意味がなくなる日本の対米従属2007年5月1日 田中 宇安倍首相は、4月27日から2日間という短い日程でアメリカを訪問した。これに対する日本とアメリカ(米英)のマスコミ報道の論調は、対照的だった。 日本のマスコミ報道は、安倍首相とブッシュ大統領が、北朝鮮に対する制裁強化で一致するなど、安倍訪米によって日米が親密さを確認し合ったという見方で貫かれている。しかし、アメリカのマスコミでは、安倍に対して批判的だったり、日米関係がうまくいっていないという論調が目立った。 最も過激(歪曲的?)なのは、ニューヨークタイムスの東京駐在のノリミツ・オオニシ記者(日系アメリカ人。日本の右派や外務省は彼を毛嫌いしている)の記事である。 安倍訪米前日の4月26日に流した東京発の記事(Japan Premier to Visit a Politically Changed Washington)では「以前に目立つ訪米をした小泉前首相とは対照的に、安倍は戦争責任について批判的な質問をされたくないので、就任から7カ月目もたってからの初めての首相としての訪米なのに、ワシントンに1泊しかせず、なるべく目立たないよう行動する。こんな日本の指導者は初めてだ」と書いている。(関連記事その1、その2) (安倍自身は、首相が就任直後に訪米する必要がないほど、日米関係は成熟したのだ、と弁解している)(関連記事) 日本のマスコミでは、北朝鮮に対する姿勢の日米の一致が、日米の親密さの象徴として示されているが、これと対照的に、オオニシの記事は「北朝鮮は、拉致被害者のうち生存者はすべて帰国させたと言っているのに、日本は、拉致問題が解決しない限り6カ国協議の取り決めを実行しないと言っている。ブッシュが北朝鮮への態度を緩和したにもかかわらず、安倍はいまだに態度を変えず、日米の食い違いが拡大している」と分析している。慰安婦問題についても「アメリカでは保守派の政治家さえ、ナショナリスト(右翼)の安倍と親しくしすぎるのは良くないと言い出した」と書いている。 ▼小規模夕食会の理由は批判回避?それとも友情育成? 同日のニューヨークタイムスには、安倍訪米について、ワシントン発の別の記者の記事も出ており、そちらはオオニシの記事と異なり、親日的な論調だ。ブッシュ政権は、安倍訪米時に大規模な晩餐会をせず、代わりにブッシュ夫妻、安倍夫妻らだけの小規模な夕食会を行った。これは大規模な晩餐会を行うと、招待客の中に慰安婦問題で安倍を批判している米議員らを入れざるを得ないためだったと考えられるが、ニューヨークタイムスの親日版の記事では「大規模な晩餐会だと、安倍とブッシュが親密な会話を行う余裕がない。指導者どうしの男の友情を育むため、会食を小規模にした」と書かれている。(関連記事) この親日的な記事を打ち消すかのように、4月28日には、再びオオニシによる「安倍はブッシュと仲良くなれたが、その一方で、慰安婦問題で安倍に批判的な米政界の人々を納得させることはできなかった」といった内容の反日的な記事が、だめ押し的に出された。(関連記事) 北朝鮮との関係については、北朝鮮への追加制裁検討で日米が合意したと発表されている。この話の中心は、アメリカが北朝鮮をテロ支援国家の一つに指定し続けていることについて、北朝鮮は指定解除を求めていたが、アメリカはそれを拒否したことだ。この拒否は、日本が安倍訪米の直前にアメリカに「拉致問題が解決するまで、北朝鮮への敵視をやめないで」と要請したことを受けて行われている。今後、国際社会では「アメリカや韓国は、北朝鮮との関係を改善したいのに、日本がでっち上げ的な拉致問題にこだわり、関係改善を妨害している」という論調が強まりかねない。日本政府が2004年についた遺骨鑑定のウソも、いずれ問題になるかもしれない。(関連記事その1、その2) 安倍訪米前日(4月27日付け)のフィナンシャルタイムスは、少し前にトヨタ自動車がゼネラル・モータース(GM)を抜いて世界一の生産台数になり、GMが「日本政府が為替を意図的に円安ドル高にしているのが悪い」と言い出したことなどを挙げ、アメリカでの日本叩きが再び強まるかもしれないのに、訪米する安倍は、日本叩きを回避するための釈明ではなく、最新鋭のF22戦闘機を日本に売ってくれというおねだりをしそうだ、と書いている。(関連記事) (F22は最新鋭なのでまだ外国に売れないことになっており、事前に日本が売ってくれと打診したが断られたようで、結局、安倍はブッシュにF22を売ってくれとは頼まなかった。F22の日本売却には、中国が反対していた)(関連記事その1、その2) ▼安倍首相を侮辱するのは北京ではなくワシントン 安倍首相は、不運な人である。アメリカと仲良くすることを切望しているのに、アメリカに意地悪され、実現できない。安倍は、もともと日米関係を何よりも重視していた。