他の記事を読む

イラン制裁はドル覇権を弱める

2012年2月1日   田中 宇

 数年前まで、イランの弱点の一つは、ガソリンの多くを輸入に頼っていることだった。イラン政府は国民の懐柔しようとガソリンを超安価に据え置いたため、ガソリン需要が旺盛だった。イランは産油国なので、ガソリンの原料となる原油は豊富だ。だが、原油からガソリンを作る精油所が不足し、国内ガソリン消費の約4割を輸入していた。国際社会がイランへのガソリン輸出を禁止する制裁を行えば、イランは窮乏する。これがイランの弱点の一つだった。09年には米議会が対イランガソリン輸出禁止の制裁策を検討していた。 (US Tells Israel: Iran Has Eight Weeks

 しかし結局、ガソリン制裁は発動されなかった。その間に、イランは精油能力を増強した。ガソリンの小売価格を引き上げるとともに、低所得者層に別の形の補助金を出す政策転換もした。その結果、イランのガソリン輸入はこの4年間に95%減となって、ほとんどガソリンを輸入しなくなり、米国がガソリン禁輸の制裁を発動しても、イランは悪影響を受けなくなった。 (Iran gasoline import slump softens sanctions blow

 ガソリン輸出禁止は、今の米国のイラン制裁策のメニューに入っていない。今後入ることもないだろう。米国が今やっているのは、世界各国にイランから原油を輸入させないようにすることだ。だがこれも、EUが輸入禁止を決めたが、その分を中国が買う方向だ。中国の政府系企業は、シンガポールなどでタンカーを次々と借り上げ、イランから余った原油を運び出す構えだ。インド洋に結集する米軍が公海上でタンカーを阻止すれば、中国はイラン原油を輸入できなくなるが、公海上の航行阻止は戦争行為だ。オバマの慎重さから考えて、米国はこの件で中国と戦争しない。中国は自由にイラン原油の輸入を増やすだろう。 (Chinese supertankers hired for Iran oil

 米政府は、ドルの国際決済を監視して、各国がイランからドル建てで原油を買うのを防ごうとしている。しかし、これは米国の国内法での政策なので、国際的な縛りがない。中国は人民元でイランから原油を買っている。インドは金地金でイラン原油の代金を払っている。中国とインドの合計で、イランの原油輸出の4割を買っている。 (India to buy Iran oil in Gold not dollars'

 EUの原油輸入停止が、イラン経済にとって大きな打撃になるなら、イランが報復にホルムズ海峡を封鎖し、封鎖解除を試みる米軍がイランを攻撃して戦争が始まる可能性がある。だが中国やインドが買い増してくれる限り、EUが輸入を止めてもイランは困らず、ホルムズ海峡は封鎖されず、戦争は起きない。イランは大胆になり、逆にEUへの原油輸出をすぐに止めてEU経済を大混乱に陥れることを検討している。 (Iran ready to cut Europe's oil at once

▼イラン空爆はなさそう

 イランで戦争が起きるもう一つの道筋は、核兵器開発していると疑われるイランの核施設を、イスラエルか米軍が空爆するシナリオだ。こちらも最近、可能性が低下した。米政府は07年に発表した諜報機関の報告書(NIE)で、イランが03年以来、核兵器開発をやってないとの分析結果を出した。ブッシュ前大統領は08年に「NIEに縛られているのでイランを空爆できない」と述べていたという。 (イラン問題で自滅するアメリカ

 その後、NIE報告書の件は棚上げされ「イランは核兵器開発しているかもしれない」という点だけが強調され「だから先制攻撃が必要だ」という論調が大きかった。だが最近、米政府は再び07年のNIEの姿勢に戻り、1月8日にパネッタ国防長官がテレビ出演で「イランは核兵器を開発していないが、今後核兵器開発する気を起こさぬよう、制裁する必要がある」と述べている。米高官はあちこちで「イランはまだ核兵器開発していない」という論調を流している。 (Panetta admits Iran not developing nukes

 米国の方向転換に合わせ、今ではイスラエルまでが米国と同じ姿勢をとり始めた。イスラエルのバラク防衛相は、米国からデンプシー参謀本部議長が訪問してくる前日の1月18日、軍ラジオのインタビューで、イランがまだ核兵器を開発することを決定していないという趣旨の発言をしている。翌日にやってくるデンプシーが、米国は核兵器開発していると考えていないと伝えに来るので、その前に話を合わせておいたのだろう。米国もイスラエルも、イランが核兵器開発しているという前提に立っていない状態が、今ごろになって生まれている。 (US, Israel Agree: Iran Not Building Nukes

 国連のIAEA(国際原子力機関)は昨年11月に「イランは核兵器開発している疑いがある」とする、以前より決めつけが強い報告書を出した。だが今ではIAEAも「イランが核兵器開発していると断言するには早すぎる状態だ」という言い方に転換している。IAEAの現事務局長である天野之弥は、対米従属の日本外務省の出身だけあって、米国の言いなりで昨年11月の報告書をまとめたが、最近米国が態度を変えたので、それに合わせてIAEAも言い方を変えたのだろう。 (Amano changes tune on Iran

