他の記事を読む

地下資源が煽るコンゴの内戦

2003年6月2日   田中 宇

 記事の無料メール配信

 世の中には、内戦が起こりやすい国と、起こりにくい国があるらしい。欧米における研究によると、内戦に陥りやすい国は、石油や金など地下資源の輸出がその国の経済を支えていて、しかも極貧状態にある、2民族国家だという。

 世界銀行によると、世界の内戦の8割は、世界の国のうち最も貧しい16%の国々で起きており、一人あたりの収入が2倍になると、内戦の可能性も半分になる。また、地下資源など一次産品の輸出が国内経済(GDP)の1割を占める国は内戦の可能性が11%、3割を占める国は可能性が30%以上になるという。また、多数派の民族と少数派の民族が共存している国は、内戦の可能性が50%高まるという。(関連記事

 この条件で考えると、地下資源に乏しいが経済的に豊かで、激しい民族対立もない日本は、最も内戦が起きにくい国の一つだろう。逆に、内戦が起こりやすい国の代表格として挙げられるのが、アフリカ中央部にあるコンゴ民主共和国(旧ザイール、以下コンゴ)である。

(隣国に似た名前のコンゴ共和国がある。両国は13−15世紀ごろにはコンゴ王国の領域だったが、その後の植民地時代に、コンゴ民主共和国は旧ベルギー領、コンゴ共和国は旧フランス領となった)

 コンゴはアフリカ最大の鉱物資源国で、ダイヤモンド、銅、コバルト、それから電子部品(コンデンサー)の材料として使われているコルタンという鉱石が世界有数の規模で採掘されるほか、金、石油、亜鉛なども採れる。だが、国民一人あたりの平均収入(一人あたりGDP)は約100ドルで、隣国コンゴ共和国の7分の1しかない。

 コンゴでは1994年から内戦が続いており、これまでの死者数は、200万人とも470万人ともいわれている。死者のほとんどは、コンゴ東部の村々に住んでいる一般の住民たちである。(関連記事

 昨年和平合意が締結されたものの、その後、コンゴの東部では再び戦闘と虐殺が広がっている。東部のイツリ州(Ituri)という地域に住む2つの民族であるヘマ人とレンドゥ人が、西隣のウガンダとコンゴ政府という別々の外部勢力から支援されて戦い、互いに敵側の民族が住む村々を襲撃し、非武装の村人たちを殺している。このままでは、1994年に東隣のルワンダで起きた大虐殺の再来になりかねないため、5月30日、フランスなどが中心になって国連軍として派兵することが決まった。

▼大きくて弱いコンゴ、小さくて強いルワンダ

 1994年のルワンダの大虐殺は、ルワンダの人口の10%しかいない少数派ながら15世紀以来実権を握ってきたツチ人から、90%を占める多数派のフツ人が権力を奪取しようとする内戦の過程で起きている。ルワンダで永遠に「二流市民」であり続けることを拒否したフツ人の過激派は、ツチ人の政権を追い出した後、ルワンダ国内のツチ人の多くを殺害することを目指し、3カ月間に80万人を殺したとされる。虐殺に反対した穏健派のフツ人も一緒に殺された。

 ツチ人の多くは北隣のウガンダに避難したが、ウガンダ軍の支援を受けたツチ人勢力は再びルワンダに攻め戻り、フツ人勢力を西隣のコンゴに追い出すことに成功した。コンゴに逃げ込んだフツ人の武装勢力(interahamwe)を追って、ツチ人中心のルワンダ軍が越境してきたことから、コンゴにも内戦が飛び火した。(ルワンダ内戦については「アフリカの民族対立を読み解く」

 コンゴは国土が日本の6倍以上あり、西ヨーロッパ全部と同じぐらいに広い。人口も約5000万人いる。それに対して隣のルワンダは面積がコンゴの30分の1しかなく、人口も700万人しかいないのだが、ルワンダ軍はコンゴ東部の奥深くまで侵攻し、一時はコンゴの国土の約3分の1を占領した。

 ルワンダのツチ人政権の軍隊がフツ人勢力を追いかけてコンゴに侵攻し、コンゴ東部のダイヤモンド鉱山などを占拠して軍資金を稼ぎ始めると、それを見たウガンダの軍隊も、自分らにも金儲けさせろとばかり、自国の反政府勢力がコンゴ東部を拠点にしていることを理由に、コンゴの北東部に攻め入った。コンゴ政府が統治している地域は、国土の西側の半分以下の地域にすぎなくなった。

