覇権攻防としてのFIFA汚職事件2015年6月7日 田中 宇5月27日未明、スイスの捜査当局が、同国に本部を置く国際サッカー連盟(FIFA)の7人の幹部を、収賄や資金洗浄の疑いで逮捕した。逮捕は、米政府の司法省とFBI、税務当局(IRS)がスイス当局に依頼したもので、7人は米国に護送される前提で逮捕された。米当局は同日、9人のFIFA幹部と5人の企業幹部らを起訴した。起訴容疑は(1)中南米でのワールドカップなどの放映権やマーケティングに絡んだ企業からFIFA幹部への贈賄(2)2010年のワールドカップ開催をめざした南アフリカからFIFA幹部への贈賄、などだ。 (Will 2018, 2022 World Cups Be Moved From Russia, Qatar After FIFA Corruption Arrests?) 今のところ起訴容疑に入っていないが、この件を事件化した米当局の真の狙いは、FIFAがワールドカップの2018年大会をロシア、2022年大会をカタールで開くことを決めた裏に贈収賄があった疑いだと、英国の新聞などがさかんに報じている。英紙は「カタールもロシアも独裁国であり、そもそもワールドカップ開催にふさわしくない」「カタールはサッカーには暑すぎる。競技場も建設できていない」「外国人労働者を酷使して競技場を建設している。人権侵害だ」など、ここぞとばかりに酷評している。 (Fifa in crisis: FBI extends investigation to Russia 2018 and Qatar 2022 World Cup bids) (Qatar and Russia should be stripped of the World Cup) (Qatar to be stripped of 2022 World Cup, according to country's whistleblower) 今回の件を犯罪事件化したのは米国だが、もともとこの件をスキャンダル化したのは英国だ。FIFAは、18年と22年の開催地について10年12月に決定した。英国は、18年の開催地に立候補していたが、ロシアに破れた。露に破れる可能性が強まった10年11月末、英国の公共放送であるBBCが、FIFAの汚職体質に焦点を当てた番組「FIFAの汚い秘密(FIFA's Dirty Secrets)」を放送し、今に続くFIFAの汚職問題が初めて取り上げられた。同時にFIFAの内部では、英国サッカー協会長が、ゼップ・ブラッターFIFA会長を非難し、英国とFIFAの対立が始まった。 (2015 FIFA corruption case From Wikipedia) (Fifa's Dirty Secrets) 今回の犯罪事件化は、18年の開催を逸した英国による、FIFAへの仕返しの構図を持っている。だから英国の新聞が、これまでに報じたFIFAの汚い構図がぜんぶ真実だとばかり、いっせいにFIFA非難の喧伝を再開した。米当局がスイス当局に7人のFIFA幹部を逮捕させた5月27日は、FIFAの会長選挙の2日前だった。会長選挙直前の逮捕劇は、2日後の選挙で英国嫌いのブラッターを落選させようとする英米の意図が感じられる。ロシアとカタールの開催が危ぶまれ出した(英新聞がそれを喧伝し始めた)直後、英サッカー協会は、ロシアやカタールの代わりにロンドンでワールドカップを開催することができると手回しよく主張し始めた。 (England ready to stand in as 2022 World Cup hosts) (London's failed 2018 World Cup bid could be given kiss of life after Blatter resignation) ブラッターは5月29日の選挙で4選を決めた(1998年から会長続投)が、その後、副会長を含む幹部陣が汚職容疑を受けた責任を問われ、6月2日に辞意を表明した。しかしブラッターはすぐ辞めるのでなく、来年春にFIFAの特別総会を開いて後任の会長を決めるまで、あと9カ月ほど会長を続投すると発表した。ブラッターがいますぐ辞めると、FIFAは混乱し、米英に有利なかたちで内部抗争が進み、ロシアとカタールの開催が白紙撤回され、英国などが開催地を強奪する展開になりかねない。ブラッターは残りの9カ月間で米英と戦うため、すぐに辞めなかったと考えられる。これは汚職事件の体裁をとったワールドカップの開催地紛争である。 (Blatter quits as head of Fifa) FT紙は、開催地紛争と違う筋の、興味深い分析を載せている。