日中対立の再燃(続)2010年9月21日 田中 宇
この記事は「日中対立の再燃」の続きです。 尖閣諸島での海保と中国漁船との衝突事件を機に、日本と中国が敵対関係になっているが、今、日中が敵対しているのは、尖閣の問題だけではない。為替の問題でも、中国側が、日本国債など円建て資産をさかんに購入し、円高の一因を作っている。中国側は、今年に入って総額200億ドル(1兆7千億円)分の円建て資産を買った。これは、過去5年間に中国が買った円建て資産の合計の約5倍にあたる。 (China's Yen for Japan's Currency) 日本国債は国際市場で売られているので、中国政府は日本国債を自由に買えるが、中国の国債は自由市場で売られていないため、日本政府は中国国債を買って仕返しすることができない。日本政府は中国政府に、この件で話をしようと提案したが、尖閣の衝突が起きたので、話し合いは進んでいない。 (Japan alarm over China's JGB purchases) 円高傾向に対し、日銀は6年ぶりに公式な円売りドル買いの市場介入をやって、なんとか為替相場を円安の方向に引き戻した。だが投資家たちは、介入が長期的な効果を持つと予測せず、日銀が介入をやめたら再び円高がぶり返すとの予測だ。1ドル80円を超え、史上最高値を更新する円高になりうる。 (China's shadow looms over yen) 中国側(政府と政府系企業)は日本国債だけでなく、韓国国債など韓国ウォン建ての資産も増やしている。中国は、米国債を買う代わりに日韓の国債を買い、ドルではなく円やウォンの資産を増やしている。これまで議会など米政界は、中国がドル買いによって人民元の対ドル為替を安すぎる水準に固定していると非難してきた。中国がドルの代わりに円やウォンを買うようになったのは、米国からの非難をかわすためでもある。 (Yen Intervention, China and the U.S. Dollar) ▼満州事変的にはめられた? 中国側が日本国債を買う主目的は、米国債やドルの崩壊感が強まっているため、米国債などドル建て資産を減らす一環として、日本国債や韓国国債を買っていると考えられる。今の日本はマスコミによる扇動の効果で「中国が悪い」と考える傾向が強いが、円高を演出して日本経済をつぶすのが中国の当初からの目的とは考えにくい。中国が日本を財政的につぶそうと突然巨額の日本国債を売却しても、日本国債の9割近くは事実上売却できない日本の機関投資家が持っており、大した効果はない。中国が米国債を大量売却する場合とは事情が全く異なる。 だが、中国の円買いは日本側を困らせている。ここ数年、米欧日の通貨当局は、米欧日が連携して為替スワップなどで市場介入する場合には、こっそりやって「為替介入などしていない」と言うことになっていた。しかし日本当局は今回、欧米と連携せず、単独で為替介入をした。米国は「ドル安円高は貿易不均衡が改善されるので結構なこと」と思っているし、欧州は、ギリシャなどの財政危機の影響でユーロが低めだから為替介入の必要がない。単独で介入した日本に対し、米欧はルール違反だと批判し、日本は介入の事実を認めざるを得なくなった。 日銀が6年ぶりの為替介入をしたことを認めたのは9月15日だっだか、この日はちょうど、米議会が中国が「為替操作」をしているかどうかについて2日間の議論を開始した日だった。米議会では「せっかく中国の為替操作を批判しようと思っていたのに、日本が勝手に為替介入して為替操作をやってしまったので、中国を批判できなくなってしまった」「中国の貿易黒字を減らしても、日本の貿易黒字が維持されるのでは意味がない」という日本批判が噴出した。 (China's Get-Out-Of-Jail Card Vexes Geithner: William Pesek) 昨今の円高は、中国が一因を作ったものなのに、その対策としてやむなく日本が為替介入すると、悪いのは日本だという話になってしまった。しかも、日本の為替介入は短期的な効果しかなく、いずれ円高がぶり返すのは必至だ。そして、人民元のドルペッグは今後も維持され、中国は元高に見舞われないだろう。日本が「はめられた」感じがする。 中国単独では、ここまで日本をはめられない。米議会の主力は、軍事面では反中親日だが、経済面では反中反日である。そこに「台頭する中国に抗しきれない」「中国の力を借りないと世界を動かせなくなってる」なとどいって対中譲歩してしまう隠れ多極主義的な要素が加わる。結果的に米国は、中国にフリーハンドを与えて有利にしている。半面、日本は不利にされている。 事態は、なにやら「満州事変」の再来のような感じだ。1931年の満州事変まで、日本は当時の国際社会でうまく台頭していたが、満州事変によって日本は欧米(英国中心の国際社会)から悪者にされて外され、国際連盟を脱退して孤立を深める方向に追いやられた。英国の衰退によって第一次大戦後の立て直しに失敗した国際社会は当時、もともと崩壊の方向にあったが、崩壊は日本やドイツのせいにされ、日独は国際社会(英米)の敵に仕立てられていった。 今回、単独為替介入をした日本は、欧米から、米欧日が為替介入をしない建前を守っていた国際通貨体制の秩序を破ったとして批判されており、ドルが崩壊感を強める中で日本が円高を防ごうと単独行動を強めるほど、日本がG7の為替協調体制を壊したと批判される結果になる。もともとドル崩壊でG7は潰れる(G20に取って代わられる)運命にあるのだが、それが米欧の詭弁によって日本のせいにされる。しかも、米欧の日本非難は間接的に中国を利する。これらの点が満州事変的だ。 ▼人民元の国際化に協力したくない日本 中国による日本国債の購入について日本政府は、円高を誘発しようとする中国の敵対行為と見なす傾向が強いが、これも中国と東南アジア諸国の間で国債の持ち合いが始まりそうなことを見ると、敵対行為ではない面が感じられる。