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パレスチナ見聞録(4)イスラエル市民生活

2001年4月20日   田中 宇

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 私は今年1月にイスラエル・パレスチナを訪れたが、その少し前にこのメール配信で「中東に行きます」という告知を出し、読者の中でイスラエルに住んでいる人やイスラエル在住者を紹介してくれる人を探した。15人ほどの方々からメールをいただき、数人の日本人、イスラエル人、パレスチナ人と会うことができた。

 その中の一人に、イスラエル在住が11年になるという日本人のAさんがいた。彼は、キリスト教関係の仕事をしていた両親に連れられ、高校生のときに日本からイスラエルに引っ越した。それ以来、ずっとイスラエルに住んで兵役も経験し、今はエルサレムで自分の会社を立ち上げ、日本とイスラエルをつなぐビジネスを手がけている。私はエルサレム郊外のAさんの自宅に招待され、ユダヤ人である奥さんや、奥さんのお母さんらとともに食事をいただくことになった。

 私たちはエルサレム新市街で待ち合わせ、Aさんの自家用車に乗り込んだが、自宅に向かう道を運転しながら、Aさんは私に「うちの家族はみんな右派です」と言った。これを最初に言っておいた方がいいだろう、という感じでそれを言われた。

 イスラエルでの「右派」と「左派」の違いは、対話によってパレスチナ問題を解決できると考えるかどうか、という点にある。左派は「対話や和平交渉による問題解決が可能だ」と考える人々で、右派は「それは不可能なので武力でパレスチナ人を抑えるしかない」と考える人々である。左派は「イスラエルとパレスチナは双子の国家として仲良くやっていける」と考えるが、右派は「パレスチナ人に領土の半分を与えたら、彼らは残りの半分も要求してくる」と考えている。

 中東からはるか遠くに住み、戦後は一貫して武力による問題解決を嫌ってきた日本人の多くは、パレスチナ問題も対話で解決すべきだと思っているから、左派的な考えを持っていることになる。Aさんが初対面の私に「うちは右派です」とあらかじめクギを刺すのも当然のことと思われた。

▼着の身着のままでモロッコを追われた

 Aさんの家族がどうして右派なのか、自宅に着いて皆で食卓を囲んで話すうちに分かってきた。それは、Aさんの奥さんの父母の体験によるところが大きかった。義父はポーランドで生まれ、ナチスによるホロコーストから逃れてイスラエルにやってきた人だった。一方、義母は北アフリカのモロッコで生まれ育ったが、イスラエル建国後の1950年代に激しくなったユダヤ人迫害を受け、家族とともに着の身着のままでイスラエルに移住してきた経験を持っていた。

 義父母はカナダのケベック州に住んでおり、毎年数カ月間だけイスラエルの娘夫婦のもとで生活するという。私がAさん宅を訪れたとき、義父は先にカナダに戻っており、義母だけがAさん宅に滞在しており、私は食後に彼女からいろいろと話を聞いた。

 彼女が生まれた家は、何世代も前からモロッコで商業を手がけていた裕福な一族だった。モロッコは1956年に独立するまでフランスの植民地(保護領)だったが、彼女は流ちょうなフランス語を話す。(私との会話は英語。家族との会話はヘブライ語)

 1948年のイスラエル建国までモロッコでは、多数派であるアラブ系の人々などが少数派のユダヤ人を差別するということはなく、商売上のつきあいも問題なく行われていたという。しかし、イスラエル建国とともに中東戦争が始まると、他のアラブ諸国と同様、モロッコでもユダヤ人排斥運動が強まった。

 そんな中で、イスラエルはモロッコに住むユダヤ人を救出してイスラエルに運ぶための船団を派遣し、Aさんの義母の一家はその船に乗ってイスラエルに移住してきた。彼女が20歳前後のときのことだった。イスラエル政府は移住してきた彼女たちに無償で住宅を与え、仕事の世話もしたという。

 彼女は言う。「イスラエル政府は、アラブ諸国から追い出されて難民としてイスラエルにやってきた私たちをすぐに国民として受け入れ、支援してくれましたが、エジプトやレバノン、シリアの政府は、イスラエル建国とともに自国にやってきたアラブ人を市民として受け入れることを拒否し、今でも難民キャンプに押し込めたままです。私たちがイスラエル市民になったように、彼らも"パレスチナ人"ではなく、エジプト人やレバノン人にしてあげれば良いのです。"パレスチナ人"という民族は存在しません。彼らはエジプトやシリアに住んでいる人々と同じ"アラブ人"です。アラブ諸国は、イスラエルを潰すために"パレスチナ人"という民族意識をかき立てているのです」

▼「もうアラブ人を許すことはできません」

 イスラエルに移住して40年ほどたち、エルサレム近郊の住宅街に住んで平穏な老後生活を送り始めていた1990年、彼女の生活を破壊する事件が起きた。パレスチナ人青年が住宅街にやってきて、彼女の家の近くで無差別殺人を行ったのである。彼女の家族には被害はなかったが、親しくしていた近所の人々が何人も殺され、怪我をした。騒ぎを聞いて家の外に出た彼女は、近所の人々が血を流して死んでいくのを目の当たりにすることになった。

 この事件は彼女に大きな精神的ショックを与え、不安のあまり、もうイスラエルに住んでいることができない状態になった。彼女と夫は事件の翌年、カナダに移民した。

「私は、もうアラブ人を許すことはできません。彼らと一緒に平和な国を作ることなど、無理だと思うようになりました。それなのに、イスラエル人の中でも左派の人々は、アラブ人と仲良くできるはずだ、と言うのです。そして、私の隣人たちが殺されたのは、イスラエル人がアラブ人を弾圧していることの反動であり、私たちの方に責任があるとまで言うのです」と彼女は語った。