サッカーの国際大会のシステムを世界的に運営するFIFAは、国際金融システムを維持するIMF(国際通貨基金)やSWIFT(国際銀行間送金システム)などと同様、米国の覇権運営(国際秩序維持)の対象となる国際機関だ。FIFAは本拠地がスイスで、今回の汚職事件も米国はほとんど関係ないが、それでも米当局がFIFA幹部を起訴して事件化したのは、米政府がFIFAを米覇権下の組織だと考えたからだ。FIFAの事件がどう展開するかで、覇権を喪失しつつあると言われる米国に、どのくらいの覇権の力が残っているかが示される。FIFA事件が米国好みの展開になるなら、米国にがいまだに強い覇権力を持つことが示されるし、そうでないなら米国の覇権失墜が示される。そんな風にFTは書いている。 (What Fifa tells us about global power) FTの記事が、FIFAと同列にIMFやSWIFTを並べていることは興味深い。FIFAの事件が米国によるロシア潰しであることが示唆されているからだ。SWIFTが並列されているのは、米英が昨年、ウクライナ危機に絡んで、ベルギーに本部を置くSWIFTに、ロシアを除名しろと圧力をかけたことと、米英が今回ロシアでのワールドカップ開催を取り消そうとFIFAのスキャンダルを起こしたことが、米国がロシア潰しを画策する国際政治の戦いとして同じ意味を持つからだ。(FTはSWIFTが米国主導のイラン制裁に応じなかった点も書いている) (ロシアは孤立していない) (FIFA investigation is really an attack on Russia by the US) 米英がSWIFTにロシアを除名しろと圧力をかけた後、SWIFTはむしろ逆にロシアを理事国の一つに昇格し、米英からの圧力を拒否した。SWIFTと同じ展開になるなら、FIFAはロシアやカタールの開催決定を撤回しないことになる。 (The West's Plan To Drop Russia From SWIFT Hilariously Backfires) IMFが持ち出されたのは、米国(米議会)がIMFにおける中国の発言権拡大を拒否し続けた結果、中国はIMF傘下のADB(アジア開発銀行、米日主導)に対抗するAIIB(アジアインフラ開発銀行)を中国主導で創設し、米国が欧州やアジアの諸国にAIIBに入るなと言ったのに、米国自身と、対米従属一辺倒の日本以外のすべての関係諸国がAIIBに入る結果になったという、IMFでの米国の中国阻止戦略の失敗が、FIFAでロシアを敵視する戦略と並立しうるからだ。AIIBでは、英国が率先して米国を裏切って中国にすり寄り、その結果米国のAIIB阻止策が失敗したが、FIFAでは、逆に英国が米国を引っ張ってFIFA潰しにかかっている点が興味深い。 (日本から中国に交代するアジアの盟主) FIFAの会長を17年続けて先日辞意を表明したブラッターは、アジアやアフリカ諸国でのサッカーの国際大会の開催を積極的に進め、それまで欧州と中南米中心だったサッカーの国際社会をアジアやアフリカにも拡大するとともに、FIFA内部の力関係を、欧州偏重から新興・途上諸国の発言力拡大に導いた。つまりブラッターは、サッカーの国際システムにおける欧州単独覇権を崩し、多極化を進めてきた。こうした覇権転換を、英米が快く思うはずがない。米国は野球やアメフトの国で、サッカーの人気がそれほどでないので、特に英国がブラッターを嫌うことになった。 (Sepp Blatter From Wikipedia) ロシアのプーチン大統領は、今回のFIFAの汚職疑惑が、米国外で、米国人以外の人々が起こした、米国とほとんど関係ない事件(贈収賄容疑の資金の一部が米国の銀行口座に預けられたことがあるという程度)なのに、米当局がわざわざ事件化した目的は、18年のロシアでのワールドカップ開催をやめさせるためだと米国を非難した。FTが書いているのと同じ主張だ。 (Putin casts FIFA scandal as U.S. plot to wreck Russia's 2018 World Cup) (Putin Slams US Over FIFA Arrests: "Another Blatant Attempt By The US To Meddle Outside Its Jurisdiction") 英国のサッカー協会長は、18年のロシア開催を白紙撤回し、選に漏れた英国を格上げしてロンドンで開催することすべきだと言うだけでなく、22年のカタール開催も白紙撤回し、この分は22年の立候補諸国のうち米国もしくはオーストラリア、特に米国で開催すべきだと言っている。