自由貿易の本質とトランプ2018年3月18日 田中 宇3月8日、トランプ米大統領が、米国が輸入する鉄鋼に25%、アルミニウムに10%の関税をかける大統領令を出した。米国は第2次大戦後、自由貿易体制を信奉し、全般的に輸入関税を引き下げてきた。米国が輸入する各種の品目のうち7割は無関税だ。残りの品目への関税も平均で5%以下と低い。これは1970年代後半からの米国の伝統だ。米政府は、貿易紛争で報復関税をかけることがあるが、それは時限的なもので恒久課税でない。今回のトランプの新関税は恒久的な措置として発令されており、米国の自由貿易の伝統を壊す画期的なものだ。 新関税が発案された後、同盟国は対象から外しうるという方針が付け加えられたが、同盟諸国のうちどの国を課税対象から外すかは米国側が恣意的に決めて良いことになっており、同盟国が安心して米国と貿易できる状況でなくなってしまった。トランプの心変わり一つで、世界中の諸国が貿易戦略を見直さねばならなくなる。 (Trump’s steel tariffs seen putting U.S. further away from TPP free trade deal) トランプの新関税は、日本や豪州が主導してまとめた米国抜きのTPP11が調印されるのとほぼ同時に署名・発令されている。まるでトランプが日本や豪州に「もう米国をあてにした貿易体制をやめて、米国抜きで貿易して生きていけ」と言っているかのようだ。トランプは以前から、日本や豪州を対米従属から引き剥がして非米化の方向に押しやっている。 (TPP11:トランプに押しやられて非米化する日本) トランプ政権内では、経済戦略立案を主導してきた自由貿易派のゲイリー・コーン大統領補佐官が辞任し、今後は保護主義派のデニス・ロス商務長官やピーター・ナバロ通商政策担当らが幅を利かせるようになる。米国は、自由貿易から離れて保護主義に動いていく見通しだ。 (Cohn’s Exit Leaves Hard-Liners Ascendant in Trump White House) 米国の製造業は第2次大戦直後、圧倒的に世界最強で、世界中が米国製品を欲しがり、米国は巨額の貿易黒字を出していた。だがその後、米国自身が日独など製造業のライバルになりそうな諸国に技術供与や資金のテコ入れを気前よく出し続けた結果、日独は米国よりすぐれた製造業の力をつけ、1970年代以降、米国は貿易赤字に転じた。その後、米国の製造業は衰退し続けたが、まさにこの1970年代以降の時代に、米国は自由貿易を信奉すると言って、輸入品に対する関税を引き下げ続け、現在の超低水準にしている。 (Tariffs in United States history - Wikipedia) 衰退しかけた自国の製造業を立て直すには、関税を引き下げてしまわず、自国の製造業に有利なかたちで関税にメリハリをつけるのが良かったのでないかと思えるが、そのような考え方は「自由貿易という理想の追求に棹さすのか」「貴様は保護主義を認めるのか」と批判され「許されない」ものになっている。しかし、そのような「きれいごと」に接すると「怪しいぞ」「何か裏がありそう」と思うのが私の分析の出発点だ。 (Trump tariffs - Wikipedia) つらつらと「ウィキペディア」を検索して見ていると、興味深い指摘を見つけた。米国が貿易黒字国から赤字国に転落したのが1971年で、ブレトンウッズ体制(金本位制)の終わり、つまりニクソン大統領による「金ドル交換停止」(ニクソンショック)の措置が、この転落の時に行われていた、という指摘だ。米政府発表の情報を集めて作られたグラフなので、この指摘は「事実」と考えて良い。 (U.S. Trade Balance (1895–2015) and Trade Policies) このグラフに出会ったことで、私は大きな謎が解けた。ニクソンショック以前、米国が貿易黒字国だった時代は、世界の人々が米国の製品を買いたがり、米国製品を買うにはドルが必要なので、人々は、金地金でなくドルをほしがった。米政府(FRB)は、金本位制に必要な総量よりはるかに少ない量の金地金しか持っていなかったが、米国が貿易黒字国で、世界の人々が金地金よりドルを欲している限り、ドルを金地金に交換したがる人は少なく、金本位制の看板を維持できた。だが米国が赤字国に転じる、つまり世界の人々が米国製品を欲しがる総額より、米国の人々が世界(日独など)の製品を欲しがる総額が増えると、世界的なドルの需要が低下し、ドルを金地金に交換したがる人が急増した。