米覇権後を見据えたイランとサウジの覇権争い2012年5月21日 田中 宇サウジアラビアが、バーレーンを国家統合(併合)する方針を打ち出した。統合は、ペルシャ湾岸協力機構(GCC)がEU型の統合を進めていくという、10年ほど前から提唱されてきた構想の一環として計画されている。GCCは、サウジ、バーレーン、UAE、クウェート、カタール、オマーンの6カ国。統合は建前上、対等な関係で進められるが、GCC内でサウジだけが圧倒的な大国で、あとは小国なので、統合は事実上、サウジが他の諸国を併合することを意味する。国連の議席など、国家主権は従来通り6カ国別々のまま、外交、安保、軍事、経済を統合する構想だ。 (Saudi and Bahrain expected to seek union: minister) サウジ主導のGCCの統合は以前、世界で最有力の産油国であるサウジが、原油の取引をドル建てでなく、自前のGCC統合通貨で行う方向に転換する構想として注目された。だがサウジ王室は、米国に逆らって原油取引を脱ドル化する踏ん切りがつかず、GCC統合案は棚上げされていた。 (原油ドル建て表示の時代は終わる?) 今、GCC統合案は、経済面でなく安全保障面から見直されている。昨春以降、バーレーンで、国民の7割を占めるシーア派による民主化要求運動が起こり、それが政治改革要求から、スンニ派の王政を転覆する要求に発展する中で、国力が小さいバーレーン(人口がサウジの20分の1)の王政は、長引く政権転覆の運動に抵抗し続けることが難しくなった。 バーレーンに隣接するサウジ東部州は、大油田地帯で、バーレーンと同様にシーア派が多数派で、王政から差別されている。バーレーンのシーア派が王政を倒したら、サウジ東部の油田地帯でもシーア派の自立要求運動が強まり、国際石油市場とサウジ全体が不安定になる。サウジ王政は、昨年3月にバーレーンで反政府運動が始まった当初から、治安部隊を送り込み、資金援助を増やして、バーレーン王政を支援している。 (バーレーンの混乱、サウジアラビアの危機) サウジもバーレーンも、米国の覇権の力を後ろ盾として王政を維持してきた。バーレーンには、米海軍の第5艦隊の本拠地が置かれている。しかし米国は、世界の民主化を支援することが建前になっている。バーレーンで、人口の7割を占めるシーア派が、人口の3割しかいないスンニ派を代表する王政から差別され続けることに不満を持ち「アラブの春」に触発されて政治改革を求めて政治運動を続けているとなれば、米国はこの民主化運動を支持せざるを得ない。しかし、米国がバーレーンの政権転覆を容認すると、その後のバーレーンには親イランで反米の政権ができて、第5艦隊に撤収を求めるだろう。 (◆サウジアラビアの脆弱化) そうした行き詰まりの中で出てきたサウジ側からの対策が、GCC統合計画を復活し、サウジがバーレーンを併合して一つの統合国家にしてしまうことで、反政府的な傾向を持つシーア派を「バーレーンの人口の7割」の勢力から「サウジ・バーレーン統合国の人口の15%」の勢力に変える計画だった。こうすれば、サウジ・バーレーン統合政府(サウジ王政)がバーレーンの民主化要求運動を弾圧しても、米国が掲げる民主化支援の建前に反しなくなる。サウジ国王は、昨年末にGCC統合案を再提案し、5月になって再び提案した。サウジによる再提案と前後して、米政府は5月11日、昨春の民主化要求運動の高まり以来停止していたバーレーンへの武器輸出を再開すると発表した。 (`West, KSA plan for Bahrain dangerous') ▼統合はむしろ民主化運動を強めるかも サウジのGCC統合提案に対し、サウジとバーレーン以外のGCCの4カ国は、自国が喪失する国家主権が大きいなどとして、サウジ案に反対を表明した。対照的にバーレーン王政は、サウジとの統合案を大歓迎し、王政を支持するスンニ派国民を動員し、統合案に賛成するデモ行進をやらせている。サウジは、バーレーン以外のGCC4カ国が統合案に反対してきたことを前から知っており、それを織り込んだ上で統合案を再提案したはずだ。