コンゴ内戦の勢力分布図(RCDはルワンダ系、MLCはウガンダ系)

 コンゴは1960年代の動乱以来、いくつかの武装勢力が割拠して中央政府を奪い合う状態が続き、国土は広いが国家としての統一力が弱い。そのため、1996年にルワンダ軍がコンゴに進撃すると、コンゴ国内に傀儡のゲリラ組織を作って間もなく首都キンシャサを陥落させ、当時のコンゴのモブツ政権を倒してしまった。

 モブツ政権は、冷戦中はアメリカの支援を受け、社会主義系の政権だったウガンダや南隣のアンゴラなどと対峙する役目を果たしていたが、冷戦が終わった後「民主化」を重要課題に掲げるようになったアメリカは、自分の任期が終わった後も大統領の座にとどまり続けたモブツを批判するようになり、ルワンダからの攻撃を受けると、モブツはあっけなく亡命に追い込まれた。

▼うごめく黒幕は欧米企業

 モブツを追い出した後、ルワンダはコンゴに傀儡政権を置き、ゲリラの頭目だったローラン・カビラを大統領に据えた。ルワンダはカビラを使ってフツ人系のゲリラ勢力を掃討させようとしたが、カビラは逆にルワンダの傀儡から脱することを目指し、フツ人系のゲリラを支援した。このためルワンダ側は怒り、カビラの政権を潰そうと再び進軍した。

 窮地に立ったカビラは、周辺国であるアンゴラ、ジンバブエ、ナミビア、チャドに援軍を頼んだ。援軍派遣の見返りにカビラが周辺諸国に提示したのは、自国の地下資源を採掘する権利だった。アンゴラは石油を、ジンバブエとナミビアはダイヤモンドを採掘させてもらう約束でコンゴの内戦に介入した。

 コンゴ国内に居座り続けたルワンダとウガンダも、ダイヤモンドやコルタン、木材、象牙などを漁った。ルワンダは軍事費の半分をコンゴ領内からの盗掘や略奪によって補っていたとされ、経済的にもコンゴ東部から撤退しにくくなった。ルワンダとウガンダはもともと力を合わせてコンゴを支配下に置く目論見だったのに、鉱山をどちらが支配するかで対立し、コンゴ領内で両国の武装勢力が戦闘したりした。(関連記事

 鉱山地帯を誰が抑えるかによって、コンゴで戦う各派閥の資金力のバランスが変化し、そのたびに中小の地元の武装勢力の間に寝返りが頻発し、内戦に決着がつかない状態が続いた。武装諸派は盗掘だけでなく、無政府状態が続いているコンゴ各地の村々で略奪を繰り返し、無抵抗の村人たちが虐殺されることが相次ぎ、死者が激増した。

 この内戦には、欧米や南アフリカの企業も関与していた。カビラ大統領は、欧米系鉱山会社などと話をつけ、鉱山地帯を占拠するための軍資金を欧米系鉱山会社が出す代わりに、コンゴ軍やその配下のゲリラが敵方を追い出して鉱山地帯を支配した後には、欧米系鉱山会社が独占的な採掘権を得る、という契約を結んだ。

 カビラだけでなく、ルワンダなどの周辺国の政府も同様の契約を、他の欧米系鉱山会社などと締結した結果、コンゴ内戦に介入する各勢力には、欧米からも軍資金が流れ込み、内戦をさらに長引かせることになった。国連は昨年10月、世界的なダイヤモンドの企業であるデビアスや、南アフリカの鉱山会社アングロアメリカン(デビアスの親会社)、イギリスのバークレイズ銀行など欧米と南アフリカの85社が、コンゴの略奪を煽る行為を行ったと批判する報告書を発表している。(関連記事

 欧米企業の存在は公表されず、秘密にされていることが多い。たとえば、ナミビアが採掘権を得たコンゴ南部のツィカパ(Tshikapa)というダイヤモンド鉱山の開発について、ナミビアの鉱山担当大臣はアメリカ企業(企業名を明かさず)が出資していることを明らかにしたが、米企業側から抗議されたのか、その後同国の国防大臣が、米企業は関与していないと「訂正」の発表をしている。(関連記事

