリカとよく似ている)

 アメリカから中東への資金の還流は、中東経済にバブルの要素を持ち込んでいる面があるが、それ以上に「双子の赤字」を抱えて世界からドル離れを引き起こされそうになっているアメリカにとってマイナス要因となっている。(関連記事

▼多極主義者に助けられているサウジ

 湾岸戦争以来、世界の戦争や紛争は、マスコミやインターネットを通じたイメージや情報による「情報戦争」「プロパガンダ戦争」の色彩を強めている。911の濡れ衣をサウジ人が鵜呑みにしてしまっていることは、この情報戦争において、アラブ諸国やイスラム世界が、アメリカやイスラエルに完敗している状況を表している。

 イスラエル系の勢力は、アメリカのマスコミの中に深く浸透しており、最近ではアメリカの大学でイスラエル批判を全く許されなくすることを目標とした、言論統制の情報戦争が展開されている。(関連記事

(私が2000年にアメリカの大学で中東の地域学の授業を聴講していたとき、すでに教室の最前列にはキッパ帽をかぶったイスラエル系アメリカ人の学生が陣取り、教官がイスラエルについて批判的なことを言わないよう監視していた)

 世界の人々に歪曲された情報を信じ込ませることまでやって、イスラエル国家の生存を守ろうとするシオニストの戦略の強さと巧妙さと執念には驚嘆する(まさにユダヤ人の強さは情報を使う技能にある)。911後、イスラエル系の勢力であるネオコンが、アメリカのマスコミを使ってサウジに濡れ衣を着せて悪者に仕立てることも、その戦略の一つだったのだろう。

 サウジ王室は、アメリカのPR会社に高い金を払ってサウジのイメージアップ作戦を展開したが、金を無駄にしただけだった。サウジ人の多くは「911の犯人はサウジ人」という、怪しげな「事実」自体が情報戦争の爆弾だったことに今も気づいていない。

 とはいうものの、サウジは結局のところ、この戦争に負けていない。ネオコンに乗っ取られた感があるアメリカだが、同時にアメリカの中枢にはアメリカ自身を自滅させようとする勢力(多極主義派)がいるように感じられる(存在は感じられるものの、それが具体的に誰なのか、はっきりしていない)。

 イスラエルに有利になるよう、アラブの諸国家を解体し、部族対立の内戦状態に陥らせて弱体化するネオコンの戦略の第一歩になるはずだったイラク侵攻は、イラクの解体には成功しかけているものの、同時に占領が泥沼化したことによってアメリカ軍を自滅に近づけている。アメリカはイラク侵攻によって、財政的にも、国際社会での信用面でも、自滅に近づいている。

 私の現在の推論では、911後、ネオコンがイスラエルのためにイラクを解体し、サウジも標的にされていたが、その作戦を乗っ取るかたちで多極主義者がアメリカそのものを自滅させる方向に持っていき、この乗っ取りのおかげで、石油価格も高騰してサウジは不利な状態から脱することができつつある一方、イスラエルのシャロン政権はアメリカの潜在的な弱体化を見て、ガザから撤退し、アラブ側と安定した関係を急いで作ろうと動き出したのだと思われる。サウジは、自力で不利な状況から脱したのではなく、アメリカの多極主義者によって助けられている感がある。



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