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ユーロを潰してドルを延命させる

2010年11月23日   田中 宇

 余裕のある人が困っている人にお金を貸すとき、ふつうは借り手が貸し手に頼み込む。しかし、欧州の諸国とEU当局の間では、話が逆だ。今春のギリシャの国債危機、そして今回のアイルランドの銀行危機のときも、EU当局の方が、条件をつけつつ「金を貸させろ」と迫り、ギリシャやアイルランドの政府の方は断り続け、政治的に説得されてようやく貸し借りが成立している。 (Dublin or quits

 各国政府は、EUやIMFから金を借りると、国家の権利の一部を剥奪されてしまうので抵抗する。EUはアイルランドに金を貸す条件として、法人税の引き上げを求めた。アイルランドは法人税率が12・5%と破格に安く、それを企業誘致の売り物にしてきた。これは、アイルランドが高度経済成長できた一因だったが、独仏など欧州大陸諸国の政府は、自国企業がアイルランドに逃げるのを苦々しく思っていた。そのため融資の見返りに法人増税を求めた。 (Irish showdown over corporate tax

 アイルランドの今回の金融危機は11月10日に発生した。銀行界から資金が逃げ出し、国債が暴落して10年もの同国国債の利回りが9%近くまで高騰した。アイルランド政府は当初、半年先まで銀行界を救済できる資金を持っていると言って、EUの救済提案を断っていた。 (Ireland paves the way for bail-out

 EUは「早く手を打たないと、ポルトガルなどユーロ圏の経済体力が弱い他の国々に金融危機が感染する」と圧力をかけた。アイルランド政府は11月19日になって方針転換し、900億ユーロの救済融資を受けることになった。今春のギリシャに対する救済融資の規模1100億ユーロより、やや少ない額だ。 (Europe agrees 80bn-90bn euro Irish aid

▼英債券市場の証拠金引き上げという爆弾

 今回のアイルランド危機の発生理由について、欧米のマスコミが挙げている主な理由は2つある。一つは、08年のリーマンショック後、アイルランド銀行界の不動産関連融資などの不良債権が増加し、今夏以降、それが耐えられない状況になったことだ。 (Ireland Faces `Outsized' Problem, Seeks EU, IMF Bailout

 もう一つは、今春のギリシャ危機の教訓としてEUが金融危機対策を立案したが、EU最大の経済を持ち救済を主導することになるドイツの政界で、救済時に当局側ばかりが損をかぶるのではなく、投資家側も損をかぶるべきだという主張が出たことだ。EU当局内では、救済発動時に投資家が持っている債権を減価する「散髪(haircuts)」と呼ばれる新政策が検討された。それを嫌気してユーロ圏の経済力の弱い国々の債券が売られ、今回の危機になった。ドイツ政府は「2013年まで散髪の取り決めは発動されない」と火消しに躍起だ。 (Doubts grow over `peripheral' eurozone nations

 これらの背景は確かにその通りなのだが、私はもう一つ別の、独自の背景分析を持っている。それは、米国から自立した地域覇権になっていこうとするEUと、その動きを阻止して世界覇権を守ろうとする米英との「金融大戦争」「通貨戦争」の構図の中にある。 (◆世界を二分する通貨戦争

 11月2日に米連銀が発表した量的緩和策第2弾(QE2)は見かけ上、米国の金融状況を改善して経済成長や雇用、住宅市場の回復を誘導すると期待されている。だが実際には、ドル崩壊や、米国債の破綻(利回り急騰)とそれに伴うインフレ激化に結びつく自滅策である。米英の中枢には覇権をできるだけ維持したいと考える勢力もいるが、連銀や米中枢(金融界)の隠れ多極主義の勢力は、その意向をまったく無視して自滅策に走っている。 (Three Potentially Disastrous Outcomes From Ben Bernanke's QE 2 Wager