▼和平になると再発する大虐殺

 コンゴの内戦は、2001年1月にローラン・カビラ大統領が暗殺された後、小康状態に入った。あとを継いだのは長男のジョセフ・カビラだったが、彼は父親よりも現実派で、内戦終結を目指して関係諸国や諸派と和平交渉する道を選んだ。

 和平交渉の結果、周辺諸国の多くは撤退したが、ルワンダと、ルワンダが支援してきたゲリラ勢力RCD(コンゴ民主連合)は、コンゴ国内にかつて一時ルワンダのツチ人政権を倒したフツ人の武装勢力が残っていることを理由に、和平への同意を拒否した。ウガンダも「ルワンダが撤退しない限り自分たちも出て行かない」として占領を続けた。

 その後、アメリカなどがルワンダに圧力をかけた結果、昨年12月、コンゴ政府に4人の副大統領を置き、その中にルワンダ系とウガンダ系の勢力の代表を1人ずつ含むことや、コンゴ国内のフツ人系勢力を武装解除し、国外追放することなどを条件に、ルワンダとウガンダはコンゴからの撤退に応じた。

 ところが、ルワンダとウガンダがコンゴ東部から撤退した後の支配力の真空状態が、地元勢力どうしの戦闘や虐殺行為を激化させることになった。特に、それまでウガンダ軍が支配していたコンゴ北東部のイツリ州が危険になった。この地域では、ウガンダ軍は地元のヘマ人とレンドゥ人という2つの民族に個別に武器を渡し、鉱山地帯などの警備に当たらせていた。

 だが、和平合意が結ばれた昨年末から撤退を始めたウガンダ軍は、自分たちの代わりにイツリ州を統治する勢力として、2民族のうちヘマ人を選び、ヘマ人の州知事を置いた。これに対してレンドゥ人が反発し、今年に入ってヘマ人とレンドゥ人が殺し合う状態になっている。(関連記事)(イツリ州の地図

 この地域では1999年以来、5万人が殺されたという報告もある。ヘマ人はルワンダのツチ人と同様、もともと牧畜民で、ヘマ人とツチ人は同じ民族だと考えられ、ツチ人に親近感があるウガンダ軍はヘマ人に権力を渡した。一方レンドゥ人は農耕民で、ルワンダのフツ人と同じ民族とされる。地域の人口は、ヘマ人15万人に対しレンドゥ人が70万人で、この割合はルワンダのツチ人とフツ人の割合に近い。(関連記事

 そんな状態の中で、少数派のヘマ人に権力が渡された上でルワンダ軍が撤退することは、かつてルワンダで起きた大量虐殺と同じことがイツリ州で再発するおそれにつながっている。州都ブニヤには、和平監視のために国連の要請を受けて南米ウルグアイが派遣した700人の兵力がいるが、虐殺行為を止めるためには全く足りず、逆にゲリラ勢力から攻められ、陣地から出られない状態になっている。

 5月6日にウガンダ軍が完全撤退した後、虐殺がさらに広まる様相が続いたため、国連安保理は5月30日、フランス軍を中心とする1200人の兵力を6月初めに州都ブニヤへ派兵することを決めた。しかしこの国連軍も、ブニヤの空港をゲリラ勢力から守ることが主な任務で、ブニヤから遠い村々での虐殺を止めることは難しい。(関連記事

 最近の記事の中には「ヘマ人とレンドゥ人という民族名は(1994年の虐殺で世界的に有名になったルワンダの)ツチ人とフツ人のように、われわれ人類全体の良心の中に、永久に銘記される名前になるかもしれない」と、大虐殺の再発を予言する不気味な書き方をしているものもある。(関連記事

▼地下資源があると儲かる内戦

 コンゴ内戦と同様、地下資源の存在が内戦を煽る状況は、世界のあちこちで起きている。たとえばインドネシアでは、地元勢力が分離独立を求めて内戦が続いているアチェ州が石油資源のある地域だ。インドネシア政府はアチェの勢力に、地元の油田から得られる石油収入の70%を与える条件を出したが、その後東京で行われた交渉は決裂し、内戦が再発した。

 またインドネシアから独立した東チモールも、オーストラリアとの海峡に未採掘の海底油田があり、この油田があったことが、東チモールの独立問題にオーストラリアが関与し続けた一因だった可能性がある。

