ホルムズ海峡の暗雲再び2012年6月15日 田中 宇モスクワで6月18-19日、イランの核問題をめぐるイランと「国際社会」(米露中英仏独、P5+1)との今年3度目の協議が行われる。昨年秋にいったん頓挫したイランとの核交渉は今春、イランが行っている20%(医療用)と3・5%(原発用)のウラン濃縮事業のうち、20%の方をやめたら解決とみなすとする新たな態度を米国とイスラエルがとり始め、4月14日にトルコのイスタンブールで半年ぶりに協議が再開され、協議が妥結しそうな流れが出てきた。 (イラン核問題が妥結に向かいそう) 5月21日には「米国の傀儡」と批判されていたIAEAの天野事務局長が就任後初めてイランを訪問した。天野は、間もなくイランと問題解決に向けた合意を結べると表明し、IAEAが求めているパルチン基地(核施設でない)の査察をイランが認め、査察実施後にIAEAがイランへの疑いを解除し、和解に進むかに見えた。 (イラン核問題が妥結に向かいそう(2)) だがその後、6月8日に行われたイランとIAEAの交渉は進展がなく終わり、次回の日取りすら決められなかった。6月18日からのモスクワでのP5+1との交渉も、進展せずに終わると予測されている。 (IAEA: Iran nuclear talks 'disappointing,' no date for new meet) 問題が解決しそうもないのは、米政府が、一方でイランが3・5%までの原発の燃料棒製造用のウラン濃縮を、イランを含むすべてのNPT(核拡散防止条約)加盟国に認められている権利として容認しつつ、他方で「イランがすべてのウラン濃縮をやめない限り、イランと原油取引をした世界のすべての企業に対して米国との取引を禁じるイラン制裁法を解除しない」と表明しているからだ。 ('Iran to face harsher sanctions despite talks') 米国のイラン制裁法は、国際機関の決定でなく、米国の国内法にすぎない。だが、世界の多くの大企業は米国と取引できなくなると困るので、国内法を超えた影響力を持つ、事実上の国際制裁となっている。イランはP5+1との交渉で、この法律の廃止を求めているが、米政府は廃止しないと宣言している。米議会は、P5+1など国際社会の動きと関係なくイラン制裁を続けると宣言している。オバマ大統領も今秋の選挙を控えて「弱腰」の態度をとりたがらず、制裁を続ける姿勢だ。米国に選挙に大きな影響力を持つユダヤロビーが、オバマに強硬姿勢をとらせていると指摘されている。 (US hard line in Iran talks driven by Israel By Gareth Porter) イラン側は、IAEAの査察に応じ、20%ウラン濃縮をやめたら、その時点で米国が制裁法を廃止することを求めている。だが、在米ユダヤ人の組織は「オバマは、ユダヤ人組織に対し、イランの問題が完全に解決されるまで(イランが3・5%濃縮を含むすべての核事業をやめるまで)制裁を続けることを約束した」と発表している。米政府はイランの要求を認めていない。 (White House reassures Jews as it readies Baghdad offer to Iran) イランはNPTやIAEAの規定を順守しており、20%までのウラン濃縮を行う権利を持っている。パルチン基地は核施設でなく、しかもIAEAの査察を以前にすでに受けている。20%濃縮をやめることやパルチンの再査察を認めることは、イランにとって大きな譲歩であり、その見返りに米国の制裁法を解除してくれというイランの要求は理にかなっている。しかし、米国は制裁法を解除しない。だからイランも譲歩しないと言っている。イラン核協議が妥結する見通しは低くなっている。 (Iran: No Good Reason to Halt 20 Percent Enrichment) ▼原油価格を高めたいイラン、低めたいサウジ 米国のイラン制裁法は6月28日から発動される。6月18日からのモスクワでの国際交渉で進展がなければ、制裁発動は不可避だ。仮にモスクワの交渉で何らかの合意が行われても、オバマと米議会が制裁をやると言っている限り、国際合意と関係なくイラン制裁は発動されるだろう。米国の制裁が発動されると予測される以上、イランは譲歩しないだろうから、モスクワでの合意は困難だ。 (U.S. Senate unanimously approves tougher sanctions on Iran) EUも米国の制裁と連動し、7月1日からEU諸国の企業にイラン原油の輸入を停止させる。米国の共和党系シンクタンクであるランド研究所は、イラン制裁はイラン自身よりもEUに対してより大きな悪影響を与えると分析している(米国はイラン原油を以前から輸入していないので悪影響がない)。しかし、EUはそんな警告を見て見ぬふりで、イラン原油の輸入禁止を始めようとしている。 (RAND Corp: `Sanctions against Iran are doomed') 制裁発動を前に、米国は世界各国にイラン原油を輸入するなと圧力をかけた。EUや日韓は比較的従順に従い、中国とインドもしぶしぶ輸入を減らす姿勢を見せた。トルコはイランからの原油輸入を続けると宣言した。