イラン核問題が妥結に向かいそう(2)2012年5月23日 田中 宇
この記事は以下の2本の続きです。 「イラン核問題が妥結に向かいそう」 「◆米覇権後を見据えたイランとサウジの覇権争い」 5月21日、IAEAの天野之弥事務局長がイランを訪問し、イランの核施設を査察することについて、イラン側と合意に達した。天野は09年に就任して以来、イラン側が核開発の放棄について具体的な譲歩を示さない限りイランを訪問しないと言い続けてきた。だが彼は今回、イラン側がほとんど譲歩していないのに、就任後初めてイランを訪問した。天野はIAEA関係者の間で、米国の言いなりだと批判されているので、米国の意を受けてのイラン訪問だろう。 (IAEA chief to visit Iran for talks on nuclear deal) 両者の合意内容は明らかにされていないが、5月23日にバグダッドで行われる「国際社会」(P5+1。米英仏独露中)とイランとの核問題の交渉を前進させるための準備と考えられる。4月にイスタンブールで今回の交渉の1回目が開かれて以来、イランと「国際社会」の間で、間断なく交渉が続いている。このように連続的に交渉が続く場合、交渉は見かけ倒しの「やるふり」でなく、実体的に進展させる意志を交渉参加者たちが持っていることが多いとの指摘がある。 (Iran nuclear talks: why optimism could be different this time) イランに対し「国際社会」が求めてきた点は3つある。(1)イランがガン治療用の放射性同位体を作るために続けている20%のウラン濃縮をやめ、すでに濃縮したウランを海外の第三国に引き渡す(2)イランが原発燃料を作るために続けている3・5%のウラン濃縮をやめる(3)核兵器開発のための実験が行われたとされるパルチン軍事基地を査察させる、の3点だ。これに対しイランは、(1)と(2)はIAEAの監視下で行われている合法的な作業なのでやめる必要がなく、(3)は根拠のない濡れ衣で、これまで2度もIAEAにパルチンを査察させているのでこれ以上査察は不必要なはずだ、と言ってきた。 イスラエルは、P5+1のメンバーでないが、米政界に強い影響力を持ち、イランが「国際社会」で許されて台頭すると中東や世界におけるイスラエルの分が悪くなり孤立化が進むので、イスラエルは本件の事実上の当事国の一つだ。イスラエルはこれまで、イランがどこまで譲歩したら許すかを明言せず、イランが核開発をやめないなら施設を空爆すると脅してきた。しかしイスラエルは、4月の交渉再開の段階で(1)(2)(3)が満たされればイランを許しても良いと言い出し、態度を緩和した。5月に入り、イスラエルはさらに態度をゆるめ、(1)と(3)が満たされれば(2)は容認すると言い出した。 (Israel inches closer to compromise on Iran uranium enrichment, officials say) イスラエルの譲歩の裏には、イランが核兵器開発しているというIAEAなどの指摘が、米イスラエルの差し金で誇張させてきた濡れ衣であることが広く暴露されてきたうえ、軍事費削減を必要とする財政難の米オバマ政権がこれ以上の戦争を望まず、イスラエルがイランを空爆しても米国は追随しないと明言し始めたことがある。米国を戦争に巻き込めない以上、イスラエルがイランと戦争するのは自滅的な失策であり「空爆も辞さず」という脅しの効果が失われている。イラン側は「(米国の後ろ盾がないのに)イスラエルが空爆できるはずがない」と、馬鹿にした発言をするようになった。 米国やNATOは、アフガニスタンから来年末までに撤退することを決めている。アフガン人にすっかり嫌われたNATOが何とか無事に撤退するには、近隣のロシアとパキスタン(その背後の中国)、そしてイランの協力が必要だ。財政難で軍事費を無駄遣いできない中、イラクに続きアフガンからも撤退を急ぐオバマ政権は、イランとの対立を緩和し、アフガン撤退に協力させたい。今年初め以来、米国とイランがアフガン問題で直接交渉を再開する案が、米国側が断続的に出ている。 (Iran: To talk or not to talk) これらの流れを総合すると、イラン核問題をめぐる国際交渉は、イランがパルチンの査察に応じ、20%のウラン濃縮をやめる(もしくは米イスラエルが20%濃縮停止要求を取り下げる)ことで、妥結の方向に動いていきそうに見える。 ▼米政府は譲歩策、米議会は強硬策 しかし米国を見ると、妥結とは逆方向の動きが起きている。