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アフガニスタン紀行(2)地雷の話

2000年6月1日   田中 宇

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この記事は「アフガニスタン紀行(1)カブールの朝」の続きです。

 道路の両側にコンテナの空の箱をそそり立てた「ゲート」を抜け、私が乗った車はカブールの市街地から、チャラスヤブという隣町に入った。このあたりは1992年から94年にかけて、ムジャヘディンの主要勢力の一つだったヘクマティアル派の拠点で、ここからカブール市内に向かって砲撃が行われていた。

 道路が平原を横切るところには、かつてヘクマティアル派が飛行場として使っていたという場所がある。平原を3キロほどまっすぐ続く道路の両側は、今も電信柱がすべて倒されたままになっていた。舗装道路を滑走路として使っていたのである。

 道は谷あいに入り、両側に岩肌の山が続く。樹木がほとんど生えていない山腹に、無数の白い石が点々と置いてあるのが見える。地雷を除去したという印である。

 この道は、首都カブールとアフガニスタン南部やパキスタン国境を結ぶ主要ルートの一つで、ソ連による占領時代の後半期に、ムジャヘディンが夜中に山伝いに移動してカブールを攻撃するのを防ぐため、ソ連が地雷を敷設した。道路はソ連が支配していたが、道から外れた山中はムジャヘディンの支配地だった。

 1989年にソ連が撤退し、ムジャヘディンどうしの内戦が始まると、カブール周辺は、南にヘクマティアル派、北にマスード派、西にハザラ人の勢力が陣取り、相互にカブールを奪取しようと戦ったので、さらに多くの地雷が敷設された。こうした状況は1995−96年に南からタリバンが進軍してムジャヘディン各派を打ち破るまで続いた。

 その後、国連と国際NGOなどの指導で地雷除去が始まった。村人などが山道を通行中に地雷を発見すると、各村に置かれた担当者が、警告のため、地雷の近くに赤く塗った石をとりあえず置いておく。その後、NGOの専門家が現場に行き、地雷を除去し、終わると白く塗った石を代わりに置いておく。赤い石は危険、白い石は安全のマークである。

▼無警戒な立ち小便は危険

 車窓から見ていると、道端のすぐ脇にも赤い石が置いてあることがある。だから、たとえば道端で立ち小便をする場合などは、注意が必要だ。道から少し離れたところに、崩れた建物の壁があったりすると、ついその物陰に行って用を足そうとしてしまうが、それは危険である。その建物がかつてソ連軍の検問所だったりした場合、ムジャヘディンの襲撃に備え、建物の周囲に対人地雷が敷設されている可能性があるからだ。

 用を足す場合は、ドライバーに相談した方が良い。同じルートを何度も行き来しているドライバーは、どの物陰が安全か知っているからである。ドライバーが指定した物陰には、先人たちが用を足した痕跡が残っていたりする。

 地雷が撤去された山肌には、石を点々と置いた巨大な文字で「OMAR」と書かれていた。「Organization for Mine clearance and Afghan Rehabilitation」(OMAR)というNGOが地雷を撤去した、という印である。このしるしは至る所にあり、農家の土壁に落書きのように書かれていたりする。その周囲の地雷を撤去したという印だろう。

 同様のしるしに「CARE」というのもある。CAREという医療分野の国際NGOが活動を行ったしるしだ。また、渓谷沿いの路傍の巨岩に「DACAAR」と彫り込まれていたりする。デンマークのNGOである「The Danish Committee for Aid to Afghan Refugees」(DACAAR)が道路の補修工事をした、というしるしである。「UNHCR」など国連機関のしるしも多い。アフガニスタンは、これらの緊急援助機関による活動がなかったら、最低限の行政サービスにも事欠く状態になってしまう。

▼終わらない地雷撤去

 地雷には、通行人が地雷から伸びているひもに足をひっかけたりすると爆発する対人地雷と、戦車が上を通ると重みで爆発する対戦車地雷がある。また地雷のほかに不発弾もたくさん埋まっており、それも爆発の危険がある。

 案内してくれたUNHCRのアフガン人職員ラフマット氏によると、戦闘が終わって何年もたつ地域の、毎日車や人がたくさん通っている道路で、突然に不発弾や地雷が爆発することがあるという。

 爆弾や地雷の中には、内部にバネが入っていて、10トンとかの荷重がかかるとバネがつぶれて爆発するしくみのものがある。爆撃機から路上に落とされた時に爆発しそこねた不発弾や、戦車が上を通ったが全荷重がかからず爆発しなかった地雷は、バネが半分つぶれた状態で埋もれていて、その後もっと軽い乗用車や自転車などが通るたびに少しずつバネがつぶれていき、最終的にある点で爆発する。最後に踏んだ人は、運が悪いとしかいいようがない。

 地雷除去を担当する国連の職員は、私が泊まっていたカブールの国連宿舎にも住んでいた。ある朝、私が宿舎の食堂で偶然一緒に食事をすることになったドイツ人の彼は、ドイツ軍から国連に移ってきたとのことで、もう2年ほどカブールにいるという。彼に「アフガニスタン全体に敷設された地雷のうち、すでに除去した割合はどれくらいか」と尋ねたところ「それに答えるのは難しい。そもそもどのくらいの量の地雷が敷設されているか、分からないからだ」と言う。

 カブール市の周辺では、大体半分ぐらいの場所で地雷の存在の有無と撤去が終わっているそうだ。だが残りの半分の地域では、まだ地雷が埋まっているかもしれず、今後カブール市を復興する場合、地雷除去の手間などを考えると、廃墟となった今の市街地を放棄して、何キロか離れたところに新しい町を作った方が良いと考えられている。首都のカブールでさえこんな具合なのだから、地方では地雷が埋まったままの場所が多い。

 国連では、職員が自ら地雷撤去に回るのではなく、各地区に地雷撤去のための訓練所を作り、村人の中に地雷発見や撤去の専門家を養成することに力を入れている。今もカブールから山を越えた北部地域では、タリバンとマスード派との戦闘が続いており、新たな地雷が埋められ続けている。彼らの仕事は、まだまだ終わりそうにない。

「アフガニスタン紀行(3)禁断の音楽」に続く。



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