 彼女の言葉は過激ではあったが、体験に基づいているだけに説得力があった。それは、私がかつて取材して本にした「マンガンぱらだいす」に出てくる、京都の山の中に住んでいる在日朝鮮人の老人たちの言葉と同じ種類の、歴史の生き証人としての説得力であった。私はこの夜「イスラエルの人々の心境は十分理解できます」などと言って、Aさんの家をおいとました。

▼アラブとイスラエルで正反対の「真実」

 しかし私は、その晩に抱いた気持ちをそのまま維持しておくことができなかった。それは、Aさんの義母の人生の物語をアラブ側から見ると、正反対の意味を持ったストーリーになってしまうからだった。

 たとえばイスラエル建国後、ユダヤ人がアラブ諸国からイスラエルに移民したことは、イスラエル側から見ると「アラブ人がユダヤ人を攻撃したから」だが、アラブ世界に流布している見方は「イスラエルは国民の数を増やすため、アラブ諸国のユダヤ人たちの不安をかき立てて、移民が増えるような策略をとった」ということである。

 イスラエルの人々は、こうした「陰謀論」は根拠のないアラブ側のプロパガンダであると考えているが、エジプトやサウジアラビアでは多くの人が、それは「陰謀論」などではなく真実だと思っている。だからアラブ側からみれば、Aさんの義母は、イスラエル政府の策略に乗せられ、勘違いしてイスラエルに移民した人ということになってしまう。

 同じことは、イスラエル建国の際にパレスチナ難民が発生した経緯についてもいえる。イスラエルでは「アラブ諸国はイスラエルを簡単に潰せると考えてパレスチナ人に避難を命じ、パレスチナ人は自発的に村を離れた。イスラエルが追い出したのではない」という考え方が流布している。だがアラブ側では「イスラエル軍はパレスチナ人を皆殺しにするといううわさを流し、人々をパニックに陥れて難民化させた」と考えられている。

 最近では「パレスチナ青年たちの投石を抑えるのに、なぜイスラエル軍は実弾を使うか」という問題の答えが、双方で正反対になっている。アラブ側は「イスラエルはパレスチナ人の命など何とも思っていないから」と考え、イスラエル側は「投石する青年の後ろのビルの窓の陰から、パレスチナ人の大人が小銃でイスラエル兵士を狙っているから」と考えている。

 また滑稽なのは、世界的に影響力を持つアメリカのテレビ局「CNN」の役割に対する見方である。アラブ側の人は「CNNはいつもイスラエル側に立って報道している」と怒っているが、イスラエル側の人は「CNNはいつもアラブ側に立って報道している」と怒っている。

 私が見るところ、これらの問題で重要なのは「どちらが真実か」ということではない。片方が真実で、もう片方はウソの宣伝だったとしても、双方でどんどん死者が出て、憎しみが深まっている以上、お互いが一つの「真実」を共有することが難しくなっている。双方の当局者にとって、いろいろなことをわざとはっきりさせない方が国民を信じさせておけるという面もある。

▼明るい展望を描きにくい市民生活

 Aさん一家だけでなく、私が「市民」として会ったイスラエルの人々は、左派の人も右派の人も、まじめで誠実な感じで好感を持てた。兵士や私服公安担当者などは威圧的で嫌な奴が多かったが、彼らも勤務時間外に市民として会うなら、違った表情を見せるのだろう。

 しかし私は、イスラエルの市民生活の未来を考えたとき、あまり明るい展望を描くことができない。その理由の一つは、フランスやベルギーなどヨーロッパ諸国が、パレスチナ人に対する人権侵害を重視して、イスラエル非難を強めていることである。

 Aさんの義母が1990年に体験したような無差別テロ殺人は、今日に至るまでイスラエル各地で発生し続けている。同じようなテロ事件が欧米や日本で起きたとすると、世界中の世論が犯人を非難するであろうが、イスラエルで起きたとなると、少し事情が違ってくる。西欧の世論は、パレスチナ人のテロ行為を非難しつつも、イスラエルがパレスチナ人を抑圧しているのが悪い、と言うようになっている。

 これはつまり、ヨーロッパの市民がイスラエルの市民に対して「君たちは市民生活を謳歌することは許されない」と言っているようなものだ。イスラエルの人々は、生活水準が西欧先進国なみであるだけに、フランスやベルギーに対する憎しみと、将来に対する懸念、それから「世界中から非難されてもイスラエル国家を維持する」という決意を強めている。世界からの非難が高まるにつれ、イスラエル国内では平和主義の左派勢力が弱まり、右派が強まっている。

 イスラエルのユダヤ人は、ヨーロッパで長らく迫害されてきただけに、ヨーロッパ人が問題にしているのがイスラエルによるパレスチナ人に対する迫害であるにもかかわらず「彼らはまた私たちを迫害している」と考えてしまっているようにも感じられる。

 イスラエルに対する批判は、アメリカの市民運動にも広がっているように思われる。私が滞在しているアメリカの大学では、パレスチナ問題をめぐるセミナーが開かれると、論調は大体、反イスラエル・親パレスチナである。先日はアメリカの強力なイスラエルロビー団体「AIPAC」の広報担当者が大学で講演したが、会場からは「そもそもアメリカはもうイスラエルを支持する必要はないのではないか」という質問があがっていた。

 アメリカの政府は強力にイスラエルを支持しており、それは今のブッシュ政権の間は変わらないと予測できるが、その先はどうなるか分からない。アメリカの支持が失われた場合、イスラエルの国家と市民生活は大きな窮地に立たされることになる。



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