サウジは、まずバーレーンと2カ国だけで統合を先行させ、バーレーン王政をテコ入れするつもりかもしれない。 (Analysis: Saudi Gulf union plan stumbles as wary leaders seek detail) バーレーンの中でも、反政府運動を展開しているシーア派国民は統合に反対し、統合を決める前にバーレーンで国民投票をすべきだと言っている。国民投票にかければ、国民の7割を占めるシーア派の意見が通る。バーレーンのシーア派を支援しているイランの政府や議会も統合に反対している(バーレーンは前近代にイラン領だった)。 (`KSA-Bahrain merger plot hatched by US') 米国の親イラン人士は、サウジのバーレーン併合を1938年のナチスドイツのオーストリア併合と同様の帝国的な行動であり、当時のオーストリア国民の多数が併合を支持していたのに対し、今のバーレーン国民の多数は併合に反対しており、サウジはナチス以下だと非難している。イランを敵視するイスラエルが正統性強化のために多用する「ナチス批判」の手法を借りてサウジを非難するという、凝ったつくりの理論展開になっている。 (Saudi merger plan `Hitler's Anschluss') サウジとバーレーンが本当に統合するのか、まだ事態は流動的だ。しかも、サウジに統合されてもバーレーンの民主化運動が下火になるとは限らない。エジプトやチュニジアの政権転覆の先例から、バーレーンの人々は、弾圧されても民主化を要求し続ければ政権交代が成就する確証を得ている。簡単にあきらめると思えない。中東ではこの数年で、イランに加えてイラク、レバノンが新たにシーア派政権の国になった。この点も、バーレーンやサウジ東部のシーア派を政治覚醒させている。 これらの覚醒要素を考えると、バーレーンのサウジの統合は、むしろ両国のシーア派の反政府運動を結束させるかもしれない。両国は橋でつながっており、統合後の両国が国民の往来の自由を認めるなら、運動の結束が強まる。統合は、バーレーンの反政府運動をサウジが内包することであり、サウジ王政にとってリスクの大きな賭けだ。 ▼イラク侵攻の失敗がすべての始まり 後知恵で考えると、バーレーンの反政府運動の強まりは、03年にイラクに侵攻した米国が、イラクを傀儡化できず、逆に反米親イランのシーア派の大拠点にしてしまった05年ごろから、運命づけられていたことだった。イラクもシーア派が多数派の国だが、イスラム教の開祖以来1300年以上、少数派のスンニ派に支配されてきた。イラクでの1300年ぶりのシーア派の政権掌握は、中東全域のシーア派を覚醒させ、シーア派の中心地であるイランの影響力が増大した。 英政府系機関の概算では、米国の占領失敗によって、イラクで100万人の市民が死んだ。この殺戮は、中東全域の反米感情を扇動した。米国に頼る国家運営をしてきたサウジやバーレーン、イスラエルなどは、倫理的に不利になった。米国自身が概念として火をつけた「中東民主化」の流れも影響した。バーレーンの反政府運動は、シーア派の覚醒、反米感情の高まり、中東民主化の潮流という3つが合わさって起きており、下火になりにくい。 バーレーンの民主化運動は、ペルシャ湾の大油田地帯をめぐるイランとサウジアラビアの覇権争いという意味もある。イランは、シーア派の覚醒を使ってバーレーンやサウジ東部での影響力を拡大し、イラン、イラク、クウェート、サウジと連なるペルシャ湾の大油田地帯をスンニ派の盟主サウジから奪いたい。大油田の存在を考えると、バーレーンの紛争は、シリアの紛争よりも世界的な影響が大きい。 サウジは、バーレーン王政をテコ入れするとともに、シリアの政権を、親イランのアサド家から、反イラン・親サウジのスンニ派イスラム主義勢力(「アルカイダ」と同根)へと転覆させようとしている。レバノンでも、親米親サウジの勢力と、反米親イランのヒズボラが政争を続けている。