マダガスカルと世界支配2002年7月1日 田中 宇アフリカ東海岸の沖合にある島国マダガスカルは、アフリカのすぐ近くにありながら、他のアフリカと大きく異なっている。世界で4番目に大きなこの島は、「バオバブ」の巨木など、世界の他の地域では見られない動植物がいることで有名で、動物の種類がアフリカ大陸とあまりに異なるため、そのことを根拠に「かつてインド洋にもうひとつ大陸があった」という説が登場したこともある。 とはいえ、特色はそれだけではない。島の人々が話す「マラガシー語」は、マレーシア語やインドネシア語に近く、人々はコメを主食とし、町の市場などの雰囲気は東南アジアに近い。この島は、アジアとアフリカが混合した文化を持っている。 今から2000年ほど前、インドネシアの方からインド洋を渡ってマレー系の人々が移住してきたのが、マダガスカルの歴史の始まりとされている。その当時、すでに人類は、インドネシアからアフリカまでインド洋を渡る航海技術を持っていたということになる。(アフリカ大陸系の人々の方が先に住んでおり、マレー系の人々は後から侵略してきたという説や、マレー系のマダガスカルへの渡航は10世紀ごろという説もある) マレー系のマダガスカル人は「メリナ人」と呼ばれ、島の中央部の高地に住み、16世紀にはメリナ王国という統一国家を作り、島のほとんどの地域を統治していた。西欧の植民地にされるまで、アフリカでは法体系や官僚組織を持った国家が非常に少なかったが、メリナ王国はその数少ない例である。 メリナ王国は侵略してきたフランスに破れ、1896年から1960年まで植民地(保護国)となったが、その間も旧メリナ王国の独立を求めるメリナ民族主義の考えが人々の間に存在し、それが独立後のマダガスカルの民族主義のベースとなった。 メリナ人は現在、マダガスカルの人口の約4分の1を占めている。そのほかに、アフリカ大陸をもともとの故郷とする、マレー系より肌の色が濃い16の民族がいるが、島の人々は全員がマラガシー語(マダガスカル語)を話し、言語的には単一民族であるため、これまで民族間の紛争はほとんどなかった。 ▼2人の大統領 昨年12月の大統領選挙で、そんな平和な状態に亀裂が入った。マダガスカルでは1976年に大統領となったディディエ・ラチラカという人が、その後23年間、ほとんどずっと大統領の座にあった(1993−96年だけ野に下っていた)。 昨年12月の大統領選挙は、そのラチラカ大統領と、若手実業家から首都アンタナナリボの市長となっていたマーク・ラベロマナナとの戦いとなった。ラチラカ大統領は、冷戦時代に社会主義政策をとっていた古いタイプの政治家だが、これと対照的に、ラベロマナナはブランドもののスーツを着こなし、乳製品メーカーやテレビ局を経営する新興ビジネスマンで、自家用ヘリコプターで村々を回って選挙運動を展開した。 ラベロマナナは、アンタナナリボの市長になってからの2年間で、古びた首都の町並みに新しい街灯をつけ、家並みのペンキを塗り替えたりして首都のイメージを一新するなど、市民の歓心を集めることに成功しており、現職のラチラカとの間でほぼ互角の戦いを展開した。 選挙後、不正が指摘される中で、最高裁判所は「ラチラカ勝利」の判定を下したが、ラベロマナナ派は「最高裁はラチラカ派が握っている。判定は無効だ」と主張し、首都では連日、ラチラカに退陣を迫る数万人の市民のデモ行進が行われ、やがて軍もラベロマナナ側に転向した。ラチラカ大統領は今年2月に首都から逃げ出し、自らの故郷である海岸部のトアマシナという町に主要閣僚らを集め、そこに政府を移転する宣言を行った。 大統領を追い出した首都アンタナナリボでは、ラベロマナナ市長が大統領への就任を宣言する動きを見せ、アフリカ諸国でつくる「アフリカ統一機構」(OAU)が調停に入ったが成功しなかった。その間に最高裁判事の人事が一新されてラベロマナナ派で固められた後、最高裁は4月末、「12月の大統領選挙の勝者はラベロマナナである」という新しい判定を発表した。これを受け、5月初めにラベロマナナが大統領就任を宣言し、マダガスカルには2人の大統領が並び立つことになった。 ▼首都封鎖と分離独立作戦 首都アンタナナリボを逃げ出したラチラカが臨時政府を置いたトアマシナは首都の外港で、標高1300メートルの山の上にある首都の人々が消費する物資を海外から受け入れ、トラックや鉄道に積み替えて首都に送る役割を果たす港町である。ラチラカ派は、首都を兵糧攻めにする作戦を展開し、トアマシナからアンタナナリボに向かう幹線道路の橋を爆破し、検問所を作って交通を止めたり、首都に電力を送る送電線の鉄塔を爆破したりした。アンタナナリボではガソリンなど生活物資が不足し、通りを走る車も減った。 首都など高地住民の多くはマレー系だが、トアマシナなど海岸部の住民の多くはアフリカ大陸系である。ラチラカ派は、海岸部の人々は高地の人々とは違うんだという考え方を流布し、首都以外の5つの州の知事を集め、アンタナナリボを中心とする国家からの独立を検討する会議を開くなど、島を二分して戦う姿勢を見せた。 加えて、旧宗主国フランスが不穏な動きを見せた。6月中旬、12人のフランス人傭兵集団が飛行機でフランスからタンザニアを経由してマダガスカルに向かおうとするところをタンザニア当局に見つかり、フランスに追い返された。ラベロマナナは、ラチラカが自分を暗殺しようとして傭兵団を雇ったのだ、と批判した。 フランス政府は「傭兵の動きは仏政府と関係なく、われわれはこの手の活動を徹底して取り締まる」と発表した。だが、フランス政府はどちらかというと26年間政権を握っていたラチラカを支持しているようで、ラチラカは6月に入ってフランスを訪問している。 6月下旬には、傭兵団を乗せた飛行機が、今度はイギリスから南アフリカを経由してマダガスカルに入ったと伝えられ、大統領選挙に端を発した政治紛争は、島を分裂させる内戦に発展する可能性が出てきた。(関連記事) ▼正義の味方?、実はフランスへの一撃 そこに突然「正義の味方」が登場した。それはアメリカ合衆国だった。6月26日、ブッシュ政権は「ラベロマナナの新政権をマダガスカルの正式な政権として認知する」と宣言する信任状をラベロマナナに送った。それまでアメリカはマダガスカルの内紛に対して何のメッセージも発していなかったので、この発表は唐突であり、関係者を驚かせた。 アメリカのお墨付きを得たことで、新大統領はラベロマナナに決まり、分離独立をちらつかせつつ対抗しようとしたラチラカは沈黙せざるを得ない可能性が大きくなっている。アメリカの意志に背いたら経済援助が止められてしまうアフリカ諸国は、ラチラカに大統領職を諦めるよう説得し始めていると思われる。 唐突なアメリカの意志表示により、マダガスカルは内戦を回避できたわけだが、アメリカは「正義」のために動いたとは考えにくい。アメリカの意図はむしろ、マダガスカルに対する旧宗主国フランスの影響力を殺すための一撃を発することにあったと思われる。 昨年の911テロ事件後、アメリカは誰も止めることのできない超大国となっている。それ以前なら、アメリカがアフリカの旧フランス植民地の内政に干渉することは、フランスだけでなくイギリスなどからも批判されていた可能性が大きい。「中南米がアメリカのものであるように、アフリカは西欧のものだ」といった論調が存在していたからだ。 だが、そんな状態はもう終わっている。もはやフランスはマダガスカルに対する介入を自ら否定して「何も悪いことはするつもりはないです」と許しを乞うのがやっとの状態だ。西欧諸国がアジア・アフリカの旧植民地に対して独立後も隠然と持っていた間接支配権が、アメリカに移転する新時代が、911事件とともに到来したことになる。 今回のアメリカの介入は、マダガスカルの内戦を回避したが、それより北方にあるソマリアでは、逆に昨年末にアメリカがやりかけた介入が、不必要な内戦を引き起こしかけている。(「ソマリアの和平を壊す米軍の戦場探し」参照) アメリカによる世界支配が強化されつつある現状が、世界にどのような変化をもたらすのか、よく見ていく必要がある。
●関連記事など
911以降、米政府のプロパガンダを積極的に伝えるようになったこの新聞が、5月はじめの段階で、ラベロマナナ側に偏った傾向が感じられるこの記事を出していたということは、米政府は以前からラベロマナナへの支援を計画し、機会をうかがっていたのかもしれないと深読みできる。 田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |