トランプ式の核廃絶2019年12月31日 田中 宇トランプ米大統領は一見、核軍縮や核廃絶から最も遠い人だ。トランプは今年8月に、ロシアとの間で中距離ミサイルの削減を決めていたINF条約を破棄し、欧州や日韓などに米国の中距離ミサイルが配備されるかもしれない事態を生み出した。米国が今後新たに日韓に中距離ミサイルを配備すると、それはロシアだけでなく中国をも標的にできるので、これまでINF条約によって漁夫の利を得ていた中国が怒り、米中間でもミサイル競争が起こりかねない。トランプはまた、2021年に期限を迎える米露の核ミサイルの削減条約「新START」の延長もしないと言い出している。トランプによるINFや新STARTの破棄により、冷戦時のような米露の核ミサイル競争が再燃し、世界は核軍縮や核廃絶からどんどん遠ざかると懸念されている。 (Trump’s Aim to Go Big on Nuclear Arms Control Should Begin by Extending New START) INFや新STARTの破棄は、それ自体を見ると、好戦的なトランプが世界を核戦争の瀬戸際に追い込んでいるという話だ。しかし、INFやSTARTの背景にある国際政治の仕掛けを見ると、別の筋が見えてくる。以下にそれを説明していく。まずINFから。 (U.S. tests ground-launched ballistic missile after INF treaty exit) INF条約は、1987年に冷戦終結の動きの一環として米ソが合意したもので、その隠れた目的は、欧州を米ソ冷戦体制への束縛から解放することだった。戦後、英国が米国を反共騒動に陥れて構築した冷戦構造は、米英とソ連が恒久対立することで、その間に挟まった独仏など西欧を、恒久的に米英に従属させることが一つの隠れた目的だった。これにより英国は、最大のライバルであるドイツを永久に抑止できる。同時にこの英国の謀略は、米国が作ろうとしていた覇権の機関化・多極化(世界大戦を起こし、または大戦を奇貨として、英国から覇権を奪って国連やP5に付与する策謀)を妨害する策謀でもあった。英国による冷戦の策謀を受け、米国上層部には戦後、英国による冷戦戦略の傀儡になってしまった勢力(軍産複合体や対米従属の)と、冷戦構造を壊して中断された覇権の機関化・多極化を続行したい勢力(隠れ多極主義)が形成されて暗闘した。 (トランプの米露軍縮INF破棄の作用) レーガンは隠れ多極主義者として、ソ連に親欧米なゴルバチョフ政権ができたことを利用して、米ソ対話をやって冷戦を終わらせた。米ソは和解の一環として、中・短距離ミサイル削減・廃止のINF条約と、長距離ミサイル削減のSTART条約を交渉したが、米国側の希望で、中短距離ミサイルの全廃を規定したINF条約が先に締結され、冷戦終結直後の91年には米露がそれぞれの地上発射型の中短距離ミサイルを完全に廃棄して条約を履行した。レーガンがINFの締結・履行を重視したのは、米ソが中短距離ミサイルを廃棄することで、欧州が米ソのミサイルの戦場から外れ、欧州を対米従属の拘束から解放できるからだった。 INF条約の履行により、欧州(独仏)は対米自立しやすくなり、英国の反対や妨害を(ある程度)乗り越えてEUの国家統合を進められるようになった。欧州が戦場になる中短距離ミサイルを完全に廃棄したINFと対照的に、STARTは米露が直接に相手国に撃ち込む長距離ミサイルを段階的に削減する条約で、その後、米国で再びロシア敵視の軍産の力が強くなって交渉が頓挫している。 トランプの米国はINFの破棄後、中距離ミサイルを開発して欧州や日韓に配備する姿勢を見せ始めている。しかし欧州では先日、ロシアのプーチン大統領が、米露のINF条約に代わる「B計画」的な中短距離ミサイル禁止の枠組みをEUに提案し、フランスのマクロン大統領がそれを歓迎する動きがあった。その直後、米国がマクロンに、欧米間の結束を壊すものだと苦情を言ったらしく、マクロンはINF代替枠組みのプーチン提案に対する歓迎の意をすぐに引っ込めた。しかし、マクロンら独仏の本音は、INFを破棄してロシア敵視の姿勢を強めるトランプの米国に従うのでなく、米国と関係なく欧露でINF代替の枠組みを構築し、ロシアとの敵対関係を解消したい考えのはずだ。ロシアとEUは非公式に、INF代替の枠組み構築についての話し合いを始めている可能性がある。 (Four Pieces of Advice to Emmanuel Macron about the INF Treaty) ロシアとEUがINF代替の枠組みを決めても、米国がそれを無視して中短距離の新型ミサイルを開発製造するかもしれない。