イランとサウジは、中東各地でオセロ的な陣取り合戦、覇権争いをやっている。 イランとサウジの覇権争いは、中東における米国の覇権が低下した結果、起きている。米国が強ければ、サウジはその傘下にいるだけで良い。イランは米国に封じ込められ続けるか、米国に許してもらうために穏健化するしかない(90年代後半に穏健化を試みたが、米国は許してくれなかった)。米国がイラク占領に失敗し、民主化を扇動しつつ信用失墜したため、イランは強くなり、サウジは米国に頼れなくなって、互角の覇権争いが起きている。米国に頼れなくなっているのはイスラエルも同じだ。イスラエルでは最近、サウジを、中東で最も大事な、頼れる最後の相手だと評する報告書が出ている。 (Saudi Arabia is Israel's last hope: report) ▼核交渉で許され台頭しそうなイラン 4月から、イラン核問題をめぐるイランと「国際社会(国連5大国+ドイツ)」との交渉が続いている。次回は5月23日に交渉が行われるが、それを目前に、これまで「イランのウラン濃縮はすべて認めない」と言っていたイスラエルが「20%の(医療用)濃縮を放棄するなら、3%以下の(原発用)濃縮は続けて良い」と譲歩した。この譲歩は、米国の圧力を受けて行われているようで、米国はイスラエルの譲歩を受け、イランと2国間交渉を再開している。 (Israel inches closer to compromise on Iran uranium enrichment, officials say) イラン核交渉は今週、これまでで最も重要な1週間を迎える。ひょっとすると、米国とイランが和解するかもしれない。こんな時に限って、イスラエルがイランを空爆する可能性もあるが、イスラエルのネタニヤフ政権は、イランとの戦争に反対してきた野党カディマを入れて大連立を組み、政権内の右派の影響力を削いだので、突発的な開戦の可能性は減っている。このままイランが国際的に許されていくと、イランの国際影響力がさらに強まり、サウジは不利になる。バーレーンの民主化運動は、こうした流れの中心に位置している。 (U.S., Iran seek closer ties alongside nuclear program) また、イラン(シーア派でペルシャ人)が有利に、サウジ(スンニ派でアラブ人)が不利になる中で、スンニ派でトルコ人のトルコは、両者のバランスを取ることで、自国の影響力を拡大しようとしている。トルコは何年か前から、イランとの協調を強めるとともに、それまでの親イスラエルを捨ててイスラエルを敵視し、中東を席巻する反米反イスラエルの潮流に乗って影響力を拡大した。 (近現代の終わりとトルコの転換) 最近になってイランが優勢に、サウジが不利になると、トルコは立ち位置を移動した。トルコは、シリアの内乱に際し、イランが支援するアサド政権を非難し、サウジが支援する反アサド武装勢力を支援した。これは、イランとサウジの争いにトルコが介入してバランスをとろうとする動きであるとともに、アサドを敵視する欧米に同調してみせることで、トルコが欧米に恩を売ろうとしているようにも見える。 同様にトルコは、イラクの内政にも介入し、シーア派のマリキ政権に楯突いて犯罪者扱いされているスンニ派の指導者ハシェミ副大統領を支持してかくまったり、同じくシーア派との対立を深める北イラクのクルド人勢力を支持して、マリキ政権の怒りを買ったりしている。 (Turkey backs 'brother' Hashemi: Erdogan) イラン、サウジ、トルコ、イスラエルなどの最近の動きは、中東が米国の覇権体制でなくなっていきそうなことを踏まえた、米国が弱体化した後の中東における自国の影響力を拡大しようとする動きに見える。中東の諸大国は「米覇権以後」を見据えた動きを開始している。この視点は、今後の私の中東分析の中心になっていきそうだ。
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