アジアFTAの時代へ2012年11月26日 田中 宇11月20日、カンボジアのプノンペンで開かれた東アジアサミット(ASEAN+6+米露)で、ASEAN+6(日中韓印豪NZ)の自由貿易協定(FTA)である「東アジア地域包括的経済提携」(RCEP、アールセップ)を2015年までに締結すべく交渉を始めることを決めた。 (RCEP negotiations may start next year) 東南アジア10カ国からなるASEANはすでにFTAを締結しており、RCEPはそれを拡大するかたちで形成される。インドと中国、日韓を含むRCEPは世界の人口の半分を占める34億人の市場で、世界の経済活動(GDP)の3分の1を占め、結成されれば世界最大の自由貿易圏となる。昨年の東アジアサミットで初めて提唱され、来年から本格交渉に入る。 (ASEAN Plus 6 FTA Partners Launch Trade Talks) 東アジアサミットでは、RCEPの交渉と並行して日中韓FTAの交渉を本格化することも合意した。日中韓FTAは、RCEPの一部となる。すでにFTAを持つASEANと、来年中にかたちができる日中韓FTAを合わせると、以前から構想されてきた「東アジア共同体」のASEAN+3(EAFTA)となる。さらにインド、オーストラリア、ニュージーランド(印豪NZ)という周縁3カ国を加えると、RCEP(ASEAN+6)になる。 (ASEAN plans $15t trade bloc) ASEANはすでに日本(AJCEP)、中国(ACFTA)、インド(AIFTA)、韓国、豪NZと、個別に自由貿易協定を結んでいる。これらをつなぎ合わせていくことでRCEPを作り、東アジア共同体を実現する。ASEANは外交面で比較的目立たない存在だが、実はアジアの自由貿易圏を作る動きの設計者、立役者をしている。 (Asean leaders begin RCEP negotiations) 今のタイミングでRCEPの交渉を本格化する理由の要点は、中国にある。中国はこれまでRCEPの結成に反対してきたが、最近、反対を引っ込めた。それでRCEPの交渉が始まることになった。これまで中国は「+6」のRCEPよりも先に「+3」の日中韓FTA(EAFTA)を先にやりたがった。中国はすでにASEANを経済的に影響圏内に入れており、韓国も経済面で中国の影響圏になっている。だからASEAN+3なら、経済的に中国に楯突きそうなのが日本だけだ。 (US, China in race to create exclusive Asia trade pact) だが+6になると、日本、豪州、インドが組んで中国に対抗する中国包囲網になりかねない。だから中国は+6より先に日中韓FTAをやり、+3を先行させたかった。対照的に、中国包囲網の形成が対米従属の国是と一致する日本は、+3(日中韓)より先に+6をやりたがった。しかし最近、これまで米国の冷戦型世界戦略に協力してきた豪州が、米国への重視を弱めると同時に中国重視を強める方向に転換している。それで中国は、+3と同時に+6の交渉を開始することに同意した。 豪州は、鉱物や食料など得意とする輸出品の最大の輸入国が中国なので、対米従属を離脱して中国重視を強めざるを得ない。米海兵隊は今年から「アジア重視策(中国包囲網)」の一環として豪州にも駐留しているが、長期的な戦略として豪州は最近、中国重視の白書を作成した。インドも以前は中国の敵だったが、ここ数年、中印はBRICSとして外交界で足並みをそろえるようになり、インドは中露主催の上海協力機構にも入る予定だ。印中関係は敵対から協調にゆっくり転換している。 (Australia's Pollyanna Asia Policy) (Australian leader faces bases blowback) 豪印が中国の敵でなくなると同時に、中国経済は輸出主導型から内需拡大型に転換していこうとしている。中国経済が輸出主導型だった従来、豪印や日韓、ASEANなどと中国は、米欧など輸出市場における競争関係にあった。