アメリカの挑発に乗れない中国2002年3月15日 田中 宇「エアフォース・ワン」(空軍1号機)といえば、アメリカの大統領専用機のことだが、中国にもエアフォース・ワンと呼ばれている飛行機がある。中国の大統領にあたる江沢民国家主席の専用機である。 中国ではこれまで政府首脳が外遊する際、航空会社が持っている一般の旅客機の客室内を一時的に改装し、外遊がすんだら再びもとの状態に戻すというやり方で対応していた。だが、中国経済が発展し、国際的に大国としてみられ始めたため、アメリカ並みに大統領専用機を持つことにした。 中国政府は2000年夏、アメリカのデルタ航空を通じてボーイングから767型機を買い、テキサス州の空港で大統領専用機にふさわしい改装を施すことにして、数社の地元企業に改装工事を発注した。専用機には、主席のためのベッドルームや浴室、100人の随行員が同行できるシート席などを備えていた。政府系マスコミは、中国がアメリカ並みの大国になったことを印象づけることを狙ってか、専用機を「エアフォース・ワン」と呼んで紹介する記事を流した。 専用機は、昨年夏には中国側に引き渡され、昨年9月に中国でのテスト飛行を経て、10月に上海で開かれるAPEC会議で世界の報道陣に対して披露される予定だった。ところが実際には、専用機は一度も江沢民主席を乗せて飛ぶことはなく、北京の北郊にある空軍飛行場に置かれたままで、せっかくアメリカで改装してもらった豪華な内装も、ところどころはがされた状態になっている。 それは、正式に使われる直前、機内の27カ所に盗聴器が仕掛けられていることが発覚したからだった。盗聴器は、人工衛星からの電波を受けるとスイッチが入り、周囲の音を拾って人工衛星に向けて送信を開始する遠隔制御型で、中国から遠く離れた場所から盗聴できる精巧な仕組みになっていた。 盗聴器は、主席用ベッドの頭木の内部をくり抜いて置かれていたほか、浴室などにも仕掛けられていた。最初の盗聴器が見つかった後、中国当局は内装をすべてはがして盗聴器を探したが、まだ見つかっていない盗聴器があるかもしれないということで、専用機の使用は棚上げとなった。 アメリカで内装工事を施されている間、中国空軍が派遣した警備係が24時間体制で専用機を見張り、内装業者などから盗聴器を仕掛けられないように対策がとられていた。 ところが、盗聴器が見つかった後、空軍の担当者など中国で約20人の関係者が逮捕された。中国政府は専用機の改装費として40億円相当の予算を計上したが、改装業者には10億円あまりしか支払われておらず、その差額は空軍などの関係者が横領したと報じられている。そうした不正が行われる過程で、盗聴器が仕掛けられる隙が生じたのではないかと思われる。 ▼「李鵬が仕掛けたことにしたら?」 ところで、盗聴器を仕掛けたのは誰だろうか。アメリカと中国との緊張関係を考えれば、アメリカのCIAやNSA(国家安全保障局)の作戦の一環として仕掛けられたというのが、最もありそうな筋書きだろう。そして中国側は、自国の軍幹部が横領したという問題はありつつも、アメリカを強く非難して当然と思われる。 だが、盗聴器が見つかった後の展開は、それとはまったく違っていた。中国政府は盗聴器の発見を発表せず、その直後に上海で開かれたAPEC首脳会議では、江沢民ら中国首脳は、訪中したブッシュ大統領が主張する「テロ戦争」の構想に賛同し、テロ戦争に反対するインドネシアやマレーシアなどイスラム諸国の首脳たちをなだめる役目までかって出た。 しかも、盗聴機の発見を問題にしたくない中国側に対し、再び挑発するかのように、発見から4カ月後の今年1月中旬、米ワシントンポストと英フィナンシャルタイムスという英米の2つの大手新聞が、盗聴器問題をすっぱ抜いた。それまで、このニュースは中国国内のメディアでもまったく報じられず、政府内で機密扱いされていた。 2紙の報道は北京発で、中国当局者による情報提供に基づいて書いた記事の体裁をとっている。記事が出た後、中国政府は盗聴器発見の事実は認めたものの、この問題が米中関係を悪化させることはなく、アメリカを非難するつもりもないとコメントした。 そして、その後の報道の中心は米中関係ではなく、盗聴器発見の情報を中国政府の誰が外国マスコミに流したのか、ということになり、江沢民は李鵬が盗聴器を仕掛けさせたと考えているとする記事や「親米改革派の江沢民らのライバルである李鵬(全国人民代表大会常務委員会)ら中国共産党内部の保守派が、米中関係を悪化させ改革派を潰すためにリークしたに違いない」という観測記事が出た。 