 米英覇権を維持したい勢力は、連銀の自滅策を止められない以上、他のやり方で対抗するしかない。彼らは、ドルに対抗できる国際基軸通貨であるユーロを潰すことでドルを延命させる策を昨年末からやっている。ギリシャ危機はその一環だったが、今回、連銀のQE2発動を受けて、ドル延命策としてのユーロ潰しの第2弾として、アイルランド危機が誘発されたと考えられる。 (◆ユーロ危機はギリシャでなくドイツの問題

 投資家は、数カ月前からアイルランド国債を売っていた。QE2の発動が確定的になった10月末から11日連続で、アイルランドのほかスペイン、ポルトガル、ギリシャなどの国債のCDS(債券破綻保険)が売られ、国債利回りが上昇を続けた。もともと薄商いのCDSを売り浴びせて債券相場を急落させ、破綻を誘発する手口は、08年のリーマンショック前後に米大手銀行が相次いで危機に瀕したときや、今春のギリシャ危機の際など、頻繁に使われている。 (Doubts grow over `peripheral' eurozone nations

 11月10日、アイルランドで銀行倒産が起きたのを機に、英国ロンドンの債券市場であるLCHクリアネット(LCH. Clearnet)が、アイルランド国債の先物取引をする投資家があらかじめ預託せねばならない証拠金の比率を15%引き上げた。長引く金融危機で経営体力が落ちている欧米銀行などの投資家の多くは、証拠金を積み増すことができず、投げ売りせざるを得なくなった。欧州中央銀行がアイルランド国債を買い支えようとしたが、出動できる資金が少なく、効果は薄かった。 (Last among equals

 証拠金引き上げは、アイルランドの金融危機を劇的に悪化させる絶妙のタイミングで、LCHクリアネットという英国の勢力によって発せられている。引き上げは以前から予測されていたものの、やったら市場崩壊につながることは事前に見えていた。これは金融戦争の「爆弾」だった観がある。同社は民間企業だが、債券市場という公的な機関を運営している。「そんな公共的な機関が、他国の危機を誘発するはずがない」と考えるのが「常識」だろう。だが実際には、ギリシャ危機の際、英米系の債券格付け機関という公共的な機関が絶妙のタイミングでギリシャ国債を格下げし、危機を劇的に悪化させた。ドルが潰れる歴史的な事態なのだから、裏で異様なことが起きていても不思議ではない。

 11月2日に連銀がQE2の再開を決めた後、11月5日にはドイツの財務相が「連銀は世界に経済危機をばらまいている」と米国を非難した。この発言が、独主導のEUの対米自立を許さない米英覇権の反撃につながって欧米金融戦争「秋の陣」の口火を切り、アイルランドが最初の戦線となった感じだ。ドイツはイラク戦争あたりから対米従属色を弱め、ときおりではあるが、米国を堂々と非難するようになっている(独政界やマスコミでは、プロパガンダが得意な対米従属派がいまだに強い)。 (Germany Blasts Bernanke - Results of Fed Stimulus Could Be 'Horrendous') (Even if Europe's bond markets calm again, they will be profoundly changed

▼国債危機はEU統合の好機

 アイルランドの危機は、ポルトガルやスペインに波及する可能性がある。アイルランド危機が表面化した11月10日には、ポルトガル国債も市場最安値を更新した。ポルトガルは中国に国債を買ってもらって安堵しているが、難局を切り抜けられるかどうかわからない。ポルトガルでは野党が「政府は、財政赤字に算入すべき国有企業の借金などを外した、過小な赤字額を発表している。実際の累積赤字は、発表されているGDP比82%ではなく112%である」と暴露し、政府の信頼を揺るがしている。 (Portugal Pays Higher Yields) (Portugal gains on China's appetite for debt) (Portugal opposition says deficit underestimated