米議会上院は5月21日、イランに対する制裁を強化する法案を可決した。米国は昨年末、イラン中央銀行と取引する世界の企業に米国企業との取引を認めない制裁を決定し(今年7月から実施予定)、これを受けて日本や欧州などで、イランからの原油輸入を控える動きが広がっている。今回の追加的な制裁法案は、従来の制裁をさらに広げ、イランの国営石油会社や国営タンカー会社との取引を、世界の企業に禁じている。 (U.S. Senate unanimously approves tougher sanctions on Iran) 米国の法律ではあるが、イラン国営石油などと取引した企業の母国を米国が制裁対象に加える法律であり、米国の同盟諸国にイラン制裁の強化を強いる内容だ。また、ニューヨーク証券取引所に上場する世界中の企業に対し、イランとのすべての取引を米証券取引委員会(SEC)に報告せよと命じている。この法律は、すでに下院を通過している。上院が可決したので、あとはオバマが署名すれば発効する。オバマが署名せず拒否権を発動したとしても、議会の3分の2で再可決すれば発効する。 米議会は、全体として極度の反イラン・親イスラエルの姿勢を貫いている。たとえ米政府がイランを許しても、米議会はイランを許さないだろう。米国のイラン敵視は変わりにくい。米国がイランを敵視し、イラン制裁に参加しない国を制裁する姿勢をとる限り、イラン核疑惑の濡れ衣性が暴露されて確定的になっても、日本や韓国など対米従属が国是の国々は、右にならえのイラン敵視をやめられない。 米国では、日本をねらい打ちした動きもある。米国のニューヨーク州地裁は5月初め、1983年のベイルート米海兵隊司令部爆破事件をめぐる裁判で、被害者である米兵の遺族がイラン政府の在外資産を差し押さえることを認める判決を出した。判決は、日本とイランの貿易取引の80%近くを決済している三菱東京UFJ銀行に対し、イラン中央銀行が同行に持っている口座の資金移動を凍結すること命じている。三菱の口座が凍結されることで、日本とイランとの貿易にかなりの障害が生じる。 (Japanese bank freezes Iranian assets) 米国のイラン制裁が効果をあげ、最終的にイランに味方した国々が大損害を受けるなら、かつてイランと密接な経済関係を持っていた日本が、イランとの貿易をあきらめて泣く泣く対米従属を続けることにも意味がある。しかし現実には、一方でイラン核疑惑の濡れ衣性が暴露され、他方で米政府がイランに譲歩しつつ米議会がイラン敵視を続け、米国がどっちつかずの姿勢を続ける中で、米国主導のイラン制裁への国際結束が崩れ、制裁が抜け穴の多いものになっている。日本が、米国主導のイラン制裁に黙って従い続けることは、しだいに間の抜けた行為になっている。 ▼イラン問題で米国を見限る国々 今後、P5+1との交渉が繰り返され、イラン核問題が妥結していくと、米国主導のイラン制裁への結束がさらに崩れる。すでに中国やトルコは、米国のイラン制裁を無視して原油を買い続けている。原油決済は人民元などBRICS諸通貨や金地金などで行われ、ドルを使わない取引なので米国が探知できず、制裁破りが察知されにくい。インドは米国から圧力を受け、イラン原油の輸入を11%減らすことにしたが、米国は減少幅が足りないと不満を表明した(対照的に日本は4月、イラン原油の輸入を前月比8割も減らした)。 (U.S. unimpressed with India's efforts to cut Iran oil buys - envoy) 先進諸国(OECD)の機関であるIEA(国際エネルギー機関)は、制裁によってイランからの原油輸出が日産100万バレル減ると予測している(イランの産油量は330万バレル)。だが先進国の機関であるIEAが、イランからBRICSや途上諸国への輸出をどれだけ正確に予測しているか疑問だ。BRICSが高成長を続ける半面、先進国経済が停滞する中で、先進国主導でイランを原油制裁することには限界がある。 (Iran Oil Exports Fall as Sanctions Tighten) ロシアは従来イランの味方をして、米国を批判してきたが、今後その傾向をさらに強めそうだ。米国(NATO)は5月21日、ロシアの反対を押し切り、東欧に配備したミサイル防衛システムを稼働した。イランからのミサイルを迎撃するシステムとの名目だが、イランから米国へのミサイルは東欧上空を通らない。迎撃用ミサイルは攻撃用ミサイルとしても使えるので、ロシアは自国を狙ったミサイル配備だとして強く反対している。反対を押し切って米国がミサイル防衛をロシア近傍に配備したことで、米国は今後、イラン問題でのロシアの協力をますます得にくくなる。 (NATO Launches Missile Defense Shield) EUを主導する独仏のうちフランスは、サルコジ大統領の時代にイラン敵視が強かったが、オランド新大統領は就任早々、側近をイランに派遣した。フランスは親イランの方向に転換すると予測されている。 ('France bent on mending ties with Iran') フランスは冷戦時代の1960年代初頭にも、米国覇権(冷戦体制)の力が低下し、米国に米ソ和解の傾向が出たことに便乗し、ドゴール政権がNATOからの離脱、ソ連への接近、中華人民共和国の承認など、反米機運を使ってフランスの国際影響力を拡大する、ちゃっかりな国家戦略を展開している。フランスが、国力以上の国際影響力を持とうとするちゃっかり戦略を好む国であることを考えると、オランドが米英に反旗を翻し、BRICSに接近する戦略をとることは、むしろ自然な流れである。ドイツも米英への従属にうんざりしているところがあるので、EUは全体として、フランスに引っ張られ、イランを許す機運を強めそうだ。 最近はイスラエルですら、敵視と譲歩が入り交じる米国のイラン戦略から一線を画している。イスラエルでは先日、ネタニヤフ首相がいったん今秋に総選挙を行うと宣言したが、その数日後、ネタニヤフは突然、選挙をやめて、中道派の大政党カディマを連立政権に引き込んで大連立を組むことを発表した。 (◆右派を阻止して転換しそうなイスラエル) 従来のネタニヤフ政権は、リーバーマン外相の「イスラエル我が家」など中小の極右政党に連立維持のカギを握られ、ネタニヤフの政党リクードの内部でも極右勢力(入植者)が人数以上の政治力を持っていた。そのため従来のネタニヤフ政権は、イランを空爆で脅したり、パレスチナ和平を阻止するなど、極右的な姿勢から抜けられなかった。しかし、米政府がイランに譲歩し、米国の軍事的な後ろ盾が失われる中で、イランに対する空爆の脅しを続けることはイスラエルの国益を損なう事態になり、軍や諜報機関の元幹部らが相次いでイラク空爆に反対を表明した。 (How the settlers embarrassed Netanyahu, again) このような流れの中でネタニヤフは、極右に押される政治状況から離脱する必要に迫られ、中道派でイラン空爆に反対してきたカディマと、議会の8割を占める大連立を組むことにしたのだと考えられる。イスラエルでは今後、極右の力を抑えようとする暗闘が激しくなるだろう(極右はリクード内などあらゆる機関に入り込んでいるので「暗闘」になる)。パレスチナ和平も、どこかの時点で進むのでないか。 (Clinton to Netanyahu: Use unity cabinet to advance Mideast peace) ▼米国のどっちつかずな姿勢が世界を多極化する 米国が、強硬策と譲歩を交互に出してどっちつかずな姿勢を続け、BRICSが愛想を尽かして米国を無視する傾向を強め、ちゃっかりな国々が反米ポピュリズムに転換し、対米従属に固執する国々が馬鹿を見る展開は、イラン核問題だけでなく、イラク占領やアフガン占領、北朝鮮核問題、南沙群島問題など、911以後の米国の強硬策の多くに共通して見られる傾向だ。 米国がどっちつかずな政策を続けたため、イランは中東の反米勢力を糾合して地域大国の一つへと台頭し、北朝鮮は中国の覇権下に入っている。米政府(大統領)が議会を抑えられていたら、イランは今より国際影響力が少ない状態で米国との経済関係を回復して満足していただろうし、北朝鮮も韓国型の軽水炉を与えられて米国の支援のもとにいたかもしれない。 米国がどっちつかずな姿勢をとり続けた挙げ句に自滅的に失敗することを繰り返すのは、単に米国の上層部の人々が世界を知らない慢心者たちだからだ、と訳知り顔に語る「米国通」が日本に多い。しかし実のところ、米上層部の人々ほど、世界のことを研究し続けている人々はいない。彼らの中にはユダヤ人も多く、特に中東のことについて判断を間違え続けるのは奇異だ。 (歴史を繰り返させる人々) 失策が意図的なものだとしたら、米国は今後もどっちつかずな外交政策を続けるだろう。その結果、米国は不必要に覇権を失い、BRICSやEUが独自の世界戦略を持って相互に談合しつつ世界を運営していく多極型の覇権体制に転換していくだろう。米国の影響力はゼロにならないものの、南北米州と太平洋(グアム以東?)だけに限定されていくだろう。
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