北朝鮮や中国との関係を悪くしておくことによって、米朝・米中の対立関係の中で、日本がアメリカとの同盟関係を強化することが、小泉前政権の戦略であり、安倍の戦略でもあった。その一環として、首相になる前の安倍は、拉致問題を扇動する旗振り役をやっていた。 私の読みでは、安倍の思惑とは裏腹に、ブッシュ政権は、小泉政権以来の日本が、中国や北朝鮮との関係を意図的に悪化させているのを、何とかして止めさせたいと考えていた。米側は昨年夏、小泉から安倍への政権交代の時期を狙い、首相就任直前の安倍に、首相になったらまず中国との関係を改善せよと求めたと私は推測している。その結果、安倍は首相就任直後、中国と韓国を訪問した。安倍は本当は、首相になったらまず最初に訪米したかったはずだ(小泉も、首相になって間もなく訪米している)。しかし米側は、安倍の訪米をなかなか許さなかった。(関連記事) 今年1−2月には、アメリカが北朝鮮を説得して6カ国協議に引っぱり出し「北朝鮮は核を廃棄し、アメリカと日本は北朝鮮と和解する」という方針が6カ国で再確認された。ブッシュ政権は、北朝鮮を許し、在韓米軍を撤退する方向の動きを本格化したが、日本は、6カ国協議の取り決めを実行しなくてすむように、拉致問題にこだわる姿勢を強めた。それ以来、アメリカのマスコミや政界では「日本は、北朝鮮の核問題を解決しようとする国際的な努力を阻害している」という見方が、しだいに強くなっている。拉致問題を使って北朝鮮との関係改善を阻止するという日本政府の戦略は、小泉政権から変わっていないが、安倍にとっては不運なことに、安倍が首相になってから6カ国協議が進展してしまい、日本は善玉から悪玉に変わりつつある。(関連記事) アメリカ側は、さらに日本の戦略を壊すため、今年に入って米議会における従軍慰安婦問題の審議を活発化させた。ブッシュ政権は、黒幕のチェイニー副大統領が長く下院議員をしていたこともあり、議会をうまく誘導する技能を持っている。たとえば、今年から民主党が多数派になった米議会は、イラク占領を早く終わらせる政策をいくつも検討したが、それらは民主党内の分裂によって否決されるか、ブッシュ政権に抜け穴を与えるかたちで可決されている。ブッシュ政権の議会への影響力からすると、米議会下院に、慰安婦問題を審議するのを安倍訪米後に延期させることは十分できたはずだ。しかし現実には、下院での慰安婦問題の審議は、安倍訪米の2カ月前から開始され、ちょうど安倍訪米に大打撃を与えるタイミングで、慰安婦問題が米マスコミで騒がれた。(関連記事) 安倍の失敗は、米側が慰安婦問題で騒ぎ出した当初、慰安婦問題で日本軍の責任は少ないはずなので歴史を調べ直す、と言ってしまったことだが、安倍はその後、すぐに方針を撤回している。しかし時すでに遅く、アメリカのマスコミは、安倍は慰安婦問題の責任を感じていないという論調ばかりを、その後も延々と喧伝している。これはおそらく「誤報」ではなく、ブッシュ政権の意を受けた意図的なミスリードである。 日本の世論は、日米関係が良くないのは安倍のせいだと考える傾向が強いが、私はそう思わない。日米関係が悪いのは、安倍のせいではなく、ブッシュ政権が悪化を望んでいるからである。日米関係の悪化は、おそらく「隠れ多極主義」の戦略の一つである。ブッシュ政権は、日本をアメリカから遠ざけ、中国の方に接近させようとしている。安倍は嫌々ながらも、中国を訪問し、中国から温家宝首相の訪日を受け入れ、慰安婦問題で何度も謝罪的な発言を行い、その後でようやく2日間のみの訪米を許された。だが、慰安婦問題の追及を恐れて公式記者会見もせず、晩餐会も開けなかった。 安倍はワシントンで、慰安婦問題の追及に熱心なマイク・ホンダら、議会の議員たちと面会し、その場で謝罪的な発言を行った。事前の日本側の根回しの結果、議員たちは安倍に対して何も反論しなかったが、同席していたホンダ議員らの側近たち(中国系・韓国系アメリカ人の反日活動家)は首を横にふり、安倍に対して無言で抗議の意を示した。側近たちは、韓国連合通信の取材に対し「安倍の態度には全く不満だ」と息巻いた。(関連記事) 米議会が慰安婦問題を採り上げたとき「これで中国や韓国の反日運動がまた扇動されるのではないか」と考えた人が多かったが、実際には、中国と韓国の反日運動は大きくなっていない。むしろ中国側では、温家宝の訪日によって日中関係は良くなりつつあると認識されている。今回の慰安婦問題は、日米関係にのみ悪影響を及ぼしている。安倍首相は、北京ではなくワシントンで中傷され、侮辱されている。 ▼アメリカだけが重要だった時代の終わり 戦後の日本の価値観では「アメリカは日本にとって絶対的に重要な国なので、首相が訪米時に中傷・侮辱されても、気がつかないふりをして耐えた方が良い」という考え方が強く、日本のマスコミは「安倍訪米で日米同盟はますます強い絆になった」という「見ないふり」報道が目立つ。