 スペインの国債も、ヘッジファンドに売られて下げている。スペインの国家経済はユーロ圏で4番目の大きさで、アイルランドとギリシャとポルトガルの合計より経済規模が大きい。大国であるスペインの国債が破綻すると、事態はユーロの解体に近づく。今春のユーロ存続の危機がぶり返している。 (Contagion fears grow over `too big to bail' Spain) (Spain and Portugal reject talk of bail-outs

 ユーロはこのまま解体に向かうのか。そのように予測する記事もある。しかし逆に、災いが転じて福となる可能性もある。危機を口実にEU当局が加盟各国の財政政策権を奪っていく流れが続くと、それはEUの政治統合に結びつく。今はEU各国の政府が別々に国債を発行しているので、経済力の弱い国の国債が攻撃されやすいが、EUが弱い国々を救済していく過程で、EUの国債発行をEU当局に一本化できれば、EU国債の信用力はEU最強のドイツ国債と同等まで上がる。かつてユーロが、欧州最強の通貨であるドイツマルクと同じ強さの通貨として誕生したのと同じからくりだ。同様に、欧州中央銀行(ECB)は、欧州最強の中央銀行だった西独連銀の生まれ変わりである。EUは統合するほど強くなり、ユーラシア西部地域の覇権勢力として、世界の極の一つになれる。 (Euro Dominos Will Fall Until Currency Is Split: Matthew Lynn

 アイルランド金融危機に際し、IMFのストロスカーン専務理事は「欧州の国債危機はまだまだ続くので、EUは自らを強化する必要がある。その良い方法は、EU各国が財政や社会保障の政策権限をEUに委譲し、EU当局の権力を強化して連邦制に移行することだ。今のままのEUでは、この国債危機を乗り切れないだろう」と述べた。これは驚くべき発言である。 (IMF's Dominique Strauss-Kahn wants fiscal and reform powers given to Europe

 IMFといえば、以前は米英覇権の手先で、危機に陥った新興諸国に無茶な緊縮財政政策を押しつけて潰す「ワシントンコンセンサス」をやっていた。だが08年のリーマンショック後に世界経済の主導役がG7(英米覇権)からG20(多極型覇権)に転換するとともに、IMFは生き残りのために「G20の財務省」に衣替えし、今では多極化の一策であるEU統合を加速せよとIMFのトップが述べている。IMFは世界銀行とともに、新興諸国の発展に貢献する「北京コンセンサス」の機関になっている。

 EUは、債券格付け機関の恣意的な格付けを禁じる政策を検討している。これも英米金融覇権を抑止する動きだ。また「市場」の機能も、英国ロンドンから欧州大陸に移転する動きを見せている。石油などエネルギーの先物市場の規模は、ロンドンが縮小し、スイスのジュネーブが拡大している。これも英米金融覇権の衰退の象徴だ。ロンドンとジュネーブは、1970年代の石油危機以来、エネルギー市場の主導権争いを展開し、85年の英米金融自由化(ビッグバン)以後、ロンドンが圧倒的に優勢となったが、最近の英米金融覇権の崩壊とともに、ジュネーブが盛り返している。 (Geneva set to trump London in Oil trading

 欧州周辺の覇権構造の変化は、金融財政面だけではない。軍事安保面でも、最近ポルトガルで開かれたNATOの年次総会で、欧州とロシアとの安保協調が議論されている。NATOのアフガニスタン占領が失敗し、アフガンの「裏口」にあたるロシアの協力が不可欠になった。欧露協調が進む半面、米国は欧州各国の軍事費削減に怒り、欧米関係に亀裂が入っている。この件は改めて書きたい。

 EU内では、英国がEU統合を隠然と潰すことを画策している。英国の外交術は他国より秀でており、EU統合が進まないままユーロが解体する可能性も強い。とはいえ、ユーロやEUが失敗して欧州が弱体化しても、それでドルやポンドが救われるわけではない。英米も欧州も両方ダメになるだけだ。そうなると、中国や、中国主導のBRICが世界最強ということになる。日本にとっては、中国が独裁する世界政府ができるより、欧州にがんばってもらって多極型の世界になる方がましだろう。