 米国やイスラエルがイランの核施設を空爆するとしたら、前提として「イランは核兵器開発している」と断言することが必要だ。以前は断言していたのが、断言しなくなったことは、空爆の可能性も減ったことを意味している。イランが核兵器開発していると考えられる証拠は以前も今も存在せず、米イスラエルは「可能性がゼロでない以上、可能性がある」と強弁してきただけだ。米イスラエルは、イランを潰したいので濡れ衣をかけてきた。濡れ衣の論調を弱めたので、空爆する気も減ったと考えられる。

 米国の好戦派や親イスラエル右派は、米軍がイラクから撤退した以上、次にすべきイラン侵攻を早くやらねばと考えて、世界的に一触即発の論調を扇動した。だが軍事費削減を優先するオバマは、イランと戦争したくない。そのため米政府から「イランは核兵器開発していない」という論調が出てきたのだろう。こうした現状から、イランとの戦争が起きる可能性は大幅に減っている。米国では「今年、戦争になる可能性はゼロだ」と断言する分析者もいる。 (Will Israel Sabotage US-Iran Diplomacy?

 戦争がないなら平和になるか、問題解決になるかというと、そうでもない。近く大国群(米露中英仏独)とイランとの核問題の交渉が1年ぶりにトルコで再開されそうだが、米国がイランとまじめに交渉する気がないので、交渉が合意に達して核問題が解決される可能性は低い。米国は今年大統領選挙だ。米政界で大きな力を持つイスラエル右派は、イラン敵視の継続を強く望んでいる。オバマが再選されたければ、少なくとも今年中は、イラン敵視をやめられず、交渉で問題解決するわけにいかない。

 前回の記事で「EUはイランとの交渉に力を入れるのでないか」と分析したが、その気がない米国は、イランが不満になる要素を必ず交渉の中に残し、合意形成を阻む可能性が高い。EUが頑張っても交渉は成功しない。EUは約束どおりイラン原油の輸入を止めねばならず、経済的に打撃を受けそうだ。 (◆ユーロ危機からEU統合強化へ

▼ドルの原油決済通貨の地位を自滅させる

 戦争にならないが問題解決もなく、宙ぶらりんの状態が続きそうだが、その間に構造的な底流が変化するかもしれない。米国が拘束力の弱い状態で「イラン原油を(ドル建てで)輸入するな」と各国に要求したため、イラン原油の輸入を続けることにした国々は、自国通貨や金地金など、ドル以外の決済方法で輸入を続けることにした。これは、原油決済のドル離れを誘発している。ドル建ての比率が下がるほど、産油国はドル以外の通貨に投資し、米国債を買わなくなる。 (Iran Sanctions Backlash: Oil Buyers Ditch Dollar?

 ドルの強さの一つの要素は、原油など国際商品取引の唯一の決済通貨だったことだ。1971年の金ドル交換停止(ニクソンショック)まで、ドルは世界で唯一、金との交換性を保持し、その点がドルを公式な国際決済通貨としていた。ニクソンショック後、ドルは金との交換性を失ったが、米国はサウジアラビアなど親米的な主要産油国に対し、軍事的にソ連の脅威から守ってやるから、従前どおりドル建てのみで原油を売り、代金収入を米国債で運用することを続けてほしいと求め、了承を得た。ドルが原油取引の決済通貨である状態が保たれ、原油を見習って他の国際商品もドル建てのみで決済される状態が保持され、ドルは基軸通貨であり続けた。 (Will Iran Kill the PetroDollar?

 だが米国は今、イラン原油のドル建て取引を禁じ、原油国際取引の通貨の多様化を起こしている。中国は、イランとだけでなく、アラブ首長国連邦(UAE)との原油取引も、ドルから人民元に切り替えることでUAEと調印した。米政府は「人民元の国際化は元高ドル安につながるので望ましい」と、ドル基軸性のゆらぎを、むしろ容認している。 (China and UAE ditch US Dollar, will use Yuan for oil trade

 軍事的にも、米国がイランを封じ込めたり圧迫している限り、サウジアラビアなどイランのペルシャ湾対岸に位置するアラブ産油国は米国を頼っているが、今のように米国のイランに対する制裁力が弱まり、イランの台頭が黙認され続けると、サウジなどは米国に頼れなくなり、米国離れを引き起こす。右派に引っ張られる米政界は、イスラエルのことだけ優先してサウジを軽視し「イランをサウジとぶつけて消耗させればよい」などと言っている。米国がサウジを守る代わりに、サウジなど産油国がドル建てのみで原油を売り、代金で米国債を買うという、ドルの基軸性の大事な一部分が失われていきそうだ。 (◆イラン・米国・イスラエル・危機の本質

 ドルの最大の強さは、原油決済の唯一の通貨であることでなく、自走して価値を拡大していける債券金融システム(影の銀行システム)を持つことだった。しかし債券システムは基本的にバブルであり、リーマンショック以来、バブル崩壊の過程にある。ドルを国際決済通貨として使う国際信用が維持されていれば、いずれバブル崩壊も収束し、ドルの覇権が保てるかもしれない。だが、今のように米政府がドルの決済通貨としての地位を粗末に扱っていると、債券バブル崩壊との相乗効果で、ドルの基軸性が崩れる懸念が強まる。



田中宇の国際ニュース解説・メインページへ