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ドイツ脱原発の地政学的な意味

2011年6月9日   田中 宇

 ドイツが2022年までに原子力発電所を全廃することを決めた。ドイツのメルケル政権(キリスト教民主同盟、CDU)は、これまで原発推進派で、寿命がきた原発を2036年まで延命させる政策をとろうとしていた。そこに日本の大震災で福島の原発事故が起こった。ドイツで原発反対の運動が強まり、原発推進にこだわるCDUは、5月22日のブレーメン州議会の地方選挙で、緑の党と社会民主党(SPD)という原発反対派に惨敗し、州議会の第3政党に転落した。それ以前、福島事故直後の3月27日に行われたバーデン・ビュルテンベルク州議会選挙などでも、CDUは敗北している。 (Merkel's Party Drops to Third in Bremen Elections Won by Social Democrats

 ドイツは2013年までに総選挙が行う予定だが、このままだとCDUは敗北し、緑の党など反原発派の政党に政権をとられ、新政権が原発全廃を決めるだろう。CDUは、それならむしろ自分たちが原発全廃を決めて人気を再獲得して政権維持した方が良いと考え、5月30日に国内原発の全廃を発表し、6月6日に正式決定した。 (Germany's costly decision to give up nuclear power

 ドイツは今、総発電量の23%が原子力だ。それを今後の11年間でゼロにするのだから大変だ。太陽光や風力など、再生可能な自然エネルギーだけで補えるのか疑問だ。日本は、大震災による原発事故という外部要因から脱原発の方に流されているが、ドイツの脱原発は、ドイツ人自身が決めた政治決定の結果であり、意味が異なる。

 こうした状況を見て、いまだに原発を強力に推進しているフランスは、自国の原発を改良して発電能力を高め、それによって新たに作られる電力をドイツに送電する構想を提案した。フランスは、原発の有用性をEUや世界に評価し続けてもらおうと必死だ。しかし、ドイツ人が原発を危ないと思って全廃する時に、すぐとなりのフランスがドイツのために原発の能力を高めるのは皮肉だ。ドイツが原発をやめても、フランスの原発が事故を起こしたら、被害はドイツまで及ぶ。しかも、フランスの原発の能力改善は何年もかかる。 (Merci France! Germany Now Dependent On Foreign Nuclear Power

 中東の大産油国サウジアラビアからは、石油相がドイツを訪問した。サウジが増産した原油をドイツが買って、脱原発に役立ててほしいという売り込みだろう。しかしサウジ東部の油田地帯でシーア派が反乱するなど、中東は情勢が不安定になり、安定したエネルギー供給元とみなされなくなりつつある。サウジはOPECで原油増産を提案したが、イランやベネズエラが反対して潰した。 (Benzinga Radio: Who Will Win the Battle for Germany's Energy Gap?

▼よみがえるパイプライン諸計画

 そんな状況下、ドイツの脱原発によって最も大きな漁夫の利を得そうなのがロシアだ。世界最大の天然ガス産出国であるロシアは、すでに欧州が使う天然ガスの25%を供給している。ドイツの場合、天然ガスの3分の1がロシアからの輸入だ。 (German Economics Minister stresses energy potential in Russia talks

 ロシアからドイツに天然ガスを送る従来のパイプラインは、ロシアと敵対的なウクライナやポーランドを通過するが、ロシアはこれらの国々を迂回した新ルートとしてバルト海の海底を通ってドイツに天然ガスを運ぶパイプライン「ノルドストリーム」の工事をドイツ側と合弁で進め、完成に近づいている。5月31日にドイツの経済相がロシアを訪問し、ノルドストリームを使ってロシアからドイツにガスを送ることを独露で合意した。 (Gazprom eyes gas delivery for German power plants

 欧州ではドイツだけでなく、スイスやイタリアも原発廃止の方向に動いている。スイス議会は6月8日、同国内の5基の原発を2034年までに廃止することを決定した。脱原発が進む欧州は、化石燃料の需要が増える。英仏伊などに原油を供給してきたリビアは戦争になり、しばらくは供給が元に戻らない。頼みの綱は、ロシア方面からの天然ガスになる。 (Russia's Lucky Earthquake: Why Gazprom Will Profit from the Fukushima Disaster

 ロシアから欧州の天然ガスパイプラインは、ノルドストリームのほか、黒海の海底からブルガリアなどを経由する「サウスストリーム」がある。また、中央アジアのトルクメニスタンやアゼルバイジャン、イラク北部などのガスをトルコ経由で東欧に送るパイプライン「ナブッコ」の計画もある。 (Gazprom's Share of the European Market to Grow

 サウスストリームやナブッコのパイプライン計画は、財源難や通過する諸国間の政治関係、中央アジアやイラクの政治の不安定さ、米国から格安なシェールガス(従来の天然ガス採掘層と別の頁岩層から採掘した天然ガス)が欧州に供給開始されたことなどの影響で、滞っていた。しかし日本の原発事故に触発された欧州の脱原発の動きを受け、サウスストリームもナブッコも、急に計画が再び動き出している。