9月19日にFT紙が報じたところによると、中国とマレーシアは、両国にとって初めての試みとして、マレーシア政府が人民元建ての中国国債を買って外貨備蓄の一部として保有することを開始した。両国は、相互通貨の為替取引も始めている。 (Malaysian boost for renminbi hopes, move seen as start of `domino effect') (国際通貨になる人民元) この動きは、人民元を国際備蓄通貨として新たな高みに押し上げ、アジア各国をはじめ中国と貿易関係がある世界の国々が、中国国債を買って人民元を外貨備蓄の一部としていく動きの皮切りとなるだろうという予測を、FTが載せている。中国はすでに一部の国々の中央銀行に対し、中国国内の社債市場で中国企業の人民元建て社債を売買することを許可している。人民元が国際通貨になっていく過程は、ある日突然ビッグバンのような爆発的な動きによって具現化するのではなく、マレーシアが中国国債を買ったことに象徴される、一見小さな動きの積み重ねによって、漸進的、実質的に変化していくだろうと、別のFTの記事は書いている。 (Small steps to help reshape renminbi) こうした動きと、中国が今夏から、日本や韓国の国債を買い始めたことをつなげて考えると、興味深い事態が見えてくる。アジア各国が中国国債を買う動きと表裏一体をなすものとして、中国もアジア各国の国債を買い、それによって中国とアジア諸国の両方が、外貨備蓄に占めるドル建て資産の割合を減らしていき、きたるべきドル崩壊に備える構想が、中国を中心に動いていると考えられる。日本政府は「自由市場で中国国債を買えないのは不公平だ」と不満を公式に言うのではなく、マレーシアのように静かに非公開で中国と話し合って中国国債を買えば、話がスムーズだった。 おそらく日本政府は、あえてそれをしなかったのだろう。対米従属を重視する以上、ドル離れに加担したくないはずだ。そして日本は、中国が日本国債を買ったことに批判を表明した。中国政府は、日本だけでなく韓国の国債も買い増しているが、韓国政府は中国を批判していない。日本政府は、中国が構築しつつある人民元中心のアジアの新通貨体制に関与したくない。その方針の具体化が、日本当局による円高ドル安防止の為替介入だと考えられるが、介入は米欧に批判され、日本はどっちの方向にも行けず、行き詰まり感が強まっている。 (China's Demand for South Korean Bonds to Increase, Dongbu Securities Says) ▼中国と敵対するためロシアに接近? そもそも日本が円安ドル高にこだわり続けること自体、時代遅れの考え方であるとも思える。以前の記事で「ポストモダン」について考えたが、経済的に成熟している日本は、すでにポストモダンの状況にある。しかし、いまだに日本は工業製品の輸出によって繁栄する国家政策に偏重している。日本の大手製造業の多くは、部品調達や組み立てを国際化し、多くの種類の通貨の体制下で運営されており、円高による悪影響は減っている。 (◆多極化とポストモダン) 米国が失業増で消費力を落とす半面、中国は賃金上昇によって消費力が増している。米国でも日本でも、企業は中国市場への依存を強めている。米国が景気回復していなことが顕在化しつつあるこの時期に、日本が、政治(尖閣問題)と経済(中国との国債持ち合いの拒否)の両面で、中国との関係を拒否する態度を強めたことは、満州事変から第二次大戦にかけての失策を繰り返しそうな方向に、日本が進んでいるように見える。 ただ最近、中国との関係悪化を逆手にとって、これまで進んでこなかった日本とロシアの関係を改善できるかもしれない事態にはなっている。「日本が中国と対峙するには、中国の潜在的ライバルであるロシアと組むのが効果的だ。ロシアの権力者であるプーチン首相の周辺は中国に対して懐疑心を持っているので、それを利用して、日本が北方領土問題の解決を二島返還で了承すれば、ロシア側は喜んで日本との関係を改善したがるはずだ」という論調が出ている。 (Why Putin is good for Japan) 実際のところは、プーチンは反中国的でなく、逆に中国がロシア極東を経済的に席巻することを容認する代わりに、中国がロシアのエネルギーに依存する体制を作り、中露関係の緊密化を図ろうとしている。シベリアから中国へのパイプラインの建設は、着々と進んでいる。 (Putin says China no threat to Russia) 最近、人民元とロシアのルーブルとの為替市場も整備され、中国を中心とするアジアの脱ドル化にロシアも参加している。つまり実際には、中露が敵対関係にあるというのは幻想なのだが、日本でこの幻想を振りまくことにより、日本の世論を「中露関係が悪いうちに、中国に対抗するために日露関係を良くしよう」と思わせる方向に動かし、日本の対米従属策の一部をなしていた北方領土問題を解決し、日露関係が良くなったあとで、最終的に日中関係も好転させ、日本を対米従属から引き剥がすという、多極主義的な策略があっても不思議ではない。 (Yuan Trading Against Russian Ruble Said to Start Within Weeks in Shanghai) 昨年来の日本の動きを見ると、日本人の多くが対米従属策に疑問を持っても、日本は対米従属から逃れられない状態になっていることが感じられる。その中で、何とか日本が対米従属を脱していくには、プーチンが反中国であるという間違った思考にあえてはまり込んで北方領土問題を解決するといった自己欺瞞が必要かもしれない。対米従属派によって鈴木宗男が塀の中に入れられ、対露関係を好転できる人材が消されてしまっているのではあるが。
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