だが今後、中国が内需主導経済になると、豪印や日韓などは中国市場に輸出したいので、中国にすり寄る傾向を強める。中国は、周辺諸国に自国の市場を開放してやる代わりに、周辺諸国に対して交換条件を出せるようになる。中国は、どうせ自国を市場開放するなら有利にやりたいはずだ。そこに、中国が今の時期に周辺諸国とのFTA交渉を進めたい背景がある。 中国の政権は今年、胡錦涛から習近平に世代交代した。これまでの胡錦涛や江沢民は、1989年の天安門事件で米欧から制裁された教訓から自国の覇権行為を禁じたトウ小平が生前に決めた指導者であり、中国の国際影響力の拡大より、自国の国力増進を優先し、輸出を通じた経済成長に力点を置いていた。だが、習近平は今の中国政界の各派閥の力のバランスの中で決まった新指導者であり、トウ小平の影響下にない。世界はちょうど米国の覇権が崩れつつある時期にある。習近平政権は、これまでトウ小平に抑制されてゆっくりしか進行しなかった、中国が東アジアの覇権国になる動きを速めるだろう。軍事的に空母「遼寧」の就航などが象徴的だが、中国覇権の最重要部分は経済にある。 (江沢民最後の介入) 自国の市場を開放して世界経済の発展に寄与することは、覇権国としての任務である。これまでの覇権国である米国は、軍事や外交だけでなく、消費の分野でも世界の主導役で、自国市場を世界に開放していた。中国が東アジアの覇権国になるなら、米国ほどの開放度でないにせよ、自国の市場を拡大していく必要がある。ここに、習近平政権になる今の時期に、中国が東アジアのFTAを進めたいもう一つの理由がある。 日本政府は、ASEAN+6のRCEPが日本主導の動きであると自負している。だが他の関係諸国は、RCEPが中国主導の動きだと考えている。たとえばニュージーランドは、すでに米国主導のTPP交渉に参加しているが、今後、並行してRCEPの交渉にも参加し、米国主導の動きと中国主導の動きの両方に賭けることで、東アジアの覇権が中国に移った場合にも、中国が米側から弱体化されるなどして米国の覇権が延命する場合にも対応できるようにしている。 (NZ hedges bets on TPP, joins Asean-plus trade negotiations) そもそも日本では、TPPが喧伝され、TPPに入るがどうかかが来月の総選挙の争点になっている半面、日中韓FTAは対して報じられず、「日本主導」のはずのRCEPはもっと報道が少ない。日本政府が、中国を牽制する国際経済戦略としてRCEPを本気で主導するなら、それは良いことだが、実際のところ政府は口だけだ。日本政府は、中国の台頭への対応として自立的な動きをほとんどせず、対米従属(日米同盟)を強めたがるだけの姿勢に終始している(日本政府が尖閣諸島の国有化で中国との対立を意図的に深めたのも、目的は対米従属の強化だ)。 (尖閣で中国と対立するのは愚策) 日本政府として近年、自立的な対中戦略を打ち出したのは09年に首相になった当初の鳩山由紀夫だけだが、先日鳩山が政界引退を表明したとき、マスコミ(と軽信的な人々)は、こぞって鳩山を中傷した。日本の対中戦略として、鳩山のように中国に接近するリベラル式(左派)のが唯一の道でない。石原慎太郎のように中国を(対米従属の裏返しでなく)自立的に敵視する「右からの道」も日本がとれる道だ(私は石原や橋下に期待している)。 (「危険人物」石原慎太郎) だが、対米従属を超えた自前の対中戦略も持たず、中国が台頭して自国が沈下していることの意味すら分析せず、鳩山を間抜け扱いして喜ぶ、横並び意識だけ旺盛なこの国のマスコミや人々は、それこそ間抜けである。米国の右派新聞ウォールストリートジャーナルは「日本の難問は圧倒的なのに、政治家は誰も、選挙運動の中で解決方法を示そうとしない。お門違いな政策ばかり出している」と日本の現状を批判している。 (Japan's Dismal Election) すでに見たように、インドや豪州は中国との協調関係を強め、韓国やASEAN、NZは中国と米国の両方に賭けてどっちに転んでも良いようにしている。