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クルドの独立、トルコの変身

2007年2月9日   田中 宇

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 クルド人は、イラク、トルコ、イラン、シリアという中東の4カ国に分散して住み、自分の国を持たない民族である。100年ほど前から国家建設や分離独立を試みてきたが成功しなかった彼らにとって、2003年のアメリカのイラク侵攻は、国家建設のまたとないチャンスとなった。

 アメリカやイスラエルが、イラクのフセイン前政権を転覆しようとする戦略は、1991年の湾岸戦争直後からあり、その一つの動きが、イラク北部のクルド人の独立運動を支援しつつ、クルド地域からイラクの政権転覆を画策するものだった。クルド人は1995年に蜂起したが、フセインのイラク軍に壊滅させられ、それを機にアメリカのCIAはクルド地域から撤退したが、その後もイスラエルの要員は残り「ペシュメガ」と呼ばれるクルド人の武装組織を訓練した。

 03年のフセイン政権転覆後、クルド人は、以前からアメリカに協力した勢力として新生イラク政府に参加し、優位な立場になった。ペシュメガは、新生イラク軍の主力部隊になった。だが、クルド人の最終目標は、新生イラクの一部になることではない。イラクから分離独立して自分たちの国「クルディスタン」を創設することである。

 クルド人の独立計画は「石油」を活用する。イラク北部には、キルクークの近郊に、大油田地帯がある。産油量は、イラク全体の輸出量の半分にあたる日産100万バレルという巨大なものである。キルクークは人口11万人の町で、もともとトルクメン人(40%)、クルド人(35%)、アラブ人(24%)の3民族が共存していた。(関連記事

 1975年のオイルショックでの石油価格高騰後、イラク政府(バース党政権)は、クルド人が油田とともに分離独立しようとするのを防ぐため、キルクークを「アラブ化」「非クルド化」することを試みた。クルド人を周辺の山岳地帯などに強制移住させるとともに、イラク南部の貧しいシーア派がキルクークに移住してくるのを推奨し、アラブ人の人口を増やした。

 フセイン政権転覆後、クルド人は、前政権による「アラブ化」を逆戻りさせるべく、山岳地帯に住むクルド人のキルクーク移住と、アラブ人のキルクーク追放を試みている。クルド人が描いているシナリオは、アメリカの占領が終わるまでにキルクークを「クルド化」し、アメリカの撤退後、キルクークを含むイラク北部をイラクから分離独立して「クルディスタン」を建国し、キルクークの油田収入によって豊かなクルド人の国を作る、というものだ。

 北イラクが産油国クルディスタンとして独立した後は、石油収入を使って近隣のイランやトルコ、シリアに住むクルド人の分離独立運動を支援し、最終的には「大クルディスタン」を建国するのが、クルド人の遠大な目標となっている。この目標は、イスラエルによって支援されている。イスラエルは、シリアやイランなどの敵国を内部分裂させて弱体化することで、自国の国家的な安全を確保する戦略だからである。(関連記事

▼キルクーク条項をめぐる戦い

 クルド人は、キルクークの「クルド化」のために、イラクの新憲法を制定する際に、アメリカに頼んで「キルクーク条項」(憲法第140条)を作ってもらった。この条項は、フセイン政権の「アラブ化」政策の被害をもとに戻すことを目的に、2007年末までに、キルクークで人口調査と住民投票を行って、キルクークの将来の帰属問題を決めると定めている。(関連記事

 イラクでは今、ゲリラ戦の泥沼がひどくなり、米軍による統治が崩壊しつつある。その中で、今年末という期限が定められているキルクーク条項をめぐる、シーア派・スンニ派とクルド人との対立が激化している。

 イラクの人口の60%を占めるシーア派は、選挙では必ず与党になれるので、イラクの統一が維持されることを望み、イラクの財政収入が減るのでキルクークの割譲には反対している。旧バース党支持者が多いスンニ派も、クルドの独立には反対で、この点でスンニ派とシーア派は連帯している。シーア派の中心的存在であるサドル師は、傘下の軍勢である「マフディ軍」を、シーア派住民を保護する名目でキルクークに派遣し、クルド人のペシュメガ軍と衝突している。(関連記事

