金正日の死が近い?2009年6月23日 田中 宇北朝鮮の最高指導者である金正日の健康状態が悪化しているという報道が、中国や韓国から出てきている。中国の人民日報系の新聞である環球時報は6月18日、匿名の平壌駐在の外交官の話として、金正日の健康状態が急速に悪化しており、三男の金正恩が後継者になることが確定したと報じた。 (Kim Jong-il's Health 'Getting Rapidly Worse') 翌日、韓国の朝鮮日報は環球時報の報道を転電するとともに、金正日を治療している平壌のポンファ(烽火)病院の関係者が北京で、経済制裁されている北朝鮮に輸入できない医療機器を買おうとしており、金正日の治療のために使うつもりではないかと報じている。 (North Korea Tries to Buy Medical Equipment for Kim) 金正日の病気悪化説や死亡説は、以前から日本で何度も報じられているが、その多くは、北朝鮮の脅威を煽って対米従属の強化につなげようとする日本国内向けのプロパガンダとして発せられてきた観がある。半面、北朝鮮を不安定にする言動をなるべくとりたくない中国政府の系列のマスコミが、今回のように金正日の健康悪化を伝えることは異例だ。 金正日は昨年9月に倒れた後、公式の場に姿を現さなくなったが、最近では後継者として三男の正雲が確定し、各国の北朝鮮大使館などでは正雲を賛美するキャンペーンが開始されていると報じられた。こうした経緯をみると、金正日の健康悪化が事実としても不思議ではない。 米国は、大量破壊兵器の原材料を積んでいるかもしれないと米側が考える北朝鮮の「怪しい船」を追尾・臨検する「拡散安全保障イニシアチブ(PSI)」を開始している。最初の怪しい船として、北朝鮮からシンガポール(ミャンマー?)に向かう貨物船「カンナム1号」が名指しされ、米軍に追尾されている。北朝鮮側は、米軍側がカンナム号を止めて強制乗船したら宣戦布告とみなすと宣言している。 (US Tracking North Korea Ship With 'Possible Weapons') 公海上で他国の船を止めて臨検することは、具体的な国連安保理決議がある場合以外は、国際的な違法行為(侵略)である。北朝鮮船に対するPSIは、国連安保理で審議されたものの、中露は臨検に反対で、PSIは安保理のお墨付きを得られず、米国などの参加国が勝手にやっていることになっている。その意味で、北朝鮮が米軍による臨検を「宣戦布告」とみなすことは正当だ(中露も、その観点を間接的に支持している)。だが、米国(や日本)はそのように考えず、PSIこそ正当だと言っている。ここに、戦争が起こりうる国際法上の火種がある。 (Ship inspections could be a recipe for conflict) (朝鮮戦争再発の可能性) このような一触即発の状況下で、金正日が近いうちに死ぬとしたら(すでに死んでいるという説すらある)、それは何を意味するか。北朝鮮中枢の政治構造や動向については、確定的な情報がほとんどないが、日本と東アジアにとって非常に重要なことなので、推察分析する必要がある。 ▼米の橋頭堡になりたかった冷戦後の北朝鮮 金正日の健康悪化や金正恩への政権移譲をめぐる分析で、まず私がおさえておきたいことは、最近の北朝鮮の核実験やロケット発射(ミサイル試射)などの強硬策の背景にある最大の要因は、健康悪化ではなさそうだという点だ。北の最近の強硬策の主因は「金正日の健康悪化」ではなくて「オバマ」である。 金正日は、米国の政権がブッシュからオバマに交代したら、望んでいた米朝直接交渉が始まると思っていたようだ。だが、オバマは何もする気がないので、それなら北もやりたかったことを一気にやってしまえ、米国自身も弱くなっているので北が核実験しても反撃できないだろうと、核実験などの過激策に走っている。 米国がこのまま米朝交渉に応じないなら、北は核武装を実現するまで進み、世界に「核保有国」であることを認めさせるつもりだろう。逆に万が一、米朝交渉や6カ国協議が再開されて米側が譲歩するなら、それはそれで、北は譲歩に使えるカードを以前より多く持って交渉するので有利になる。 もともと北朝鮮の核開発やミサイル開発の強硬策は、冷戦終結とともに中国とソ連から社会主義国としての援助を打ち切られ、飢餓に瀕して窮した北朝鮮が、唯一の超大国となった米国を交渉の場に引っ張り出し、米国から経済支援を引き出す目的だった。北朝鮮は、米国から不可侵の約束をとりつけるだけでなく、反米の国から親米の国に転じ、中露を裏切って米国の側に転向しても良いと考えていたふしもある。北朝鮮が親米に転じたら、米国は朝鮮半島の北半分も自陣営に組み込み、中露の影響圏はその分後退する。北は、米国にとってのユーラシア大陸での橋頭堡としての役割を、日韓から奪って担う戦略だったとも考えられる。 (North Korea has fallen far short of its goal By Victor Cha) クリントン政権時代は、米国は北朝鮮との和解に動いていたが、01年に就任したブッシュ政権は和解の動きをすべて止め、逆に北への敵視を強めた。ブッシュは北朝鮮の核開発問題を外交で解決する姿勢を打ち出したものの、米朝直接交渉ではなく、交渉の主導役を中国に押しつける6カ国協議の枠組みを推進した。 これは、北の核問題が解決した後の朝鮮半島を、南北とも中国の影響下に入れてしまう道筋で、北に対して「君は中国の属国でいなければならない。米国の傘下には入れてやらないよ」と通告することだった。クリントンは米国の覇権を維持拡大しようとしていたが、ブッシュは強硬策をやりすぎて中露を支援する隠れ多極主義(世界経済の拡大均衡派)だった。原油など、北朝鮮が米国側(米韓日)からもらえるはずだった経済支援は02年以降、中国から来るようになった。物量的には、米国側からもらうのと同じたったが、北は不満だった。米国は6カ国協議の中で、不可侵の約束や、テロ支援国家リストから外すといった譲歩をしたが、北は強硬姿勢の基調を改めなかった。 北は、米朝直接交渉を拒否して朝鮮半島の覇権を中国に与えてしまうブッシュ政権を、当然ながら異常だと思っていたようで、米国の大統領がオバマに代わるとともに米朝直接交渉が再開されると期待したようだ。しかし、オバマは北に対する新たな方針を何も出さず「6カ国協議をやる」などと言うばかりだった。そのため北は強硬策を加速させ、核実験やミサイル試射を繰り返している。 ▼意外と分裂しにくい北の中枢 このような流れの中で、今後近いうちに金正日が死去するとしたら、何がどうなるか。私の分析は「北朝鮮の中枢は、意外と分裂しないのではないか」というものだ。もしブッシュがクリントンの方針を受け継いで米朝が和解していたら、北朝鮮には「親米派」と「親中国派」ができていたかもしれないが、ブッシュが北を敵視し、北の後見役を中国に押しつけたおかげで、北朝鮮の中枢には親中国派しか存在しない。 冷戦時代の北朝鮮では「親ソ派」と「親中派」の対立があり、親ソ派の金日成が親中派を粛清したりしていた。だが、今は中露関係が良好で、ロシアは中国主導の北朝鮮安定化策を支援している。朝鮮半島は近代以降、中国、ロシア、日本、米欧などの周辺大国からの影響力を錯綜して受け、政界は常に不安定だったが、今の北朝鮮中枢は、複数の大国の影響を錯綜して受ける状況にない。外からの影響は、中国からの筋に一本化されている。この「ブッシュのおかげ」によって、北朝鮮は今後も意外と安定しているのではないかと私は予測する。 内政をめぐっては、北朝鮮中枢に「経済改革派」と「反改革派」がいるようだが、これも、外からの筋が中国一本である以上、中国が北にやらせたいであろう社会主義市場経済的な「経済改革」を早く進めようとする「改革派」(右派)と、ブレーキをかける「改革抵抗派」(左派)という、速度感の異なる2派がいる感じで、こうした対立は中国の改革開放の中でも存在しており、内戦的な対立にはなりにくい。 経済発展には、内政と外交の安定が不可欠だ。北朝鮮が発展するには、韓国や米国との対立が解消される必要がある。その場合に危険なのは、緊張緩和にともなう軍部の縮小に、軍の上層部が反対する構図である。しかしこれも、北の後見役の中国は、すでに経験済みだ。中国は、軍にビジネスの利権を与え、軍人に経済開放の恩恵を与えて懐柔した。中国に進出したい欧米日の自動車メーカーのいくつかは、解放軍系の企業と組むことを義務づけられたし、中国ではエネルギー産業も解放軍系だ。その一方で、トウ小平以来の中国の指導部は、共産党の中央軍事委員会の掌握に注力してきた。 北朝鮮は、中国よりはるかに軍の力が権力内で強い。金正日は、軍を最重視して厚遇し、軍の裏切りを防いできた。軍は組織保持のため、外交的な緊張緩和を望まなかったから、北の国是は好戦的であり続け、経済自由化は進まず、北は中国が望む「一党独裁+社会主義市場経済」の国になっていない。 ▼北の集団指導体制化を望む中国 だが、金正日の死去とともにこの状況を改善するため、すでに米国と中国は、役割分担をして、北朝鮮の安定を維持していると見ることもできる。米国は、PSIの船舶臨検など、北朝鮮との緊張関係を高める政策を打っているが、これは北朝鮮の当局が、米国(米韓)との緊張状態の激化という事態を使って国内の結束を高めることを容易にしている。金正日一族の内部対立が北朝鮮全体の内戦に発展するシナリオがよく出回るが、米韓との一触即発の事態が続いている間は、北の中枢が分裂する可能性は低い。 米国が北と対立関係にある限り、北は、米国の多極主義者が嫌がる「米国の仲間にしてくれれば、中露との対立の最前線に立っても良いですよ」という寝返り提案をすることもできない。