複雑なアフリカの民族対立を読み解く98年9月1日 田中 宇 | |
アフリカ中央部の国、コンゴ(旧ザイール)の独裁的な大統領を32年間やった後、昨年5月に失脚し、失意のうちに死んだモブツ・セセ・セコ氏はかつて「自分が失脚したら、ザイールは混乱状態に陥る」と予言していた。 モブツ氏は長年にわたりコンゴを私物化したため、政治は腐敗、経済は破綻という状態だった。だから昨年、ローラン・カビラ氏が率いる反政府軍が首都キンシャサに入城し、モブツ大統領が亡命した時には、モブツ氏が去ることこそがコンゴの発展につながると思われており、モブツ氏の予言を真剣に受け取る人は少なかった。だが、それから1年半、今や彼の予言は的中しつつある。 8月初旬、コンゴ東部で軍の一部がカビラ政権に反旗を翻し、それからわずか2週間で、キンシャサの郊外まで進撃してきた。カビラ氏は近隣のアンゴラとジンバブエからの軍事支援を受け、ようやく反政府軍を撤退させた。だが、もはやカビラ氏の弱体化は明らかだ。 なぜ、コンゴでは軍事衝突と混乱が続くのだろうか。表面的な動きだけをみても、その理由は見えてこない。根底には、国境を越えたいくつもの民族対立とゲリラ闘争がある。そして対立の源は、1994年にコンゴ(当時はザイール)の東隣のルワンダで、多数派のフツ族が少数派のツチ族を大量虐殺したことにさかのぼる。 ●フツ族とツチ族の対立がコンゴに飛び火 ルワンダにはもともと農耕民だったフツ族が住んでいたが、15世紀に牧畜民だったツチ族がやってきて、武力によってフツ族を支配した。1962年に独立したが、90年代に入ると両民族間の抗争が激化し、フツ族が実権を握る政府に対して、ツチ族のゲリラが優勢になっていった。1994年、フツ族の大統領がなぞの飛行機事故で死去したことをきっかけに、フツ族政府は組織的にツチ族を殺害し出したが、結局ツチ族ゲリラが政権を奪取し、復讐を恐れる多数のフツ族が西隣のコンゴに亡命し、難民キャンプがつくられた。 フツ族は難民キャンプを拠点として、たびたびルワンダに攻め込み、反政府ゲリラ戦を展開した。ルワンダのツチ族政権は、モブツ大統領に、難民キャンプに潜伏しているフツ族ゲリラを取り締まるよう求めたが、受け入れられなかった。 冷戦時代には、反共政権として、西側陣営にとって重要な存在だったモブツ大統領は、すでに冷戦終結とともに、アメリカにとっては用済みとなり、弱体化していた。そこに目をつけたルワンダは、コンゴ東部にも住んでいる同胞のツチ族に、反政府活動を始めさせた。 ルワンダは、反政府ゲリラがツチ族とルワンダの利害だけを考えているのではなく、コンゴ人全体の利益を代弁している格好にするため、ツチ族ではなく、コンゴ南部のカタンガ地方出身の左翼組織リーダーだったカビラ氏を、ゲリラのリーダーとして据えた。カビラ氏率いるツチ族ゲリラは、モブツ政権と戦う一方で、コンゴ東部に点在するフツ族の難民キャンプを襲撃し、無数のフツ族を殺した。 カビラ氏はルワンダだけでなく、ウガンダとアンゴラからも支援を受けていた。ウガンダはツチ族支援を打ち出している政策からの支援だが、アンゴラの損得勘定は、それとは別だった。 アンゴラ政府は、UNITAと呼ばれる反政府組織から攻撃を受けている。UNITAはモブツ政権時代、コンゴ国内のダイヤモンド鉱山を採掘権を与えられ、ダイヤモンドを密輸出して武器を買い、アンゴラ政府軍を攻撃していた。 アンゴラの政権は社会主義寄りだったので、反共親米政権だったモブツ政権は、アメリカの意を受けて、UNITAのコンゴ領内での活動を認めたのである。そのため、カビラ氏率いるゲリラがモブツ政権を倒すことは、アンゴラ政府にとって、UNITAをつぶす好機でもあった。 カビラ氏は、蜂起から7ヶ月後の昨年5月、キンシャサに入城し、国名をモブツ大統領が命名した「ザイール」から、独立時の「コンゴ」に戻した。 ●無謀な賭けに敗れたカビラ大統領 新政権は、国防大臣にルワンダ人のジェームス・カバリ氏が座り、ルワンダから派遣された兵士がキンシャサ市内をパトロールするなど、ルワンダの傀儡色が強かった。