 6月7日にはトルコ、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリアというナブッコパイプラインの通過諸国の代表がトルコに集まり、パイプラインの建設計画に調印し、具体的な事業開始に向けて一歩前進した。ナブッコの推進役となっているトルコ自身、日本の原発事故を受け、東京電力に発注していた原発建設を凍結したため、天然ガスを必要としている。 (Ministers to sign Nabucco deal, supplier absent

▼日独とも福島原発事故を国家戦略の転換に使う

 天然ガスを欧州に売り、欧州がロシアのガスに依存して逃れられないようにして、これまで対米従属・反ロシア的だった欧州を自国の側に取り込もうとするのは、プーチンが権力に就いた時からのロシアの国家戦略だ。ロシアの衛星国に戻りたくないポーランドやリトアニアなど東欧諸国と、戦後の欧州の対米従属策で60年間の漁夫の利を得てきた英国は、プーチンの天然ガス戦略を脅威に感じている。 (エネルギー覇権を広げるロシア

 しかしドイツは、対米従属と反露だけが唯一の国是でなく、逆に独露が組んで欧州東部の影響力を拡大する戦前の独ソ不可侵条約以来の東方政策を伝統的に持っている。冷戦後のドイツでは、対露協調派と対米従属派の隠然とした確執が続いている。ノルドストリームの独露直結パイプラインの建設を進めたドイツ側の推進役は05年まで首相だったシュレーダー前首相だった。だが、その次の首相となったメルケル現首相は、反ロシア的な方向に舵を戻した。 (◆欧米のエネルギー支配を崩す中露

 シュレーダーは、自国をあえてロシアの天然ガスにがんじがらめに縛られる状態に陥らせ、戦後、英米からの洗脳によって対米従属の体質が染みついているドイツの政財官、学界、マスコミなどの反対や妨害を乗り越えて、ドイツがロシアに接近する状況を作ろうとした観がある。メルケルは、前任者の謀略を止めたが、日本の原発事故をきっかけとした脱原発の決定によって、ドイツ政界では、ロシアに接近せざるを得ない状況を作ろうとする勢力が、再び強くなっている感じだ。

 米国は、財政赤字上限引き上げ問題がこじれ、財政破綻する可能性が増している。イラクやアフガニスタンの戦争失敗、イスラエルの肩ばかり持つ中東政策など、米国は外交面でも、国際社会が安心して指導役を任せられる存在でなくなっている。そんな中、日本は、震災を機に、米国覇権の混乱が予測される今後の2-3年間を「うちは震災対策で手一杯で、世界のことに関与できません」という「いないふり」「政治鎖国」の国策によって乗り切ろうとしている。こうした国家戦略は日本だけのことかと思ったら、そうでもない。ドイツも、福島の原発事故を機に、脱原発でロシアの天然ガスへの依存と独露協調を強め、対米従属から隠然と離脱する方向性を模索していると感じられる。

▼米国はシェールガスで反撃

 とはいえ、脱原発と天然ガスが引き起こすドイツの地政学的な転換は、まだ決定したものでない。米国からの逆方向のなぐり込みもあるからだ。米国ではここ数年、従来の天然ガス採掘層と別の頁岩層から採掘した天然ガスである格安なシェールガスの生産量が増え、米国から欧州に輸出される天然ガスが増えた。シェールガスの採掘方法が米国で最初に確立されたため、今はまだ米国が世界最大のシェールガス産出国だが、シェールガスを採掘できる頁岩層は世界各地にある。欧州ではポーランドなど東欧が有望とされる。 (LNG Export: A U.S. Natural Gas Game Changer?

 ロシアの天然ガス戦略に何とか対抗したいポーランドは、自国のシェールガス田の開発を強く望み、先月オバマ大統領がポーランドを訪問した際、米企業などによる探査開発計画が決まった。ポーランドには、同国のガス需要の300年分のシェールガスが埋蔵されているとの調査結果も出た。ルーマニアなど、他の東欧諸国も、シェールガスの開発を開始した。東欧全体で、欧州全部が80年間消費し続けられる埋蔵量があるという (Poland Targeting Shale Gas With Exxon, Chevron to End Russian Dominance

 シェールガスの採掘は、地層の中に水や化学物質を注入するため、地下水の汚染を招きかねない。また、採掘に伴って地下から「温室効果ガス」であるメタンが大気中に漏れ出し「地球温暖化」を促進する懸念も指摘されている。地層を変質させる結果、地震が起きやすくなるとの指摘もある。これらの不安材料があるため、ドイツなど西欧諸国は、まだ自国でのシェールガス開発に踏み切っていない。 (Shale gas `a bigger polluter than coal and Oil' says study

 だが、ロシアに再占領されないことが何よりも大事なポーランドなど東欧諸国にとっては、環境問題など二の次で、急いでシェールガスを開発しようとしている。ポーランドは、ドイツが原発を全廃する日程に合わせ、10年後までにシェールガスを産出してドイツに輸出する構想を持っている。

 米国から欧州へのシェールガスの輸出増に加え、ポーランドなど東欧でのシェールガス開発が、ロシアによる天然ガスを使った欧州席巻計画と、それに積極的に乗るドイツの対米自立派の戦略を打ち砕くかもしれない。エネルギーを使ったユーラシア西部の地政学的な戦いは、まだ決着していない。



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