▼本質は影の銀行システムの危機

 08年のリーマン・ショックまで、アイルランド経済は大成功していたが、それは英国の後背地として「影の銀行システム」の債券金融で世界から金を集め、インフラを整備し、ダブリンのウォーターフロントの造船所跡地などに高層ビル群を作って世界から企業を誘致し、産業構造を転換した結果だった。リーマンショックの債券金融システム崩壊とともに、アイルランドの成功の構図は崩れた。 (Ireland Goes Bust, Irish Bank Run

 つまり、アイルランドの危機は、ユーロやEUの危機であると同時に、影の銀行システムによって25年間の大成功をおさめてきた英米金融覇権の危機である。アイルランドが救済されずに破綻すると、スペインやポルトガルなど他のEU諸国の破綻を経て、最後には英米の破綻に至る。このシナリオは、私が毎日読んでいる膨大な英文情報の中でときおり示されているもので、私は以前から「ユーロの危機は、最後にはドルの危機につながる」と漠然と思っている。 (ユーロからドルに戻る危機

 私は、個々の予測で外れることがあるが、膨大な情報を読み込んだ上で漠然と感じる全体像はあまり外れない。それは、私の空想ではなく、英文情報の内部(行間)に漂うものだからだ。米国覇権の崩壊や多極化など、人々にまったく見えていない時点から何となく感じ続け、何年か後、いつの間にか具現化して人々の「常識」となり、私自身を驚かす。英文情報の行間に漂うものを信じるなら、ドルはいずれ必ず崩壊し、中国の影響力はもっと拡大し、金地金のドル建て価格は今の倍以上になる(円建て価格はそれほど上がらない)。 (California boosts yields on $10bn note sale

 米国では、カリフォルニア州などの地方債が売れなくなり、州債が下落して利回りが上がっている。いずれ米連銀が、米国債だけでなく州債も買って下支えするかも、と予測されている。連銀は無茶を拡大せざるを得ないが、そこに待ち受けているのは「連銀を査察して潰すべきだ」と以前から言い続けている共和党のロン・ポール議員(シオニストが言うところの「孤立主義者」)が、米下院の連銀担当の委員会の委員長になる展開だ。ポールの息子も上院議員になった。正体不明の「茶会派」は、何をしでかすかわからない。ネオコンの再来という説もある。英文情報の行間には、以前から「連銀はロンポールに査察されて潰され、それがドルの終焉となる」というシナリオがときおり感じ取れたが、それが中間選挙の共和党勝利とともに具現化してきた感じだ。 (Ron Paul's Golden Opportunity) (Once on the fringe, critics of the Federal Reserve such as Ron Paul are suddenly mainstream

 米政府の捜査当局(FBI)は、ヘッジファンドによるインサイダー取引の疑惑を捜査しはじめており、これも今後の展開によっては銀行界を揺るがす。住宅市況の悪化が続き、バンカメが危険になっている。全体として、ドルは崩壊に向かっている。ユーロが生き残れるかどうかに関係なく、ユーロの危機は、いずれドルの危機につながっていくだろう。 (U.S. in Vast Insider Trading Probe

 米国の空港では運輸保安局がテロ対策と称し、搭乗客に対し、丸裸にしたように見えてしまう透視撮影(身体スキャナー)や、性器を触るなどの人権侵害的な「安全検査」を開始し、市民を激怒させている。これも、オバマ顧問のブレジンスキーらが言うところの「反乱の夏」を誘発する、人々を意図的に怒らせる米国の世界戦略の一環に見える。この動きと、ドル崩壊と、中国やイランの台頭が、同時に起きているところが重要だ。ばらばらの出来事ではなく、覇権構造を転換させる大きな仕掛けが動いていると私には感じられる。世界は1910年代以来の「革命期」に入ったともいえる。 (世界的な政治覚醒を扇るアメリカ) (Pat-down sparks outrage across US



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