米政府は金地金への交換に応じきれなくなり、金ドル交換停止を宣言した。 ふつうなら、金本位制の崩壊により、ドルは信用を失って価値(円やマルクに対する為替)が下がり続け、米国での輸入品の価格が急騰して人々が買えなくなって輸入量が減り、ドルが安くなった分、輸出がやや増えて貿易が均衡に近づくはずだ。だが、金ドル交換停止後、長期的に見ると、米国の貿易収支は赤字がどんどん増える傾向が続いている。その理由は、米国が金本位制を捨て、しばらくの紆余曲折を経た後、日独などが米国に商品を輸出した代金で、米国債やその他の米国の金融商品を買うという新しい国際収支の均衡システムが開発されたためだ。日独は米に自動車などを売り、米は日独に「証券(紙切れ)」を売るようになった。1985年の金融自由化後、米国は金融商品(債券類)を大幅に多様化し、米国は貿易の赤字を金融の黒字で埋める体制を加速した。 (ニクソンショックから40年のドル興亡) 日独に続いて韓国や中国などの新興諸国が製造業の技能を向上させ、対米輸出を増やしたが、中国など新興諸国も、対米輸出で儲けた資金で米国の債券を買い、米国の金融覇権体制の維持に協力した(中国は米国の覇権を支持してきた)。 従来の貿易は物品の輸出入なので関税が重要になるが、米国の新たな輸出品である証券類は、関税と関係ない。対米輸出国が米国製の「紙切れ」に巨額の価値があると信じている限り、コストゼロでいくらでも発行できる。米国にとって関税が重要になるのは、米国の政治家が選挙に勝つために地元の農産物などをどこかの国に無理やり輸入させたいといった場合に限られるようになった。米国は自由貿易を信奉しているからでなく「紙切れ信用本位制」に移行したため、関税を引き下げておけるようになった。 金ドル交換停止を挙行したニクソンは、米中関係を好転させて冷戦終結を目論んだ「多極主義者」であり、金ドル交換停止によって米国の覇権を自滅させようとしたのかもしれない。だが、米国の覇権は自滅せず、延命する新たなシステムを得た。90年代以降、米国の金融システムが世界を席巻する金融覇権体制に移行し、現在まで続いている。米国の覇権は、貿易が黒字で実質的な覇権国だったニクソンショックまで(1945年から71年までの約25年間)よりも、その後の延命期間(71年から2018年までの47年間。今後もまだ続く)の方が2倍も長いという異様な事態となっている。 (世界多極化:ニクソン戦略の完成) ▼50年も延命した紙切れ覇権体制 90年代以降、米国(NY)だけでなく英国(ロンドン)も債券金融の世界的な中心地になったことから考えて、債券金融で米国覇権を延命するやり方は英国が考案し、米英の言いなりになる日独に輸出代金として債券の受け取りを了承させたと考えられる。米国覇権を黒幕的に握っていた英国は、(内部に覇権自滅派がいる)米国自身よりも強く、米国覇権の延命を望んでいた。日独は対米従属の敗戦国で米英のいいなりだったし、米国以外に旺盛に輸入してくれる市場も存在しなかった。 (世界のデザインをめぐる200年の暗闘) ニクソンショックでいったん失墜した米国の信用は、英国主導で「国際協調体制」が作られたことによって蘇生した。G5やG7に象徴される70年代以降の国際協調体制は、日独が経済面で米国より上位になった後も「ナンバーワンは米国です」と宣言し続け、自分らはナンバーツー以下として米国の覇権維持のため協力し続ける体制だ。英国が日独に「米国万歳」と叫ばせるのが70年代以降の国際協調体制であり、自由貿易体制はその一部だ。米国債を頂点とする債券格付けの制度が権威づけられ「米国の優良債券は世界で最も信用できる安全な投資先」「ドルは最強」であるという神話が醸成された。 (ニクソン、レーガン、そしてトランプ) 米国が負債を増加させて世界から旺盛に輸入し続け、それが世界経済を牽引する米覇権延命の体制は、ニクソンショックから50年近く維持されてきた。この間、米国債や社債、不動産担保債券、ジャンク債、株式などの米国の金融商品の総額は100兆ドル近くになった。50年分の米国の貿易赤字が、これら負債に化けている。 ドルが金地金と縁を切って20年もすると、米国債を頂点とする債券金融システムこそが永遠の真理であり、金地金など時代遅れだという考え方が世界の常識となった。これは裸の王様だと叫んだり、ドルや米国債を「紙切れ」などという者どもは頭がおかしい反米主義な妄想家とレッテルされた。世界的な詐欺が見事に何十年も大成功している(などと書く私は妄想家、笑)。 だが、借金を増やすほど金持ちになる的な、債券金融+自由貿易の体制は、巨大なバブル膨張だ。あらゆるバブルは、最終的に崩壊する。