これらの対応を受け、米政府は6月11日、インド、韓国、トルコ、南アフリカ、台湾、マレーシア、スリランカの7カ国を、イランから原油を輸入し続けても制裁しない例外リストに入れたと発表した。 (U.S. to exempt India, not China, from Iran sanctions) 中国は例外リストに入れられず、今後、米中間で対立があると予測される。これは米政府の最近の中国敵視策(アジア重視策)の一環だろう。中国が米国に対して何らかの経済的な報復をすることも考えられるが、中国は米国と良好な経済関係を維持したいので、中国政府系の中国石油化工は、イランからの原油値下げの申し入れを断って輸入を減らす方針と報じられている。 (Sinopec turns down cut-price Iran crude: source) 制裁が始まると、イランの原油輸出が、今の日産220万バレルから、最悪の場合120万バレルまで減ると予測されている。イラン原油の最大の輸出先だったEUが制裁に入ると、イランにとって頼みの綱は、イラン原油の輸出総量の2割を買っている中国だ。中国が輸入を大幅に減らすとイランは窮する。 (Dangers of stalled nuclear talks in Moscow) 産油諸国の国際組織であるOPECでは、原油の国際相場をめぐり、イランとサウジアラビアの攻防が起きている。長らくOPECの盟主だった親米のサウジは、OPECの総生産枠を増やし、原油相場を引き下げて、イランが得る石油収入を減らし、米国主導のイラン制裁の効果を高めようとしている。これに対抗してイランは、昨年の米軍撤退後に産油量を急増させている同じシーア派のイラクと組み、ベネズエラやアルジェリアの支持も受け、サウジの増産提案を拒否し、原油相場を高値に誘導しようとしている。OPECは6月14日から総会を開くが、そこでサウジとイランの論争が展開しそうだ。 (Oil Sitting On the Cusp of Big Move) ▼イランを追い詰めるとホルムズ海峡が封鎖される 米国やサウジによる制裁が効果をもたらし、イラン経済の大黒柱である原油輸出が急減し、イランが経済的に窮乏して、国民が不満をつのらせて政権転覆まで至り、イランが混乱して弱体化すれば、それは米イスラエルやサウジの勝利になる。しかし、イランはその前に、世界経済を道連れにできる対抗策をやるだろう。それは、ホルムズ海峡の封鎖である。 (Iraq and Iran cuddle up in OPEC, but for how long?) イラン政府は「制裁によって原油輸出ができない状態になったら、報復としてホルムズ海峡の封鎖も辞さない」と言ってきた。欧州日韓など親米諸国がイランの原油を買わなくなっても、その分を中国やインドなどBRICS諸国が買ってくれている限り、イランは原油輸出を続けられ、ホルムズ海峡を封鎖する必要がない。だが、中国を含むBRICSのすべてがイラン原油の輸入を大きく減らし、イランの窮乏がひどくなると、イランがホルムズ海峡を封鎖せざるを得なくなる条件がそろってくる。 (Iran's Hormuz Threat) ホルムズ海峡の奥のペルシャ湾には、サウジ東部からクウェート、イラク南部にかけて広がる世界最大の油田地帯がある。ホルムズ海峡は、サウジ原油など、世界の原油の3割がタンカーに乗せられて通行している。ホルムズ海峡が封鎖されると、原油の大輸出国であるサウジの原油の大半が輸出できなくなり、今や世界経済成長の主導役になった中国やインド、日韓など、アジアの多くの国々への原油輸入が急減し、世界経済が大打撃を受ける。イランの革命防衛隊が機雷や障害物でホルムズ海峡を封鎖したら、米軍が撤去作業にかかるだろうが、イランは最新鋭の機雷を持っており、撤去に時間がかかると予測されている。 (Iran's Tactical Strength) サウジは増産して原油相場を引き下げ、イランを困らせるが、このやり方が有効なのは、イランがホルムズ海峡を封鎖しない限りにおいてだ。イランを海峡封鎖にまで追い込むことは、サウジにとって自滅行為だ。中国は、米国との関係を重視してイラン原油の輸入を減らすかもしれないが、これもイランが海峡を封鎖するまで米国の制裁につき合うわけにいかない。 米国は、本気でイラン制裁を強化しそうだ。イスラエル諜報機関系の情報サイトであるデブカファイルによると、オバマ政権は、イスラエルにイラン空爆を思いとどまらせるため、イランの空港に着陸した航空会社に米国の空港への着陸を禁じ、イランに寄港した船の米国への寄港を禁じる新たな制裁法を、今秋から発動する予定だ。この新制裁が実施されると、ほとんどの国の航空会社が、イランに行く便を運休せざるを得なくなる。海運を利用したイランとの貿易にも支障が出る。 (Obama's air-sea blockade plan for Iran delays Israeli strike. Hormuz at stake?) ▼イラン危機で必要が増す代替世界システム 米国が本気でイラン制裁を強化する以上、中国はいずれ、米国との対立を深めても、イラン原油の輸入を増やし、イランを窮地から脱出させる必要がある。経済面でイランの窮地を救えるのは中国だけだ。アジアの原油の大量輸入国のうち、日韓は国是が対米従属すぎて、米国に批判されるイラン原油の輸入増ができない。 