「民主」が「愛国」に塗り替えられた中国の十年

99年6月11日  田中 宇


 1989年5月、天安門事件の直前、北京の天安門広場に、学生たちが作った「民主の女神」像が立っていたのを、写真やテレビで見て覚えておられる方が多いだろう。像を作ったのは、北京にある美術大学の学生たちだった。

 あれからちょうど10年、彼らの後輩にあたる同じ美術大学の学生たちが、去る5月10日、またもや女神像を作った。

 だが今度のは、前に作ったものとは、様相が違っていた。3体並んだ女神像は、いずれも高くかかげた手の中にミサイルを握りしめていた。今回の女神は、5月7日にNATO軍のミサイルがベオグラードの中国大使館に撃ち込まれたことに抗議するために作られたものだった。

 3体のうちの一つは、片手で平和のシンボルであるハトを握りつぶし、もう一体は「人権」と題する本を持ち、のこる一体はナチスのカギ十字をあしらったガウンを着ていた。

 10年前も今回も、女神像は、アメリカの自由の女神を意識して作られたものであろう。だが天安門事件のときの女神のメッセージが「アメリカのような自由と民主を中国にもほしい」だったのに対して、今回の女神は「アメリカは自由や人権を振りかざしながら、実のところはミサイルで平和をつぶす、ナチス同様の存在だ」と主張している。

 10年という歳月を隔てて、同じキャンパスに、対照的な2つの女神像が作られたのだった。

 北京の学生たちは、アメリカ、イギリスなどの大使館の前に結集して、抗議行動や投石を3日間続け、自国の大使館が攻撃されて死者が出たことに怒った。アメリカやNATOは、攻撃が誤爆であったと発表し、一応陳謝したが、中国の人々の多くは、誤爆を装った故意の爆撃だと思っている。

 そしてもう一つ印象的だったのが、天安門事件の10周年記念日にあたる6月4日、大規模な示威行動が行われなかったことだ。中国政府は10周年記念の反政府活動が巻き起こることを、数ヶ月前から警戒していたし、欧米などのメディアも、その懸念を指摘していただけに、意外な感じがした。

 これらのことから読み取れるものは、北京の大学生たちに代表される中国の知識人や、その他の人々の意識からは、「民主化を進めない政府への反感」が消え、むしろ、政府を支持する愛国心が大きくなっているということだ。欧米や日本で流布している「中国イコール人権抑圧」というステレオタイプとは違う現実があるように感じられる。

●政府の扇動に進んで乗った学生たち

 こう書くと、「北京での抗議行動は、中国政府が扇動したものであり、中国の人々の本心ではない」と指摘する読者がいるだろう。

 たしかに、中国政府は抗議行動を扇動した。ベオグラードで中国大使館が破壊されてから半日後には、北京の各大学の当局は、バスをたくさん用意し、学生たちに決起を呼びかけて、アメリカ大使館前へとピストン輸送を始めた。

 大学のバスは北京全体で100台以上使われ、2日間で2万人以上の学生を大使館街に運んだという。抗議の横断幕や旗を作る費用も、学校側が出したと報じられている。

 大使館前では、警官隊が待機していたが、歩道の敷石をはがし、大使館に向かって投げる学生たちを傍観していた。大きすぎる石を投げようとする学生に向かって「もっと小さいのを投げろ」と注意する程度だった。

 国有企業の従業員も、会社側が用意したバスに乗って、アメリカやイギリスの大使館前へと動員された。NATO当局者やクリントン大統領は、爆撃の2日後、誤爆だったと発表して謝罪したが、中国のテレビはこれをすぐには報じなかった。報道したのは、発表から2日たった5月11日だった。

 それまでに、大使館前の抗議行動が3日間続き、十分に抗議の効果があったと思われるようになった11日になって、中国政府は国営テレビ局に、クリントンが謝罪したことを放映させた。

 そして、大使館前の群衆を再びバスに乗せて、それぞれの学校や職場に帰し、大使館街一帯を一般人立ち入り禁止にすることにより、抗議イベントを終了させた。

 あまり長く続けていると、外資系企業の撤退など、中国経済に悪影響が出かねないし、批判の矛先が政府の失業対策不足などに向けられるかもしれないから、抗議を3日で終わらせたのであろう。このように、抗議行動は最初から最後まで、当局が主導していた。

 とはいえ、何も知らない人々が無理やり動員させられたのではない。大学生たちはインターネットを使い、欧米のメディアに接している。だから、クリントンが謝罪したことも、中国での放映より前に知っていたはずだ。また、外国メディアは一貫して誤爆だと報じていることも、知っていただろう。

 にもかかわらず、彼らは進んで抗議行動に参加し、アメリカを批判する女神像を作ったのである。

●ゴルバチョフではなく