 もともとキルクークで最大の人口だったトルクメン人(トルコ系の人々)も、トルコがクルド独立に強く反対していることもあり、クルド独立に反対している。

 シーア派とスンニ派、トルクメン人は、今年末までに行うと憲法で定められたキルクークの帰属を決める住民投票を、来年以降に延期するよう求めている。だが、クルド人はこれを拒否し、住民投票でクルド人の意志が通るよう、キルクークからアラブ系住民を追い出す作戦と、山岳地帯のクルド人をキルクークに移住させる作戦を強化している。

 2月4日には、イラク政府内のクルド人を中心とした「キルクーク正常化委員会」(Higher Committee for the Normalisation of Kirkuk)が「バース党が政権に就いた1968年以降にキルクークに引っ越してきたすべてのアラブ系住民は、キルクークから退去し、もともと住んでいた町に戻らねばならない」という命令を決定した。(関連記事

 退去する住民には、1世帯当たり約1万5千ドル(180万円)相当の補償金が出るとされ、7000世帯が退去に応じることにしたと発表された。だが、同時にアラブ系による反対運動も繰り返され、爆弾テロや銃撃戦が頻発し、キルクークは内戦一歩手前の状態になっている。(関連記事

 また、ブッシュ政権は、バグダッドで反米的なシーア派の貧困層が300万人住んでいる「サドルシティ」を攻撃するために、イラク軍の中でもクルド人のペシュメガの師団を使うことを計画している。イラク軍にはシーア派の師団と、クルド人の師団があるが、シーア派の師団はサドルシティの攻撃には協力しないので、クルド人を使うしかないという理屈なのだが、これはキルクークで始まっている内戦をバクダッドに拡大してしまう。米政府の中枢には、イラクの泥沼を激化させたい勢力がいるかのようである。(関連記事

▼北イラクに侵攻しそうなトルコ

 今後、クルド人がキルクークの「クルド化」を強行した場合、イラクのクルド地域に隣接するトルコが、イラク側に侵攻してくる可能性が大きい。トルコ軍はすでに1月下旬から、クルド地域に接した国境沿いに自国軍を待機させている。(関連記事

(世界全体のクルド人は3000万ほどで、そのうち1300万人ほどがトルコに住んでいる。イラクのクルド人は500万人。イランも500万、シリアが200万人)(関連記事

 トルコ議会は1月下旬、イラクに侵攻するタイミングなどについて話し合う、非公開の秘密会議を開いた。トルコがイラク北部に侵攻せざるを得ない理由は、建前上は、イラク北部を拠点としてトルコに侵入し、テロ活動を繰り返すクルド系トルコ人(トルコ系クルド人)のゲリラ組織PKK(クルド労働者党)の基地を破壊し、取り締まるためであるとトルコ政府は表明しているが、トルコにとっての長期的な脅威としては、PKKよりもむしろ、北イラクのクルドの独立につながるキルクークのクルド化である。(関連記事その1その2

 トルコ側では、野党から「トルコ軍は、トルコ国境からキルクークまでのルートを占領し、キルクークを制圧して、トルコの監視下で安定させるべきだ」という主張も出されている。(関連記事

 トルコは再三にわたり、イラクを統治するアメリカに対し、イラク北部のクルド人の独立運動と、対トルコのゲリラ活動を抑制してくれと頼んでいるが、アメリカは何もやっていない。今週、トルコのグル外相(Abdullah Gul)が訪米し、ブッシュ政権に、クルドの独立を抑制するようお願いした。(関連記事

 だが、ブッシュ政権はバグダッドの制圧で手一杯で、おそらく北イラクではほとんど何もできないから、トルコはイラク北部への侵攻に踏み切らざるを得ない。トルコが侵攻した場合、イラク政府は、建前的にはトルコを非難するだろうが、イラクではシーアもスンニも、クルドの独立には猛反対だから、トルコのイラク侵攻は、イラク側には黙認され、むしろトルコ軍がシーア派のマフディ軍と結束して、クルドのペシュメガと戦うという構図になる。これは、まさにイラクの内戦である。(これまで喧伝されてきたスンニとシーアの内戦ではないが)