ここでの要点は「財政の崖」や連銀のQE3で米国債をいつまで買い支えられるか、中国が不買によって米国債が急落するのでないかといった米国の延命をめぐる不透明さと、ユーロが米投機筋に攻撃されたように、米国が中国の発展を壊すことが今後あるかどうかといった金融兵器の問題だ。そこには、対米従属一辺倒の日本が出る幕がない。 (ドル過剰発行の加速) 日本は、日銀の金融緩和で米国のQE3を支援しており、米国が金融財政面から潰れれば日本も道連れだろう。半面、自由化されていく人民元が米国の金融兵器で攻撃されて中国が潰れれば、日本はかつての朝鮮戦争の時のように漁夫の利を得られる。どちらにしても日本が主体的に道を選び取るのでなく、米国と中国の動きが、日本を含む東アジアの将来像を決める。日本は受動的な存在でしかない。自立的な戦略を持ちたがらない日本は、外交界で小さな影響しか持てなくなっている。私は自国を批判したいのでなく、百年に一度の覇権転換期なのに自前の分析も戦略も持たず、何らかの新戦略をやろうとした人を罵倒して潰すだけの自国を情けなく思っている。 米英の金融兵器はEUを攻撃しているが、たぶんEUは潰されず、逆に防御策として統合を加速し、EUはより強い超国家組織となって戻ってくるだろう。同様に、米英が自由化された人民元を攻撃しても、それは中国がドルと米国債から離れて人民元の基軸通貨化を進めることに拍車をかけることにつながり、むしろ米英覇権が潰れて世界が多極化する流れを加速すると考えられる。中国の経済台頭が近いうちに挫折するとは考えにくい。日本人がよく夢想する「中国は必ず破綻する」が実現する可能性はしだいに低下している。 (ユーロは強化され来年復活する?) 中国が破綻しないなら、ASEAN+3や+6の東アジアFTAは、中国の台頭を広域的な経済利得に換金する、新しい覇権の仕組みとなる。対照的に、米国主導のTPPは、アジア太平洋の対米従属の諸国で米国企業が利益を出せる構図を確保するもので、米国が失いつつある覇権を今のうちに自国の経済利得として換金しておこうとする、古い覇権の最後の活用である。 (国権を剥奪するTPP) オバマは今回プノンペンまできて東アジアサミットに出席し、再選直後のアジア歴訪で、いかにアジアを重視しているかを示しつつ、TPPをアジア諸国に売り込みにきた。タイが新たにTPPの交渉に参加する姿勢をみせたが、全体としては、オバマの売り込みのかたわらで、アジア諸国はASEAN+6のRCEPの交渉開始を決定し、アジアが米国でなく中国の主導になっていくことが示された。 「東アジア共同体」の構想は、1990年にマレーシアのマハティール首相が言い出したEAECが最初で、当初は中国中心の構図でなく、日本と中国、ASEANなどが横並びで立つ構想だった。今も建前はそのままだが、実際には、その後の20年間に中国の台頭が進み、中国中心の構図になっている。最近まで忠実な対米従属国だった台湾でも、今では「台湾はTPPでなく、市場がずっと広いRCEPの交渉に注力した方が良い」という意見が強くなっている。中国は、台湾がASEAN+3の国々と経済分野限定の準国交を結ぶことを容認しており、RCEPは中国の台湾政策ともつながっている。 (Taiwan should focus on RCEP, not TPP: academics) (東アジア共同体と中国覇権) 米国が中国抜きのTPPを進めるほど、中国は対抗して米国抜きのASEAN+3や+6を進めたがる。TPPは東アジアを米国中心から中国中心に転換することを促進してしまっている。米国が「中国包囲網」を言うほど、中国は対抗的な台頭戦略をやる方に引っ張られるのと同じ、隠れ多極主義的な「中国引っ張り出し」の構図だ。 (中国の台頭を誘発する包囲網) ASEAN+3や+6は現存するASEANの自由貿易圏を拡大するのでやりやすいが、TPPはゼロからの交渉であり、実現性が低い。TPPは、米企業の利益を優先して他の参加国の国益が損なわれる構図のため、日本を含む各国で反対運動が強い。最終的にTPPは実現せず、東アジアに中国中心・米国抜きのFTAを作ることを誘発したのみで終わるのかもしれない。
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