08年のリーマン危機が、米国の債券金融の巨大なバブル崩壊の始まりだった。リーマン危機は、米金融界が不動産担保債券を安直(低担保)に過剰発行しすぎた挙句に起きたが、危機発生のもう一つの原因は、米国が911以来、単独覇権主義を標榜しつつ、大量破壊兵器がないのにあるとウソを言ってイラクに侵攻するなど、覇権国としての国際信用を失墜させることをやりすぎたことだ。 米国の安保外交軍事面の覇権と、金融面の覇権(米国債、ドル)は全く別物として見られがちだが、米国が安保面で世界の安定を実現してくれると世界から信用されることが、赤字国なのにドルや米国債が世界最強と崇められ続ける金融覇権の源泉となっている(日独にとっての用心棒代)。米国が03-05年ごろにイラクやアフガニスタンなどでウソや失策を続け、安保面で世界の信用を失ってから数年後に08年のリーマン危機が起き、金融面の信用崩壊が露呈したことは偶然でない。 リーマン危機後、米国は、取引が急減した債券が売れているように見せかけて金利を下げるために、連銀(FRB)がドルを大量発行して債券を買い支えるQE策を展開した。FRBが不健全なQEを拡大できなくなると、日本とEUの中央銀行群にQEを肩代わりさせ、金融システムを延命させている。だが、日欧中銀のQEも限界で、QEを縮小・終了させていく方向だ。いずれ延命策が尽き、リーマン危機的なバブル崩壊がもっと大きなかたちで再来し、50年続いたからくりが終わる(もしくは新たな延命機構が発案され、しばらくそれで持つ)。 ▼NAFTAとEUは多極型経済体制への移行策 このような、米国の金融バブルを大膨張させて負債を増やしつつ対米輸出を続ける、米国を世界最大の消費地(経済覇権国)として維持する策とは別に、世界に複数の大きな消費地を育てていく消費地の多極化の策がある。EUの国家統合やNAFTA、最近の中国の一帯一路などは、世界経済を多極型に転換するための長期策である。これらの多極型の地域覇権体制においては、極となる国(EUはドイツ、NAFTAは米国、一帯一路は中国の沿岸地域)が消費を拡大しつつ産業を高度化し、周辺地域(EUは東欧、NAFTAはメキシコ、一帯一路は中国の内陸部や中央アジア諸国)は低賃金労働や、賃金上昇した先進地域が手がけなくなった産業を手がけるかたちで相互に発展する仕組みだ。 世界経済の推進役を、米国単独から、多極的な複数制に転換することで、米国が金融バブルを膨張して無理に世界の消費役を続けなくても世界経済を成長できるようになる。ニクソンは金ドル交換停止しただけでなく中国を訪問して米中関係を好転させ、中国が経済発展して多極型の世界構造の一翼を担うように仕向けた。米ソ冷戦の終結は、東西ドイツを統合させ、ドイツを中心とする欧州がEUになって、多極型の世界構造の一翼を担うようにするために必要だった。 ドイツは多極型への参加に了承したが、日本だけは対米従属に固執し、90年代に官僚機構が国内のバブル崩壊を意図的に引き起こして経済を自滅させ「失われた10年」が20年も30年も続き、日本人自身が自国を世界の極になれないようにした。トランプがTPPを離脱し、日本を無理やり非米型のTPP11の先導役に仕立てた。しかし、TPP11が米国抜きで調印され、日本が非米型の貿易体制を推進していこうという時に、主導役の安倍首相を陥れるためのスキャンダルが加速している。この加速の首謀者は、対米自立を阻止したい官僚機構だろう。歴史的に、田中角栄や鳩山小沢が対米自立を画策すると、そのたびにスキャンダルが出てくる。 NAFTAは、米国が世界からの輸出品を無制限に受け入れる状態からの離脱を目指したが、日独韓国の自動車メーカーなどは、NAFTAのルールを逆手に取り、メキシコに製造拠点を設けてそこから米国に輸出する形に転換し、依然として米国を世界最大の市場として扱い続けた。今回、トランプが大統領になってNAFTAの再交渉を頑固に言い続けているのは、NAFTAを日独韓などにとって使いにくい存在に落とし込めるためだ。 (米国を覇権国からふつうの国に戻すトランプ) トランプが大統領になったのは昨年、QEの終わりが見え始めたのと同時期だ。世界はできるだけ急いで、米国だけが巨大な消費地だった世界体制への依存をやめねばならない。いつまでも米国依存を続けたい勢力が、世界のあちこちに巣食っている。トランプは、そうした状況を破壊するために、米国の「自由貿易」の伝統を破壊する鉄鋼関税を打ち出したり、NAFTAやTPPを敵視する動きを続けている。
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