 コンゴの南隣のアンゴラでは、冷戦中にアメリカや南アフリカが支援した反政府ゲリラUNITAの指導者を30年以上続けていたジョナス・サビンビ(Jonas Savimbi、昨年2月死去)が、盗掘した石油やダイヤモンド、象牙などの販売収入、それからアメリカなどからから得た軍資金などを合わせ、死ぬまでに合計40億ドルもの財産を蓄えていたと概算されている。(関連記事

 UNITAは、コンゴと同様に石油やダイヤモンド、金などの鉱物資源が豊かなアンゴラ国内だけでなく、コンゴ領内でも活動していた。こんなに儲かるのなら、地下資源の豊富な国の反政府ゲリラの指導者になりたがる人間が多いのは当然だし、ゲリラの指導者たちが内戦を長引かせたくなるのも理解できる。

▼気になるフランスのアフリカ支配

 アフリカでは今回のコンゴの前に、今年1月には西海岸のコートジボワールにも、フランスが率いる国連軍が内戦終結のために介入している。最近のフランスはアフリカに対して積極的だ。

 フランス政府は今年2月、フランス語圏のアフリカ諸国会議をパリで開催した。そこには、白人系国民から土地を没収する政策がヨーロッパ諸国から非難されているジンバブエのムガベ大統領を招待し、フランスは他の欧州諸国から批判された。これは、アフリカ諸国の多くがムガベを支持しているからで、ムガベをあえて呼ぶことで、フランスはアフリカ人の味方なのだと宣伝したのだと思われる。ジンバブエは、旧宗主国がフランスではなくイギリスである。ムガベを呼んだことからは、フランス政府がフランス系だけでなく、イギリス系のアフリカ諸国にまで影響力を及ぼそうとしていることがうかがえる。(関連記事

 フランスがアフリカ政策に熱心になったのは、アメリカで911事件が起きた後のことだ。フランスは1994年のルワンダ内戦に介入したとき、フツ人に肩入れしすぎたため、フツ人が80万人のツチ人らを虐殺するのを黙認したのではないかと、あとから国際的に批判された。それが問題になった1997年、フランス政府は、もうアフリカの内戦には介入しない方針を打ち出した。(関連記事

 フランス経済があまり良い状態でないため、アフリカのプロジェクトに投資する十分な資金余力がなくなったことも、フランスがアフリカから遠ざかった一因だった。フランスに代わり、経済グローバリゼーションを掲げたクリントン政権下で経済面の世界支配を目指すアメリカが、アフリカに対して積極的になっていた。

 ところがその後アメリカ経済は下降に入り、911事件の発生を機に、アメリカ政府は、自らが「テロ戦争」の名目で自由経済と自由主義を離れ、帝国化するのを国際的に容認してもらうため、世界の他の大国がミニ帝国化することを容認し、ときには奨励するようになった。アメリカ政府は、中国政府がチベットや新疆ウイグルの反政府運動を抑圧するのを黙認するようになったし、ロシアが抱えるチェチェン問題にも文句を言わなくなった。日本の軍拡傾向も、その流れの中にあると考えられる。

 そして、アメリカがフランスに与えたのは、アフリカ支配を復活させてよいというお墨付きだった。そのような取り決めが明らかになっているわけではないが、世界の流れを見ると、そのような仮説が成り立つ。フランスでは、アフリカの内戦に介入しない方針を打ち出した左派のジョスパン政権から、昨年5月に右派のシラク政権に政府が交代した後、今年1月のコートジボワールへの内戦介入を皮切りに、不介入政策をやめていく動きをとっている。(コートジボワールは以前からフランスと特に親しい関係にあったので特別だ、という見方もあるが)

 今年2−3月、イラク侵攻を前に、フランスとアメリカの関係が悪化すると、フランスはイスラム圏のアフリカ諸国でアメリカ嫌いが高まったことを利用し、アルジェリアなどへの接近をはかった。フランス政府は、国内のイスラム教徒(主に北アフリカからの移民)との対話も重視するようになった。

「アメリカがイラクなど中東の石油を独り占めする気なら、フランスは中東の石油に頼らなくてもすむよう、アフリカの石油利権を確保しておく必要がある」という考え方も台頭するようになった。今年2月のアフリカ諸国会議でフランス政府は、特にカメルーン、ガボン、アルジェリアといった産油国に対する影響力の拡大を目指した。

 こうしたフランスの対アフリカ積極策が、コンゴでの虐殺を止めるためにどのぐらい現実的な力になるか、そのあたりが今後の注目点だろう。



●関連記事など



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