英国は、国際サッカー業界の欧州覇権を崩してFIFAの多極化を進めたブラッター会長を汚職疑惑で辞任に追い込み、その後のFIFAをアングロサクソン主導の米英単独覇権体制に引き戻し、英国、米国、豪州といったアングロサクソン諸国がワールドカップの開催を強奪する構図を押し進めている。(22年開催は日本や韓国も立候補していた) (Would Britain get the World Cup in 2022 if Qatar doesn't?) 英国は2010年からブラッター会長のFIFAと戦ってきたが、英国だけの力では勝てなかった。今回、米国の捜査当局が英国に加勢するかたちで参戦してきたので、英国は急に優勢になり、ブラッターを辞任に追い込んだ。そのお返しと言わんばかりに、英サッカー協会は「2022年は米国で開催すべきだ」と言い出している。FIFA幹部は収賄する汚い奴らなのだろうが、スキャンダルを起こして自分たち国での開催を強奪しようとする英国も同様に汚い奴らだ。 (Backheel Breakfast: 2022 World Cup could go to the United States on revote) 英国の論調に乗せられて、米国でも「これまであまり人気がなかったサッカーを人気スポーツにする好機だから、22年のカタール開催をやめさせ、米国で開催すべきだ」「カタールは人権侵害がひどいので開催を剥奪せよ」「カタールの開催権が剥奪されるまでFIFAは改革されたと言えない」といった、お得意のイスラム敵視を活用した論調が出ている。 (Why the USA Should Get the 2022 World Cup) (You can't take FIFA change seriously until 2022 World Cup is moved from Qatar) 今回の件は、ロシアやアラブから開催を強奪する米英の冷戦・テロ戦争型の覇権行為と見ることができる。しかし、さらに一歩詳しく考えてみると、米国が近年、英国を嫌い、米議会が英国との同盟関係の終焉を宣言する報告書を出したりしていることと矛盾が生じていることに気づく。米当局は、英国とFIFAとの以前からの対立に、英国を加勢して参戦した。米国は、英国との同盟関係を復活することにしたのか?。そのように考えられる他の兆候は何もない。 (日本をだしに中国の台頭を誘発する) 私は、米政府が、英国のFIFA敵視に乗ることで、プーチンのロシアや、カタールなどアラブを怒らせ、反米感情で団結・強化させたいのでないかと考えている。サッカーはどこの国でも多くの国民を熱狂させ、ナショナリズムを高揚する。ロシアのワールドカップ開催を米英が阻止しようとFIFAを攻撃し、プーチンが米英に負けないよう応戦し、ワールドカップの開催を守る。ロシア人をプーチン支持・米国敵視でさらに団結させたい隠れ多極主義的なオバマの策として、ワールドカップはまたとない道具だ。 (負けるためにやる露中イランとの新冷戦) (プーチンを怒らせ大胆にする) (プーチンを敵視して強化してやる米国) (プーチンを強め、米国を弱めるウクライナ騒動) (茶番な好戦策で欧露を結束させる米国) 今にもFBIがロシアとカタールの開催決定の裏にある贈収賄にメスを入れるかのような報道が流布しているが、実のところFBIはまだそれらの案件に手を広げるかどうか決めていない。米国からの加勢に大喜びし、ロシアとカタールの開催を剥奪しろと騒ぎ立てる英国は、最終的に米国にはしごを外される可能性がある。 (Report: FBI scrutinizing award of 2018, 2022 World Cups. Should there be a re-vote?) ロシアのプーチンは、FIFA会長の後任人事について「他国(米英)からの介入を阻止できる人物を選ぶ必要がある」と言っている。これから半年あまりかけて、FIFAの今後の体制をめぐる、米英と、ロシアやアラブやアジア・アフリカ・中南米の非米諸国との政争が展開されるだろう。非米諸国を率いるのはプーチンだ。ロシアやカタールのワールドカップ開催が維持された場合、その後のFIFAはブラッター時代よりさらに非米型・多極型の組織になるかもしれない。私から見ると、覇権をめぐる攻防は、サッカーよりはるかに奥が深い。
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