インドも、対米従属の傾向があるものの、中国との対抗上、イランや中央アジアとの関係を重視しており、米国に引っ張られ続けたくない。BRICSは国際政治に関して同一歩調をとる傾向を強めている。ロシア政府はすでに、米国のイラン制裁を「国際法違反だ」と非難し、制裁への参加を拒否している。今後、ロシアに加えて中国が、米国のイラン制裁に従わない方針を表明するなら、ブラジルや南アフリカも同調し、インドもBRICSの一員としてイラン重視の共同歩調を強めるかもしれない。 (`US Iran sanctions against intl. law') 米当局、特に議会は、イラン敵視の姿勢を変えないだろう。だが半面、米当局は財政難なので、イランと戦争しない方針を打ち出している。米国がイランと戦争しない以上、イスラエルもイランと戦争したくない(イスラエルがイランと戦争したがっているという報道は、米当局内の親イスラエルのふりをした反イスラエル勢力による歪曲が入っている)。米イスラエルはイランへの経済制裁を強めつつも、戦争はしないだろう。 だから今後、中露などBRICS主導の途上諸国が原油輸入によってイランを経済的に救済してホルムズの封鎖を防ぐやり方が継続し、その体制が定着するだろう。これは、イランを排除した米国主導の従来型の世界経済体制と別のところに、イランを取り込んだBRICS主導の新たな世界経済の体制が、並立的に立ち上がっていくことを意味する。米欧体制は米ドルを基軸通貨として使い続けるが、イランへの金融制裁がドル建てで行われているため、BRICSは相互の自国通貨や金地金で取引する傾向を強めるだろう。 (◆イラン制裁はドル覇権を弱める) これは、米欧とBRICSとの「冷戦」でない。米欧(特に米)とBRICS(特に中露)は、イラン問題をめぐって批判し合うだろうが、戦争にならないし、相互の貿易関係も維持される。イラン問題以外の部分では、米欧中心とBRICS中心の2つの経済体制は協調している。これは以前の記事で指摘したことでもある。 (◆イラン危機が多極化を加速する) イランはP5+1との交渉の中で、核問題に関してだけでなく、シリアとバーレーンの内戦的な混乱についての解決策を、P5+1に対して提案している。イランは、シリアのアサド政権を以前から支援し、バーレーンで反政府運動を続ける国民の7割を占めるシーア派にとっての宗教的な宗主国でもある。半面、シリアの反政府勢力と、バーレーンの王政はサウジアラビアに支援されたスンニ派であり、シリアとバーレーンの内紛は、イラン対サウジの覇権争いでもある。反米のイランを敵視し、親米のサウジに味方する米欧は、シリアやバーレーンに関するイランの提案を無視したが、今後の展開によっては、イランを無視できなくなり、米欧がイランの国際影響力を認めざるを得なくなるかもしれない。 (Ahead of next P5+1 talks, a package deal with Iran may be on the table) (イランとサウジアラビアの対立激化) 今回の話はイラン問題のみに特化して書いている。だが、ここ数年の世界情勢を見ると、アルカイダが米諜報機関の手下である側面を無視して行われたアフガニスタン侵攻(911後のテロ戦争全般)、濡れ衣に基づく米国のイラク侵攻、リーマンショック後に崩壊感が強まったドルと米国の債権金融システムを延命するため、米英投機筋がEU諸国の国債市場を揺さぶって起こしているユーロ危機、米イスラエルだけが自由にインターネットウイルスを作って敵性国家を自由に攻撃できるサイバー戦争の状況など、米欧中心の世界体制を延命させようとするあまり、世界を混乱させ、人々が殺され、貧困に陥れられている。 (◆世界のお荷物になる米英覇権) 半面、BRICSは、人民元など相互通貨での貿易体制の拡大を進めてドル基軸体制が崩壊した時の準備をしたり、国連安保理で中露が結束を強めて米欧の濡れ衣に基づく戦争を抑止したり、国連機関(ITU)にネットの世界管理の権限を与える構想を立てたりしている。これらはいずれも、既存の米欧中心の世界システムが、米国の大失策や反倫理的な行動によって機能不全や信用失墜に陥っていることを受け、BRICSが代わりの世界システムを並立的に作っている動きだ。欧米がイラン制裁を強めた場合、BRICSがイランの破綻とホルムズ海峡の封鎖を防ぐ「代わりの経済体制」を強めそうなことも、代替世界システム作りの一環といえる。 代替世界システム作りの動きは、覇権国である米英のマスコミやウェブログでときどき指摘・示唆されるが、日本のマスコミには全く出ない。敗戦の教訓から覇権的な動きをすべて破棄した戦後の日本では、世界に覇権が存在しないという幻想を全国民(官僚や政治家など国家の上層部を含む)に植え付ける策がとられ、世界の覇権動向から目をそむける姿勢が定着している。だから日本人は「中露が米欧に代わる世界システムなんか作るはずないし、作れない」と思っている。しかし実際には今後、世界で覇権の大転換が続きそうだ。日本は覇権に対する無知のために、うまく国家戦略を作れず、全体的に損失が拡大し、経済大国の地位からずり落ち、名実ともに矮小な国に戻っていく懸念が高まっている。
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