WTOを非米化するトランプ2019年12月19日 田中 宇トランプ米大統領がWTOを機能不全に陥れている。WTOは自由貿易体制を維持拡張する国際機関で、世界のほとんどの国々が加盟している。WTOには、加盟国が、不正行為をする貿易相手国を提訴して善悪を判断してもらえる「貿易裁判所」ともいうべき「紛争解決機関」がある。トランプは12月10日、この機関の人事を空席にすることで機能不全に陥れた。 (RIP, World Trade Organization?) (As Of Midnight Tomorrow The WTO Effectively Ceases To Function) 貿易紛争の解決はWTOの機能の最重要部分であり、一般の裁判所と似て2審制になっている。上級審である「上級委員会」では、7人の専門家が判事にあたる「委員」をしてきた。各々の紛争案件に対し、3人の委員が判事をする。上級委員会の委員(上級審の判事)の選出などWTOの機関決定は、加盟国間の全体合意(コンセンサス)で行われ、米国など貿易総額が大きい国が事実上の拒否権を持っている。(多数決にすると国の数は多いが貿易額が少ない発展途上諸国が決定権を持ってしまうので、多数決はやらない) (Axios Leaks Trump Bill To Blow Up World Trade Organization) 米国は、オバマ政権の時代から、上級委員の人選に対して拒否権を発動してきた。上級委員の任期は4年で、任期切れの委員の後任が決まらないと委員に欠員ができる。トランプは拒否権発動を頻発し、17年の大統領就任以来、すべての任期切れの上級委員の後任人事案を拒否権で阻止してきた。12月10日までは3人の上級委員がいたので、その3人がすべての紛争案件を担当することで法廷を回していたが、12月10日に2人の任期が切れて残りが1人(偶然にも中国人)になった。判事が3人いないと法廷として機能しない。WTOは、最重要機能である紛争解決の上級審を、米国の人事拒否によって機能不全に陥れられ、開店休業状態になっている。 (How Trump May Finally Kill the WTO) トランプは就任当初から、WTOや自由貿易体制が米国に不利益になっていると言い続けてきた。18年6月にはWTOを離脱する決議案を米議会に出すことを検討した(米議会の猛反対が予期されたので実際の提案は見送った)。トランプはWTO潰しだけでなく、NAFTAを改訂に追い込んだり、中国からの輸入品に懲罰関税をかけたりして、既存の貿易体制を敵視し続けている。トランプは、この姿勢を今後も続けそうだ。トランプは来年再選されてあと5年大統領を続けるだろう。米国はその間、WTOの上級委員の人選に賛成せず、WTOの機能不全が続く。高関税や非関税障壁の増加など保護主義が席巻し、世界の貿易体制が悪化しかねないと懸念されている。 (Global Stock Rally Halted By Report Trump May Withdraw From WTO) ここまでの話だと「自由貿易が嫌いなトランプがWTOを潰した」という筋書きにしかならない。しかし、トランプがWTOを機能不全に陥れた後、国際社会で何が起きているかを見ると、別の筋書きが見えてくる。WTOが機能不全になった後、EUと中国が緊急の話し合いを持ち、WTOに、機能不全にされた上級委員会に代わる紛争解決の新機構を急いで作る方向で話がまとまった。先進諸国の代表であるEUと、新興諸国の代表である中国が、米国抜きでWTOの紛争解決機構を立て直そうとしている。トランプのWTO潰しは、よく報じられているような「自由貿易体制の破滅」でなく「自由貿易体制の非米化・多極化」を引き起こしている。 (Why China should lead the mission to save the ailing WTO and revive multilateralism) (White House Prepares For Trade War, Warns US "Will Not Be Bound By WTO Decisions") EUはすでに今年10月から今回の機能停止を見越して、上級委員会の代替をする暫定機関の仕組みを国際的に提案し、ノルウェーやカナダがEUの案に賛成している。そして今回、新たに中国がEUの案に基本的に賛成した。EUは、中国など新興諸国に多い国有企業をめぐる貿易上の不公正(政府補助金など)に対して厳しい態度をとりたいが、中国はそれに否定的だ。この部分などでの齟齬はありつつも、EUと中国、つまり先進諸国と新興諸国の代表役が、WTOや自由貿易体制を延命させるために動き出している。EUの案は明確な名前がついておらず「多国間の上訴仲裁処理暫定機関」(multi-party interim appeal arbitration arrangement)とか「上訴仲裁モデルのEU案」(EU's vision of an appeal-arbitration model)と呼ばれている。 (China May Back EU’s Trade-Dispute ‘Plan B’ as Trump Hobbles妨げる WTO) (Trump Shuts Down WTO Appeals Court, Sending EU, China Scrambling For 'Plan B') トランプのWTO潰しへの対策としては、米国抜きでWTOを立て直そうとするEU案のほか、米国に戻ってきてもらうことを前提に考えられているブラジル・豪州の案もある。トランプがWTOを再び支持する可能性はゼロであり、ブラジル豪州案は非現実的になってEU案に統合していく。来年春ぐらいには、米国抜きのWTOの仲裁機構の代替策が立ち上がってきそうだ。 (WTO: Interim arrangement to resolve global trade disputes in the works) (EU and Norway agree on interim appeal system) トランプがWTOだけを非難しているのなら、EUや中国もトランプの説得にもっと努力したかもしれない。だがトランプはWTOだけでなく、中国やEUとの貿易関係も非難攻撃している。トランプは、WTOの上級委員会を機能停止に追い込む2日前の12月13日、EU諸国が米国に輸出する食品や酒類などの製品に懲罰関税をかける構想を発表している。米議会も、EUの主導役であるドイツが、ロシアから天然ガスを輸入するパイプライン「ノルドストリーム2」を完成・稼働させたら、ロシア敵視の米国の戦略に反するのでドイツ企業を経済制裁する条項を、防衛権限法の一部として可決している。トランプはフランスのマクロン大統領も何度も罵倒している。トランプや米議会は、EUを激怒させたがっている。激怒させられたEUは、米国を無視して中国と組んでWTOを再建する努力を強める。 (US Senate approves Nord Stream 2 Russia-Germany pipeline sanctions) (Trump Weighing 100% Tariffs On EU Products Including Irish Whiskey, Cognac, Spanish Olive Oil And French Cheese) トランプは、中国との貿易交渉でも喧嘩腰だ。トランプは年末の株の高値を維持するため、12月15日の米中交渉の期限に際して「第1弾の合意」をまとめたが、中身は薄い。米国が9月に始めた対中懲罰関税の税率を(たぶん暫定的に)半分に減らしただけだ。中国は、米国から農産物を追加で輸入するかのような条項を入れたが、実現不能な数字(年間500億ドル分)で、現実味のない努力目標でしかない。米中貿易戦争は今後もずっと続き、中国はしだいに米国に愛想を尽かし、米国に気兼ねなく世界の経済体制の非米化・多極化・中国主導化を加速していくと予測される。 (Be skeptical of Trump’s new trade deal with China) (The "Trade Deal": A Pathetic Parody, Credibility Squandered) トランプは「覇権放棄屋・隠れ多極主義者」であり、EUや中国を意図的に怒らせるとともに、WTOから米国が抜けていくことをやり、EUが先進諸国、中国が新興諸国をまとめる形で非米的なWTOと世界貿易の新体制を作っていくように仕向けている。トランプは、WTOなどの制度面だけでなく、中国やEUなどに貿易戦争を仕掛け、実体経済の面でも、世界の諸国が米国への輸出で経済を回してきた従来システムの維持をあきらめ、米国に頼らない、米国を切り離した形の新たな非米型の世界経済システムに移行していかざるを得ないように仕向けている。 (China, EU should uphold multilateralism in face of unilateralism, power politics: Chinese FM) (世界経済を米中に2分し中国側を勝たせる) (US and China set on ‘decoupling’ amid their clash of civilisations, Singapore Forbes forum told) きたるべき非米型のシステムは、EUや中国、インド、ロシアなどが立ち並ぶ多極型のシステムだ。今回のWTOの非米化をEUと中国が主導しつつあるのはその好例だ。これにより、WTOだけでなく世界経済が非米化・多極化していく。トランプはNAFTAを壊して、代わりにあまり変わらないUSMCAを作ったが、この「作り直し」の理由も、NAFTAに依拠してメキシコに工場を作って米国に輸出していた世界の企業に米国への不信感を植え付け、米国の市場としてのリスクを高いものにして、世界が米国市場を敬遠するように仕向ける覇権放棄策だ。(米国が世界的な消費国であることが米国経済覇権の要素の一つだった) (New North America Trade Deal Seen as Template for Deals to Come) (自由貿易の本質とトランプ) ($50b in Chinese purchases of US agricultural goods is physically not possible) 冷戦後の世界には従来、中国が米国に製品を輸出し、その代金で中国が米国債などを買って米国主導の債券金融システムを維持するという米中の共存共栄の体制があった。