▼トルコがクルド建国を許せない歴史的理由

 トルコがクルドの独立を許せないのは、歴史的に非常に深い理由がある。今のトルコ共和国は、第一次世界大戦でオスマン・トルコ帝国がイギリスを中心とする連合軍に敗北し、1920年のセーブル条約でオスマン帝国が分割された後の跡地に作られている。セーブル条約では、今のトルコの東側の4分の1と、今のイラクの北側3分の1を合わせた形で、クルド人の国が作られることになっていた。

 このまま事態が進んでいたら、クルド人国家は1920年代に建国され、トルコは今よりかなり小さい国になっていた。しかし、その後の2年間で、トルコでは青年将校だったケマル・アタチュルク(ムスタファ・ケマル)を中心に、国家再建運動が起こり、トルコの西側から領土を奪おうとしていたギリシャを打ち負かすなど強さを見せた。

 このアタチュルクのトルコ再建運動は、イギリスの気持ちを変えた。それまでイギリスは、オスマン帝国崩壊後の縮小したトルコには関心がなかったが、トルコがある程度強い国、しかもイギリスの言うことを聞いてくれる国になってくれるのなら、北のロシアを威嚇したり、地政学的にイギリスとトルコで西欧をはさんで圧力を加えられるなど、使い道はいろいろあった。

 アタチュルクのトルコに対するイギリスの戦略は、江戸末期の日本に対し、ユーラシア大陸を西と東からはさんで包囲する勢力として注目し、伊藤博文らと密約して明治維新を起こさせ、富国強兵を技術支援して日本を強くして、東アジアにおけるイギリスの傀儡的な友好国に仕立てたのと、同じ戦略である。(だからアタチュルクは、親英傀儡国の先輩だった日本に対し、異様に強い関心を持っていた)

 アタチュルクはイギリスに対し、トルコを親英的な近代国家にすることを約束した。その結果、イギリスが上手く立ち回ってくれてセーブル条約は3年後に破棄され、代わりにローザンヌ条約が関係諸国間で締結された。新しいローザンヌ条約では、トルコはクルド人地域と、フランス領シリアから土地をもらって、旧条約より3割増しの広さになった。その代わり新条約では、クルド人国家の姿は、影も形もなくなった。

 クルド人は、旧条約から新条約までの3年間だけ許された「独立国家を持つ」という甘い夢が忘れられず、その後80年間、トルコやイラクなどで蜂起やゲリラやテロを繰り返した。そしてクルド人は、中東を不安定化させて支配する米英やイスラエルの戦略の道具として使われ続けた。

 今後、北イラクにクルド国家が創設され、クルド独立がトルコにも波及するとしたら、それはトルコがアタチュルク以前、オスマン帝国滅亡後の絶望的な状態に戻ってしまうことを意味する。アタチュルクは、トルコでは絶対的な英雄である。トルコ人は、アタチュルクの偉業を無にすることになるクルドの独立を許すわけにはいかない。

▼クルド問題で接近するトルコとイラン

 トルコが北イラクに侵攻したら、アメリカやEUはいっせいにトルコを非難するだろう。しかしその半面、イランとシリアは、トルコを支援するに違いない。北イラクのクルドが独立したら、トルコだけでなくイランとシリアも、自国内のクルド系国民が扇動されて分離独立運動を強め、混乱させられるからである。

 アメリカの反発が怖いので、シリアはまだ黙っているが、反米精神が強いイランは、すでにトルコがクルドに対抗しているのを支持している。

 北イラクには、トルコに越境してゲリラやテロ活動を行っている反トルコのクルド人組織PKKの本拠地があるが、PKKはしばらく前にPEJAK(クルド自由生活党)という分派を作り、イラン領内のクルド人地域で、扇動活動やテロ、ゲリラの活動を行っている。PEJAKにはアメリカとイスラエルから支援が入っていると報じられている。イランを政権転覆したい米イスラエルが、PKKに頼んで分派を作らせ、活動させているのだと思われる。イラン・イラク国境の山岳地帯では、イラク側のPEJAKと、イラン側のイラン軍との間で、迫撃砲などを使った戦闘が散発的に起きている。(関連記事