しかし、ロシア敵視の中短距離ミサイル(地上発射型)は、欧州(もしくは日韓)に配備しない限り使えない。米国の覇権が低下し、ロシア(や中国)の国際影響力(覇権)が拡大するほど、欧州諸国(と日韓)は、露(中)への配慮を強め、米国から求められても中短距離ミサイルの配備を拒否する可能性が高まる。トランプのINF破棄は、米国がEUや日韓などの同盟諸国にロシア(露中)敵視を強要できなくなっている新たな世界の現実を露呈することにつながる。 (米国の新冷戦につき合えなくなる欧州) トランプの米国は、同盟国の国益を無視する覇権放棄を進める一方で、NATO加盟の欧州諸国に対してロシア敵視を強要し、しかも防衛コストを米国に頼るのでなく欧州諸国自身の防衛費でロシアを敵視しろという不条理な要求を出し続けている。加えて、トランプ自身はプーチンと仲良くしたい姿勢を見せ、米国内の軍産に阻まれてロシアと仲良くできないだけなんだとトランプは言い続けている。マクロンら欧州の上層部は、トランプに言うことを聞くのは馬鹿げていると思っている。 (Washington's Unmasked Imperialism Towards Europe And Russia) マクロンは今秋以来、トランプの米国が欧州にロシア敵視を強要していることを非難する論調を強めている。マクロンは10月下旬、トランプがロシア敵視に固執して欧州との協調を拒否しているので「NATOは脳死した」と宣言した。それと前後してマクロンとトランプの安保戦略をめぐる個人的な喧嘩が公然と行われた。 (NATOの脳死) トランプの米国は、マクロンのフランスに対してだけでなく、ドイツに対しても、ドイツと周辺諸国のエネルギー需要にとって不可欠な、建設中の、ロシアからの天然ガスパイプライン「ノルドストリーム2」の建設に関与する企業に対する経済制裁を発動する嫌がらせ行為(NDAAの可決、署名発効)を展開している。このような状況下では、米国と独仏の同盟関係が崩壊するばかりだ。 (European Firms Stop Work On NS2 Pipeline As Gazprom Readies Own Ships 'Immune' To US Sanctions) (Nord Stream Sanctions: A Sad Coda To U.S. Foreign Policy) 14年に米国が扇動してウクライナの親露政権を転覆し、親米の反露政権に替えて以来、米欧がウクライナの反露政権をテコ入れしてロシアと敵対する構図があった。だがこれも、19年4月の選挙でウクライナが再び親露政権になり、急速にロシアと和解しているため、ロシア敵視の構図が崩れている。ロシアは中国と組んで、中東や東欧、ユーラシアからアフリカまでの広い範囲で覇権を拡大している。いまやロシア敵視戦略は、トランプら米国側が叫んでいるだけの実体の薄いものになりつつある。トランプは、軍産のふりをしてロシア敵視を叫ぶ一方で、彼自身はプーチンと仲良くしたい姿勢を見せ、これ自体が米国のロシア敵視策の薄っぺらさを露呈するもの(トランプの隠れた策略)になっている。 (Ukraine and Russia sign deal to continue gas supply to Europe) トランプは米国覇権低下の状況を作った上でINFを破棄したので、独仏はトランプを無視してロシアとINF代替の枠組みを作ろうとしている。トランプが覇権放棄・多極化を推進する策謀家であることを考えると、これはトランプの意図的な動きだと思われる。トランプは、核廃絶や軍縮の枠組みを米国中心でなく、ロシアやEUが米国抜きで軍縮を進める多極型の新体制に移行させようとしている。 (The Post-War ‘Consensus’ is Over – ‘Either We Reinvent Bretton Woods, or It Risks Losing Relevance’) 米国(軍産)は、単独覇権体制を前提に、永久に解決しない国際対立を世界各地に残置することで世界を分割支配してきたが、露中など今後の多極型覇権体制を動かす諸大国は、米国に比べて国力が小さいのでコストがかかる恒久対立を好まず、もっとストレートに問題を本当に解決し、世界を安上がりに運営できる安定化をやりたい。「露中は好戦的で悪い奴らだから恒久対立を好むはず」という考え方は軍産マスコミのプロパガンダだ。トランプは露中などに対米自立的な軍縮体制を作らせようとしているが、それは対米自立的な軍縮体制の方が、既存の米国覇権型の軍縮体制よりも、長期的にみて実現の可能性が高いからだ。 (U.S. Congress pressures Trump to renew Russia arms control pact) トランプのINF破棄は、最近トランプが実現したWTO潰しと似ている。トランプはWTOの紛争処理法廷の判事の就任に拒否権を発動し続けてWTOを潰したが、これは自由貿易体制の破滅につながるのでなく、米国以外の諸大国が米国抜きでWTOの新たな紛争処理法廷を構築していく動きを引き起こしている。トランプは、WTO潰しの策略によって、経済面の米国覇権を崩して多極化する流れを作った。同様にトランプのINF破棄は一見、軍縮の流れを軍拡競争に転じさせるかのように見えてそうでなく、ロシアやEUが米国抜きでINF代替の枠組みを作る動きを引き起こしている。トランプは、イラン核問題のオバマが作った解決策である核協定JCPOAを離脱したが、これもWTO潰しやINF破棄と同じ構図だ。米国以外の諸国がJCPOAを維持し、米国がイランに濡れ衣をかけて敵視していた核問題を米国抜きで解決し、米国の覇権低下と多極化に拍車をかけている。 (WTOを非米化するトランプ) (トランプがイラン核協定を離脱する意味) 米国のINF破棄は、日韓と中国にも大きな影響を与えている。INFはもともと冷戦後の欧州を念頭に置いた条約だが、世界的な米露の中短距離ミサイルの配備禁止の条約なので、ロシアや中国を標的にしたミサイルが日本や韓国に配備されることも止めていた。今夏にINFを破棄したことにより、米国は露中を標的にした中短距離ミサイルを日韓に配備できるようになった。INF破棄により、米露の問題だったINFに新たに中国が巻き込まれることになった。 (What the End of the INF Treaty Means for China) 日韓はこれまで強度の対米従属だった。その延長で考えると今後米国が日韓に露中を標的にした中短距離ミサイルが配備され、日米韓と露中の対立が強まることになる。しかし今、中国は日韓にとって非常に重要な貿易相手であり、経済面で考えるともはや日韓は中国を敵視できない状況だ。米国は17年、米陸軍の迎撃ミサイルTHAADを韓国に配備したが、これは中国を標的としたものであり、中国が激怒して韓国を経済制裁した。中韓の仲が改善したのは最近のことだ。韓国は懲りている。これ以上、中国を怒らせる米軍の新型ミサイルの配備を受け入れたくない。 (The US and Japan After the INF Treaty) トランプは日韓に対し、駐留米軍経費の負担の増加を求めている。特に韓国に対して非現実的な負担急増を要求し、破談状態になっている。日韓が米国の言いなりを続けると、駐留米軍の負担金を急増させられた上、中国が激怒するミサイルを配備されて中国から経済制裁を受ける。おまけにトランプは日韓の国益を削いで米企業に徳をさせる貿易協定を日韓に強要してきた。しかも「いずれ日韓から米軍を撤退させたい」と言い続けている。日韓の対米従属は急速に割に合わないものになっている。このような状況下で日韓は、米国の新たな中短距離ミサイルの配備を受け入れないだろう。日韓と独仏は同じ状況だ。中国の軍幹部はすでに今年8月の時点で「日韓は中国を恐れ、米国の中国敵視策に基づく基地拡大などをもう受け入れないだろう」と自信を見せている。 (Chinese military figures cast doubt on US plans to build more bases in Asia-Pacific) (Japan Downplays Possibility of Hosting INF-Range Missiles) ここまでINFの話をしてきた。INF(中短距離ミサイル)の問題の本質は、米国と同盟諸国の関係だ。それと異なり、START(長距離核ミサイル、核弾頭、爆撃機などの削減条約)は米露の直接対決の問題だ。STARTはレーガンが米ソ交渉を始めて91年に米ソで署名し、01年まで10年かけて削減を履行した。だが、その続編であるSTART2は交渉が妥結せず破談になり、その後オバマが10年に新STARTを締結。その有効期限が2021年2月に終わるが、トランプは延長を拒否している。新STARTが破棄されると、米露が長距離核ミサイルの開発配備競争を再燃させ、最悪の場合人類を絶滅させる核戦争になる。 (Russia Warns Its Too Late to Replace New START Before Expiration) STARTはなかなか進まないことを運命づけられた米露軍縮の枠組みだが、私から見るとそれは「中東和平」(パレスチナ国家創設)に似ている。中東和平は93年オスロ合意以来なかなか進まず、永久に解決しない構図を持っている。中東和平が解決するまで、米国はイスラエルに経済や軍事の支援を続ける体制下に置かれる。永久に解決しないので、米国はイスラエルを永久に支援し続け、イスラエルと在米ユダヤ勢力が永久に得をする構図になっている。政治家やマスコミ(=イスラエル傀儡)は、永久に実現しないことを知りつつ、中東和平がいかに重要かを語り続ける偽善をやらされている。STARTについても、政治家やマスコミ(=軍産傀儡)は、START(核ミサイル廃絶)が永久に完全達成しないことを知りつつ、核廃絶の重要性を語り続ける偽善をやらされている。STARTが達成しない限り、軍産好みの米露の対立が続く。同盟諸国は対米従属を余儀なくされる。 (Trump should continue to follow his instincts on arms treaty) (イスラエルとトランプの暗闘) 中東和平において、軍産イスラエルが米国と世界を支配している覇権構造を壊したいトランプは、まず思い切りイスラエル寄りの態度をとり、偽善的な中東和平の構図を破壊した。長期的には米国抜きで、露中イランなどが関与する形で、イスラエルは中東和平の交渉に応じざるを得なくなり、永久に解決しない偽善の構図でなく、本当に解決する和平交渉になる。トランプはイスラエル寄りの姿勢をとって中東和平の偽善の構図を破壊した。同様にトランプは、ロシア敵視の軍産の姿勢をとって偽善の構図である新STARTを破棄しようとしている。軍産マスコミは、トランプの新START破棄計画に反対している。軍産は、米露の恒久対立を続けるために新STARTを維持したい。トランプは、新STARTを破棄するだけでなく「中国を引き入れて米露中の3極交渉の形に再生して続けたい」と言っている。米露はそれぞれ4000発ほどの長距離核ミサイルを持っているが、中国は300発ほどしか持っていない。そのため中国は、いま交渉に入ると損すると言ってトランプの提案に反対している。 (Why a New Missile Arms Race with China Might Not Be Worth the Cost) しかし中長期的に見ると、中国は新STARTの交渉に入った方が得策だ。覇権を拡大しつつある中国とロシアが組んで、覇権が衰退しつつある米国を譲歩させ、STARTの交渉を、従来の偽善的な恒久対立維持の構図を、本当に核廃棄を進めていく構図に転換できるからだ。トランプは、それを中国にやらせたい。中国がロシアと一緒に核軍縮の交渉体制を米国から乗っ取れば、米露中欧の核軍縮と合わせ、印パやイスラエル、北朝鮮の核廃絶を同時並行して進められる。核廃絶は全部同時にやった方がうまく行く。 (Trump upbeat on nuclear talks with Russia and China, but lawmakers warn of ‘blow up’) イスラエルは従来、米国を巻き込んで、イランに核兵器開発の濡れ衣をかけてきたが、露中はそれを逆手に取り「イランとイスラエルが同時に核廃絶して中東を非核化する」という(笑)な構想を進められる。イスラエルは、自分が作った濡れ衣の構図に縛られていく。北朝鮮も、米露中と同時なら喜んで核廃絶する(北も、本当に核兵器を完成させたかどうか疑問だ)。 (朝鮮戦争が終わる) 新STARTに中国を入れるトランプの案は一見、中国に損をさせるように見えて、実のところ、中国を米露と並ぶ超大国として扱うようにする「カイロ会談」に匹敵する動きだ。中国は、いろいろゴネた末に新STARTに入ってくるのでないか。米露が長距離核ミサイルをそれぞれ500発ずつぐらいに減らすまで、中国は核削減を義務づけられない参加者として入るかもしれない。通常兵器の貿易管理の世界体制であるATT(武器貿易条約)も、米国が離脱する同時に未加盟だった中国が加盟へと動いており、世界的な軍事管理の多極化が進んでいる。 (China aims to join U.S.- spurned arms treaty as soon as possible) (China set to join Arms Trade Treaty that Donald Trump threatened to abandon)
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