この体制が、冷戦後の米経済覇権の根幹に位置していた。1990年前後の冷戦終結によって、中国など「旧東側」や「非同盟」の無数の諸国が、新たに米国主導の「市場経済」の側に入ってきた。95年に作られたWTOは、中国など新参の諸国(新興国、途上国)を米国主導の自由貿易体制に組み入れていくために作られた。中国は2000年にWTOに入った。WTOは、冷戦後の米国主導の経済覇権体制のための組織だった。覇権放棄屋のトランプは、WTOを壊し、米中貿易戦争を起こすことで、この既存の体制を壊している。中国を米国から引き剥がし(デカップリングさせ)、米国に依存しない自前の国際的な経済システム(一帯一路など)を作るよう仕向けている。 (Can The EU And China Improve The Multilateral Trade System Without The US? – Analysis) ("It Could Reshape The Global Trading System For Decades" - US Rejects China's Bid For "Market Economy" Status) 中国は、これからの世界経済の成長の牽引役だ。米中のデカップリングは、中国が勝ち組で米国が負け組だ。米国の取り柄は「金融」だけだが、米国の金融は史上最大のバブル膨張になっており、数年内に大崩壊(ドル崩壊)する。トランプは、きたるべき米国の金融大崩壊に、これからの世界経済の成長の担い手である中国など新興諸国を巻き込みたくないので、中国などに言いがかりの喧嘩を売り、中国などが米国から離縁していくように仕向けている。EUも日本も豪州も、経済面で米中どちらかを選べと言われたら、長期的に中国を選ぶ。 (Trump vs. the WTO) (R.I.P, WTO) トランプは中国との貿易戦争に際し、中国の対米輸出は米国の国家安全にとって脅威だと主張し、米中の対立を「貿易紛争」でなく「冷戦型の安保対立」に仕立てている。なぜこんな詭弁を弄するかというと、米国の覇権運営を担当している軍産複合体がトランプの中国敵視やデカップリング策に賛成せざるを得ないようにするためだ。すでに述べたように、従来の米中の経済面の共存共栄体制は、米国債やドルなど、米国の経済覇権の根幹を維持するために良いものだった。貿易や損得の話のままだと、軍産は米中対立に賛成しない。軍産の傀儡である米議会は、トランプのWTO離脱案に反対だ。だからトランプは米中対立を「安保」の話にすり替えて、中国やWTOが米国の国家安全にとって脅威だと言い募り、軍産や金融界の反対論者たちを黙らせている。 (SOTU 2018 Preview - Trump Will Kickstart The End of Chimerica; What This Means For Markets) (Consciously decoupling the US economy) トランプが米国を自滅させる覇権放棄やデカップリングを全力で進めている根本的な理由はおそらく、米国の単独覇権体制が不可避的に冷戦型の対立構造や濡れ衣戦争、それにともなう世界経済の成長抑止を生んでしまうからだ。米国の覇権を運営してきた軍産複合体は、覇権維持のため、冷戦やテロ戦争、ロシア中国イランなどへの敵視などの戦争構造を恒久化しておきたい。だが、この構図は世界経済の成長を抑止する。先進諸国(西側諸国)の経済成長が鈍化した1970年代以降、冷戦終結が必須になった。このれは私の持論である、産業革命以来の「資本と帝国の相克」の話だ。この相克における「帝国」が軍産だ。軍産に喧嘩を売って勝ちつつあるトランプは「資本」の代理人である。ブッシュ政権のネオコンやチェイニーも、軍産のふりをした軍産潰し屋であり、トランプと同類の資本側の代理勢力だ。オバマは両者のバランスを取ろうとした。 (資本の論理と帝国の論理) (田中宇史観:世界帝国から多極化へ) 今後、WTOは非米的な国際機関として生まれ変わっていく。国連は、すでに米国の主導性が低下し続け、代わりに中国が新興諸国・途上諸国を隠然と率いて世界を運営する機関に変身しつつある。トランプだけでなく、以前の共和党政権であるブッシュ以来、米国は国連を嫌ってないがしろにし続け、代わりに中国やロシアなどが国連を牛耳る流れを定着させてきた。これは意図的なものだ。IMFも同様だ。米国が金融崩壊してドルの基軸性が低下したら、IMFがSDRを使った新たな国際通貨を作ることになる。軍産側に潰されたフェイスブックの暗号通貨リブラが、SDRにペッグした新通貨構想のはしりだった。地球温暖化対策の国連のCOPも中国主導だ。グレタは中国を批判しない。中国は、すでに非常に強い国になっている。中国が好むのは隠然とした覇権であり、米国のような明示的な単独覇権を好まない。中国は、多極型の覇権体制のもとで他の極に隠然と影響力を行使することを好む。 (フェイスブックの通貨リブラ:ドル崩壊への道筋の解禁) (新興諸国に乗っ取られた地球温暖化問題) (Who Are The Globalists And What Do They Want?)
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