新政権に希望を抱いていたコンゴの人々は、カビラ氏が野党政治家たちを投獄した上、ツチ族や、カビラ氏と同郷のカタンガ地方出身者たちを要職につけるのを見て、失望するようになった。 カビラ氏は、欧米からの支援を受けて経済を立て直そうとしたが、政権を取る前にフツ族を虐殺したことが障害となった。国連は虐殺の真相調査のための代表団を派遣してきたが、カビラ氏は調査の実施を認めず、経済支援が棚上げされてしまった。 経済の立て直しもままならず、国民の不満の高まりを懸念したカビラ大統領は、「恩人」を裏切る人気取り政策に踏み切った。カバリ国防大臣を罷免し、ルワンダ軍にコンゴからの撤退を命じたのである。ルワンダの影響力を一気に排除することで、傀儡政権というイメージをなくし、コンゴ人たちの民族意識に応えて人気を高めようとする戦略だった。 だが、これはあまりに無謀な賭けであった。ルワンダ軍は撤退するとみせかけて、東部のツチ族の中に紛れ込んで再び反政府ゲリラ組織を作り、8月初旬には、東部の主要都市ゴマを占領してしまった。 カビラ氏の政権奪取を助けたルワンダやアンゴラは、カビラ大統領がルワンダ軍に撤退を命じる前から、それぞれの理由でカビラ氏に失望していた。カビラ氏は国内のフツ族ゲリラやUNITAを壊滅させると約束していたのだが、政権の座についてみると、戦わずに交渉を好む融和策を取ったからだった。 ルワンダ政府は、自国軍の兵士はすべてコンゴから撤退したと主張しているが、現実は逆のようで、ルワンダからコンゴ東部へと、兵士や武器を乗せたトラックが列をなして移動するのが目撃されている。 コンゴ東部を支配した反政府ゲリラは8月4日、ゴマの空港に着陸していたコンゴの航空会社の貨物便ジェット機を数機ハイジャックした。そして600人の反政府軍兵士が乗り込み、約2000キロ離れたコンゴ西部の町キトナの空港に強制着陸させ、キトナ周辺を占領するという急襲作戦を成功させた。キトナから首都キンシャサまでは、約300キロである。ゲリラ軍はその後もこの空路を使い、西と東からキンシャサを挟み撃ちにし始めた。 ●渦巻く周辺諸国の思惑と利害 キンシャサ陥落が時間の問題と思われ始めた8月下旬になって、カビラ大統領は周辺諸国に援軍を求めた。アンゴラとジンバブエが要請に応じて、武器と兵士を送り込んできた。このため、ゲリラ軍はキンシャサ郊外まで来たところで反撃され、撤退した。その後は政府軍が盛り返し、コンゴ西部は再びカビラ政権の支配下に戻りつつある。 いったんはカビラ氏に失望したアンゴラが、再びカビラ支持に回って援軍を派遣したのは、かつてモブツ大統領に忠誠を誓い、カビラ政権になってから冷や飯を食わされていたUNITAに近い筋のコンゴ人たちが、ツチ族ゲリラに合流したからだった。 UNITAに近い筋がカビラ政権打倒に協力し、その後の新政権に参画することになれば、再びUNITAが力を盛り返し、アンゴラを攻撃するようになるため、アンゴラは再びカビラ支持を打ち出したのだった。 一方、コンゴとは国境を接しておらず、直接の利害関係を持っていないジンバブエが援軍を送ってきた理由は、アフリカ南部の複雑な外交関係の文脈で読み解く必要がある。 ジンバブエのムガベ大統領は、南アフリカのマンデラ大統領と、アフリカ南部諸国間のリーダーシップをめぐり、ライバル関係にある。南アフリカはルワンダに武器を輸出しており、マンデラ大統領はルワンダの利益を代弁する傾向がある。このため、ジンバブエはコンゴ政府を支持する側に回った、と筆者はみている。 マンデラ大統領は8月下旬、コンゴをめぐる和平会議を開こうとしたが、アンゴラ・コンゴ側の同意を得られず、不調に終わった。多くの国家と民族の利害がからみ、複雑な様相を呈するコンゴの戦争は、当分終わりそうもない。
その他の関連ページ
●クリスチャンサイエンスモニターの解説記事(英語) Carving Up Congo As World Stands By (8月7日)
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