米国のネオコンは、最近また「北朝鮮と一戦交えるべきだ」といった過激な論調を展開しているが、ネオコンが「隠れ多極主義の別働隊」であると考えると、このような発言の真意はよく理解できる。 米国が北に強硬姿勢をとっている限り、北は経済支援を中国に頼るしかない。そして中国は、軍事主導の北朝鮮で最も重要な組織である国防委員会を、すでに掌握しているふしがある。 国防委員会は、金正日を委員長として13人のメンバーからなり、防衛だけでなく北の国政全般の方針を決める。今年4月の最高人民会議(議会)で新たな顔ぶれが加わって再編され、北朝鮮当局の中枢に国防委員会が位置する体制が固まった。そしてその際、委員全員の顔写真が、初めて労働新聞で公開された。この再編では、金正日の妹婿で側近とされる張成沢(チャン・ソンテク)が、新たに最年少の委員として就任した。 (「国防委員会」が中枢になった北朝鮮統治体制) その後、6月になって、金正日の後継者として三男の金正恩が確定したと報じられ、金正恩は国防委員会の委員長代行となり、すでに父の名代として機能しているとか、金正恩が北京を訪問して中国要人と会ったといった報道が出てきた(中国政府は否定)。 (Kim Jong-un 'Acting as Proxy for Kim Jong-il') こうした最近の流れから私が感じるのは、北朝鮮が中国型の「集団指導体制」に移行しつつあるということだ。中国が今のような政治の安定と経済の発展を実現できたのは、文化大革命後、権力者が毛沢東からトウ小平に代わった後に、個人独裁を排して集団指導体制をとりつつ、社会主義の建前を維持したまま市場経済(資本主義)を導入する改革開放を成功させたからだ。中国は、自国の傘下に入りつつある北朝鮮に対しても、同じような国是を採らせ、中国と同様の経済発展をさせたいと思っているはずだ。 北朝鮮が世襲制の個人独裁を採っている限り、有能な人材が金正日一族の外から登用されて政権中枢に入ることが難しいし、一族内部の対立が常に北の中枢の不安定要因として残る。半面、北朝鮮が労働党の独裁を維持したまま、党中枢を集団指導体制に移行することは、米国が望む複数政党制の民主化を導入した場合より、はるかに政治的な安定を維持しやすい。 ▼北朝鮮安定化は米中G2の初仕事? 北朝鮮が中国に勧められて集団指導体制に移行するとしたら、それは政権内で最重要の組織である国防委員会による集団指導体制が強調されていくことから始まるのが自然だ。その意味で、これまで北の指導者の「顔写真」といえば金日成・金正日親子ら金一族の顔だけだったのが、今春、国防委員会の各委員の顔写真が初めて労働新聞に発表され、国防委員会が各委員の「顔」を持った集団指導体制的な組織に脱皮する動きを見せたことは、非常に重要だ。 (Looking For Plan B) しかしその一方で、従来の金一族による世襲体制をすぐに壊すのは政治の不安定を招きかねないので、金正日が死んだ後の表向きの後継者は三男の金正恩にして、有能とされる妹婿の張成沢が摂政役をつとめる世襲を維持しつつ、いずれしだいに一族外の人材を国防委員会に入れていき、集団指導体制へと脱皮していこうとしていると考えられる。この脱皮が失敗して一族政治に戻る可能性もあるが、成功した場合には、北朝鮮は内政が安定し、常に米韓との緊張関係を必要とする状態から脱することができ、南北協調や経済発展が可能になる。 このような中国主導の北朝鮮安定化策と、米国主導の北朝鮮との敵対策という対照的な米中の動きが、裏での米中の連携のもとに行われているという証拠はない。しかし、米オバマ大統領の外交指南役であるズビグニュー・ブレジンスキーらは、以前から「米中G2で世界を主導する」という構想を提唱している。この構想をオバマ政権がやっているのだとしたら、米国は北朝鮮を威嚇して北を中国に寄り添わせ、中国は自国が成功した政治の集団指導体制と経済の改革開放を北に採らせて安定化させるという、米中の「ぼけとつっこみ」の役割分担が裏で行われていると考えることは、突拍子もないことではない。北朝鮮の安定化は、米中G2の初仕事ということになる。 (アメリカが中国を覇権国に仕立てる) 折しも6月23日には、米中間の軍事当局者会議が北京で開かれた。今回の最大の議題は北朝鮮問題である。表向きは、米軍が開始した北朝鮮籍船に対するPSIの追尾・臨検について中国に支持を求めることが主題だと報じられているが、もしかすると本当に議論されているのは「金正日以後」の北朝鮮をどうするかという話かもしれない。 (US and China set for defence talks on NKorea)
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