移民大国アメリカを実感する(上)2000年10月12日 田中 宇アメリカは国民のアイデンティティに関して「ハイフネーションの国」であるといわれる。ハイフネーション(hyphenation)とは「ハイフン(横棒)でつないだ」という意味で、たとえば日系アメリカ人を「Japanese-American」と呼ぶように、外国系アメリカ人を表現するときにつく「-」がハイフンで、これは日本語の「系」にあたる。 ハイフンでつないでいるのは、言葉の上の特徴というだけではない。アメリカに住む移民は、アメリカ人としての意識(アイデンティティ)と、もともと属していた民族(日系人なら日本)を愛する意識の両方を維持してかまいません、という政策をも表している。移民が2つのアイデンティティを持ち続けることを認めるのは「無理やりアメリカに同化させない方が、むしろアメリカに対する愛国心を持ってもらいやすい」という意図がある、と英語の本に書いてあった。(Myron Weiner: The Global Migration Crisis) アメリカのほか、カナダやオーストラリアなども同様の政策をとっている。一方、日本では「在日韓国人」とは呼んでも「韓国系日本人」という呼び方はない。日本の国籍を取った後は、単なる「日本人」であり、「日本人」は「○○系」と「▽▽系」などに分別できるものではなく、単一のアイデンティティだ(でなくてはならない)と考えられている。 国民性に単一のアイデンティティしか認めていない「単一民族国家」は日本ばかりでない。フランスやドイツなどヨーロッパの多くや、韓国などアジアの多くの国も同じである。フランスでは識者の多くが「フランス人になろうとする移民は、もともとの母国の文化を捨て、完全にフランスに同化せねばならない」と考えているという。(前出の英語の本による) だが「キリスト教徒」をベースにしたフランスなど西欧諸国の国民性の前提は最近、イスラム教徒の国民(国籍を取った移民)の増加により、矛盾を生んでいる。アジアでも、民族や宗教の違いを超えて国民意識の強化を進めてきたインドネシアで、イスラム教徒と中国系やキリスト教徒との紛争が止まず、辺境地域が次々と独立に動くなど、あちこちで「単一民族」の神話は揺らいでいる。 ▼紛争地域の関係者も参加する大学のセミナー 今年8月からアメリカのボストンに住んでいる私が、多民族国家アメリカの「ハイフネーション」文化を最も感じるのは、ハーバード大学で世界各地の紛争や地域問題について講演会やセミナーが開かれるときだ。ほとんどどの会合にも、テーマとなっている地域にゆかりのある人々(移民やその子孫、留学生など)が出席しており、発言することが多いからである。 たとえば先日開かれた、旧ソ連のカフカス(コーカサス)地方の民族紛争をめぐる2回続きのセミナーには、アルメニア、アゼルバイジャン、グルジアという、この地方を構成する3つの国からの移民や留学生が聴衆として出席し、発言していた。(カフカス地方はロシアとイラン、トルコの間にあり、ロシアからの独立戦争で有名になったチェチェン州もその一部) セミナーの1回目は、カフカスの真ん中にあるナゴルノカラバフ州の紛争がテーマだった。イギリスの記者が講演し、この地域の近況などを伝えた。 ナゴルノカラバフはかつてアルメニア領だったが、アゼルバイジャン人も住んでおり、両者は平和に混住していた。だが1920年代にソ連ができた後、スターリンは分離独立につながる民族主義を警戒してナゴルノカラバフをアゼルバイジャン領へと編入し、この地方のアルメニア人を本国から切り離した。その後70年近くたってソ連が崩壊すると、アルメニアはアゼルバイジャンと戦争し、ナゴルノカラバフを奪還したが、数十万人のアゼルバイジャン人が難民となった。94年から両国で和平交渉が始まったが、途中で暗礁に乗りあげている。 講演は昼どきだったので、大学側からハンバーガーなどの昼食が無料で出され、円卓型のセミナー室に20人ほどの出席者が集まり、講演の後はなごやかに質疑応答が始まったが、その途中で雰囲気が変わった。私の隣に座っていた初老の女性が「アルメニア人も難民になっているのに、アゼルバイジャン側の難民の状況ばかり説明し、話が偏っている」と講演者を強く批判したからだった。 ▼怒れるアルメニア系の人々 私の隣の女性と、弁明する講演者とがしばらくやりあった後、司会の教授(女性)が間に入って他の質問者に質問させた。すると今度は、別の中年男性が「アルメニア人はトルコに大虐殺されたのに、その歴史が全く語られていないじゃないか」と言い出した。 キリスト教徒の国アルメニアとイスラム教徒の国トルコは隣どうしだが、トルコ(オスマン帝国)が強かった時代には、アルメニアのかなりの部分はトルコ領だった。オスマン帝国が縮小していった19世紀、ロシアの勢力が南下してきてトルコと衝突し、1914年に起きた第一次世界大戦でアルメニアは戦場となった。 多くのアルメニア人は、トルコからの独立をめざしてロシアに味方したため、トルコの軍隊はアルメニア人を虐殺したり強制移住させ、1918年に独立したばかりのアルメニアに戦争を仕掛けた。アルメニア側の主張では、1915−23年に150万人のアルメニア人がトルコに殺されたという(トルコ側の発表では30万人)。 かつてのアルメニア人居住地域は現在、北部が独立してアルメニア共和国となったが、南部はトルコに併合され、そこに住んでいたアルメニア人の多くはアメリカや中東諸国に移住した。 アメリカに移住したアルメニア人(アルメニア系アメリカ人)は、ユダヤ系、アイルランド系などに次ぐ大きな勢力となっている。私が住んでいるボストン周辺は、ニューヨークやカリフォルニアと並び、アルメニア系が多い地域で、非難口調の質問をした2人は、いずれもアルメニア系アメリカ人であった。 ▼「私もユダヤ人だから・・・」 かみつかれた講演者は「大虐殺も重要な歴史事項だ」と認めつつも、話をナゴルノカラバフに限定しようとした。これに対して質問者の男性は「そもそもイギリスはトルコの大虐殺を助長したじゃないか。それについてはどうなんだ」と、イギリス人である講演者に詰め寄った。19世紀末のイギリスは、ロシアの領土拡大を警戒し、ロシアに味方するアルメニア人を弾圧するトルコの肩を持った歴史があり、そのことを非難したのだった。 すると講演者は「あなたの気持ちはよく分かる。私はユダヤ系で、両親は中部ヨーロッパから移民してきた。だからユダヤ人差別の問題が起きると、つい感情的に考えてしまいがちだが、そのたびに理性的に考えることが重要だと自分に言い聞かせている」と述べた。 この返答で、質問者側の発言のトーンが変わった。くだんの男性はその後「われわれアルメニア系アメリカ人はみな、トルコの迫害を受けてアメリカに来た歴史がある。だから虐殺の問題なると黙ってはいられないのだ。分かってほしい」と、参加者の理解を求めた。 その後も質疑応答が続き、今度はアゼルバイジャン人の学生が質問した。質問内容は、ナゴルノカラバフの現状についてで、感情的なものではなかったが、この学生が発言の最初に「私はアゼルバイジャン人です」と自己紹介したとき、私の隣にいたアルメニア系の女性が、驚いたような表情で、学生の方を見た。「アゼルバイジャン側に偏っている」と講演者を批判した彼女は、会場にアゼルバイジャン人がいるとは思っていなかったようだった。 こうして参加者がお互いについていくつかの発見をした後、会場の雰囲気はふたたび和やかなものに戻り、最後は講演者に対して大きな拍手が送られて終わった。 (続く)
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