 PEJAKはイラン政府を困らせているが、同時にイランは、この問題を通じてトルコに接近している。反イランのPEJAKは、反トルコのPKKの仲間(分派)なので、イランとトルコは、北イラクのクルド人ゲリラを相手とする共同戦線を張っている。今後、トルコがクルド人ゲリラの掃討を名目に北イラクに侵攻したら、同様にクルド人ゲリラに悩まされているイラン軍も、北イラクに侵攻し、トルコ軍に協力する可能性がある。イラン政府はすでにトルコ政府に対し、北イラクに侵攻するなら援軍を送る用意があると表明している。(関連記事

 トルコ軍を支援するためとはいえ、イラン軍が北イラクに侵攻したら、アメリカはこれを開戦事由として、イランとの全面戦争に入るかもしれない。イランとアメリカの今の一触即発状態を考えると、その可能性はかなり高い。クルドの独立阻止という点では、シリアや、イラクのシーア派とスンニ派も、トルコやイランと同じ利害なので、トルコ・イラン・シリア・イラク(シーア派、スンニ派)が、クルド人・アメリカ・イスラエルと戦うという構図の大戦争があり得る。

▼トルコに意地悪な西欧

 トルコは、アタチュルク以来80年間、ヨーロッパの一員になることを目指して近代化(西欧化)を続け、EUができた当初からEUに入ることを強く希望していた(アタチュルク以来の傀儡戦略があるため、イギリスはトルコのEU加盟に賛成したが、他の諸国は冷たかった)。

 トルコは、1970年代以降の中東全域のイスラム主義化の波及もできるだけ抑制し、何とか西欧化しようと努力を続けてきた。しかし西欧の側では「人権侵害がある」「アルメニア人虐殺(誇張されている歴史的問題)への謝罪が足りない」「ギリシャへの譲歩が足りない(近代ギリシャは、トルコの仇敵であり続ける国として西欧から独立が許された)」などと難癖をつけ、トルコのEU加盟を断っている。本当は西欧諸国は、キリスト教国の集まりであるEUにイスラム教国のトルコを入れたくないという感情が拒否の理由なのだが、それを言うと差別になるので、別の理由で難癖がつけられている。

 911以来の米英イスラエルによるイスラム敵視策によって、トルコの人々は、欧米への反感を強める一方で、自分たちはイスラム教徒なのだという、アタチュルク以来の近代化の過程で意識的に疎んぜられてきたアイデンティティを覚醒させられている(トルコの近代化は非イスラム化でもあった)。

 こうした中でトルコは、EUから意地悪されて加盟を拒否され、アメリカのイラク占領の失敗でクルドが独立しようとしている。そしてその一方で、イランやイラクのシーア派は「一緒にクルド人の独立を阻止しましょう」と接近して来ている。

 クルド人が独立傾向を強め、それを封じるためにトルコが北イラクに侵攻し、それをきっかけにアメリカとイランが開戦して中東大戦争になるとしたら、それはトルコにとって、西欧の一員になろうとする80年間が終わり、イランやイラクとともに中東イスラム世界の一員に戻るという、次の時代が始まることを意味している。

 とはいえトルコは、イランやシリアなどという「悪の枢軸」の仲間入りし、わざわざ欧米の敵になる覚悟で、北イラクに侵攻する選択をしないかもしれない。アメリカはいまだに世界最強だし、欧米はまだ世界の中心だ。だが、トルコがクルドの独立を止めない選択をした場合、いずれクルドは独立し、トルコにもクルドの独立運動が広がる。そして、トルコが北イラク侵攻を思いとどまったとしても、EU加盟への希望が開けるということはない。絶望的な行き詰まりの中で、トルコは意思決定を迫られている。



●田中宇の2003年のクルド地域の旅行記



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