確かに、報道から1カ月後の2月中旬にはブッシュ大統領が北京を訪れており、ブッシュ訪中の前に米中関係を悪化させる目的で、盗聴器問題の情報がマスコミに流されたのだと思われる。 ところが、もし盗聴器を仕掛けたのが保守派だったとしたら、国際的に盗聴するための人工衛星を使ったシステムなど要らないだろう。しかも、盗聴器の発見を報じさせるのに外国のマスコミを使う必要もない。保守派が握っている新聞は中国にいくつもあり、その中の一つに書かせれば、翌日には世界中のマスコミが報じてくれるはずだ。 そう考えると、盗聴器を仕掛けたのも、盗聴器問題を英米マスコミに書かせたのも、中国保守派筋ではなくアメリカ当局筋である可能性の方が大きそうだと思われてくる。 この問題を報じたイギリスのタイムズ紙は「盗聴器を仕掛けた犯人はアメリカではなく中国の国内にいる、と江沢民は考えているに違いない、とアメリカの当局者は信じている」という書き出しの記事を載せた。これは「盗聴器事件をアメリカと敵対するためではなく、国内保守派を退治するために使った方が身のためだ」と米当局者が江沢民にメッセージを発したのだと読める。 ▼かつてはアメリカの挑発に乗ったが・・・ アメリカが中国を挑発し、中国がそれを受け流すという米中関係は、ブッシュ政権になってから何回か繰り返されている。ブッシュの前のクリントン大統領の時代には、中国は挑発されたら黙っていなかった。1999年5月、米軍がユーゴスラビアを空爆しているとき、ベオグラードの中国大使館を爆撃した事件があった。 アメリカはこれを「誤爆」だと釈明したが、誤爆の理由が「古い地図を使って攻撃目標を定めていたから」という信用できないものだったので、中国側は納得しなかった。怒った若者らが中国の北京や地方都市でアメリカ大使館や領事館などに押し掛け、投石したり反米スローガンを叫んだりする示威行動を許し、北京では公安当局がバスを用意して大学生の集団をアメリカ大使館前まで送るなど、反米行動を煽っていた。 中国では、当時すでに経済自由化によって失業者が増え、貧富の格差も広がり、人々の間には政府に対する不満が募り始めていた。そのため、中国政府は人々の怒りの矛先をアメリカに向けさせて「ガス抜き」を試みたのだろう。 ところが反米運動を煽って2日もたつと、アメリカだけでなく、親米的な立場をとっている江沢民政権にも、攻撃の矛先が向けられ始めた。経済自由化を好まない共産党内の保守派が反米運動を政変につなげようとしているとみた江沢民政権は翌日、アメリカ大使館前の群衆を追い返し、反米運動を終わらせた。 その後、ブッシュ政権が始まって間もなくの2001年4月、中国南部の海上で、中国国内の無線通信を傍受するスパイ活動をしていたアメリカ海軍の偵察機を中国の戦闘機が威嚇しているうちにぶつかり、中国機は墜落してパイロットが行方不明になり、米軍機は近くの海南島の飛行場に緊急着陸し、乗組員は中国当局に身柄を拘束されるという「海南島事件」が起きた。 中国側は「米軍機がわざと急旋回をして中国機との衝突を招いた」として、乗組員を2週間にわたって拘束した。アメリカ側は「衝突は中国軍機の挑発行為が原因」と反論し、米軍機の乗組員と機体をすぐに返すよう強く求め、両国は一触即発の状態になった。 この事件の10日ほど前、アメリカのラムズフェルド国防長官がブッシュ大統領に「今後、冷戦時代のソ連に代わるアメリカの敵は中国である」という米軍の戦略を説明している。海南島事件は、アメリカが中国との敵対関係を強めるために起こした可能性が大きい。 だが中国側はアメリカの挑発に乗らず、ベオグラード大使館爆撃事件の時よりも慎重な対応をした。中国の新聞はアメリカを非難する記事を載せたものの、北京のアメリカ大使館前での抗議行動は当局によって事実上禁止された。 ベオグラード事件以来の2年間で、江沢民政権が進めていた自由化政策(改革開放政策)は失業者の増加や貧富格差の拡大、銀行の不良債権増加などの難問が大きくなり、中国の人々の政府に対する不信感が大きくなっていた。 親米派は改革開放に賛同し、反米派は改革に反対するという構図ができていたから、海南島事件の発生で反米感情が高まると、改革開放政策や江沢民政権に対する反発が強まり、中国は政治的にも経済的にも破綻する可能性が大きかった。中国にとってアメリカは最大の輸出先だということもあった。中国政府はアメリカを非難しつつも、アメリカの敵になることは何としても避けねばならなかった。
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