しかし、日米を取り巻く情勢を全体的に見ると、もはや日本にとってアメリカだけが絶対的に重要である時代は終わりつつある。アメリカは衰退しつつあり、世界は多極化しつつある。 経済面では、日中間の貿易が急増しており、日本にとっての最大の貿易相手国はアメリカから中国に変わったと、安倍訪米の直前に日本政府が発表している。(関連記事) 経済成長が激しい中国とは対照的に、アメリカは不動産バブルの崩壊によって、経済成長が急速に鈍化している。安倍がワシントンにいる間に、アメリカの今年1−3月の経済成長が、時前の予測を0・5ポイント下回る1・3%へと急減速したことが発表されている。(関連記事) これを受けてドルは対ユーロで最安値を更新した。ドルは、日本円などわずかな例外を除き、主要通貨のほとんどに対して下落し、主要通貨バスケットに対するドルの為替は1973年に米連銀が統計を取り始めて以来の史上最安値となった。(関連記事) ロイター通信は「アメリカ衰退を示すドル下落」(Dollar decline tracks U.S. fall from grace)と題する記事を流し「アメリカの経常赤字と財政赤字の増加、ドルの下落、ニューヨークが世界経済の中心ではなくなっていることなど、60年前の大英帝国の衰退を思わせるような、アメリカの衰退が起きている」と書いている。(関連記事) アメリカの経済的、財政的な危機の増大をしり目に、日本では4月23日、スタンダード&プアーズによる日本国債の格付けが「AAマイナス」から「AA」へと、30年ぶりに格上げされた。日本政府による財政再建の努力と、成長するアジアとの関係が拡大している日本経済の活力が評価された。日本経済は、アメリカ経済ではなく、中国を中心とするアジア経済との相互関係によって繁栄する軌道に乗り始めている。(関連記事) アメリカでは今のところ、政府財政の大盤振る舞いが経済を下支えしていることもあり、不動産不況が個人消費の悪化に結びついておらず、個人消費は年率4%近い伸びを続けている。しかし、このまま不動産不況が拡大すると、今後1年ぐらいの間に、個人消費の減少が始まる可能性が大きく、アメリカでは急速にものが売れなくなり、日本や中国に対する保護主義的な敵視が強まるだろう。アメリカは、日本の商品を買えなくなり、保護主義になって日本敵視を強め、ドルも国際通貨としての地位を失う懸念が増している。日本がアメリカを重視する必要性は減りそうである。 ▼帰途の中東歴訪も石油利権多極化の関係 安倍首相は、アメリカ訪問の後、日本に戻らずにサウジアラビアなど中東を歴訪した。中東歴訪には、経団連の約180人の日本人財界人が同行し、政府が企業の儲けの面倒を見ることはなかった戦後日本のしきたりから考えると異色な、新しい形式を採った(欧米などでは、指導者が外遊に財界人たちを連れて行くことが多い)。(関連記事) 中東歴訪は、石油の買い付けと日本製品の売り込みが目的だが、このこと自体、以前の記事「反米諸国に移る石油利権」に書いたこととつなげて考えると、石油利権に対するアメリカの支配力が低下したことを反映し、日本がアメリカの石油会社(セブン・シスターズ)に頼らず、直接に中東の石油を買い付けに行かねばならなくなっていることを示している。 アメリカは軍事的にも、イラク占領の泥沼がひどくなり、中東以外の地域の面倒を見られなくなっている。韓国では在韓米軍の撤収が本格化し始めている。米韓関係は、韓国が軍事的にアメリカの傘下に入っていた時代を卒業し、緊張が緩和される朝鮮半島で、米韓が経済関係を重視する新たな関係に入る方向にある。その象徴が、先日の米韓FTAの調印だった(米議会で批准されるかどうかは微妙)。(関連記事) 米韓に触発され、日本でもアメリカとFTAを結びたいという動きが盛んになっている。だが、もしアメリカが日本とFTAを結んでくれるとしたら、それは米韓の場合と同様、日本が在日米軍の撤収に応じ、軍事的な対米従属を解消することの見返りとして与えられると思われる。また、すでに述べたように、日米FTAが締結されるころには、米経済は消費力が落ち、日本にとって今より重要ではない輸出先になっているとも予測される。 日本側では、すでに安保条約の終わりに備えるかのように、今年に入って防衛庁が省に昇格し、チェイニー副大統領の提案で、日本とオーストラリアの軍事協定も結ばれた。安倍政権は、中国との関係を改善している。日本の首相がワシントンに行くと中傷・侮辱されることも経験した。日本と北朝鮮の関係改善も、すでに6カ国協議の共同声明に盛り込まれている。経済、軍事、外交というすべての面で、日本は対米従属を脱せざるを得ない事態になりつつある。問題は、日本人の中に、日本が対米従属のみに頼るのはメリットがなくなっていることに気づかない人、新事態を見たくない人が非常に多いことである。
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